乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

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Episode1 宅配業者は二度鼻を鳴らす

Section1-6 ダンディ、夜の舞を披露する

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 夜の帳が、静かに街を覆った。
 だが最近は、俺たちのような家業スパイのものにとって夜とは、必ずしも活動しやすい時間帯ではなくなったのだ。明かりが多すぎるし、24時間営業の店も多い。
 いくら黒い服を着たところで、人々の目に触れてしまう確率は昔に比べて数段高くなったのだ。

 それに、ここ連日の夜勤務だ。正直、体に応えている。
 だがそんなことよりも、ひとつ気になることがあった。
 久しぶりに身に着けた“夜の活動服”が、サイズがひと回り小さくなったような気がするのだ。気のせいなのか、洗濯して縮んでしまったからなのか……。
 とそのとき、ふと嫌な言葉が脳裏をよぎる。

 ――もしかして、俺が太ったとか?

 いや、いや、いや。
 そんなことはない、はずだ。俺に限ってそんなことはない、はずだ。確かに最近、体重計は怖くて覗いてはいないのであるが……。必死に、頭の中で否定をする。
 大体、一流のスパイにして甲賀こうか出身の忍者、このミクリル・ダンディが中年太りなどありえない! “ダンディ”を名乗る者として、許されないのだ。
 西洋から渡って来た“靴”ではなく日本伝統の“足袋たび”を両足にフィットさせた俺は、まるで木枯らしのように素早く街を通り抜けながら、お腹の辺りをぎゅっと左手で摘んでみた。

 ――うっ。

 ぷよんとした嫌な感触。
 俺の脳が、そんなことはなかったものとして、勝手に脳内処理をしようと決めたその瞬間だった。
 不意に感じた、他者の気配。

 ――ほほう。まさか時を同じくして、アイツも来るとはな。伊賀いが者のアイツが。

「よう、総一郎。忍者服を着たお前の姿、久しぶりに見たぞ」
「ああ、大五郎。お前こそな」
「あれ? 総一郎、その揺れるはら……。お前、もしかして太っ――」
「あああああッ! いいから、それ以上は云うな!」

 足の回転のスピードを上げ、彼との距離を離すことにより、会話を途絶えさせる。
 ふふふッ……。
 人を嘲ったような笑い声が後ろから聞こえたような気もしたが、そこはスルー。
 暫く走り続け、視界に入って来たのは、あの三階建ての建物だった。
 吉田精密設計の入り口の前に、辿り着く。
 ほぼ同時に足を止めた俺たちは、少しだけ上がった息を整え、辺りの様子を窺った。丑三つ時のこの時間では、さすがに電気も消され、辺りはしんと静まり返っている。

「大五郎、どうしてお前はここに?」
「私は、バーの経営者だ。そして吉田さんは、ウチの常連客。助けない訳がないじゃないか。だが、それと同じ質問をお前にもするぞ。お前こそ、どうしてここに?」
「そんなの決まってるじゃないか。乳酸飲料の、大事な顧客にお願いされたからさ」
「ふうん……。だが、よくここが“臭い”と分かったな。俺はお前と違って優秀な伊賀の免許皆伝忍者なのだから社長は自宅にいるとすぐにわかる訳だが、甲賀こうが、それも未だ免許皆伝でもない“へっぽこ忍者”であるお前が、それを把握できたとは信じ難いぞ」
「“こうが”ではない、“こうか”だ。一々、間違えるな」

 わざと甲賀こうか甲賀こうがと呼び間違えるコイツには腹が立つ。
 が、それとは違う、ちくりと俺の心に刺さった言葉の棘。
 『免許皆伝』。
 この言葉は、俺の青春時代の苦い思い出として、俺の心に深い傷跡を残しているのだ。

「ふん、済まなかったな、免許皆伝ではなくて……。だが、俺もれっきとした職業スパイだぞ。天下のミクリル・ダンディの情報網を、馬鹿にするな」
「ふん、情報網ね……」
「ところで、大五郎。お前にいくつか訊きたいことがある」
「なんだ?」
「お前のBAR、確か、今どき珍しく、マッチを置いてるよな?」
「ああ、そのとおりだ。私はあのレトロな雰囲気が好きなのだ。だが、今はそんなことを云ってる場合じゃないだろ?」
「……やっぱりな。あと、もうひとつ訊きたい。店のコースターが、最近無くなるなんてことはなかったか?」
「ああ、そういえば確かにそんなことがあった気がするけど……。だけど、それに何の意味が――」
「そう急かすなって。実は、“あそこ”にあったコースターがやけに新しくて――」
「あそこ?」

 とそのとき、今まで真っ暗だった自宅兼社屋の建物の2階にある小さな窓に、ぱっと明かりが灯った。こんな夜も更けた、深夜だというのに、だ。

「……さて、もうおしゃべりする時間は無くなったようだぞ、大五郎」
「ああ、そのようだな。総一郎」

 大五郎は、玄関の鍵の形式を確認すると、懐から太い針金のようなものを2本取り出し、玄関の鍵へと差し込んで、カチャカチャとやった。

 ガチャン――。

 まあこんなものさ、と大五郎が自慢げに目配せをする。通常の鍵を開けることくらい、伊賀者には朝飯前らしい。

「伊賀者は、妙な技も持ってるんだな」

 が、俺の軽口は無視された。
 音もなく扉を開けた大五郎は、「先に行け」と俺に目で指示をする。
 命令されるのは癪だが、ここは奴に従い、屋内へと入る。

 つつつ、と音もなく廊下を進み、事務室前へ。後ろには、大五郎がピタリとつく。
 ドアに嵌め込まれたガラス部分から漏れて来る明かりはなかった。当然、事務室には誰もいない。それは想定内の事だった。
 問題は、この先だ。
 
 忍者は夜目が効く。
 なにせ一端いっぱしの忍者であるならば、修業時代に夜などの暗い空間で動くための訓練を、嫌というほど積むのが決まりなのだ。
 だが、今は21世紀なのである。
 人間の夜目の力より、文明の利器。
 俺は懐から人差指ほどの大きさのLEDライトを取り出して、青白い明かりを点灯させた。

「なんだよ、総一郎! 忍者がそんな道具を使うのかよ」
「今どきの忍者はな、ハイテク機器にも慣れなければいけないのさ」
「フン。私はそんなもの認めないが」

 小声での、二人のやりとり。
 そんな間にも、ここ最近の間で見慣れた机の並びを抜け、奥へと進む。
 ミクリル販売の時には、常に専務が立ちはだかっていて行くことはできなかった、事務室の奥のスペースなのだ。
 ひんやりと冷たい感じのリノリウムの床の通路の先の右手に倉庫部屋らしき部屋があって、それを仕切るドアの隙間から、うっすらと明かりが漏れている。
 マッチの燃えさしが落ちていた位置は、恐らくはその倉庫部屋の真下なのだろう。
 少し通路を進むと、部屋の中から微かに人の気配がした。
 俄然、俺たちの間に緊張の糸が張り巡らされた。

 ――数人いるのか?

 大五郎に、アイ・コンタクトで合図を送る。奴は、深く頷いた。

 ――いくぞ。

 LEDライトを消し、冷たい廊下を抜き足で進む。
 やはり、足袋はいいものだ。
 このフィット感、そして無音感。忍者には、必需品だと改めて感じた次第だった。

「そろそろ、教える気になったか? 隠してる財産の在り処をいい加減教えてくれないと困るんだよ! もう、待つのも限界だよ」

 低くくぐもった声の誰かが、捕らわれた誰かを、明らかに脅している。
 ドアの左右に分かれ、再びのアイ・コンタクト。
 刹那、大五郎が気配を消した状態でドアをゆっくりと開ける。中が見えた。

 ――敵は二人だ!

 そのとき、右手のナイフをちらつかせた敵の一人――澤田とかいう名の若手社員――が、眠そうな目でこちらを向いた。
 横には、大きなマスクを口に当てた女が、一人。
 女の足元には、手足を縛られ、まるで棒のように床に転がっている男性の姿があり、その顔を彼女の右足がぐりぐりと踏みつけ、白い床に押し付けている。

「ん? 誰だ!」

 だが、若者がそう叫んだ時には俺の手裏剣が既に空を斬っていた。大五郎は、吹き矢でもう一人の敵に攻撃。

「ちょっとあんた達……? って、どうしてここに忍者が?」

 驚きのあまり大口を開けたせいなのだろう、口を覆っていたマスクがはらりと外れ、そこに紛れもない吉田専務の顔が現れたのだ。
 専務が、吹き矢の刺さった左手を抑え、恐怖の目をこちらに向ける。
 一方、右手に手裏剣が突き刺さった男は、握っていたナイフを床に落とし、ただ呆然とするばかり。だが、その眼だけは初めて見る忍者に奪われてしまったのか、アクション映画を見る子どものようにキラキラと輝いていた。
 そんな隙だらけの男の脇へとすかさず移動して、みぞおちに一撃を与える。夢見心地で、落ちて行く彼。
 残りは彼女だけだ。しかし、それも時間の問題だろう。大五郎の放った吹き矢に仕込まれた麻酔が、そろそろ効いてくる頃だろうし。

「フン……クソがっ!」

 倒れる前、整った口元から放たれた、腐りきった言葉。
 無念の表情を残しながら、専務は冷たい床に崩れ落ちた。

「社長……大変でしたね」

 二人がかりで腕と足に巻き付いていた紐を解き、猿ぐつわを外すと、吉田社長は生き返ったように、ぷはあ、と息を吐き出した。

「た、助かった……。ありがとうございます。アナタたちは、一体……」

 忍者服で唯一外気に曝している“目”を合わせた俺たち二人は、一瞬、返答に窮した。が、大五郎が代表として、その質問に即座に答えた。

「えーと、ただの通りすがりの忍者です」
「え、ええ。そうなんです」
「通りすがりの――忍者???」

 増々混乱したのか、社長はカメレオンの如くその表情を変化させた。
 だが、社長に我々の顔を覚えられてしまうの困るのだ。顔のほとんどが布に隠れているとはいえ、念には念を入れておく必要がある。
 目にぐっと力を込めた俺は、右目で一度軽くウインクし、そのまま社長の目を見つめた。
 途端、社長の目付きがとろんとし、がっくりと項垂れたかと思うと、ぐうぐうと幸せそうないびきをかいて眠り始めた。

「おい、総一郎。お前、今、社長に何をした?」
「あ、いや特に……。まあ、俺の“熱い視線”に参ってしまったってところだ」
「熱い視線だと? なんだそれ、気持ち悪い……。まあ、きっとしょうもない甲賀の技なのだろうが、とにかく今はそんな話を聴いている暇はない」
「ああ……その通りだ」

 俺の「目」の能力については、極秘事項なのだ。甲賀こうかの仲間内でも、それを知っているのはごく少数。
 特に、伊賀者には絶対に知られてはならない。

 残すは、現場の後始末だった。
 監禁犯二人をギュウギュウに縛り上げ、会社の電話を使って警察に連絡する。きっと最後の仕上げは、この国の優秀な警察がすべてやってくれることだろう。

「よし。これで、今日の所は解散ということだな、総一郎」
「ああ。今日の仕事、一丁上がりってとこだ」
「あーあ、しかし今日は店を臨時休業にしてしまったし、稼ぎが減ったぞ」
「まあ、そういうな。俺も久しぶりの夜間勤務で、体がくたくただもの」

 そんなくだらない会話の後。
 俺たちは、音もなく夜の闇に再び紛れたのだった。
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