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第5章 辺境の地にて

第81話 夢の中でまたしても女神様が

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 オレはひとまずフレストルの事についてヴァルナロに問うことにする。
 建前はともかく彼女が最優先しているのは、フレストルのことなのは間違いないので、そちらから話を進めた方がいいと判断したからだ。

「ところでフレストルさんですけど、明日はどうされるつもりなんですか?」
「商人達から疫病の広まっているところについて話を聞き、もしそれが深刻ならばそちらに出向くおつもりのようです。それがなければ布教活動を行い、もし苦しむ人がいれば今日のように……」

 そう言ってヴァルナロは痛ましい表情を浮かべる。
 フレストル自身は布教のため、そして困っている人を助けるために自分の身を犠牲にするのを厭わないし、止めても無駄だと分っているがそれでも彼女は納得出来ないのだろう。

「その場合、こちらが気付かれないようにフレストルさんを治すわけですね」
「ええ。重ねてお願いします」
「そこで聞きたいのですけど、この近辺では回復・治癒魔術については聖女教会が取り仕切っている事はご存じですよね。疫病の事だけでもそこと協力してはいかがでしょう」
「それは……言う通りかもしれません」

 ヴァルナロが頭ごなしに否定しないのは、たぶんそれも自分で以前に考えた事があるのだろう。
 もちろん『異教の魔術に頼るのは異端』と言うことで、諦めたんだろうな。
 オレにしてみれば『自分や大事な人が助かるなら何でも構わない』と思うのだが、この世界ではそういうわけに行かないことは何度も身にしみている。

 しかしこのオレがよりによって聖女教会を頼る事を一神教徒に勧めるとは、つくづく世の中は複雑怪奇だ。
 たぶんオレの行動を誰かが後でまとめるような事があったら、何を考えているのか理解不能と評価されても仕方ないだろうなあ。
 まあ別に周囲の評価なんかどうでもいいんだけど。

「フレストルさんのお言葉では『聖人崇拝』と言うことで、一応は許容されているんですよね? それなら協力し合うのも一つの手だと思うんですよ」
「それは分りますけど……」
「わたしもいつまでもここにいるわけではないんですから、その後の事も考えて下さい」

 オレが気付かれないようこっそりとフレストルを治癒する事は別に構わない。
 だけどそれでフレストルが自分の回復力を過信して、更に危ない事に足を踏み入れ続ける事は当然あり得る話だ。
 そんな事になったらやっぱりオレは自分を責めるだろう。
 別れ際に全部明かすか、さもなくば聖女協会に協力を持ちかけるかのいずれかしか選択はないだろう。

 実際にフレストルなど『唯一なるもの』の宣教師が疫病を引き受け、それを聖女教会が癒やすようにすれば確実にもっと多くの人間が救えるはずだ。
 しかし個人レベルならともかく、組織としてそれはお互いに受け入れ難い選択なのは、オレにだって分っている。
 こっちの世界でも、現場で苦しんでいる人間よりも、遙か離れたところで指示を出している人間の方が偉いという現実に変りは無い。
 そう考えると、アカスタのような土着神の信仰の方がまだマシな気がしてくるな。

「今すぐ答えを出せとは言いませんよ。だけどよく考えて下さい。もう一度いいますけど、こっちもいつまでもここにはいないんですからね」

 オレはヴァルナロに対して念を押すと、とりあえず自分に与えられていた部屋に戻って眠ることにした。


 オレはあたり一面が光りに満たされた空間を漂っていた。
 あれ? ここは見た覚えがあるぞ。
 以前にマニリア帝国の後宮で力を使い果たして意識を失った時にもこんなところにオレの意識が飛んでいたはずだ。

『聞こえますか?』
「え?」

 静かな、それでいて心を揺さぶる声がオレの胸中に響き渡る。
 しかし矛盾しているようだが、心を揺さぶられていながらなぜか安心感をもたらす、そんな声だった。
 振り向くとそこには思った通り、以前に見た時と変わらぬ柔らかい笑みを浮かべた、金髪で青紫の瞳をしてまばゆく輝く ―― それでいてハッキリと見える ―― 女性が姿を見せていた。

『我が声が聞こえるということは、あなたの力が増しているということです。実に喜ばしいことですね』

 柔らかい頬笑みをオレに注ぐこの相手がなにものか。
 自己紹介はされていないし、信仰心の欠片も無いオレだけど、ここまでくるともう自明の理である。
 この相手は聖女教会の守護女神であり、イロール以外には考えられない。

 まあそんな月並みな展開ではなく、実はどこぞの邪神様で女神のフリしてオレを騙そうとしている何てこともあるかも知れないけど、ここは全力で釣られてやるとも。

「そんな事はどうでもいいよ! とにかくこっちの話を聞いて!」

 聞きたい事は幾らでもあるけど、もちろん最優先事項は決まっている。
 そもそもなんでオレを女にしたんだ。いや。それよりも回復魔法の素質のある男子を性転換させるような魔術をなぜ提供しているんだ。
 癒やしの女神なのにおかしいと思わないのか。
 しばしの間、オレは女神様の前で喚き散らす。そして――

『あなたならばこの地で苦しんでいる、人々と精霊の両方を救う事が出来るでしょう。期待しています。そのためになら喜んで助力しましょう』
「ちょっと! こっちの言ってる事が聞こえているの!」

 オレがまくし立てているにもかかわらず、女神様は変わらぬ笑顔のままでかすんでいく。

『我が友にあなたのことも伝えておきます。きっと力を貸してくれるはずです』
「だから待ってよ!」

 必死で手を伸ばして消えゆく女神に呼びかけつつ、オレは冷厳な事実を受け止めざるを得なかった。
 恐らく今のオレの力では『女神の声』は聞こえるが『オレの声』は向こうに届いていないのだ。
 要するに一方通行ということになる ―― 少なくとも今のところは。
 オレが夢の中で口惜しさに歯ぎしりしていると、また新しい光が目に飛び込んでくる。
 そして気がつくと、オレは朝の光を浴びつつ粗末なベッドで目を覚ましていた。


 今の夢はなんだったんだ。
 オレはベッドの上で粗末なシーツをつかんで歯がみする。

 ただの夢と思うには、あまりにも真に迫っていた気がしてならない。
 なによりも以前、オレがマニリア帝国の後宮で意識を失った時に見たものと同じだったのは偶然だとは思えない。
 聖女教会はオレを『選ばれし者』だと言っていたが、そうだとするとやっぱりオレは女神イロールに選ばれし者なのか。
 それで女にされてしまったこちらとしては、まるっきり嬉しくないけどな。
 もし今からでも前の体に戻してくれるなら、喜んで受けるところだ。

 しかしあの夢が事実だとしたら、今のオレの力では女神の声が聞こえるが、こっちの意志を伝える事が出来ないのは間違いない。
 たぶんそれをやるには聖女教会の寺院で大がかりな儀式が必要になるんだろうなあ。
 このファーゼストの聖女教会は今は留守番のオスリラしかいないから、仮に協力してもらえるとしても無理な話だろう。
 それにオスリラ以外の聖女がやっぱりオレを捕らえようと考える可能性もあるし、こんな話を持ちかけるのはやっぱり危険だな。
 それで女神と意志が通じたとしても、オレの望んだ答えが得られるとは限らない。
 何しろあちらは神様だ。こっちの都合なんか微塵も考えていなかったとしても、何の不思議も無いんだから。

 そういえば最後に『我が友』にオレの事を伝えておくと言っていたな。
 いったいどこの何ものなんだよ。
 それも教えてくれないなんて不親切にも程がある。
 少なくとも神様の交友関係なんだから当てにしていいかもしれないけど、多神教の神様は何を要求してくるか分ったものじゃない。
 下手をすれば『力を貸すから、見返りに体を差し出せ』なんて要求されかねない。
 くわばらくわばら。やっぱりオレが一人でどうにかした方がいいだろう。
 もともと女神なんてオレは当てにしていないんだ。
 とにかくオレに出来る事をやるしかない。そう決意してオレはベッドから立ち上がった。


 そんなわけでオレは朝食の後で、フレストルが説法に出かけている間、オレは約束通り、ヴァルナロから一神教徒の魔術について教えてもらっていた。

「いいですか。我らは全て偉大なる『唯一なるもの』の一部です。それ故に我ら自らの力を引き出す事が、すなわち神の力を得る事になるのです」

 なるほど。フレストルの回復魔法が『自分自身の回復力を高める』というものなのは、それもまた『神の力』であるからなのか。

 説明を聞いていると、大まかにだが一神教徒の魔術が理解出来てきた。
 たとえばRPGでは『移動力を高める魔術』は実にありふれている。
 だが通常、そんな魔術を使ってもキック力やジャンプ力は向上しない。殆ど場合、そちらを高めるのは別の魔術である。
 実際、オレが旅の最中に使っている移動力を高める魔術もそうだった。
 しかし一神教徒の場合はどうやら基本的な能力そのもの ―― この場合は《筋力》を向上させ、それによって移動力も結果的に向上するという形になる。
 たとえば筋力を五割増しにすれば、当然ながら脚力も上がり相応に移動力は向上する。
 もちろん『移動力のみを上げる魔法』など特定分野では劣るが、それが一神教徒の魔術の特色なのだ。

「唯一なるものは全ての創造者であり、また全てを含んでいます。しかしヒトはその力を完全に引き出す事は出来ません」
「それもやっぱり神様の意志なんですか?」
「そうです。唯一なるものが尊ぶのは可能性です。故にあらゆるものに可能性を与え、そしてその可能性をできる限り引き出すのが、我ら『正しき信仰の担い手』に与えられた使命でもあります」

 ここまで口にしたところで、ヴァルナロは少しばかり沈んだ表情を浮かべる。

「しかし私はまだまだ半人前。いえ。それ以下でしかありません」

 これまでの話を聞くと、ヴァルナロが自分の魔術で能力を引き上げられるのはだいたい一割程度らしい。
 それはそれで役に立つだろうけど、彼女が自分で望む域に達していないのも確かだろう。
 ヴァルナロはフレストルの助けになるだけのものを望んでいるのだが、その程度ではあの宣教師の代わりに疫病を引き受けるわけにはいかないだろう。
 もちろんフレストルがそれを許していないのは明らかだ。

「それは仕方ないのではありませんか? そんなに簡単に魔術が極められるものではないでしょう」

 オレはひとまずヴァルナロをなだめる。
 神様の視点からすれば、チートで何の努力もせずに魔法が使えるオレがどの口でそんな台詞をほざくか、という事になるんだろうけど。

「しかし。あなたは見たところ私と殆ど年齢も変わらないにもかかわらず簡単にフレストル様を治していたではありませんか」
「それは……」

 オレは返答に窮して口ごもる。
 そしてそんなオレに対してヴァルナロは体を押しつけるように迫ってくる。
 おいおい。女の子にそんなに近づかれたら、オレが緊張するじゃないか。

「私の方からアルタシャさんに聞いていいですか?」
「ええ……どうぞ……」
「その魔術はどこで学んだのです? あなたは何らかの特別な出自なのですか?」
「そういうわけでは……ないんですけど」

 オレはちょっと視線を背けつつ答える。
 まともに考えれば『異世界出身で元男で、望んだわけでもないのに女神様の祝福付き』だなんて口にしたら中二病どころの騒ぎでは無いな。
 オレがそんな話を聞かされたら、何も言わずにその場を離れて相手とは二度と視線を合わせたくなくなるだろう。

「あなたは見たところ私と同年代でありながら、造作も無く『疫病』を治しましたね。フレストル様ですら、命がけなのに……」

 ここでヴァルナロはオレの背けた視線の先に移動し、真剣なまなざしを注いでくる。
 そこには自分自身の非力さに対する憤りと、少しばかりオレに対する嫉妬が感じられた。
 これまでオレは何度も容姿に嫉妬された事はあるけど、魔術の才能に嫉妬されたのは初めてだな。
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