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第七章「こんにちは、和菓子——そして、蓮のなみだ」
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第七章「こんにちは、和菓子——そして、蓮のなみだ」
西村里佳から連絡が来たのは、クラウドファンディング公開の翌週だった。
メッセージには「動画を拝見しました。もしよければ、私のクラスで和菓子のワークショップをやっていただけませんか」と書いてあった。里佳は横川小学校の四年生の担任で、「地域の文化を学ぶ」授業の一環として、地域の職人や作り手を招くことがあるという。
凛がすぐに「やります!」と返信して、葵は「凛、一応私にも聞いてよ」と苦笑しながら、でももちろん断る気はなかった。
ワークショップの内容は、上生菓子の「練り切り」を作る体験にした。白餡に求肥を混ぜた練り切り餡を、子どもたちが自分の手で成形する。形は自由。菊でも、星でも、丸でも。道具は使わず、手の感触だけで形を作る。
葵が材料を準備し、凛が動画撮影の段取りを組んだ。里佳は教室の机の配置を変えて、作業しやすい環境を整えてくれていた。
二十八人の四年生は、最初、静かだった。
和菓子、という言葉に対するリアクションが、葵の予想より薄かった。「知ってる」でも「知らない」でもなく、「なんかよくわからないもの」という顔をしている子が多かった。それが正直な反応だと葵は思った。
「和菓子って、食べたことある人?」と葵が聞くと、半分くらいの手が上がった。
「どんなときに食べた?」と葵が聞くと、「お正月」「おじいちゃんの家で」「お葬式のとき」という答えが返ってきた。
やっぱり、と葵は思った。特別な日の、特別な場所のもの。日常じゃない。
「今日はね」と葵は言った。「自分の手で和菓子を作ってもらいます。難しくないよ。粘土遊びみたいな感じ」
その言葉で、教室の空気が少し変わった。粘土、という言葉が子どもたちの警戒を解いた。
練り切り餡を配ると、教室はにわかに活気づいた。白くてもっちりした餡を手で触って、「なにこれ」「気持ちいい」「柔らかい」と声が上がる。葵は一人ひとりの机を回りながら、手の使い方を教えた。凛はカメラを持って教室を動き回りながら、子どもたちの表情を撮っていた。
三十分ほどで、それぞれの作品が出来上がった。見事な菊を作った女の子、ハートを作った男の子、「これはドラゴン」と言い張る謎の造形を作った男の子。葵は一つひとつを真剣に見て、「上手」とか「いい形」とか、本当に思ったことだけを言った。お世辞は言わなかった。子どもはお世辞を見抜く。
最後に葵が作った上生菓子——秋の野菊を模した白と薄紫の練り切り——を、一人一つずつ食べてもらった。
静かになった。
二十八人が、一斉に静かになった。咀嚼する音だけが聞こえた。それから、ぽつぽつと声が出た。「甘い」「おいしい」「なんか、やさしい味」。
葵は教壇の前に立ちながら、目の奥が熱くなるのを感じた。やさしい味。その言葉を、十歳の子どもが自分の言葉で言ってくれた。
凛を見ると、凛もカメラを下ろして、目を赤くしていた。二人は目が合って、どちらからともなく笑った。
そのとき葵は、教室の隅の席の男の子に気づいた。
向井蓮だった。
路地裏でコーンスープを飲んだ男の子。蓮は練り切りを口に入れた瞬間、目を伏せた。葵はそれを見ていた。伏せた目から、一粒、涙が落ちた。蓮はすぐに袖で拭って、下を向いた。隣の席の子は気づいていないようだった。
葵は蓮に近づこうとして、でも授業の流れを止めたくなかったので、授業が終わるまで待った。
片付けをしながら、さりげなく蓮の近くに行って、「おいしかった?」と聞いた。
「おいしかった」と蓮は言った。今度は泣いていなかった。普通の顔をしていた。
「なんで泣いてたの」と葵は小さな声で聞いた。
蓮は少し間を置いた。それから「なんでもない」と言った。
「そっか」と葵は言った。聞かなかった。
ワークショップが終わって、子どもたちが帰り、教室に里佳と葵と凛の三人が残った。
「本当に、ありがとうございました」と里佳は言った。三十代半ばの、柔らかい雰囲気の女性だ。「子どもたちが真剣に作ってるの、久しぶりに見た気がします」
「こちらこそ、機会をいただいて」と葵は言った。
「実はですね」と里佳は少し嬉しそうに言った。「和菓子の動画を見てて、ずっと気になってたんです。私の知り合いが和菓子好きでよく話を聞かされてたので、余計に興味があって」
「知り合い?」と凛が聞いた。
「彼氏なんですけど」と里佳は少し照れたように笑った。「誠さんっていうんですが、和菓子が大好きで。特に粒あんが好きって言ってて。葵さんの動画の粒あん、すごいきれいですよね、って話してたんです」
葵は笑顔を保った。
誠さん。田村誠。
里佳は葵が田村の元交際相手だとは、知らない様子だった。知らないというより、田村から聞かされていないのだろう。葵はそれを理解しながら、「そうなんですか、嬉しいです」と静かに言った。
「素敵な人ですよね」と凛が里佳に言った。里佳は「ありがとうございます」と答えた。
葵はその会話を聞きながら、自分がどんな顔をしているかを考えた。普通の顔をしていると思う。少なくとも、普通の顔を保つことはできていると思う。
田村誠が和菓子を好きになったのは、葵と付き合ってからだ。一緒に桐島屋の工房に来て、葵が練り切りを作るのを眺めながら、「なんかいいな、こういうの」と言っていた。その記憶が、今、妙な形で横川の小学校に届いている。
皮肉だとは思わなかった。ただ、世界は思ったより狭くて、思ったより繋がっている、と思った。
学校を出て、凛と並んで歩きながら、葵はしばらく黙っていた。
「どうかした?」と凛が聞いた。
「ううん」と葵は言った。「ワークショップ、よかったね」
「よかった」と凛は言った。「蓮くん、泣いてたね」
「うん」
「なんで泣いたのかな」
「わからない」と葵は言った。「でも、聞ける日が来ると思う」
凛は「そうだね」と言って、空を見上げた。十一月の横川の空は高くて、薄い雲が流れていた。
「里佳先生、感じいい人だったね」と凛は言った。
「うん」と葵は言った。
それだけ言って、葵は前を向いた。横川の商店街が、昼の光の中で静かに広がっていた。
つづく
西村里佳から連絡が来たのは、クラウドファンディング公開の翌週だった。
メッセージには「動画を拝見しました。もしよければ、私のクラスで和菓子のワークショップをやっていただけませんか」と書いてあった。里佳は横川小学校の四年生の担任で、「地域の文化を学ぶ」授業の一環として、地域の職人や作り手を招くことがあるという。
凛がすぐに「やります!」と返信して、葵は「凛、一応私にも聞いてよ」と苦笑しながら、でももちろん断る気はなかった。
ワークショップの内容は、上生菓子の「練り切り」を作る体験にした。白餡に求肥を混ぜた練り切り餡を、子どもたちが自分の手で成形する。形は自由。菊でも、星でも、丸でも。道具は使わず、手の感触だけで形を作る。
葵が材料を準備し、凛が動画撮影の段取りを組んだ。里佳は教室の机の配置を変えて、作業しやすい環境を整えてくれていた。
二十八人の四年生は、最初、静かだった。
和菓子、という言葉に対するリアクションが、葵の予想より薄かった。「知ってる」でも「知らない」でもなく、「なんかよくわからないもの」という顔をしている子が多かった。それが正直な反応だと葵は思った。
「和菓子って、食べたことある人?」と葵が聞くと、半分くらいの手が上がった。
「どんなときに食べた?」と葵が聞くと、「お正月」「おじいちゃんの家で」「お葬式のとき」という答えが返ってきた。
やっぱり、と葵は思った。特別な日の、特別な場所のもの。日常じゃない。
「今日はね」と葵は言った。「自分の手で和菓子を作ってもらいます。難しくないよ。粘土遊びみたいな感じ」
その言葉で、教室の空気が少し変わった。粘土、という言葉が子どもたちの警戒を解いた。
練り切り餡を配ると、教室はにわかに活気づいた。白くてもっちりした餡を手で触って、「なにこれ」「気持ちいい」「柔らかい」と声が上がる。葵は一人ひとりの机を回りながら、手の使い方を教えた。凛はカメラを持って教室を動き回りながら、子どもたちの表情を撮っていた。
三十分ほどで、それぞれの作品が出来上がった。見事な菊を作った女の子、ハートを作った男の子、「これはドラゴン」と言い張る謎の造形を作った男の子。葵は一つひとつを真剣に見て、「上手」とか「いい形」とか、本当に思ったことだけを言った。お世辞は言わなかった。子どもはお世辞を見抜く。
最後に葵が作った上生菓子——秋の野菊を模した白と薄紫の練り切り——を、一人一つずつ食べてもらった。
静かになった。
二十八人が、一斉に静かになった。咀嚼する音だけが聞こえた。それから、ぽつぽつと声が出た。「甘い」「おいしい」「なんか、やさしい味」。
葵は教壇の前に立ちながら、目の奥が熱くなるのを感じた。やさしい味。その言葉を、十歳の子どもが自分の言葉で言ってくれた。
凛を見ると、凛もカメラを下ろして、目を赤くしていた。二人は目が合って、どちらからともなく笑った。
そのとき葵は、教室の隅の席の男の子に気づいた。
向井蓮だった。
路地裏でコーンスープを飲んだ男の子。蓮は練り切りを口に入れた瞬間、目を伏せた。葵はそれを見ていた。伏せた目から、一粒、涙が落ちた。蓮はすぐに袖で拭って、下を向いた。隣の席の子は気づいていないようだった。
葵は蓮に近づこうとして、でも授業の流れを止めたくなかったので、授業が終わるまで待った。
片付けをしながら、さりげなく蓮の近くに行って、「おいしかった?」と聞いた。
「おいしかった」と蓮は言った。今度は泣いていなかった。普通の顔をしていた。
「なんで泣いてたの」と葵は小さな声で聞いた。
蓮は少し間を置いた。それから「なんでもない」と言った。
「そっか」と葵は言った。聞かなかった。
ワークショップが終わって、子どもたちが帰り、教室に里佳と葵と凛の三人が残った。
「本当に、ありがとうございました」と里佳は言った。三十代半ばの、柔らかい雰囲気の女性だ。「子どもたちが真剣に作ってるの、久しぶりに見た気がします」
「こちらこそ、機会をいただいて」と葵は言った。
「実はですね」と里佳は少し嬉しそうに言った。「和菓子の動画を見てて、ずっと気になってたんです。私の知り合いが和菓子好きでよく話を聞かされてたので、余計に興味があって」
「知り合い?」と凛が聞いた。
「彼氏なんですけど」と里佳は少し照れたように笑った。「誠さんっていうんですが、和菓子が大好きで。特に粒あんが好きって言ってて。葵さんの動画の粒あん、すごいきれいですよね、って話してたんです」
葵は笑顔を保った。
誠さん。田村誠。
里佳は葵が田村の元交際相手だとは、知らない様子だった。知らないというより、田村から聞かされていないのだろう。葵はそれを理解しながら、「そうなんですか、嬉しいです」と静かに言った。
「素敵な人ですよね」と凛が里佳に言った。里佳は「ありがとうございます」と答えた。
葵はその会話を聞きながら、自分がどんな顔をしているかを考えた。普通の顔をしていると思う。少なくとも、普通の顔を保つことはできていると思う。
田村誠が和菓子を好きになったのは、葵と付き合ってからだ。一緒に桐島屋の工房に来て、葵が練り切りを作るのを眺めながら、「なんかいいな、こういうの」と言っていた。その記憶が、今、妙な形で横川の小学校に届いている。
皮肉だとは思わなかった。ただ、世界は思ったより狭くて、思ったより繋がっている、と思った。
学校を出て、凛と並んで歩きながら、葵はしばらく黙っていた。
「どうかした?」と凛が聞いた。
「ううん」と葵は言った。「ワークショップ、よかったね」
「よかった」と凛は言った。「蓮くん、泣いてたね」
「うん」
「なんで泣いたのかな」
「わからない」と葵は言った。「でも、聞ける日が来ると思う」
凛は「そうだね」と言って、空を見上げた。十一月の横川の空は高くて、薄い雲が流れていた。
「里佳先生、感じいい人だったね」と凛は言った。
「うん」と葵は言った。
それだけ言って、葵は前を向いた。横川の商店街が、昼の光の中で静かに広がっていた。
つづく
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