乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

文字の大きさ
3 / 23
Episode0 ミクリル・ダンディ、誕生

0-3 ダンディ、どもりまくる

しおりを挟む
 あのミクリル・ダンディのデビューの日から、3ヶ月が経つ。

  日々、ミクリル・ダンディとして担当エリアを歩き、たくさんの商品とともに俺の笑顔をお届けすることができたと自負している、俺。
  面接で係長に面と向かって云ってしまった以上、俺の入社志望の内容は、きちんと守るようにしているのだ。
  意外と律儀な、俺の性格。

  しかも、販売実績は好調だった。
  男の販売員が珍しいからか、お客さんは「ミクリル」を喜んで買ってくれる。
  云っておくが、決して脅してなどはいない。
  眉毛辺りに力を込めて精一杯の笑顔を浮かべながら、しばらくの間、相手の顔をじっと見つめているだけなのだ。
  おかげで俺は入社間もないながら、いきなりのトップセールスに躍り出た。
  入社直後、あれほど俺に疑いの目を向けていた総務係長も、最近では手揉みしながら、俺にすり寄って来るまでになったのだ。

  勿論のことだが、好成績の秘訣はひとつではない。
  他にひとつ挙げるとすれば、それは、俺のずば抜けた行動力である。

  『関係者以外立入禁止』などという表示は、俺にとって、全く意味がないのだ。

  カートから小分けしたミクリルをキャリーバッグに入れ、小気味よい朝の挨拶とともにズンズン貼り紙の先に進んで行けば、会議室だろうが役員室だろうが、どこにだって入っていける。
  まあ……広い意味では、俺も関係者と云えなくもない訳だし。
  と云って、相手も百戦錬磨の企業たち。障害が全く無い訳でもない。「ちょっと、困ります!」などという台詞は、もう聞き飽きている。

  だがそんなとき、俺も負けてはいない。
  ちょっと高価な紙パック入りの乳酸飲料「ミクリル100」を相手の手を取ってじかに手渡し、俺の最高キュートなウインクを、ばっちん、とかます。
  すると大概は、二度と俺に近寄って来ないのだ。

  しかし――こんな俺の積極的営業活動も空しく、まだ目的の「彼女」とは真面まともには話せてはいなかった。

  ――丸山まるやま 知美ともみ

  忘れもしない。それが、彼女の名前だ。
  ミリア電子工業の中枢「企画開発課」の主任で、その中心メンバー。
  よわい28歳の、モデルのようにすらりとした体型の長身美人で、頭もスパスパと切れる、有名私立大卒の才能豊かな女性。
  まさに絵に描いたような才女――という言葉が、彼女にはふさわしいのだ。

  ――さあ、今日こそ勝負!

  彼女の在籍する『部外者立入禁止』の企画開発課――俺の戦場――へ突入するため、こぶしに込めた気合を俺の厚い胸板の中にぶち込んで、足を踏み入れる。
  と、いきなり俺の視界に現れたのは、紛れもないその彼女――丸山知美だった。
  予想外の出来事に、俺の自慢の挨拶も、急にどもり気味になる。

 「お、おは、よーご、ざいますっ」
 「あ、おはようございまーす――って、中川さん、困りますよ! 何度も云いますが、この場所は部外者立入禁止なんですからねっ」

  ――やった! 俺の名前を憶えてくれた!

  心の中で小躍りした、俺。
  まさに、この時を待っていたのだ。
  彼女が、俺という存在を遂に認めてくれた瞬間、といえるだろう。

  彼女が俺に対しての警戒を解いてくれたことも、確信した。
  その証拠は、俺に対して見せてくれた、彼女の笑顔。
  俺を咎める言葉とともに彼女が見せてくれたそれは、どこかの街の有名な夜景のようなきらびやかさと、どこかの田舎の丘に生育するスミレ草のような可憐さの両方を、併せ持っていたからだ。
  一瞬、全身の筋肉から力が抜ける。
  年甲斐もなく我を忘れ、真夏の直射日光の下に放り出されたアイスクリームのように、あっという間に全身がとろけていった。

 「す、すみません……。すぐに出て行きますんで」

  硬い足取りで彼女に近づいて行った俺は、ミクリル二本を、彼女の机の上に置いた。
  頬の辺りに熱が帯びたのを、ふと感じる。

 「中川さん! 私は一本で充分ですから」
 「もう一本は、僕からの贈物プレゼント……いえ、オマケです」
 「でも、それはちょっと……。じゃあ折角なので、遠慮なくいただいときますね」

  それを聞き、急に体が軽くなった、俺。
  他の社員さんにも自慢の笑顔と商品をお届けするため、鼻唄混じりで、室内を回る。
  そんな間でも、もちろん、俺の視線は彼女の動きに釘付けだ。

  そう――彼女の一挙手、一投足に。

  パソコンのキーボードを打つ姿。
  メールを見て、何やら呟く姿。
  笑いながら、同僚と言葉を交わす姿。
  重要書類らしき冊子を見開いて、読む姿。
  ――どれもこれも、俺にとっては、非常に大切なものなのだ。

  と、そのとき室内に響いた、俺と同世代らしき男の声。

 「おい、みんな! 今日は朝一あさいちから企画会議のはずだぞ。会議室に、すぐに集合だ!」
 「あ、課長……。そうでした、すみません。すぐに行きますので!」

  騒然となる、室内。
  知美さんと同様、会議を失念していた人も多かったらしい。まだ部屋に残っていた数名の男たちに負けじと、彼女の動きも慌ただしくなる。
  何せ、彼女はこの部署のかなめ
  彼女がいなければ、会議は始まらないと云ってもいいのだ。

  手にした何冊もの提案書らしき文書を両手に抱え、慌てて部屋から出ようとする、彼女。

  と、そのとき、彼女の小さな悲鳴が部屋に響いた。
  どうやら手にした資料の数が多すぎて、ドアの前でそのうちの一冊を、床に落としてしまったらしい。
  既にこの部屋には、彼女以外では俺しか残っていない。
  くるり、こちらに振り向いた知美さんが、口を開く。

 「中川さん、すみません。この書類を拾って、私の机の上に置いていただけませんか?」
 「ああ。勿論、いいですよ」
 「じゃあ、お願いしますね!」

  彼女が、小走りで部屋を後にする。
  こうして俺は、部屋に一人、取り残されたのだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

分かりやすい日月神示の内容と解説 🔰初心者向け

蔵屋
エッセイ・ノンフィクション
私は日月神示の内容を今まで学問として研究してもう25年になります。 このエッセイは私の25年間の集大成です。 宇宙のこと、118種類の元素のこと、神さまのこと、宗教のこと、政治、経済、社会の仕組みなど社会に役立たつことも含めていますので、皆さまのお役に立つものと確信しています。 どうか、最後まで読んで頂きたいと思います。  お読み頂く前に次のことを皆様に申し上げておきます。 このエッセイは国家を始め特定の人物や団体、機関を否定して、批判するものではありません。 一つ目は「私は一切の対立や争いを好みません。」 2つ目は、「すべての教えに対する評価や取捨選択は自由とします。」 3つ目は、「この教えの実践や実行に於いては、周囲の事情を無視した独占的排他的言動を避けていただき、常識に照らし合わせて問題を起こさないよう慎重にしていただきたいと思います。 それでは『分かりやすい日月神示 🔰初心者向け』を最後まで、お楽しみ下さい。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年(2025年)元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...