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第36話 引退の美学
しおりを挟むサクの目の前には、百人ほどの兵隊がずらりと列を作っていた。
「気にするな。みな、舞姫と咲弥を護衛したいと志願した者たちだ。辺境まで行くついでに、国境の東雲軍を一掃しようと思う」
「そ、そうです…か?」
蒼月率いる東雲軍一掃派兵隊に、サクと凛音が紛れ込んでいるという状態になった。蒼月と二人で里帰りをするものと思い込んでいたサクは、目を白黒させた。隊の中には、蒼月の副官、賑やかな悠遊もいた。
「姫ちゃーん!久しぶりだね。すっかりきれいになっちゃって、僕も鼻が高いよ。でもなんか、ケガしたんだって?もうすっかりいいの?」
「はい、おかげさまでケガは良くなりました」
「そっかー。でも無理はしないでね。さささ、馬車に乗って!」
サクと凛音は特別に用意された馬車に乗った。馬車の周りをライと数名の騎馬兵が警護している。
蒼月が出発の合図をすると、隊列は整然と進み始めた。
サクは正面に座る凛音を見た。いつも通り白い美しい顔が、やや上気して口元がほころんでいる。ありていに言って、嬉しそうだ。
「あのぉ、凛音姐さん…。これはどういう状況なのでしょうか…?」
戸惑ったサクの声音に、凛音の笑顔が消え、申し訳なさそうに眉が下がった。
「うち、咲弥に謝らなあかんかった。咲弥が嫌がらせを受けているのを知っとったのに、やった子らを放っておいたせいで大きな事故になってしまった。ほんに堪忍な。うちの責任や」
「いえ、そんな!凛音姐さんは何も悪くないです」
凛音はゆるゆると首を振る。
「うちは瑠璃光院の舞姫なんよ。舞台で起きたことの責任はみんなうちにあると思うてる。運よく助かったけど、もしかしたら咲弥は死んどったかもしれん。こんな目に合わせてしもうて…。あのな、うち、引退することにしたんよ」
「…っ!」
咲弥は絶句した。まじまじと凛音を見つめる。驚きすぎて見開いた目から、じわりと涙があふれて来た。
「泣かんといて…。こんな形で引退したら、咲弥には迷惑かもしらんけど…」
咲弥はうまく言葉が出て来なかった。
「あ…私の、せいで」
凛音はにっこりとほほ笑んで見せた。
「咲弥のせいではないわ。うちの問題や。咲弥に申し訳ないと思うとるし、責任を取る気持ちは嘘やない。けどな…、咲弥にだから言うけど、雷門が辞めたらええって言ってくれたの」
「雷門が…?」
凛音は白い頬をほんのり薄桃色に染めた。
「舞姫を辞めたら結婚しようって…えへへ」
驚きすぎて口をぱかっと開けてしまったサク、涙もぴたっと止まった。
「えええっ!!ほ、ほんとに?!姐さん、雷門と結婚するんですか?!」
「ええ、そのつもりなんよ。それで今回の遠征に同行させてもろて、雷門の故郷へお邪魔することになったんよ。だから、咲弥は気に病まなくてええから。それにこうして王都の外に出るのは久しぶりやから、結構楽しんどるんよ」
「ででででも、姐さんはあんなに人気があるのに、急に辞めるなんてお客様の暴動が起きちゃいます!」
凛音は穏やかに笑いながら、首を振った。
「いつの時代でもあることなんよ。舞姫の引退、新しい舞姫のお披露目。その度に公演のチケットは売れて、グッズも売れて、舞姫を贔屓にしていたお客はんも、また新しい贔屓を見つけてそちらに流れる。そうやって生まれ変わりを繰り返しとるのが神楽座よ。後輩に後を託して散っていく美しさも見せなあかんの。引退までこなして初めて、舞姫の仕事をまっとうしたことになるんよ」
舞姫の世代交代を経験したことのないサクには、凛音の言うことがあまりよくわからなかった。しかし、凛音が己の引退に誇りを感じているのだけは伝わって来た。サクの事故はきっかけにすぎないのかもしれない。そう思わせるような、覚悟、美学がそこにはあった。
「そういうわけで、次の公演がうちの引退公演や。座長がとびっきりの台本書いてくれとる。今回のいざこざで世間から悪い意味で注目を浴びとる瑠璃光院の印象をがらっと変えたるわ。命かけてやりきって見せる。咲弥にもうちが稽古つけたる。しっかりしい」
「…はい!」
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