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43 痕跡
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白髪の医女ルチアが侍女フィオーレのノドにピンセットをギリギリまで伸ばし、ノドの奥から赤ユリの切れはしを取ると深い溜息を吐いた。
「ピンセットで取れるのはこれが限界ですね……」
「まだノドの奥にもユリが詰まっていそうですか?」
私が遺体の傍に置かれていたランタンの灯りで遺体の口元を照らしながら尋ねると、白髪の医女ルチアは遺体のノド奥をのぞき込みながら頷いた。
「ええ。でも、これ以上はノドを切開でもしない限りは取り出せそうにないですね」
「侍女フィオーレは伯爵家の令嬢ですし、いたずらに遺体を傷つけるのは実家のご遺族も望まれないでしょう」
黒縁眼鏡の魔術師が腕組みしながら答えると、白髪の医女は金属製のピンセットを皿の上に置いた。
「遺体解剖は無理ということですね……」
「はい」
「では、次は遺体に傷などがないか調べます」
そう言って医女ルチアは着衣を脱がせて、遺体に何らかの痕跡がないか調べた。
「殺傷痕のような物はないですね……。暴行の後も、刀傷などの痕跡も一切、見受けられず……。背中に赤紫色のアザがありますが、これは……」
「死斑ですね」
侍女フィオーレの遺体に浮かび上がった赤紫色のアザを見ながら思わず呟くと長髪の魔術師が反応し、こちらに視線を向けて軽く首を傾げた。
「死斑?」
「死亡して体内を循環している血流が止まると、死体の体勢によって血液が沈殿して体表に変色した痣として浮かび上がる。それが死斑です。侍女フィオーレの遺体は背中や大腿部の裏などに死斑が浮かび上がっていますから死後に長時間、仰向けの状態だったのでしょう」
「その通りです。確かに侍女フィオーレの遺体は、ユリ花壇に仰向けの状態で発見されました」
魔術師が黒縁眼鏡の奥で感心したように鳶色の瞳を細めると、白髪の医女も目元を緩ませた。
「さすがですね。マリナ先生」
「いえ、この位は……」
この程度は専門的な医療知識というより、刑事ドラマやミステリー小説を見ている一般人にも浸透している常識だ。称賛されるほどの専門知識でもない。
「それよりも背面しか死斑がないということは少なくとも、他者に首を絞殺されたわけでも、手足を拘束された上で無理矢理、ユリの花を口に入れられたわけでもないという結論になりますね」
「そうですね……。外傷がなく、赤ユリの花がノドに詰まるほど大量に入っていたことを考えると……」
「侍女フィオーレは自殺ということですか?」
「遺体を検分した者の所見としては、他殺と断定することはできない状態ですね。自殺と断定するには理解に苦しむ遺体の状況ですが……。侍女フィオーレはキツネの獣人ですから、ユリ中毒ということもないでしょうし」
「状況的には侍女フィオーレが自ら、花壇でユリの花を大量に食べてそれをノドに詰まらせる形で死亡した可能性が高い。としか言いようがない訳ですね」
医女ルチアの言葉を補足する形で私が言及すれば、黒縁眼鏡の魔術師は眉根を寄せた。気持ちは分かる。私だってこんな死因はまず、ありえないと思う。しかし、不可解だが遺体を見る限りはそれが事実なのだ。医女ルチアは遺体の着衣をなおすと、遺体見分を終えた。
遺体安置室の扉を開けると、二人で向かいあって話をしていたプラチナブロンドの侍女と銀髪の騎士がこちらに注目した。
「マリナ様。フィオーレは?」
「何か分かったか?」
「遺体を検分した所見としては、他殺の痕跡は見受けられないとしか……」
「では自殺なのでしょうか?」
「状況的に一番、自然なのは自分でユリをノドに詰めて死亡したという線なんですが」
「まさか……」
銀髪の騎士アルベルトさんは戸惑い気味に呟いた。
「表面的な遺体見分では、それ以上は何とも言えません」
「ご遺族の同意なしに遺体の解剖はできないし……」
医女ルチアや私が答えながら長髪の魔術師らと共に来た道を戻り、石造りの階段を上がっているとプラチナブロンドの侍女は困惑顔で俯いた。
「侍女フィオーレは公爵令嬢リリアンヌ様が王子殿下と結婚した暁には、女官長になるのだと公言していました。そのように考えていた方が自ら命を絶つとは到底、思えません」
「そうね……」
茶髪の侍女フィオーレに関しては腑に落ちない点がある。仮に自殺をするにしても、わざわざユリを口いっぱいに詰めて死ぬなんて不自然すぎる。そんなことを考えながら階段を上がり切れば、通路に人影があった。
「あら。皆様、おそろいですのね」
「公爵令嬢……。なんでここに」
お供の侍女を従えて通路にいたのは、ストロベリーブロンドの公爵令嬢リリアンヌだった。
「なんでって、私に仕えていた侍女が死んだと聞いてやってきたのよ」
「そうですか」
「侍女フィオーレ……。まったく、使えない女だったわね」
「え?」
忌々し気に舌打ちした公爵令嬢が呟いた言葉に私は唖然とした。
「まさか、やっぱりあなたが?」
「あら? 何を言っているの? 私は侍女としての業務の最中に行方をくらまして、主人である私の心を煩わせたことに対して『使えない女』だと言ったのよ? それにしても『やっぱり』とは聞きずてならないわね。あなた、私が侍女フィオーレの死に関わっているとでも言いたいの?」
「誰も、そんなことは……」
「フン! 確たる根拠もなしに公爵令嬢たる私に対して平民ごときが! いい加減なことは言わないことね!? 無礼な口をきけば、あなたの首が飛ぶわよ?」
「リリアンヌ様。お気を悪くされたのなら申し訳ございません。マリナ様は決して、そのようなつもりだった訳では……」
プラチナブロンドの侍女が公爵令嬢に謝罪すると、公爵令嬢は冷淡な瞳でロゼッタを一瞥した後、私を見据えて方眉を上げた。
「それよりも、どうして『ただの平民』がこんな所にいるの?」
「マリナ先生のことでしたら、私の『助手見習い』として来て頂きました」
白髪の医女が言及すると、公爵令嬢リリアンヌは紅玉色の瞳を丸くした。
「ああ、医者とか言ってたけど『助手見習い』だったの!? 文字の読み書きもできない『平民の助手見習い』を使おうだなんて、この城における医女のレベルが著しく下がってしまうんじゃなくって?」
「……文字の読み書きはすでに覚えました」
皮肉気に笑う公爵令嬢の言葉には私へのあざけりや嫌味がたっぷりと含まれていたが、ここで挑発に乗れば公爵令嬢に対して不躾な態度を取った平民として扱われ、どんな報復を受けるか分からない。
私は軽く目元を引きつらせながらも淡々と公爵令嬢の問いかけに答えたが、ストロベリーブロンドの公爵令嬢は私の言葉に微塵も感銘を受けた様子はなく紅玉色の瞳から、こちらへの興味はすっかり消えうせた。
「ふーん。まぁ、そんなことはどうでも良いわ。私、平民なんかに興味はないから……。はぁ、なんだか気が削がれてしまったわね……。自室へ帰りましょう」
「えっ。侍女フィオーレの遺体が安置されている、地下の遺体安置所に行くのではなかったのですか?」
「遺体の確認はあなた達が行ったのでしょう? だったら、わざわざ私が行く必要はないわ。さっさと侍女フィオーレの実家に遺体を引き渡してちょうだい。あんな役に立たない侍女、もうどうでもいいわ」
冷徹な表情でそう吐き捨てると公爵令嬢リリアンヌはハイヒールの靴音を高く響かせながら、お供の侍女を従えて去って行った。
「ピンセットで取れるのはこれが限界ですね……」
「まだノドの奥にもユリが詰まっていそうですか?」
私が遺体の傍に置かれていたランタンの灯りで遺体の口元を照らしながら尋ねると、白髪の医女ルチアは遺体のノド奥をのぞき込みながら頷いた。
「ええ。でも、これ以上はノドを切開でもしない限りは取り出せそうにないですね」
「侍女フィオーレは伯爵家の令嬢ですし、いたずらに遺体を傷つけるのは実家のご遺族も望まれないでしょう」
黒縁眼鏡の魔術師が腕組みしながら答えると、白髪の医女は金属製のピンセットを皿の上に置いた。
「遺体解剖は無理ということですね……」
「はい」
「では、次は遺体に傷などがないか調べます」
そう言って医女ルチアは着衣を脱がせて、遺体に何らかの痕跡がないか調べた。
「殺傷痕のような物はないですね……。暴行の後も、刀傷などの痕跡も一切、見受けられず……。背中に赤紫色のアザがありますが、これは……」
「死斑ですね」
侍女フィオーレの遺体に浮かび上がった赤紫色のアザを見ながら思わず呟くと長髪の魔術師が反応し、こちらに視線を向けて軽く首を傾げた。
「死斑?」
「死亡して体内を循環している血流が止まると、死体の体勢によって血液が沈殿して体表に変色した痣として浮かび上がる。それが死斑です。侍女フィオーレの遺体は背中や大腿部の裏などに死斑が浮かび上がっていますから死後に長時間、仰向けの状態だったのでしょう」
「その通りです。確かに侍女フィオーレの遺体は、ユリ花壇に仰向けの状態で発見されました」
魔術師が黒縁眼鏡の奥で感心したように鳶色の瞳を細めると、白髪の医女も目元を緩ませた。
「さすがですね。マリナ先生」
「いえ、この位は……」
この程度は専門的な医療知識というより、刑事ドラマやミステリー小説を見ている一般人にも浸透している常識だ。称賛されるほどの専門知識でもない。
「それよりも背面しか死斑がないということは少なくとも、他者に首を絞殺されたわけでも、手足を拘束された上で無理矢理、ユリの花を口に入れられたわけでもないという結論になりますね」
「そうですね……。外傷がなく、赤ユリの花がノドに詰まるほど大量に入っていたことを考えると……」
「侍女フィオーレは自殺ということですか?」
「遺体を検分した者の所見としては、他殺と断定することはできない状態ですね。自殺と断定するには理解に苦しむ遺体の状況ですが……。侍女フィオーレはキツネの獣人ですから、ユリ中毒ということもないでしょうし」
「状況的には侍女フィオーレが自ら、花壇でユリの花を大量に食べてそれをノドに詰まらせる形で死亡した可能性が高い。としか言いようがない訳ですね」
医女ルチアの言葉を補足する形で私が言及すれば、黒縁眼鏡の魔術師は眉根を寄せた。気持ちは分かる。私だってこんな死因はまず、ありえないと思う。しかし、不可解だが遺体を見る限りはそれが事実なのだ。医女ルチアは遺体の着衣をなおすと、遺体見分を終えた。
遺体安置室の扉を開けると、二人で向かいあって話をしていたプラチナブロンドの侍女と銀髪の騎士がこちらに注目した。
「マリナ様。フィオーレは?」
「何か分かったか?」
「遺体を検分した所見としては、他殺の痕跡は見受けられないとしか……」
「では自殺なのでしょうか?」
「状況的に一番、自然なのは自分でユリをノドに詰めて死亡したという線なんですが」
「まさか……」
銀髪の騎士アルベルトさんは戸惑い気味に呟いた。
「表面的な遺体見分では、それ以上は何とも言えません」
「ご遺族の同意なしに遺体の解剖はできないし……」
医女ルチアや私が答えながら長髪の魔術師らと共に来た道を戻り、石造りの階段を上がっているとプラチナブロンドの侍女は困惑顔で俯いた。
「侍女フィオーレは公爵令嬢リリアンヌ様が王子殿下と結婚した暁には、女官長になるのだと公言していました。そのように考えていた方が自ら命を絶つとは到底、思えません」
「そうね……」
茶髪の侍女フィオーレに関しては腑に落ちない点がある。仮に自殺をするにしても、わざわざユリを口いっぱいに詰めて死ぬなんて不自然すぎる。そんなことを考えながら階段を上がり切れば、通路に人影があった。
「あら。皆様、おそろいですのね」
「公爵令嬢……。なんでここに」
お供の侍女を従えて通路にいたのは、ストロベリーブロンドの公爵令嬢リリアンヌだった。
「なんでって、私に仕えていた侍女が死んだと聞いてやってきたのよ」
「そうですか」
「侍女フィオーレ……。まったく、使えない女だったわね」
「え?」
忌々し気に舌打ちした公爵令嬢が呟いた言葉に私は唖然とした。
「まさか、やっぱりあなたが?」
「あら? 何を言っているの? 私は侍女としての業務の最中に行方をくらまして、主人である私の心を煩わせたことに対して『使えない女』だと言ったのよ? それにしても『やっぱり』とは聞きずてならないわね。あなた、私が侍女フィオーレの死に関わっているとでも言いたいの?」
「誰も、そんなことは……」
「フン! 確たる根拠もなしに公爵令嬢たる私に対して平民ごときが! いい加減なことは言わないことね!? 無礼な口をきけば、あなたの首が飛ぶわよ?」
「リリアンヌ様。お気を悪くされたのなら申し訳ございません。マリナ様は決して、そのようなつもりだった訳では……」
プラチナブロンドの侍女が公爵令嬢に謝罪すると、公爵令嬢は冷淡な瞳でロゼッタを一瞥した後、私を見据えて方眉を上げた。
「それよりも、どうして『ただの平民』がこんな所にいるの?」
「マリナ先生のことでしたら、私の『助手見習い』として来て頂きました」
白髪の医女が言及すると、公爵令嬢リリアンヌは紅玉色の瞳を丸くした。
「ああ、医者とか言ってたけど『助手見習い』だったの!? 文字の読み書きもできない『平民の助手見習い』を使おうだなんて、この城における医女のレベルが著しく下がってしまうんじゃなくって?」
「……文字の読み書きはすでに覚えました」
皮肉気に笑う公爵令嬢の言葉には私へのあざけりや嫌味がたっぷりと含まれていたが、ここで挑発に乗れば公爵令嬢に対して不躾な態度を取った平民として扱われ、どんな報復を受けるか分からない。
私は軽く目元を引きつらせながらも淡々と公爵令嬢の問いかけに答えたが、ストロベリーブロンドの公爵令嬢は私の言葉に微塵も感銘を受けた様子はなく紅玉色の瞳から、こちらへの興味はすっかり消えうせた。
「ふーん。まぁ、そんなことはどうでも良いわ。私、平民なんかに興味はないから……。はぁ、なんだか気が削がれてしまったわね……。自室へ帰りましょう」
「えっ。侍女フィオーレの遺体が安置されている、地下の遺体安置所に行くのではなかったのですか?」
「遺体の確認はあなた達が行ったのでしょう? だったら、わざわざ私が行く必要はないわ。さっさと侍女フィオーレの実家に遺体を引き渡してちょうだい。あんな役に立たない侍女、もうどうでもいいわ」
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