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第4章 マニリア帝国編
第36話 朝の身だしなみと女を磨く授業開始
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翌日の朝、起床を告げる銅鑼の音でオレは目を覚ました。
もう自分が女の身である事にはすっかり慣れてしまったので、いまさら朝起きたときに自分の身体を確認したりはしないが、枕元に置いてあったブラウスに手を伸ばしかけてオレはつい躊躇する。
たった一日、女装していただけなのにオレはもう女物の服をまとうことを当たり前のように振る舞おうとしているのだ。
いや。分っていたよ。
どう考えたって今のオレのこの身体には男物の服より、女物の服の方が合っているに決まっている。
実際、身にまとっていてどちらが楽かと問われたら、女物の方を選ばずにはいられない。
もちろん旅をしている間は、女の一人旅が危険な事から男装の必要性もあった。
だがその必要の無い時――たとえばテマーティンの屋敷に逗留していた時――でもオレがかたくなに男装を続けていたのは、ただ単に男としての意地の問題でしかなかったのだ。
そしてそんな薄っぺらい意地は、たった一日の間、女物の服に袖を通していただけで簡単に剥がれてしまった。
ひょっとするとオレが今後、男装するのは必要に迫られた時だけになってしまうかもしれない。
それを自覚したが故にこそ、オレは躊躇したのだ。
ふう。オレはため息をつくと、あらためてブラウスをつかむ。
どっちにしろここには男物の服など存在しない。
今のオレには女物の服をまとう以外に選択肢はないのだ。
もしここに男物と女物が両方あったら、オレはどっちを選んだろうか――などと悩まずに済んだのは幸運だと考えるべきだろうか。
ひとまず気分を取り直し、オレは用意された女物の服をまとうことにした。
昨日、聞いたところではこの後宮では宮女達への教育も行われており、規則上オレもその授業に出席せねばならない。
誤解を恐れずに言えば、ここは『全寮制の女子校』のような存在なのだ。
もっとも元の世界でしばしば見かけた『全寮制女子校に広がる美しき百合の世界』なんて幻想は昨日の風呂場の出来事だけで木っ端微塵に粉砕されている。
正直、気が重いが怪異の調査を約束したオレは、ユリフィラスのように『病気』と称して引きこもるわけにもいかないのだ。
そしてオレが部屋を出ようとしたとき、ドアがノックされてデレンダが顔を出す。
「ああ。デレンダ。おはよう」
「アルタシャさん。おはようござい……」
どういうわけかここでデレンダの顔が一瞬にして凍り付く。
「あの? どうしたの?」
「アルタシャさん! 部屋を出ないで!」
「え?」
困惑するオレに対し、デレンダは手を突き出してオレを制止しつつ叫ぶ。
「いいですね! そこにいて下さい! すぐに戻ってきますから、ちょっと待っていて下さいよ!」
「あ、ああ……」
デレンダの勢いに押され、一応は同意してオレは椅子に腰掛けて彼女が帰ってくるのを待った。
いったいデレンダは何に驚いたんだ?
まさか――オレはひとまず自分の身体を確かめてみる。
もちろんこんな場合、部屋の片隅に置いてある姿見の鏡を使うべきなのだろうが、オレはそれを躊躇せざるをえなかった。
ひとしきり触って確認してみたが、少なくともオレの身体には昨日と比べて何の変化もない――憎たらしいほど完全に女の身体のままだった。
うう。デレンダの驚いた反応から『ひょっとしたらオレの身体は男に戻りつつあるのか?』などと儚い夢を見てしまったよ。
そしてしばしの後、デレンダは女官を二人連れて、オレの部屋に戻ってきた。
「これは……」
「何ということですか……」
どういうわけか女官達はオレを見て驚くというか、呆れた顔をしている。
そしてそんな女官に対し、デレンダは必死で懇願する。
「すみません! 是非、お願いします!」
「分りました……あとは私たちに任せ、あなたは朝食に出て下さい」
「いえ。ここでお手伝いさせてもらいます」
いったい何のやり取りをしているんだ?
オレが呆然と見ていると、女官の一人はオレに迫り、もう一人は姿見にかけていた布をはぎ取る。
「あ……あの?」
「いったい何をなさっているのですか。こちらに来て下さい!」
オレは手を引っ張られ、姿見の前に置かれた椅子に強制的に座らされる。
その鏡には寝癖がついて髪のやや乱れた少女が映っていた。
ああ。ようやく分ったよ。
要するにデレンダはオレの髪が乱れていたことに驚いて、女官達を呼んだのか。
大げさすぎる反応にしか思えないが、それはやっぱりこの面ではオレの意識が男のままだってことなのだろうな。
「まったく……こんな髪型が皇帝陛下のお目に入ったら大変ですよ。あなた様が責められるだけでなく、私たちの責任問題にもなりかねません」
いや。そもそも皇帝はここに来ないんじゃなかったのか?
まあ毎日、それに備えて空しい準備だけしているんだろうけど。
「もう少し、立場というものをお考え下さい」
「そうですよ。アルタシャさんはあまりにもご自身について無頓着すぎます。もっと意識して振る舞って下さい。せっかくの美貌が台無しです」
女官だけでなくデレンダまで一緒になってオレを責める。
ああ。オレは『皇帝の寵愛』はおろか、昨晩は城壁に張り付いて這い回り、他の女の部屋に押しかけた出来損ない宮女なんだよ――などと言ってみたい衝動についつい駆られるが、もちろん出来るはずのない妄想だ。
そして気がつくと鏡の中には、髪を結い上げられ、僅かな化粧を施された目を見張る程の美少女が姿を現していた。
見たくも無い。
そのたびに自分自身が僅かずつでも別の何かに変わっていく気がする。
だけどそこにあるなら目を背ける事が出来ない。
それが今のオレにとっての自分の姿であった。
「さあ。これでいいでしょう。明日からはもうこんな手間をかけさせないで」
「そうです。ちゃんと鏡で確認して下さい。さもないと毎日でも押しかけますよ」
「分りました……」
オレは女官に対し不承不承頷かざるを得なかった。
強制的に装いを整えられた後、オレとデレンダはやや遅い朝食に取りかかる。
食堂にはまだ食事を終えていない宮女が残っていたが、オレ達が姿を見せると一斉に視線が注がれた。
昨日の風呂場の出来事が話題になっているのか、それともそんな事は関係なしに、オレが注目されているのか。
たぶんその両方だろうな。
「もう時間がありませんので早く食べましょう。授業に遅れると大変ですから」
「ごめんなさい」
デレンダが遅れたのはオレのせいなのでひとまず頭を下げる。
本音を言えば、オレの髪型などほったらかしにしてもらっても良かったが、さすがに好意でオレの身だしなみを心配してくれた相手を邪険にするわけにはいかなかった。
そんなわけで急いでいたオレは『授業』について何も知らないまま、教室へと足を向けたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
なんてことだよ――授業とはこういう事だったのか。
オレは教壇の上で複雑に絡み合う、二つの木偶人形を見ながら脱力していた。
二一世紀の日本にいたとき、確かに眠くなるだけの退屈な授業はあったし、嫌いな教師もいた。
だがここまでどん引きする授業を受けた事は無い。
「この体位により、皇帝陛下の身に潜みかねない病の元を取り除く。すなわちそなた達がその身により皇帝陛下をお守りするのじゃ」
教師であるマルキウスは、人形を操作しては次から次へと『皇帝と肌を合わせた時』に備えた指導を行っている。
聞いたところによるとこれ以外には『女の道を説く本の朗読』『化粧の方法』『寝床に誘う時の扇情的なポーズ』『男を喜ばせる歌唱術、舞踏術』などなどのカリキュラムが目白押しだそうだ。
その全てが皇帝ただ一人のためのものなのだ。
正直、科目を聞くだけで目眩がしてくる。
こんなアホな授業を毎日受けるなど、オレに取ってはもはや拷問の域である。
休み時間になったとき、オレは引き揚げるマルキウスに追いついて問い詰める。
「マルキウスさん。ちょっと話があるんです!」
「これ。今は『先生』と呼ばんか」
少なくともマルキウスを『先生』と思った事は無いが、ここで意地を張っても仕方ない。
「それでは……マルキウス先生」
「何じゃ?」
「約束したこの国の古い文献を読ませてもらう話はどうなっているんですか?」
もともと後宮に入ったのは、聖女教会が出来る前からあるこの国の古い資料をひもとき、オレが元の身体に戻る手がかりをつかむためなのだ。
それがなかったら誰がこんなところに来るだろうか。
「もちろん話は進めておる。しかし昨日の今日でどうにかなるものでない事ぐらい分るじゃろう? たった一日や二日の辛抱が出来んのか?」
そりゃまあ手続きというものには時間がかかるさ。
だがそのたった一日でオレの『男の尊厳』がどれほど摩耗したか、爺さんには想像も出来ないだろうな。
そしてオレの顔に浮かんだ不平の表情に対し、マルキウスは困った顔をする。
「それほどまでにお前さんは、古い文献が読みたいのか?」
「そうですよ」
怪異の調査をしてその見返りに文献に目を通す約束さえなければ、一刻でも早くこんなところ出て行きたいぐらいだ。
「ふう……本当に変わった娘じゃのう。まあいいわ。それなら授業が終わった後でワシの部屋に来るがいい。写本でよければいくらかあるでな。今日はそれで勘弁してくれ」
「分りました……」
不満はあるが、マルキウスの立場からすればこれで精一杯だろう。
ここはそれを受け入れるしかあるまい。
オレはそんなわけで仕方なく一日を『授業』に費やす事になった。
退屈と言うより苦痛な授業が終了したところで、オレは急いでマルキウスの部屋を訪れた。
なるだけ急いで文献に目を通したかったからだ。
そんなオレをマルキウスは笑顔で出迎える。
「いやいや。お前さんのような美しい乙女がワシの部屋に通ってくれるとは、この老いぼれにもようやく春が来たと思ってよいかのう」
このスケベジジイ。
あんたは乙女より死に神にでも抱擁されていろ。
「もう後宮に入ったんじゃから、とっとと聖女教会の事など忘れて還俗すればよかろうに」
「その話は辞めて下さい。しつこいですよ」
「分った。分った。本当にかたくなな娘じゃのう」
そういってマルキウスは数冊の古びた本を取り出してくる。
「我が国における聖女教会との関わりや、回復魔法の成り立ちについてはいくらか当てがあっての、約束通り準備はしておいたぞ」
「それならそんな本のあるところに、わたしが行って見せてもらえれば手間がかかりませんよ」
オレは【書物探査】の魔術も使えるので、文献を集めたところにさえ行けば、望んでいるものはすぐに見つけられる。
だがマルキウスはオレの要求をあっさりと拒否する。
「無茶を言うな。宮女がそうそうこの後宮から出歩けると思っておるのか」
「それはそうですけど約束が――」
「約束したのは、古い文献を見せることじゃ。お前さんを文献のあるところに案内することではないぞ」
「う……それは……」
このマルキウスの返答にはオレも言葉に窮する。
「そもそもこの宮城に保管されている重要な文献の閲覧が女子に許可されることはまずありえん。何しろ国家の成り立ちに関わる貴重なものじゃからのう……」
「それはどういう意味ですか?! 貴重だったら女には見せられないのですか!」
思わずマルキウスを問い詰めるも、老人は全く動じない。
「お前さんのことじゃから文句を言うとは思っていたが、それは仕方なかろう。たとえばじゃ。お前さんの『秘めたところ』は男にとって貴重極まりないものじゃが、ワシが見せろと言ったら見せてくれるかね?」
「そ、それとこれとは話が別です」
オレは反射的に股間を押さえつつ抗議するが、マルキウスは動じない。
「お前さんがそう言い張っても、この国ではこういう考えなんじゃ。あきらめてくれ。じゃからワシがお前さんに代わって文献を用意する。それで我慢してくれんかのう」
「……分りました」
不本意だが、これでもマルキウスにとっては最大限の誠意なのだろう。
ゼロよりはマシだと思うしかない。
「とりあえず読ませてもらいますよ」
オレはここで知識系魔術の【翻訳】を用いて、マルキウスの持ってきた文献に目を通す。
この魔術は普通に文書を翻訳するだけでなく、翻訳不可能な固有名詞などもそのイメージが伝わってくるので、こういうところでは実に役に立つ。
もっとも文字は魔術で読めるけど、内容を理解出来るのは元の世界でそれなりに文書に目を通してきたからだ。
何しろこの世界では本は貴重品だから、貴族かさもなくば相当な金持ちでもないと本をスラスラ読むのは難しいらしい。
「ほう……そんな古書でもすらすら読めるとは、正直驚いたぞ。容姿といい、魔術の才といい、その学識といい、お前さんには本当に驚かされてばかりじゃ」
そう言ってマルキウスは満足げに笑う。
たぶん『自分が見つけた宝石』の価値を再認識したんだろう。
「しかし……そう考えてみると少々惜しい気がするのう……」
「何がですか?」
「ああ……気にせんでくれ。それより読んでいて何か気になることはないかの?」
マルキウスはオレが皇后になる気がないのを、残念に思っているのか。
いや。どこか違う気がするが、今はそんな事に気を取られている場合ではない。
「とりあえず。答えるのは全部読んでからにさせて下さい」
俺はひとまず文献の解読に取り組み――そしてその結果は衝撃的なものだった。
もう自分が女の身である事にはすっかり慣れてしまったので、いまさら朝起きたときに自分の身体を確認したりはしないが、枕元に置いてあったブラウスに手を伸ばしかけてオレはつい躊躇する。
たった一日、女装していただけなのにオレはもう女物の服をまとうことを当たり前のように振る舞おうとしているのだ。
いや。分っていたよ。
どう考えたって今のオレのこの身体には男物の服より、女物の服の方が合っているに決まっている。
実際、身にまとっていてどちらが楽かと問われたら、女物の方を選ばずにはいられない。
もちろん旅をしている間は、女の一人旅が危険な事から男装の必要性もあった。
だがその必要の無い時――たとえばテマーティンの屋敷に逗留していた時――でもオレがかたくなに男装を続けていたのは、ただ単に男としての意地の問題でしかなかったのだ。
そしてそんな薄っぺらい意地は、たった一日の間、女物の服に袖を通していただけで簡単に剥がれてしまった。
ひょっとするとオレが今後、男装するのは必要に迫られた時だけになってしまうかもしれない。
それを自覚したが故にこそ、オレは躊躇したのだ。
ふう。オレはため息をつくと、あらためてブラウスをつかむ。
どっちにしろここには男物の服など存在しない。
今のオレには女物の服をまとう以外に選択肢はないのだ。
もしここに男物と女物が両方あったら、オレはどっちを選んだろうか――などと悩まずに済んだのは幸運だと考えるべきだろうか。
ひとまず気分を取り直し、オレは用意された女物の服をまとうことにした。
昨日、聞いたところではこの後宮では宮女達への教育も行われており、規則上オレもその授業に出席せねばならない。
誤解を恐れずに言えば、ここは『全寮制の女子校』のような存在なのだ。
もっとも元の世界でしばしば見かけた『全寮制女子校に広がる美しき百合の世界』なんて幻想は昨日の風呂場の出来事だけで木っ端微塵に粉砕されている。
正直、気が重いが怪異の調査を約束したオレは、ユリフィラスのように『病気』と称して引きこもるわけにもいかないのだ。
そしてオレが部屋を出ようとしたとき、ドアがノックされてデレンダが顔を出す。
「ああ。デレンダ。おはよう」
「アルタシャさん。おはようござい……」
どういうわけかここでデレンダの顔が一瞬にして凍り付く。
「あの? どうしたの?」
「アルタシャさん! 部屋を出ないで!」
「え?」
困惑するオレに対し、デレンダは手を突き出してオレを制止しつつ叫ぶ。
「いいですね! そこにいて下さい! すぐに戻ってきますから、ちょっと待っていて下さいよ!」
「あ、ああ……」
デレンダの勢いに押され、一応は同意してオレは椅子に腰掛けて彼女が帰ってくるのを待った。
いったいデレンダは何に驚いたんだ?
まさか――オレはひとまず自分の身体を確かめてみる。
もちろんこんな場合、部屋の片隅に置いてある姿見の鏡を使うべきなのだろうが、オレはそれを躊躇せざるをえなかった。
ひとしきり触って確認してみたが、少なくともオレの身体には昨日と比べて何の変化もない――憎たらしいほど完全に女の身体のままだった。
うう。デレンダの驚いた反応から『ひょっとしたらオレの身体は男に戻りつつあるのか?』などと儚い夢を見てしまったよ。
そしてしばしの後、デレンダは女官を二人連れて、オレの部屋に戻ってきた。
「これは……」
「何ということですか……」
どういうわけか女官達はオレを見て驚くというか、呆れた顔をしている。
そしてそんな女官に対し、デレンダは必死で懇願する。
「すみません! 是非、お願いします!」
「分りました……あとは私たちに任せ、あなたは朝食に出て下さい」
「いえ。ここでお手伝いさせてもらいます」
いったい何のやり取りをしているんだ?
オレが呆然と見ていると、女官の一人はオレに迫り、もう一人は姿見にかけていた布をはぎ取る。
「あ……あの?」
「いったい何をなさっているのですか。こちらに来て下さい!」
オレは手を引っ張られ、姿見の前に置かれた椅子に強制的に座らされる。
その鏡には寝癖がついて髪のやや乱れた少女が映っていた。
ああ。ようやく分ったよ。
要するにデレンダはオレの髪が乱れていたことに驚いて、女官達を呼んだのか。
大げさすぎる反応にしか思えないが、それはやっぱりこの面ではオレの意識が男のままだってことなのだろうな。
「まったく……こんな髪型が皇帝陛下のお目に入ったら大変ですよ。あなた様が責められるだけでなく、私たちの責任問題にもなりかねません」
いや。そもそも皇帝はここに来ないんじゃなかったのか?
まあ毎日、それに備えて空しい準備だけしているんだろうけど。
「もう少し、立場というものをお考え下さい」
「そうですよ。アルタシャさんはあまりにもご自身について無頓着すぎます。もっと意識して振る舞って下さい。せっかくの美貌が台無しです」
女官だけでなくデレンダまで一緒になってオレを責める。
ああ。オレは『皇帝の寵愛』はおろか、昨晩は城壁に張り付いて這い回り、他の女の部屋に押しかけた出来損ない宮女なんだよ――などと言ってみたい衝動についつい駆られるが、もちろん出来るはずのない妄想だ。
そして気がつくと鏡の中には、髪を結い上げられ、僅かな化粧を施された目を見張る程の美少女が姿を現していた。
見たくも無い。
そのたびに自分自身が僅かずつでも別の何かに変わっていく気がする。
だけどそこにあるなら目を背ける事が出来ない。
それが今のオレにとっての自分の姿であった。
「さあ。これでいいでしょう。明日からはもうこんな手間をかけさせないで」
「そうです。ちゃんと鏡で確認して下さい。さもないと毎日でも押しかけますよ」
「分りました……」
オレは女官に対し不承不承頷かざるを得なかった。
強制的に装いを整えられた後、オレとデレンダはやや遅い朝食に取りかかる。
食堂にはまだ食事を終えていない宮女が残っていたが、オレ達が姿を見せると一斉に視線が注がれた。
昨日の風呂場の出来事が話題になっているのか、それともそんな事は関係なしに、オレが注目されているのか。
たぶんその両方だろうな。
「もう時間がありませんので早く食べましょう。授業に遅れると大変ですから」
「ごめんなさい」
デレンダが遅れたのはオレのせいなのでひとまず頭を下げる。
本音を言えば、オレの髪型などほったらかしにしてもらっても良かったが、さすがに好意でオレの身だしなみを心配してくれた相手を邪険にするわけにはいかなかった。
そんなわけで急いでいたオレは『授業』について何も知らないまま、教室へと足を向けたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
なんてことだよ――授業とはこういう事だったのか。
オレは教壇の上で複雑に絡み合う、二つの木偶人形を見ながら脱力していた。
二一世紀の日本にいたとき、確かに眠くなるだけの退屈な授業はあったし、嫌いな教師もいた。
だがここまでどん引きする授業を受けた事は無い。
「この体位により、皇帝陛下の身に潜みかねない病の元を取り除く。すなわちそなた達がその身により皇帝陛下をお守りするのじゃ」
教師であるマルキウスは、人形を操作しては次から次へと『皇帝と肌を合わせた時』に備えた指導を行っている。
聞いたところによるとこれ以外には『女の道を説く本の朗読』『化粧の方法』『寝床に誘う時の扇情的なポーズ』『男を喜ばせる歌唱術、舞踏術』などなどのカリキュラムが目白押しだそうだ。
その全てが皇帝ただ一人のためのものなのだ。
正直、科目を聞くだけで目眩がしてくる。
こんなアホな授業を毎日受けるなど、オレに取ってはもはや拷問の域である。
休み時間になったとき、オレは引き揚げるマルキウスに追いついて問い詰める。
「マルキウスさん。ちょっと話があるんです!」
「これ。今は『先生』と呼ばんか」
少なくともマルキウスを『先生』と思った事は無いが、ここで意地を張っても仕方ない。
「それでは……マルキウス先生」
「何じゃ?」
「約束したこの国の古い文献を読ませてもらう話はどうなっているんですか?」
もともと後宮に入ったのは、聖女教会が出来る前からあるこの国の古い資料をひもとき、オレが元の身体に戻る手がかりをつかむためなのだ。
それがなかったら誰がこんなところに来るだろうか。
「もちろん話は進めておる。しかし昨日の今日でどうにかなるものでない事ぐらい分るじゃろう? たった一日や二日の辛抱が出来んのか?」
そりゃまあ手続きというものには時間がかかるさ。
だがそのたった一日でオレの『男の尊厳』がどれほど摩耗したか、爺さんには想像も出来ないだろうな。
そしてオレの顔に浮かんだ不平の表情に対し、マルキウスは困った顔をする。
「それほどまでにお前さんは、古い文献が読みたいのか?」
「そうですよ」
怪異の調査をしてその見返りに文献に目を通す約束さえなければ、一刻でも早くこんなところ出て行きたいぐらいだ。
「ふう……本当に変わった娘じゃのう。まあいいわ。それなら授業が終わった後でワシの部屋に来るがいい。写本でよければいくらかあるでな。今日はそれで勘弁してくれ」
「分りました……」
不満はあるが、マルキウスの立場からすればこれで精一杯だろう。
ここはそれを受け入れるしかあるまい。
オレはそんなわけで仕方なく一日を『授業』に費やす事になった。
退屈と言うより苦痛な授業が終了したところで、オレは急いでマルキウスの部屋を訪れた。
なるだけ急いで文献に目を通したかったからだ。
そんなオレをマルキウスは笑顔で出迎える。
「いやいや。お前さんのような美しい乙女がワシの部屋に通ってくれるとは、この老いぼれにもようやく春が来たと思ってよいかのう」
このスケベジジイ。
あんたは乙女より死に神にでも抱擁されていろ。
「もう後宮に入ったんじゃから、とっとと聖女教会の事など忘れて還俗すればよかろうに」
「その話は辞めて下さい。しつこいですよ」
「分った。分った。本当にかたくなな娘じゃのう」
そういってマルキウスは数冊の古びた本を取り出してくる。
「我が国における聖女教会との関わりや、回復魔法の成り立ちについてはいくらか当てがあっての、約束通り準備はしておいたぞ」
「それならそんな本のあるところに、わたしが行って見せてもらえれば手間がかかりませんよ」
オレは【書物探査】の魔術も使えるので、文献を集めたところにさえ行けば、望んでいるものはすぐに見つけられる。
だがマルキウスはオレの要求をあっさりと拒否する。
「無茶を言うな。宮女がそうそうこの後宮から出歩けると思っておるのか」
「それはそうですけど約束が――」
「約束したのは、古い文献を見せることじゃ。お前さんを文献のあるところに案内することではないぞ」
「う……それは……」
このマルキウスの返答にはオレも言葉に窮する。
「そもそもこの宮城に保管されている重要な文献の閲覧が女子に許可されることはまずありえん。何しろ国家の成り立ちに関わる貴重なものじゃからのう……」
「それはどういう意味ですか?! 貴重だったら女には見せられないのですか!」
思わずマルキウスを問い詰めるも、老人は全く動じない。
「お前さんのことじゃから文句を言うとは思っていたが、それは仕方なかろう。たとえばじゃ。お前さんの『秘めたところ』は男にとって貴重極まりないものじゃが、ワシが見せろと言ったら見せてくれるかね?」
「そ、それとこれとは話が別です」
オレは反射的に股間を押さえつつ抗議するが、マルキウスは動じない。
「お前さんがそう言い張っても、この国ではこういう考えなんじゃ。あきらめてくれ。じゃからワシがお前さんに代わって文献を用意する。それで我慢してくれんかのう」
「……分りました」
不本意だが、これでもマルキウスにとっては最大限の誠意なのだろう。
ゼロよりはマシだと思うしかない。
「とりあえず読ませてもらいますよ」
オレはここで知識系魔術の【翻訳】を用いて、マルキウスの持ってきた文献に目を通す。
この魔術は普通に文書を翻訳するだけでなく、翻訳不可能な固有名詞などもそのイメージが伝わってくるので、こういうところでは実に役に立つ。
もっとも文字は魔術で読めるけど、内容を理解出来るのは元の世界でそれなりに文書に目を通してきたからだ。
何しろこの世界では本は貴重品だから、貴族かさもなくば相当な金持ちでもないと本をスラスラ読むのは難しいらしい。
「ほう……そんな古書でもすらすら読めるとは、正直驚いたぞ。容姿といい、魔術の才といい、その学識といい、お前さんには本当に驚かされてばかりじゃ」
そう言ってマルキウスは満足げに笑う。
たぶん『自分が見つけた宝石』の価値を再認識したんだろう。
「しかし……そう考えてみると少々惜しい気がするのう……」
「何がですか?」
「ああ……気にせんでくれ。それより読んでいて何か気になることはないかの?」
マルキウスはオレが皇后になる気がないのを、残念に思っているのか。
いや。どこか違う気がするが、今はそんな事に気を取られている場合ではない。
「とりあえず。答えるのは全部読んでからにさせて下さい」
俺はひとまず文献の解読に取り組み――そしてその結果は衝撃的なものだった。
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