幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち

KASPIAN

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第7章 晋作と玄瑞

6 久坂の縁談

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 晋作が村塾に向かっていた頃、新しい塾舎と化した杉家の物置小屋の裏手で、久坂と中谷正亮が話をしていた。
「先生の妹を娶る話にお前が難色を示しちょると耳にしたんじゃが、それは真の話なんか? 久坂」
 中谷が詰るような口調で久坂に尋ねた。
「真であります。この縁談話にゃ、わしはどうも乗り気がせぬのであります」
 中谷に問い詰められた久坂は困り果てている。
「何故じゃ? 先生は久坂玄瑞っちゅう男を見込んで、この縁談話をお前に持ってきたんじゃぞ! 先生の妹のお文さんと結婚すれば、お前は晴れて先生の親類に、いんや、先生の義弟になれるのじゃぞ! 村塾の塾生は何十人もおるが、お前ほど先生に気に入られちょる者はおらん! その先生の好意をお前は何故理解できん?」
 中谷はもの凄い剣幕で久坂のことを糾弾した。
「別に先生の好意が理解できん訳ではございませぬ。十五の時に親兄弟全てに先立たれ、天涯孤独となったわしに先生が気をつこうちょることも、またわししか残っちょらん久坂家の行く末をも案じちょることも、すべて存じちょります。ただどねーしても……」
 久坂は何か言いづらいことでもあったのか、弁明の途中で言葉を濁す。
「ただどねーしても、何じゃ? ゆうてみぃ」
 はっきりしない態度の久坂に中谷は苛立っている。
「どねーしてもお文さんの容姿が気に入らんのです。わしは妻に娶るおなごは、絶対に浮世絵に描かれるような美人でなければいけんと子供の時分から誓っておるけぇ、そのわしの理想とは程遠いお文さんは、どねーにしても妻として娶るつもりになれんのです。それが例え先生のご意思であっても」
 久坂は本音を赤裸々に暴露した。これを聞いた中谷は激怒して
「このたわけが! 大丈夫たるものが色で妻を選ぶとは何事か! 恥をしれ、恥を!」
 と怒鳴り散らした。
「まさかお前がこねーな奴だったとは! 防長第一流の人物が聞いて呆れるわ!」
 中谷は怒りながら塾舎の中へ入っていった。




「一体どねーしたんじゃ? 久坂」
 中谷が立ち去った後、入れ替わりでやってきた晋作が久坂に尋ねた。
「別にどねーしたことはない。ただわしの縁談について中谷さんと少し話をしちょっただけじゃ……」
 久坂は気まずそうにしている。
「おお! それはめでたいのう! してだれと縁談するんじゃ?」
「お文さんじゃ。先生の妹の」
「そうかそうか! あの田舎臭い娘がお前の妻になるっちゅう訳か! 何がともあれ、これで久坂家を残すための足掛かりができたのじゃ! もっとうれしそうにせんか!」
 意気消沈している久坂とは対照的に、縁談話を聞いた晋作はうれしそうな様子だ。
「そねーなことゆわれてもなあ。わしは妻とするおなごは楊貴妃や虞美人のような美人にするとずっと決めちょったけぇ、どねーにしてもそこは曲げられんのじゃ」
 久坂は困った顔をしながらも、あくまで自身の主張を貫き通すつもりでいた。
「お前のゆうちょることはよう分かるぞ、久坂。古来から英雄色を好むっちゅう格言があるように、男が美人を求めるのは変えようがない真理じゃ」
 晋作はうんうんと頷きながら久坂の言い分を肯定するふりをする。
「そうじゃろう、そうじゃろう。やはりわしの言い分を分かってくれるのはお前だけじゃ、晋作」
 晋作が自身の味方になってくれたことで久坂が息を吹き返し始めた。
「じゃが美人薄命ちゅう格言もまた古来から同じように存在しててな、お前が例に挙げた古の美人たちはみな天寿を全うできぬまま非業の死を遂げちょるぞ」
 晋作が本性を現し始める。
「何じゃ、お前も中谷さんと同じで、ただわしに説教したいだけなんか?」
 上げて落とされた久坂は不服そうにしている。
「そねーなこと言わず最後まで話を聞け。もしお前が自分一代だけの栄華を望むんなら、楊貴妃の如き美女を望めばええと思うが、そうではなく、久坂家を後の世まで残すことを考えちょるならば、あの田舎娘を妻に娶るのがええと思うぞ。見たところ、あの娘は刀で叩き斬っても死なないぐらい丈夫そうに見えるからの」
 晋作の説教は続く。
「それにもしお前の代で久坂家が絶えるようなことにでもなったら、地下で眠っちょるお前の兄上や両親は一体どねーなるんじゃ? お前は久坂家に残された最後の一人じゃぞ。お前の背に久坂家の命運がかかっていることを少しは自覚したほうがええ」
 久坂家の主としての認識の足りなさを指摘したところで、晋作の説教は終わった。
「まさかお前にそねーなことをゆわれる日が来ようとはのう。これも村塾で学問にはげんだ成果か?」
 久坂は晋作に痛い所をつかれて面食らっている。
「そうかもしれんのう。とはゆうても学び始めてからまだ三月も経っちょらんけぇ、まだまだこれからじゃ」
 ぐうの音も出なくなった久坂を一人残して、晋作は塾舎の入口へと向かった。
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