『風よ、商店街を吹き抜けろ』 ――いつかきっと、誰かが答えてくれる――

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第八章「記憶をリノベーションする」

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第八章「記憶をリノベーションする」

 改修作業は三週目に入り、ようやく空間の輪郭が見え始めてきた。
 咲の主張が通って、壁には珪藻土が塗られた。予算内に収めるために蒼がホームセンターを三軒回って材料を調達し、塗り方は健太がYouTubeで調べた動画を全員で見て習得した。最初の一面は凸凹になったが、二面目からは要領をつかんだ。乾燥した後の白い壁面は、確かに空間の質を上げていた。
 「……思ったよりいいな」と蒼が認めた。
 「言ったでしょ」と咲は言ったが、声に勝ち誇ったところはなかった。
 内装のベースが固まりつつある中、拓海が提案した。
 「この場所の記憶を、デザインに使えないでしょうか」
 全員が「記憶を?」という顔をした。
 「清子さんをはじめ、かつてここで商売をしていた方々、あるいはこの商店街で買い物をしていた方々に話を聞かせてもらって、昔の商店街の記憶を集める。それを壁に展示する。空間の設計に組み込む。この場所が過去と繋がっていることを、来た人に感じさせる」
 咲が「いい」と言った。即答だった。「空間に時間の層を作れる。過去と未来が同居する場所になる」
 蒼は少し考えてから「住民の人たちが、この場所に関わる理由になる」と言った。「ここは自分たちのものだ、という感覚が生まれるかもしれない」
 翌週から、拓海と咲が中心になって「記憶のヒアリング」を始めた。
 清子のところへ改めて訪ね、今度は写真の提供をお願いした。清子は「どうせろくな写真がない」と言いながら、段ボール箱を二つ押し入れから引っ張り出してきた。中には古い写真が数十枚。商店街の賑わいを写したもの、盆踊りの一コマ、店先に並んだ商品たち。
 清子が一枚ずつ説明してくれた。「ここが魚屋のおじさん」「ここの行列はコロッケ屋」「この人は電器屋の奥さん」。
 咲がスキャナでデジタル化し、拓海が清子の説明を書き起こした。他にも四人から写真と話を集めた。商工会議所の古いアーカイブからも、凛が許可を取って写真を借りた。
 集まった記憶を壁一面の「思い出マップ」として展開した。写真と手書きの地図と付箋が混在したコラージュ。「ここに魚屋があった」「ここで盆踊りをした」「この路地に駄菓子屋があった」。床には商店街の古い区画図をモチーフにしたタイルシールを貼った。
 それらが完成した金曜の夕方、拓海が清子を呼んだ。
 清子は商店街の中に入ること自体、久しぶりだと言った。元の自分の店の前を通る時、少し足が遅くなった。でも立ち止まらなかった。
 UBELABの入り口に立って、中を覗いた時の清子の顔を、拓海はずっと覚えている。
 壁一面の写真の中に、清子は自分の姿を見つけた。若い頃、三十代のころだろうか。婦人服店の前に立って、にこやかに笑っている。誰かが撮ったスナップ写真で、清子自身も持っていなかった一枚だった。
 清子は壁の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
 「……よく見つけてくれた」
 声がかすれていた。拓海は「商工会議所の古いアーカイブにありました」と言った。
 清子は写真から目を離さず「あの頃はよかった」とも「懐かしい」とも言わなかった。ただ「よく見つけてくれた」ともう一度言った。
 それだけで十分だった。
 その日の夕方遅く、坂本が見学に来た。
 誰かに連絡したわけではなかったが、ちょうど全員がいる時間だった。坂本は空間の中をゆっくりと歩き、壁の写真を一枚ずつ見ていった。何も言わなかった。表情も変えなかった。ただ歩いた。
 拓海は坂本の後ろに立ちながら、視線の動き方を観察した。写真を見る速度が、ある一点で少し遅くなった気がした。
 見学を終えた坂本が、帰り際に全員に言った。
 「誰がここを一番欲しがっていましたか」
 誰も即答できなかった。坂本は答えを待たずに「ありがとうございました」と言って出ていった。
 拓海は外に出て坂本の背中を見た。今日もあの場所で立ち止まった。商店街の端、特定の一軒の前。
 拓海は清子に視線を向けた。清子もその背中を見ていた。
 七十一歳の目が、何かを知っていた。
 「清子さん」と拓海は小さく呼んだ。清子は振り向かなかった。「……知ってる人ですか」と聞くと、清子はしばらく黙ってから「さあ、どうかね」と言った。
 その「さあ」には、知っているという意味が込められているように、拓海は感じた。
 また今度、聞こう。
 でも今日は、それでいいと思った。
 その夜、清子がコーヒーメーカーを運んできて、作業をしている全員に珈琲を淹れた。
 坂本はその場にいなかった。
 でも後から咲に聞いた話では、清子はコーヒーを配る前に、坂本がいないことを確認するように、一度入り口の方を見たという。
 それに気づいたのは咲だった。
 咲は何も言わなかった。でもスケッチブックの隅に、小さく「コーヒーメーカー」と書いた。理由はうまく言えなかったが、後で意味を持つ気がした。

つづく
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