乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

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Episode0 ミクリル・ダンディ、誕生

0-4 ダンディ、早起きを誓う

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 地上40階。
  高さ100メートルをゆうに超える位置にある、俺の4LDKマンションのリビング。
  午前中に仕事を終えた俺は、ゆっくりと午後のひとときを過ごしていた。

  ミクリル・ダンディの良い点は、早い時間に仕事が終ることだ。
  だから、まだ御天道おてんとう様が拝める時間から、こうやってワインを楽しむことができる。酒のつまみは、大きな窓から覗く景色――暮れゆく街並み――だった。
  夕焼に照らされて、部屋の中までが赤く染まってゆく。
  手にしたワイングラスをゆっくりと揺らし、口へと運ぶ。

  リビングと、夕焼と、ロマネ・コンティ。
  それらすべてが、俺の大好きな色――赤色で統一された、そのときだった。
  ソファーに深々と身を委ねた俺の口から、大きな溜息が漏れたのだ。

 「はあ……。こんなことで、いいのか? 俺は、プロの産業スパイ。しかも一流のだ。棚から牡丹餅ぼたもちなんて、俺のプライドが許さない……」

  今朝のことが、重く苦しく、俺の心に蘇る。

  極秘情報獲得のキーマンとして、苦労して丸山知美という女の存在を洗い出し、その会社の潜入になんとか成功したのが、三ヶ月前。
  その後、彼女の一挙手一投足を秘密裏に、そして必死に、観察してきた。
  それなのに、欲しかった秘密情報は、そんな彼女の方から「はいどうぞ」とあっけなく提供されてしまったのだ。

  手にしたグラスの中で、ロマネ・コンティの赤褐色の液体が波打つ。

  膝の上にあるのは、今朝入手した会議資料のコピー。
  社外秘と赤く印字された表紙には『ミリア電子科学工業 来期発売予定新製品に関する検討資料』と書かれている。


  もう一度云うが、俺は一流の産業スパイである。

  当然、一流と云うのには、理由わけがある。
  俺の特殊能力――卓越した記憶能力――を使ったスパイ活動では、基本、証拠が残らないからだ。
  一度見た文章や図面、一度聴いた会話、一度嗅いだ臭いなど、決して忘れることはない。
  目の奥、耳の奥、鼻の奥に残った記憶は、いつでもどこでも、それを脳内再生できる。そして、持ち帰った情報を暗号化したレポートにまとめ、高額の報酬を得ているのだ。

  しかし、情報を売って生きる俺が云うのもなんだが、当てにならないのは、情報である。
  キーマンである彼女の情報は、当然、依頼主から既に得ていた。が、その情報以上の彼女の美しさ、可憐さ、性格の良さ。
  情報とは、如何に当てにならないものであるか、俺は今回の件で痛感した。

 「まあ、今日の所は、この情報を俺のところでとどめておくか……。ミクリル・ダンディの仕事もやっと板についてきたところだし、このネットワークもスパイ家業には色々と役立ちそうだしな……」

  資料を両手でぐしゃりと丸め、リビングのクローゼットの中に叩き込む。

  残ったワインを飲み干した俺は、これからのミクリル・ダンディの仕事に思いを馳せながら、「明日も早起き頑張ろう!」と心に誓ったのだった。


  【Episode0 End】
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