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第9章 老中暗殺計画
1 コレラの流行
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安政五(一八五八)年八月。
江戸を目指す晋作一行は東海道を歩いていた。
晋作達は萩往還を通って三田尻に行き、そこから船で上方へ赴いて京の嵐山で遊んだ後、草津から中山道を経て熱田へと辿り着き、そして熱田から東海道を歩いて江戸へ向かっていたのであった。
東海道を歩き始めてから三日後、晋作達は難所の一つである大井川へと辿り着いた。
「おお! 萩を出立して二十日目にしてようやく大井川か! しかしこの川は相変わらず人で賑わっちょるのう!」
川越人足に肩車されて川を渡っている最中の旅人や、高貴な武家の妻女を乗せた輦台を担いでいる川越人足達の光景を見た晋作が感嘆の声を漏らす。
「そうか、確か晋作は一度江戸へ行ったことがあったんじゃったな」
晋作と供に旅をしている山県半蔵が取って付けたようにして言う。
「江戸へ行ったっちゅうても藩邸から一歩も出れずじまいじゃったけぇ、これが初めての江戸行きのようなものじゃ」
晋作は笑いながら言うと右手の人差し指で鼻をこすった。
「あそこで誰かもめちょるみたいじゃが、一体何なのじゃろうか?」
半蔵と同じく晋作の供の一人である斎藤栄三が近くの河原を指している。
「ん? 誰かもめておるっちゅうのはまことか?」
栄三の言を聞いた晋作達も彼が指している河原の方へ意識を向けると、なるほど四、五人ほどの百姓が一人の若い男を寄ってたかって打ちのめしているのが確認できた。
「殺せ殺せ! こいつはコロリに感染した忌むべき男じゃ! ここできっちり殺しておかんと、他の村人にまで伝染してしまう!」
四、五人いたうちの百姓の一人がわめき切らしながら、件の若い男を激しく木の棒で殴りつけていた。
「伝兵衛のゆう通りじゃ。おらたちの村はただでさえ凶作で飲まず食わずの悲惨な状況なのに、その上コロリの感染者など出そうものなら村は終わりじゃ! コロリを食い止めるにはこいつの息の根を止めるより他はあるまい!」
他の百姓達も伝兵衛の言に乗せられるがままに若い男を殴ったり蹴ったりしている。
「止めてください! 私は村を出て別の所に去りますからどうか命だけは助けてください!」
百姓達に痛みつけられて血まみれになっている若者が泣きながら命乞いをした。
「あの百姓共、よってたかって無抵抗の者をいたぶるとは許せん! わしが成敗しちゃる!」
百姓達の私刑の現場を目の当たりにし、激怒した晋作がその場に割って入ろうとする。
「待ちんさい、晋作」
半蔵がすっかり頭に血が上った晋作を宥めるようにして言った。
「何故です? 何故わしを止めるのですか?」
半蔵に制止されたことが理解できない晋作が声を荒げる。
「あの百姓達のゆうとることを聞いちょらんかったのか? 今打ちのめされよるんはコロリに感染しちょる者じゃぞ。下手に関わって儂らまでコロリにかかったらどねーするつもりなんじゃ?」
半蔵は晋作とは対照的にあくまでも冷静そのものであり、気が立っている彼を懸命に諭した。
「山県さんは何故あの打ちのめされよる男がコロリに感染しちょると断言できるんですか? あの百姓共が勝手にそねー思い込んじょるだけかもしれんじゃないですか?」
半蔵の説得を受けてもまだ納得がいかない晋作はしつこく食い下がる。
「あの男の顔をよく見んさい。どう見ても二十五くらいの若者のはずなのに、まるで老人のように干乾びておるのが確認できんか? あれはコロリに感染しちょる何よりの証じゃ。コロリに罹ると激しい嘔吐や下痢に襲われた挙句、干し柿のように全身が乾燥して死に至ると耳にしちょる。あの若者はもう手遅れじゃ。またあの若者を打ち据えちょる百姓共も既にコロリに感染しちょるかもしれん。じゃけぇここは見て見ぬふりをするしかないのじゃ」
半蔵がもうどうしようもないことなのだと言わんばかりの口調でコロリのことを語ると、晋作は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも承知した。
「しかし、山県さん。この有様ですと江戸も危ないんではないじゃろうか? 途中で立ち寄った京や大阪でも、コロリに感染して死んだと思われる者を多々見かけましたが、まさかこねー東国にまで広まっちょるとは夢にも思わんかった。いっそこのまま萩に引き返したほうがええんじゃないでしょうか?」
栄三が心配そうな表情を浮かべながら尋ねる。
「それは無理な相談じゃ。藩からのお達しで江戸遊学を命じられちょるけぇ、今更引き返すことなど到底かなわぬ。儂等にできることはせいぜいコロリに感染せぬように自分の身を守ることぐらいじゃろう」
半蔵は首を横に振りながら栄三の言を否定すると、
「さあ無駄話はこれぐらいにして、早う大井川を渡って島田宿へ急ごう。半刻前から雲行きがかなり怪しくなってきちょるけぇ、もし大雨が降って川の水量が増大しようものなら、何日もここで足止めを食らうことになるじゃろう。そねーなことになったら儂等の旅の軍資金は底をつきてしまうけぇ、早う川を渡るのが先決じゃ」
と早急に川を越えることを提案してきたので、晋作達はその言に従って急ぎ川を渡ることを決意したのであった。
江戸を目指す晋作一行は東海道を歩いていた。
晋作達は萩往還を通って三田尻に行き、そこから船で上方へ赴いて京の嵐山で遊んだ後、草津から中山道を経て熱田へと辿り着き、そして熱田から東海道を歩いて江戸へ向かっていたのであった。
東海道を歩き始めてから三日後、晋作達は難所の一つである大井川へと辿り着いた。
「おお! 萩を出立して二十日目にしてようやく大井川か! しかしこの川は相変わらず人で賑わっちょるのう!」
川越人足に肩車されて川を渡っている最中の旅人や、高貴な武家の妻女を乗せた輦台を担いでいる川越人足達の光景を見た晋作が感嘆の声を漏らす。
「そうか、確か晋作は一度江戸へ行ったことがあったんじゃったな」
晋作と供に旅をしている山県半蔵が取って付けたようにして言う。
「江戸へ行ったっちゅうても藩邸から一歩も出れずじまいじゃったけぇ、これが初めての江戸行きのようなものじゃ」
晋作は笑いながら言うと右手の人差し指で鼻をこすった。
「あそこで誰かもめちょるみたいじゃが、一体何なのじゃろうか?」
半蔵と同じく晋作の供の一人である斎藤栄三が近くの河原を指している。
「ん? 誰かもめておるっちゅうのはまことか?」
栄三の言を聞いた晋作達も彼が指している河原の方へ意識を向けると、なるほど四、五人ほどの百姓が一人の若い男を寄ってたかって打ちのめしているのが確認できた。
「殺せ殺せ! こいつはコロリに感染した忌むべき男じゃ! ここできっちり殺しておかんと、他の村人にまで伝染してしまう!」
四、五人いたうちの百姓の一人がわめき切らしながら、件の若い男を激しく木の棒で殴りつけていた。
「伝兵衛のゆう通りじゃ。おらたちの村はただでさえ凶作で飲まず食わずの悲惨な状況なのに、その上コロリの感染者など出そうものなら村は終わりじゃ! コロリを食い止めるにはこいつの息の根を止めるより他はあるまい!」
他の百姓達も伝兵衛の言に乗せられるがままに若い男を殴ったり蹴ったりしている。
「止めてください! 私は村を出て別の所に去りますからどうか命だけは助けてください!」
百姓達に痛みつけられて血まみれになっている若者が泣きながら命乞いをした。
「あの百姓共、よってたかって無抵抗の者をいたぶるとは許せん! わしが成敗しちゃる!」
百姓達の私刑の現場を目の当たりにし、激怒した晋作がその場に割って入ろうとする。
「待ちんさい、晋作」
半蔵がすっかり頭に血が上った晋作を宥めるようにして言った。
「何故です? 何故わしを止めるのですか?」
半蔵に制止されたことが理解できない晋作が声を荒げる。
「あの百姓達のゆうとることを聞いちょらんかったのか? 今打ちのめされよるんはコロリに感染しちょる者じゃぞ。下手に関わって儂らまでコロリにかかったらどねーするつもりなんじゃ?」
半蔵は晋作とは対照的にあくまでも冷静そのものであり、気が立っている彼を懸命に諭した。
「山県さんは何故あの打ちのめされよる男がコロリに感染しちょると断言できるんですか? あの百姓共が勝手にそねー思い込んじょるだけかもしれんじゃないですか?」
半蔵の説得を受けてもまだ納得がいかない晋作はしつこく食い下がる。
「あの男の顔をよく見んさい。どう見ても二十五くらいの若者のはずなのに、まるで老人のように干乾びておるのが確認できんか? あれはコロリに感染しちょる何よりの証じゃ。コロリに罹ると激しい嘔吐や下痢に襲われた挙句、干し柿のように全身が乾燥して死に至ると耳にしちょる。あの若者はもう手遅れじゃ。またあの若者を打ち据えちょる百姓共も既にコロリに感染しちょるかもしれん。じゃけぇここは見て見ぬふりをするしかないのじゃ」
半蔵がもうどうしようもないことなのだと言わんばかりの口調でコロリのことを語ると、晋作は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも承知した。
「しかし、山県さん。この有様ですと江戸も危ないんではないじゃろうか? 途中で立ち寄った京や大阪でも、コロリに感染して死んだと思われる者を多々見かけましたが、まさかこねー東国にまで広まっちょるとは夢にも思わんかった。いっそこのまま萩に引き返したほうがええんじゃないでしょうか?」
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