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第32話 最後の会話

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 水を吐いているときに、シャールが慌てて駆け付けて来た。

「クララ!?大丈夫か?具合が悪いのか?!」

 持っていたハンカチでクララベルの口元をぬぐってやると、クララベルの体がぐらりとかしいでシャールに体重を預けて来た。

「シャール、聞いて。時間がない」

 無理をして声を出し、そう告げたのを聞いて、シャールは彼女がマリアベルであると気づく。

「マリア!何があった?!」

 シャールはマリアベルを支えてベッドに横たわらせると、マリアベルの顔に耳を寄せて、小さなつぶやきを拾おうとした。

「クララが、私のことを知ってしまった。クララの…身代わりに、なって、いたって。それで、睡眠薬を大量に…飲んだ、の。なんとか…吐き出したけど、ダメみたい…」

「なんだって!」

「私、クララに…会ってみようと思う。眠り…の中で…。もしかしたら、私は消えてしまうかもしれない。シャールに会えるの、これで最後かも…」

「何を言ってるんだ!消えるなんて言うなよ」

 マリアベルは弱々しい笑みを浮かべた。

「シャール、ありがとう。私、クララが幸せならば、それでいいと思ってきたけれど…、シャールにおまえはクララベルじゃない、と言われて嬉しかったわ。見つけてくれて、ありが…とう」

「マリア、マリア!しっかりしろ!」

 マリアベルは眠気に抗いきれなくなり、ついに目を閉じた。

「マリア!待ってくれ!行かないでくれ!マリア、マリア…!」

 シャールは必死に呼びかけたが、これがマリアベルとの最後の会話となった。
 マリアベルは深い眠りについたのだ。
 シャールは祈るように、マリアベルの側から離れなかった。
 どのくらいの時間がたったのか。
 シャールには丸一日にも、はたまたほんの一時にも感じられた。
 ずっと近くで様子を窺っていたアルフレッドが、そっと声を掛ける。

「シャール…。医者が来た。一度部屋に戻ろう」

 冷静なアルフレッドの声に、シャールは火が付いたように怒りを顕にした。

「兄さんはマリアベルがいなくなればいいと思っているんだろう!?体をクララベルに返せと思っているんだろう!?」

「そんなことは思っていない」

「じゃあどうしてそんなに冷静なんだよ!」

 アルフレッドとて、冷静ではなかった。
 シャールはマリアベルの消失を恐れているようだが、最悪の事態となれば、クララベルも死んでしまう。
 体は二人で一つなのだから。

「お前も落ち着け。取り乱したところでどうすることもできない」

 そう諭されて、シャールはプイッと顔を背け自分の部屋に戻り、乱暴に扉を閉めた。
 シャールも分かっている。
 こんな子供じみたことをしても、何の解決にもならないことなど。
 それでも、荒れた気持ちを、どうにも自分では収められなかった。
 アルフレッドは、医師の診察が終わるまでクララベルの部屋の前で待っていた。
 半刻もせずに診察は終わった。

「薬の多くはクララベル様ご自身が吐き出したようです。脈も臓器の働きも正常な様子。ただ、どのくらいの量が体内に吸収されてしまったかは、定かではありません。様子を見るしかないでしょう」

「どのくらいで目がさめるでしょうか」

「なんとも言えません。クララベル様の生きたいというお気持ち、目覚めようとする気力がどのくらいあるかによるでしょう」

「そうですか。ありがとうございました」

「もし目が覚めても、また自害を図らないとは限りません。常に目が届くように見守ってください」

「はい、わかりました」

 医師は軽くお辞儀をして帰って行った。
 クララベルの自害未遂は、領地にいたシモン侯爵夫妻にも伝えられた。
 夜会のために王都へ来訪する予定を前倒し、すぐにタウンハウスに向かうとの連絡があった。
 自害未遂などと噂が広まれば、今後社交界でクララベルが生きていくことは不可能だ。
 対外的には病で臥せっているとすることに決まった。
 シモン侯爵家の長い一日が終わり、いよいよ明日は新月の夜。
 王宮では王家主催の夜会の準備が着々と整えられていた。

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