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第5章 辺境の地にて
第57話 出会った相手は初めての一神教徒
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オレはここで自分に【元素耐性】の呪文をかける。これは地水火風など元素に根ざす攻撃に耐性をつける防御魔術だ。
自分の身で受けた感覚では、先ほどの電撃は少々苦痛を与える程度の威力なので、防ぐにはこれで十分なはず。
オレが再度倒れた相手に接近すると、思った通り電撃が放たれるが今度はオレの身にまとった防御壁で防がれる。
よし。予想通りだ。
病人を見るととても生きているとは思えない状態だが、かろうじて呼吸をしているのは微かに動いている身体の状態を見れば分る。
そしてオレは電撃を受けつつ、カサブタに覆われ、垂れ流されたウミでジットリと濡れた皮膚をさわる。
うう。気味が悪いけど、ここは我慢だ。
オレは精神を集中して【病の治療】を投射する。
これで病気は回復――しない?
相手は全身をカサブタに覆われたままで、僅かな呼吸をしているだけだ。
ええ?! どういうこと?
これは病気じゃないの? 何かの呪いのたぐいだったりするわけ?
いや。違う。
よくよく見ると分厚くカサブタに覆われ、ひび割れた皮膚だが心なしかしみ出すウミが減り、その身体の血色は僅かだがよくなっている気がする。
これは効果は少しあったけど、治るほどではなかったという事なのだろう。
普通ならそこまで病状が悪化するまでに命が尽きてしまうと思うのだが、この相手は常人離れした病気への耐性があるらしい。
まあ今はそんな事を考えている場合ではない。
ならばもっと魔力を投じて、再度【病の治療】をかけるのみだ。
オレがあらためて精神を集中して、魔術をかけようとするが、今度はその腕にいきなり痛みが走り、鮮血が飛び散る。
見ると先ほどの金属の猛禽が、そのくちばしでオレの腕をついばんでいたのだ。
うがあ! この鉄クズ野郎! 乙女の柔肌になんてことするんだ!
野山を駆けまわるときにはドルイド魔術を使う事で、どんな狭い獣道でも生い茂る植物の方がオレを避けてくれるので全力で駆け巡っても怪我などしない。
あと不本意だがオレの『選ばれし者』の肉体は、常人よりも遙かに回復力が高いらしく、少々の傷やアザがついても、回復魔術をかけるまでもなく一日やそこらで傷跡も残らず消滅していた。
そんなわけでオレにとってこの程度の傷は全く気にするようなものではないのだが、怪我をすれば痛いに決まっているのだ。
だが電撃が効かないと分ったら、即座に物理攻撃とはコイツには限定的でも知性があるのか。
もしそれで『ご主人様』を守ろうとしているなら、こっちが助けようとしていることぐらい気付いてくれよ。
オレは手を伸ばして肉をついばむ金属鳥を振りほどき、錬った魔力を込めて《病の治療》をかける。
すると今度は見る見るうちにカサブタは縮小し、身体から出ていたウミも潮が引くように消えていく。
おお。やっぱり思った通りだ。
よく分らないが形としては幾重にも病気が重なっている。そのような感覚であるらしい。
とにかく意識が戻るまで繰り返して、それでどうにかするしかない。
しばしの後、オレの身体はあちこちついばまれ、傷だらけになっていたが、相手の身体は殆ど回復していた。
カサブタに覆われていた時は性別も年齢も確認していなかったが、あらためて見るとまだ若い。せいぜい二十歳かそこらの男性だ。
とにかく一刻も早く意識を取り戻してくれないと、幾ら致命傷にはほど遠いと言っても傷が増えていく一方のオレがたまったもんじゃない。
人の病気を治す一方で、自分の傷が増えていくなんて、昔話では美しい悲劇かもしれないけど、自分がやるとなると真っ平だ。
そして男の目がゆっくりと開き、その茶色い瞳とオレの青紫の瞳が絡み合う。
「おや……これは!」
いきなり男はガバリと起き上がると、傷だらけのオレに向き直る。
すると金属の猛禽はゆっくりと飛んできて、男の肩に止まる。
やっぱり思った通り、コイツは『御主人様』を守ろうとしていたんだ。
くそう。こうなったらちゃんと事情を説明した後で、存分に償わせてやる!
もっとも、このオレに出来る事と言ったら、知っている情報を洗いざらいしゃべらせる事ぐらいだけど。
そして男はオレを見てその表情がこわばる。
「あの――」
「だ、大丈夫ですか! そこのお人!」
え? 何でオレが心配されているの?
男は血相を変えてオレの腕をとる。
「ひどい傷です。なんとお気の毒に……」
いや。この傷はそっちの『連れ』によってつけられたものですよ。
見て分りませんか?
たぶん気にしてないだけなんだろうけど。
「ここで合ったのも何かの縁。ここは小生にお任せ下さい」
そんな事言われたって、どうせ回復魔法なんて使えないんだから傷を治すなんて出来ないでしょうが。
しかし男は躊躇せず、オレの細腕をつかむと目をつぶり、何かをつぶやきつつ精神集中を始める。
すると男の額には脂汗がにじみ、その顔には苦痛が浮かぶ。
いったい何をしているんだ?
オレが心配になってきたところで、驚くべきことがこの身に起こる。
なんだって?! オレの腕の傷が見る見る消えていくぞ?!
まさかこれは回復魔法なのか?
「さあ。これで大丈夫ですよ」
オレが驚愕していると、男は手を離し、疲労の浮かんだ顔にかなり無理矢理作った微笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
オレは信じられないものを目の当たりにしてショックで立ちすくんでいた。
これはどういうことだ?
いくらオレの回復力が常人より遙かに高いといっても、見る見るうちに回復していくわけではない。
つまり眼前にいる男がオレの傷を治したとしか考えようがない。ならばこの男は回復魔法の使い手なのか?!
これが勘違いでないのなら、この人に公衆の面前で回復魔法を実践してもらえば『回復魔法は女しか使えない』という聖女教会の嘘を暴く事が出来るはずだ。
自立行動していると思われる金属の猛禽といい、オレが今まで接してきたのとは異なる系統の魔術であるらしいが、そんな事はどうでもいい。
とにかく男でも回復魔法が使えるという、事実を示す事が出来ればいいのだ。
「あの! あなたは……え?」
興奮しつつ話しかけようとしたところで、オレは奇妙なものを目の当たりにした。
このとき男は苦痛に顔をしかませて、自分の身を押さえていたのだ。
見るとその身体には真新しい傷がいつの間にか幾つも出来ていた。
そしてその傷にはどこか見覚えがあったのだ。
まさか?!
「大丈夫ですか? その傷はどうされたんです?」
「ご心配なく。これは我が神の偉大なる御業。尊き聖なる行いなのですよ」
それは全然、答えになっていません。
「そのお怪我ですけど、ひょっとしてさっきのこちらの傷が……」
「ええ。ご覧の通り、あなたの傷を我が身に移したのです」
やっぱりそうか!
この人は他人の傷を治せるのでは無く、自分に移す事が出来るだけなんだ。
うう。確かにそれでは『回復魔法』とは言いがたい。
こんな事では聖女教会の教義の嘘を暴くのも無理だろう。
「だけどそれではあなたは大丈夫なのですか?」
もちろん大丈夫ではないだろう。
そしてさっき無残な姿で倒れていたのも、先ほどの焼き払われた村で村人達から病気か何かを自分自身に背負い込んだからかもしれない。
それが本当ならその自己犠牲の精神には感服しますけど、ちょっとついていけません。
「ご心配なく。小生たち【唯一なるもの】の使徒にとって、人々のために自らの身を捧げるのは当然のことです。我が身が受けた傷も苦痛も全ては尊きもの。神への供物なのですよ」
全く迷いも曇りもない瞳で男は断言した。
この人が口にした『唯一なるもの』とはこの地より西方の文化圏で信仰されている一神教において崇められる神の名だという事は聞いていた。
今まで過ごしていた大陸中央部は多くの神が崇められる多神教の地域であるが、ここから西方は一神教の世界であり、この人はオレの出会った初めての一神教徒というわけだ。
こっちに取っては一神教も多神教もあんまり関係ない話なのだが、そう思うのはたぶんオレが正月が宗教的には極めて無節操な人間だからだろう。
元の世界でも宗教が絡むと簡単に流血の事態が引き起こされる事ぐらいはオレだって知っている。
当然、こっちでもそれは同様、というよりは神様が実際に信徒に対して恩恵を与えているこの世界の方が宗教対立は遙かに深刻でもおかしくはない。
オレとしても慎重に対処せねばならない事だろう。
それはともかく、ついさっきまでこの人は命を落としかけていたと思うけど、本人は意にも介していないらしい。
せっかくわざわざ傷を移してくれたのに申し訳ないけど、ここは回復魔法でオレがその傷を治すとしよう。
手を伸ばして男の傷に【応急手当】をかけようとするが、そこでオレはまたしても愕然となる。
男の身体についていた無数の傷は、次々にふさがっていくのだ。
殆どは小さな切り傷程度だが、それでも尋常ではありえない。
もうこうなったら直接聞くしかないだろう。
「そ、それは回復魔法ですか?」
「……」
息せき切って問いかけたオレに対し、男は少しばかり困惑した、そしてどこか諦観のこもった視線を注ぐ。
「回復魔法……というのはこちらの蛮地で使われているまじないのたぐいですね」
こっちを『蛮地』呼ばわりですか。
いや。たぶんこの人はその言い方が、そこに住んでいる人間を蔑んでいる事に気付いてすらいないようだ。
もっともそれはお互い様であり『他人の文化や宗教を尊重する』という考えのないこの世界ではむしろ平均的な思考回路なんだろう。
要するに二一世紀の日本人の感覚はこの世界では通用しないという事を再確認させられただけである。
そして男はオレの顔に浮かんだ複雑な表情に気付いたのだろうか、念を押してくる。
「この地は『正しい信仰』の届かぬ最果ての地でしょう。だからこそ【ファーゼスト】と呼ばれているのですよね」
それはこっちの住民に言わせたら全く正反対ですよ。
要するに二つの文化圏の双方が、互いに『ここが最果てで、その先は蛮族の地』と蔑みあっているということらしい。
「その辺境の地に棲まう、あなたが知らないのも無理はありませんが、これは自らの身に宿る神性を引き出し、傷を癒やす神の御業なのです」
そして男はあらためてその胸を張る。
う~ん。余計な修飾を取り除いて考えると、どうやら自己再生能力を極端に高めているらしい。
つまりこの『唯一なるもの』の使徒は『他人の傷や病気を自分の身に移し、そこで高めた自己再生能力によって自らを癒やす』という二段方式を行っているということになる。
凄すぎて正直、度肝を抜かれたよ。
これはもう聖人か、さもなくばマゾでなければとてもやっていけないやり方だろう。
確かにこれは聖女教会の回復魔法とはあまりにも異なりすぎている。
ホンの少し前の興奮もどこへやら、オレはかなりドン引きしつつ、初めて出会った一神教徒を見つめていた。
自分の身で受けた感覚では、先ほどの電撃は少々苦痛を与える程度の威力なので、防ぐにはこれで十分なはず。
オレが再度倒れた相手に接近すると、思った通り電撃が放たれるが今度はオレの身にまとった防御壁で防がれる。
よし。予想通りだ。
病人を見るととても生きているとは思えない状態だが、かろうじて呼吸をしているのは微かに動いている身体の状態を見れば分る。
そしてオレは電撃を受けつつ、カサブタに覆われ、垂れ流されたウミでジットリと濡れた皮膚をさわる。
うう。気味が悪いけど、ここは我慢だ。
オレは精神を集中して【病の治療】を投射する。
これで病気は回復――しない?
相手は全身をカサブタに覆われたままで、僅かな呼吸をしているだけだ。
ええ?! どういうこと?
これは病気じゃないの? 何かの呪いのたぐいだったりするわけ?
いや。違う。
よくよく見ると分厚くカサブタに覆われ、ひび割れた皮膚だが心なしかしみ出すウミが減り、その身体の血色は僅かだがよくなっている気がする。
これは効果は少しあったけど、治るほどではなかったという事なのだろう。
普通ならそこまで病状が悪化するまでに命が尽きてしまうと思うのだが、この相手は常人離れした病気への耐性があるらしい。
まあ今はそんな事を考えている場合ではない。
ならばもっと魔力を投じて、再度【病の治療】をかけるのみだ。
オレがあらためて精神を集中して、魔術をかけようとするが、今度はその腕にいきなり痛みが走り、鮮血が飛び散る。
見ると先ほどの金属の猛禽が、そのくちばしでオレの腕をついばんでいたのだ。
うがあ! この鉄クズ野郎! 乙女の柔肌になんてことするんだ!
野山を駆けまわるときにはドルイド魔術を使う事で、どんな狭い獣道でも生い茂る植物の方がオレを避けてくれるので全力で駆け巡っても怪我などしない。
あと不本意だがオレの『選ばれし者』の肉体は、常人よりも遙かに回復力が高いらしく、少々の傷やアザがついても、回復魔術をかけるまでもなく一日やそこらで傷跡も残らず消滅していた。
そんなわけでオレにとってこの程度の傷は全く気にするようなものではないのだが、怪我をすれば痛いに決まっているのだ。
だが電撃が効かないと分ったら、即座に物理攻撃とはコイツには限定的でも知性があるのか。
もしそれで『ご主人様』を守ろうとしているなら、こっちが助けようとしていることぐらい気付いてくれよ。
オレは手を伸ばして肉をついばむ金属鳥を振りほどき、錬った魔力を込めて《病の治療》をかける。
すると今度は見る見るうちにカサブタは縮小し、身体から出ていたウミも潮が引くように消えていく。
おお。やっぱり思った通りだ。
よく分らないが形としては幾重にも病気が重なっている。そのような感覚であるらしい。
とにかく意識が戻るまで繰り返して、それでどうにかするしかない。
しばしの後、オレの身体はあちこちついばまれ、傷だらけになっていたが、相手の身体は殆ど回復していた。
カサブタに覆われていた時は性別も年齢も確認していなかったが、あらためて見るとまだ若い。せいぜい二十歳かそこらの男性だ。
とにかく一刻も早く意識を取り戻してくれないと、幾ら致命傷にはほど遠いと言っても傷が増えていく一方のオレがたまったもんじゃない。
人の病気を治す一方で、自分の傷が増えていくなんて、昔話では美しい悲劇かもしれないけど、自分がやるとなると真っ平だ。
そして男の目がゆっくりと開き、その茶色い瞳とオレの青紫の瞳が絡み合う。
「おや……これは!」
いきなり男はガバリと起き上がると、傷だらけのオレに向き直る。
すると金属の猛禽はゆっくりと飛んできて、男の肩に止まる。
やっぱり思った通り、コイツは『御主人様』を守ろうとしていたんだ。
くそう。こうなったらちゃんと事情を説明した後で、存分に償わせてやる!
もっとも、このオレに出来る事と言ったら、知っている情報を洗いざらいしゃべらせる事ぐらいだけど。
そして男はオレを見てその表情がこわばる。
「あの――」
「だ、大丈夫ですか! そこのお人!」
え? 何でオレが心配されているの?
男は血相を変えてオレの腕をとる。
「ひどい傷です。なんとお気の毒に……」
いや。この傷はそっちの『連れ』によってつけられたものですよ。
見て分りませんか?
たぶん気にしてないだけなんだろうけど。
「ここで合ったのも何かの縁。ここは小生にお任せ下さい」
そんな事言われたって、どうせ回復魔法なんて使えないんだから傷を治すなんて出来ないでしょうが。
しかし男は躊躇せず、オレの細腕をつかむと目をつぶり、何かをつぶやきつつ精神集中を始める。
すると男の額には脂汗がにじみ、その顔には苦痛が浮かぶ。
いったい何をしているんだ?
オレが心配になってきたところで、驚くべきことがこの身に起こる。
なんだって?! オレの腕の傷が見る見る消えていくぞ?!
まさかこれは回復魔法なのか?
「さあ。これで大丈夫ですよ」
オレが驚愕していると、男は手を離し、疲労の浮かんだ顔にかなり無理矢理作った微笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
オレは信じられないものを目の当たりにしてショックで立ちすくんでいた。
これはどういうことだ?
いくらオレの回復力が常人より遙かに高いといっても、見る見るうちに回復していくわけではない。
つまり眼前にいる男がオレの傷を治したとしか考えようがない。ならばこの男は回復魔法の使い手なのか?!
これが勘違いでないのなら、この人に公衆の面前で回復魔法を実践してもらえば『回復魔法は女しか使えない』という聖女教会の嘘を暴く事が出来るはずだ。
自立行動していると思われる金属の猛禽といい、オレが今まで接してきたのとは異なる系統の魔術であるらしいが、そんな事はどうでもいい。
とにかく男でも回復魔法が使えるという、事実を示す事が出来ればいいのだ。
「あの! あなたは……え?」
興奮しつつ話しかけようとしたところで、オレは奇妙なものを目の当たりにした。
このとき男は苦痛に顔をしかませて、自分の身を押さえていたのだ。
見るとその身体には真新しい傷がいつの間にか幾つも出来ていた。
そしてその傷にはどこか見覚えがあったのだ。
まさか?!
「大丈夫ですか? その傷はどうされたんです?」
「ご心配なく。これは我が神の偉大なる御業。尊き聖なる行いなのですよ」
それは全然、答えになっていません。
「そのお怪我ですけど、ひょっとしてさっきのこちらの傷が……」
「ええ。ご覧の通り、あなたの傷を我が身に移したのです」
やっぱりそうか!
この人は他人の傷を治せるのでは無く、自分に移す事が出来るだけなんだ。
うう。確かにそれでは『回復魔法』とは言いがたい。
こんな事では聖女教会の教義の嘘を暴くのも無理だろう。
「だけどそれではあなたは大丈夫なのですか?」
もちろん大丈夫ではないだろう。
そしてさっき無残な姿で倒れていたのも、先ほどの焼き払われた村で村人達から病気か何かを自分自身に背負い込んだからかもしれない。
それが本当ならその自己犠牲の精神には感服しますけど、ちょっとついていけません。
「ご心配なく。小生たち【唯一なるもの】の使徒にとって、人々のために自らの身を捧げるのは当然のことです。我が身が受けた傷も苦痛も全ては尊きもの。神への供物なのですよ」
全く迷いも曇りもない瞳で男は断言した。
この人が口にした『唯一なるもの』とはこの地より西方の文化圏で信仰されている一神教において崇められる神の名だという事は聞いていた。
今まで過ごしていた大陸中央部は多くの神が崇められる多神教の地域であるが、ここから西方は一神教の世界であり、この人はオレの出会った初めての一神教徒というわけだ。
こっちに取っては一神教も多神教もあんまり関係ない話なのだが、そう思うのはたぶんオレが正月が宗教的には極めて無節操な人間だからだろう。
元の世界でも宗教が絡むと簡単に流血の事態が引き起こされる事ぐらいはオレだって知っている。
当然、こっちでもそれは同様、というよりは神様が実際に信徒に対して恩恵を与えているこの世界の方が宗教対立は遙かに深刻でもおかしくはない。
オレとしても慎重に対処せねばならない事だろう。
それはともかく、ついさっきまでこの人は命を落としかけていたと思うけど、本人は意にも介していないらしい。
せっかくわざわざ傷を移してくれたのに申し訳ないけど、ここは回復魔法でオレがその傷を治すとしよう。
手を伸ばして男の傷に【応急手当】をかけようとするが、そこでオレはまたしても愕然となる。
男の身体についていた無数の傷は、次々にふさがっていくのだ。
殆どは小さな切り傷程度だが、それでも尋常ではありえない。
もうこうなったら直接聞くしかないだろう。
「そ、それは回復魔法ですか?」
「……」
息せき切って問いかけたオレに対し、男は少しばかり困惑した、そしてどこか諦観のこもった視線を注ぐ。
「回復魔法……というのはこちらの蛮地で使われているまじないのたぐいですね」
こっちを『蛮地』呼ばわりですか。
いや。たぶんこの人はその言い方が、そこに住んでいる人間を蔑んでいる事に気付いてすらいないようだ。
もっともそれはお互い様であり『他人の文化や宗教を尊重する』という考えのないこの世界ではむしろ平均的な思考回路なんだろう。
要するに二一世紀の日本人の感覚はこの世界では通用しないという事を再確認させられただけである。
そして男はオレの顔に浮かんだ複雑な表情に気付いたのだろうか、念を押してくる。
「この地は『正しい信仰』の届かぬ最果ての地でしょう。だからこそ【ファーゼスト】と呼ばれているのですよね」
それはこっちの住民に言わせたら全く正反対ですよ。
要するに二つの文化圏の双方が、互いに『ここが最果てで、その先は蛮族の地』と蔑みあっているということらしい。
「その辺境の地に棲まう、あなたが知らないのも無理はありませんが、これは自らの身に宿る神性を引き出し、傷を癒やす神の御業なのです」
そして男はあらためてその胸を張る。
う~ん。余計な修飾を取り除いて考えると、どうやら自己再生能力を極端に高めているらしい。
つまりこの『唯一なるもの』の使徒は『他人の傷や病気を自分の身に移し、そこで高めた自己再生能力によって自らを癒やす』という二段方式を行っているということになる。
凄すぎて正直、度肝を抜かれたよ。
これはもう聖人か、さもなくばマゾでなければとてもやっていけないやり方だろう。
確かにこれは聖女教会の回復魔法とはあまりにも異なりすぎている。
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