乳酸飲料なダンディ

鈴木りん

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Episode1 宅配業者は二度鼻を鳴らす

Section1-8 ダンディ、種明かしをする

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 グラスをぐびりと傾け、喉を湿らせた俺が語り出す。

「まずは……お前、昨日何故俺があの家に吉田社長が囲われているのかわかったのか、と訊いたな? それを教えてやる」
「ほう」
「吉田社長は、消息不明になる直前、この店に立ち寄った。そうだな?」
「ああ、そのとおりだ」

 大五郎の右の鼻の穴から白煙が噴き出し、天井へと立ち昇る。
 もしかしたら甲賀者こうかものには分からない伊賀者いがものの技なのかもしれないが――片方の穴からだけ出すとは、なんとも器用なヤツである。

「俺がミクリル販売のため新人を連れて吉田社長の自宅兼社屋に行った朝、建物近くの敷地にマッチの“燃えさし”が一本、落ちていた。その場に立ち見上げると、真上に会社として使われている2階部分にある、小さな窓を見つけたのだ。燃えさしは、この窓から投げられたと推測された」
「ああ、新人のと行ったときね……」
「……。次に、会社の中にある社長の机だ。そこには、真新しい紙製のコースターがあり、飲みかけの入ったコーヒーカップが置かれていた。あれは、つい最近、家に持ち帰ったコースターに違いなかった」

 にやり、と右の口角を上げて笑う大五郎。

「ははあ……。だから、昨日の夜、俺にマッチとコースターのことを訊いたんだな? つまり、吉田社長は行方不明になる晩、ここからマッチとコースターを持って帰った、と」
「そう。そして、“自宅に戻った”のだ」
「だが、それだけでは、あそこに監禁されているという証拠にはならないはずだ。一度家に戻ってからまた何処かへと出かけ、そこで拉致された可能性もある」

 俺は、右の人差し指を左右に振って、それを否定した。

「――靴だ」
「靴?」
「あの会社は社長と専務の奥さんを含めて社員7人。そのうち女性は奥さんだけで、男性は6名。実はウチの新人が靴箱にぶつあって、そこにあった靴をぶちまけたんだよ。散らかった靴は、男物が6つと女物がひとつ。つまり、拉致されているはずの社長の靴が、そこにあった可能性は高い」
「そそっかしい新人ちゃんのお陰だね」
「そそっかしいだって? いや、あれはそんなものじゃなくて――まあ、そのことはいい。とにかく、これらの事実をつなげれば、こうなる――」

 折角もったいぶって話したのに、特に興味が増したという風でもなく、今度はぷかぷかと口から煙を吐いた大五郎。

「吉田社長は、このバーでマッチと新品のコースターを持ち帰った後、自宅兼会社の建物に戻った。自宅に戻らず会社に戻ったということは、恐らくはもう、奥さんとの仲は良好なものではなくなっていたんだろう……。まあ、それはいい。
 酔い醒ましのためにコーヒーを淹れて飲んでいたそのとき、不意を突いて奥さんとその不倫相手の澤田という男が社長を襲った。そして、頭を殴って社長の気を失わせると、奥の倉庫にそのまま監禁をした。当然、手足を縛って猿ぐつわをし、倉庫に鍵をかけ、他の社員がそこに入れないようにしてな」
「……なるほど」
「その後、意識を取り戻した社長はポケットにあったマッチを思い出し、体をよじったり揺すったりして、なんとかそれを引っ張り出した。縛られた不自由な手足でもって苦労して火を点け、その燃えさしをクレセント錠の付いた窓から外へと放った。無暗に暴れればすぐに犯人たちに見つかり、とんでもない結果になる可能性もあるので、そっと自分の存在を外部の人間に知らせようとしたのだと思う」
「そうして、今どき珍しいマッチの燃えさしを見たお前がsosの信号と感じ取り、社長救出に向かった。そういう訳だな?」
「ああ、そのとおりだ」

 大五郎は、持っていた煙草の火を灰皿でもみ消し、その手でぽりぽりと耳を掻いた。

「なかなか、やるじゃないか……。しかし、かつて俺に一度だけまぐれで勝負に勝ったことがあるとはいえ、どうして落ちこぼれ忍者のお前が一流のスパイとして生きていけるのか、不思議だ。お前は一体、どんな術を持っている? そこが、分からない」
「……それは企業秘密だ」
「ふん。まあ、いいや。そんなこと、我が伊賀忍者のネットワークで調べれば、すぐにわかる話だぜ。実際、その筋の捜査サーチのお陰で、昨日の晩、俺はこの店の大事な顧客である吉田社長救出に出かけられた訳だし」
「伊賀者は、相変わらず結束が固いのだな。この21世紀でも」
「ああ、個人主義的な“こうが”の者とは違うぞ。俺たちは」
「だから、甲賀こうかだと云ってるだろ! わざと濁らせるんじゃない!」

 ふふん――。

 嘲笑うかのような大五郎の表情にはかなり腹が立ったが、とりあえずグラスの中の薄まったバーボンを喉に押しやって、我慢した。
 心を落ち着け、話を続ける。

「まあ、今までの謎解きは序の口だ。今日の謎解きの本番は、これからだからな」
「ほう?」

 また、ひくりとヤツの右の口角が上がった。

「そう、まさにその口の動きだよ、大五郎。急に新潟支店からやって来たそのタイミング、そしてアフターファイブの飲み会に全く付き合わない“彼”の行動も併せ考えると、どう考えても“五竜田路ごりうだろ”はお前だ。どんなにうまく変装しても、お前の行動パターンは隠せない。……お前、あの会社に潜入して何をしていた?」

 今までカウンター越しにのんびりと構えていた大五郎の目付きが厳しくなり、こちらをじっと見据えてきた。その体から発する攻撃的オーラは、間違いなく、気持と体の臨戦態勢を示している。

「ほほう……これはまた、驚いたな。まさか免許皆伝にもならずに里から飛び出していった“へっぽこ忍者”のお前が、そこに気付くとはな……。どうやら俺は、総一郎、お前を少し侮っていたようだ。お前のその“眼”、それだけは確かなようだ」
「眼、だけか……。まあ、いいだろう」

 俺もヤツの臨戦態勢に応えるべく、両手をスラックスのポケットに突っ込み、全身の筋肉に力を込めた。
 ヤツの間に存在する空気の温度上昇を感じつつ、俺は言葉を続けた。

「だが、実は俺はとっくに気付いてたんだぞ。五竜田路快人ごりうだろかいとは、香取大五郎かとりだいごろうのアナグラムだろ? 簡単な、なぞなぞだ。お前が好きそうな」
「ふうん……そうか。ならば、そのなぞなぞの正解のご褒美だ。これを見せてやろう」

 大五郎は、視線を俺からずらすことなくごそごそと足元を探って、カウンター下にあるらしい隠し金庫のような場所から厚さ1センチほどのA4版レポートのような冊子を取り出した。
 俺の目の前でそれをひらひらとさせ、ご満悦の表情の大五郎。

「この世のスパイは、当然お前だけではないし、もちろん依頼主クライアントも一人だけではない」
「やはりお前も、ミリア電子の最新プロジェクトを探っていたのか……」
「ああ、そうだ。新潟支店に、五竜田路なんてそんな名前の社員は本当はいない。だがまあ、伊賀のネットワークと我がクライアントのパワーをもってすれば、そのくらいの情報操作は、御茶の子さいさいなのだ」

 大五郎がミリア電子企画開発課で得た資料を、まるでパラパラ漫画のように捲り、俺に自慢げに見せびらかす。

 ――ふむ。それで、充分だ。

 そのレポートの中身が、俺の脳裏にすべて焼き付いた後のことだった。
 増々にやけた大五郎が、挑戦するかのような太々しさを見せたのだ。

「どうする、総一郎。お前はこの俺を倒し、クライアントのために目の前の資料を得るかね? 印刷した紙の情報だから、あの会社の情報監視セキュリティシステムには流出が感知されていないはずだし、高額報酬は間違いなしだ」
「いや。残念だがその情報は、もう既に俺の手中にあるのだよ」
「な、なんだって? そんなばかな! これは俺が仕入れた最新の情報のはずだ」

 太々しさが、恐怖へと変化する瞬間。
 大五郎は全身の筋肉に力を加え、ぶわりと筋肉を膨らませた。それは、彼を数倍もの大きさに錯覚させるほどのものだった。

「そんなこと、絶対にありはしない……。ありはしないのだ!」

 そう云って、大五郎が突如俺に襲ってきた。
 さすがは免許皆伝。その動きは、一級の忍者のそれだった。普通の人間では見えないほどの素早さで、彼の得意技である“吹き矢”を胸元のポケットから用意したのだった。
 だが、俺の“眼”も負けてはいない。
 カウンター席の椅子から跳ね上がった俺は、まるで鯉が滝を昇るかの如くそんな勢いで、両手を天に突き上げたのだ。

「スーパーダイナマイトボディ・ミクリルクラーッシュ!」

 両手に持った乳酸飲料“ミクリル”を軽く握り潰してアルミ蓋を開け、ヤツの両眼目掛けて投げつけた。吹き矢と書類を持つ彼の両手は、俺の飛び道具としての武器であり、そして心の友ともいえる存在のミクリルを防ぎきれなかったのだ。

「うぎゃあッ」

 その粘性を伴った黄色い液体が、ヤツの視力を奪う。

 ――許せ、我が愛しきミクリルよ。

 人に飲まれず散った相棒、“ミクリル”の気持ちを考えて両手で合唱し、哀悼の意を示す。
 しかしそれにしても、ミクリルはよほど眼に滲みるらしい。大五郎が、オシャレなバーのカウンターの内側で、呻きながらのた打ち回っている。
 俺はカウンターから飛びあがると、着地しながら、彼のみぞおち目掛けて一発の拳を叩き込んだ。
 にやりとした気味の悪い笑顔を浮かべながら、落ちてゆく大五郎。

「ダイナマイトボディって何だよ……この、大腸菌野郎め……」
「大腸菌ではない。乳酸菌だ」

 きちんと大五郎の過ちを正した俺は、気を失ったヤツの手に握られた書類を手に取って眺めた。
 確かに、これを我がクライアントに渡せば高額な報酬を得られる。得られるが……。

 ――どうしてこの世は、望めば得られず、望まざれば得られるのか。

 俺は薄暗い店内で深く溜息を吐くと、手にしたレポート用紙にこの店のマッチで火を点けたのだった。


 ☆


 清々しい朝に、心洗われる瞬間。
 そんなことを考えながら、今朝も乳酸飲料の営業所にやって来た。
 背の低い太陽が、寝不足な俺の冷たい頬をオレンジの光で温めていく。
 だが、今日は危なかった。もう少しで、二度寝して寝坊するところだったのだ。やはり、俺はデジタルではなくアナログな目覚まし時計でなければ、ダメらしい。

「おはようございます」

 ミリア電子で俺を待っていたのは、爽やかな知美さんの笑顔だった。
 俺の心にペパーミントの風が吹き、ミクリル販売員の俺の笑顔に花を咲かせる。まさに、正のスパイラルだ。
 そんな中、急に声を荒げたのは課長のバーバラだった。

「何よ、この人事部からのメール! 急遽、五竜田路さんは家族の都合により実家のある新潟支店に戻ったですって! そんなのあり!?」
「ええー!? どういうことですか」
「私だって分からないわよ。でも、彼に手伝ってもらうはずだったプロジェクトの件、どうしたらいいのかしら」
「課長! それは僕が訊きたいです」

 びっくりして騒ぎ出す課員たちを横目に、俺は努めて平静に、ミクリルを配っていく。
 そんな慌ただしい状況の中でも少しだけ不安な表情をしただけの知美さんは、若干傾けた首を課長に向けながら、冷静に着席している。

 ――さすが、我が愛しの知美さん。

 彼女に惚れ直した俺は、どさくさに紛れる形ではあるが吸いこまれるように知美さんに近づき、囁いた。

「知美さん」
「はい、中川さん」
「私、さっきバーバラ課長が呟いていたのを聞いちゃったんです。なんでも、新しいプロジェクト企画書の第2章の部分で、引用データを間違えてるところがあるみたいですよ」
「ええ!? ちょっと待ってください……。あー、本当だ。早速修正しなきゃ!」

 血相変えた知美さんが、机上パソコンのキーボードを打ちだした。
 そんな彼女の仕事を、邪魔する訳にはいかない。
 かつての修行で会得した忍び足で、足音を立てないよう、静かに部屋から退出する。

 ――しばらくは、ここでのスパイ活動も続きそうだな、うん。

 情報の提供が遅れていることに対するクライアントへの言い訳を必死に考えながら、俺は地上へと向かうエレベータにカートとともに乗り込んだ。
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