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50 沈黙の臓器
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「それでは、ジャヴェロット国王陛下……。まず、何点か質問させてください」
「うむ」
「右わき腹に異常を感じたのは、いつ頃ですか?」
「それが徐々に大きくなっていたので、いつからかよく覚えていないのだ。自分ではあまり気にしていなかった。痛みも無かったしな」
「徐々に……。痛みもなかったですか」
「ああ、少し『かゆい』とは思ったが、痛みはなかった。だから、虫にでも刺されたのかと……。それに回復魔法で意識を失う前は、ここまで大きい腫れではなかったからな」
国王陛下が冷淡な瞳で宮廷医師を見れば、小太りの侍医たちは視線を床に落とした。どうやら、回復魔法に頼り切って国王の浮腫を大きくした侍医に対する信頼が、いちじるしく低下しているようだ。
「ジャヴェロット陛下。お腹を触らせて頂いてもよろしいですか?」
「うむ」
了解を得て、みぞおち付近や肝臓があると思われる部位に触れると意外にも程よい弾力があった。
「やわらかいですね……。少し、腫れてる部位を叩いてみてもよろしいですか?」
「なっ! 陛下を叩くだとっ!」
「万死に値するぞっ!」
怒り狂って声を上げる太った宮廷医師と裏腹に、国王陛下は冷静な面持ちで私を見た。
「診察に必要なのだな?」
「はい」
「それなら、構わぬ」
平然と首を縦に振った国王の姿に、宮廷医師たちは口をあんぐりと開けて仰天した。
「へ、陛下!?」
「このような無礼な平民! 即刻、打ち首にすべきですぞっ!」
「うるさいっ! 余が良いと言ったのだ! 何度もくどいぞ! 余の言葉に異を唱えると言うならば打ち首になるのは、そなたらと知れ!」
「ぐっ……! も、申し訳ございません」
「わ、我々は陛下の御身を案じたからこそでありまして、決して陛下の御言葉に背こうと思ったわけでは……」
太った侍医たちが顔色を青くしながら悲壮な表情で祈るように両手を合わせているのを横目に、国王の横わき腹を軽く叩いてみると鈍い音がした。やはり腹水がたまっていると確信した後、右わき腹の下に視線を向けた。
「国王陛下。今度は、脚の状態も診てよろしいですか?」
「脚を見るのか? 構わぬが……」
「では、失礼いたします」
下半身にかかっている素晴らしい肌触りの毛布をめくって国王の脚を見ると、上半身同様に程よい筋肉が付いていた。異常がないか私が診ているとロマンスグレーの国王は、やや当惑気味に眉根を寄せて目を細めた。
「なぜ脚を見るのだ? 異常があるのは右わき腹だが?」
「……腫れている右わき腹は『肝臓』の影響が出ていると思ったからです」
「肝臓?」
「はい。肝臓には食べた物の栄養素が胃や腸で吸収された後に栄養素を貯めたり、有害な物質を分解したり解毒するなどの働きがあります。もし、肝臓に異変があって正常に働いていないなら、肝臓に送られるはずだった血液が足へといってしまい、脚が腫れてむくんだりといった症状が出る場合があるのです」
「余の脚は、むくんでいないな?」
「はい。見たところ、陛下の脚に異常はないようですね……」
そう告げながら下半身に毛布をかけ直すと、国王陛下は鷹揚に頷いた。
「ふむ……。ここまで見て、そなたはどのように考えておるのだ?」
「私は右わき腹に腫れがあると聞いた時、まず『肝硬変』によって『腹水』がたまっている状態なのではないかと疑いました」
「『肝硬変』とは何だ?」
「その名の通り『肝硬変』は本来なら柔らかいはずの臓器である、肝臓が固く変異している状態です」
「なぜ本来、やわらかい部位が固くなるのだ?」
「原因はさまざまです。感染病が原因の場合もありますし。一般的には長期間、大量のアルコールを毎日摂取することによって肝臓の機能が弱って肝硬変になるというケースが多いのですが……。お酒はよく飲まれますか?」
「飲まないことはないが……。公式の席で付き合い上、飲まねばならぬ時にたしなむ程度だな」
ロマンスグレーの国王が少し無精ヒゲの生えたアゴに手をかけて呟くと、二人の侍医が勢いよく顔を上げた。
「陛下が積極的に飲酒をされる方では無いのは、侍医として把握しております!」
「つまり、飲酒が腫れの原因ではないということだっ!」
小太りの宮廷医師たちが胸をはりながらドヤ顔で宣言したが、私やこの場にいる者たちの心には何の感銘も与えなかった。その事実は一同の冷ややかな表情を見ても明らかだった。
「そうですね。そもそも『肝硬変』ではないようですから……。触診で調べたところ、肝臓が固くなっているわけではないようですし……」
「そなたは、手で触れただけで『肝硬変』とやらが分かるものなのか?」
目を見開いた国王陛下に私は、ゆっくりと頷いた。
「はい。肝臓が弱って壊死が始まっていると固くなりますから、身体の表面から触ってもある程度は分かります。陛下の右わき腹……。肝臓のある部位はやわらかかったですから、壊死が始まっているわけでは無いはずです」
「そうか。内臓が弱っているわけではないのだな……」
ロマンスグレーの国王陛下は安堵した様子で息を吐いたが、右わき腹の浮腫はシロウト目にも異常があるとわかるほどに腫れている状態なのだ。肝硬変でないとすると他の原因を探らねばならない。
「陛下、痛みはないと先ほど言っていましたが、日常生活で不便はありませんか? 食欲は?」
「いや、特にない。食欲はあるし、見ての通り脇腹が腫れて違和感がある位だ」
「そうですか」
「そなたは、ここまで腫れているのに『痛みがない』ということの理由が分かるか?」
「……肝臓はもともと『沈黙の臓器』と言われているほど、何か異変があっても自覚症状や痛みが出にくい臓器なんです」
「沈黙の臓器?」
「はい。陛下に痛みや自覚症状が出なかったのも恐らく、部位が肝臓だからだと思われます」
「そうなのか……」
肝臓が沈黙の臓器と呼ばれていて、自覚症状が出にくい部位ということは一般にもよく知られているが、それは動物にも同じことが言える。つまり獣人である国王の肝臓に異常があったとしても、痛みや自覚症状が出ていなかったのは無理ない話なのだ。
「陛下。もう一度、患部を見せて頂けますか?」
「ああ。構わぬが」
再び腫れている右わき腹をよく見ると、薄い黄疸があるのを発見した。
「これは……。まさか」
「何かあったか?」
呆然としながら黄疸に視線がクギ付けになっている私に、国王は軽く首を傾げた。しかし、私の脳内では腹部の腫れ、腹水、黄疸、痛みや自覚症状がなく『かゆみ』を感じるという事実から『ある可能性』に思い至って、それどころではなかった。
「陛下……。もしかして、野外で生水を飲んだり、森に棲んでいる野生の動物に触れたりされていましたか?」
「ああ、昔から遠駆けや狩猟が趣味だからな。外で沢の水を飲んだり、小動物を狩ったりしているぞ」
「沢の水や小動物!」
「それがどうかしたのか?」
「陛下。もしかしたら、右わき腹の浮腫は……。沢の水や小動物が原因かも知れません」
「どういうことだ?」
怪訝そうに眉根を寄せる国王に問われるが、確定事項ではないことをどう説明すべきか一瞬、言葉に詰まった。すると白髪の医女が横から私の顔を覗き込む。
「マリナ先生。ジャヴェロット国王陛下の症状に心当たりがあるのですか?」
「断定はできませんが……。この症状は『包虫症』だとすれば辻褄があいます」
「包虫症?」
黒髪の女官長ミレイユさんは当惑した表情を浮かべ、室内にいる国王陛下やロゼッタ、召使い、宮廷医師も意味が分からないようで困惑している。
しかし、これが仮に『エキノコックス症』のような『包虫症』だとしたら、最新の医療設備が無いこの世界でどこまで出来るのかと考え愕然としながら、私はその場に立ちつくした。
「うむ」
「右わき腹に異常を感じたのは、いつ頃ですか?」
「それが徐々に大きくなっていたので、いつからかよく覚えていないのだ。自分ではあまり気にしていなかった。痛みも無かったしな」
「徐々に……。痛みもなかったですか」
「ああ、少し『かゆい』とは思ったが、痛みはなかった。だから、虫にでも刺されたのかと……。それに回復魔法で意識を失う前は、ここまで大きい腫れではなかったからな」
国王陛下が冷淡な瞳で宮廷医師を見れば、小太りの侍医たちは視線を床に落とした。どうやら、回復魔法に頼り切って国王の浮腫を大きくした侍医に対する信頼が、いちじるしく低下しているようだ。
「ジャヴェロット陛下。お腹を触らせて頂いてもよろしいですか?」
「うむ」
了解を得て、みぞおち付近や肝臓があると思われる部位に触れると意外にも程よい弾力があった。
「やわらかいですね……。少し、腫れてる部位を叩いてみてもよろしいですか?」
「なっ! 陛下を叩くだとっ!」
「万死に値するぞっ!」
怒り狂って声を上げる太った宮廷医師と裏腹に、国王陛下は冷静な面持ちで私を見た。
「診察に必要なのだな?」
「はい」
「それなら、構わぬ」
平然と首を縦に振った国王の姿に、宮廷医師たちは口をあんぐりと開けて仰天した。
「へ、陛下!?」
「このような無礼な平民! 即刻、打ち首にすべきですぞっ!」
「うるさいっ! 余が良いと言ったのだ! 何度もくどいぞ! 余の言葉に異を唱えると言うならば打ち首になるのは、そなたらと知れ!」
「ぐっ……! も、申し訳ございません」
「わ、我々は陛下の御身を案じたからこそでありまして、決して陛下の御言葉に背こうと思ったわけでは……」
太った侍医たちが顔色を青くしながら悲壮な表情で祈るように両手を合わせているのを横目に、国王の横わき腹を軽く叩いてみると鈍い音がした。やはり腹水がたまっていると確信した後、右わき腹の下に視線を向けた。
「国王陛下。今度は、脚の状態も診てよろしいですか?」
「脚を見るのか? 構わぬが……」
「では、失礼いたします」
下半身にかかっている素晴らしい肌触りの毛布をめくって国王の脚を見ると、上半身同様に程よい筋肉が付いていた。異常がないか私が診ているとロマンスグレーの国王は、やや当惑気味に眉根を寄せて目を細めた。
「なぜ脚を見るのだ? 異常があるのは右わき腹だが?」
「……腫れている右わき腹は『肝臓』の影響が出ていると思ったからです」
「肝臓?」
「はい。肝臓には食べた物の栄養素が胃や腸で吸収された後に栄養素を貯めたり、有害な物質を分解したり解毒するなどの働きがあります。もし、肝臓に異変があって正常に働いていないなら、肝臓に送られるはずだった血液が足へといってしまい、脚が腫れてむくんだりといった症状が出る場合があるのです」
「余の脚は、むくんでいないな?」
「はい。見たところ、陛下の脚に異常はないようですね……」
そう告げながら下半身に毛布をかけ直すと、国王陛下は鷹揚に頷いた。
「ふむ……。ここまで見て、そなたはどのように考えておるのだ?」
「私は右わき腹に腫れがあると聞いた時、まず『肝硬変』によって『腹水』がたまっている状態なのではないかと疑いました」
「『肝硬変』とは何だ?」
「その名の通り『肝硬変』は本来なら柔らかいはずの臓器である、肝臓が固く変異している状態です」
「なぜ本来、やわらかい部位が固くなるのだ?」
「原因はさまざまです。感染病が原因の場合もありますし。一般的には長期間、大量のアルコールを毎日摂取することによって肝臓の機能が弱って肝硬変になるというケースが多いのですが……。お酒はよく飲まれますか?」
「飲まないことはないが……。公式の席で付き合い上、飲まねばならぬ時にたしなむ程度だな」
ロマンスグレーの国王が少し無精ヒゲの生えたアゴに手をかけて呟くと、二人の侍医が勢いよく顔を上げた。
「陛下が積極的に飲酒をされる方では無いのは、侍医として把握しております!」
「つまり、飲酒が腫れの原因ではないということだっ!」
小太りの宮廷医師たちが胸をはりながらドヤ顔で宣言したが、私やこの場にいる者たちの心には何の感銘も与えなかった。その事実は一同の冷ややかな表情を見ても明らかだった。
「そうですね。そもそも『肝硬変』ではないようですから……。触診で調べたところ、肝臓が固くなっているわけではないようですし……」
「そなたは、手で触れただけで『肝硬変』とやらが分かるものなのか?」
目を見開いた国王陛下に私は、ゆっくりと頷いた。
「はい。肝臓が弱って壊死が始まっていると固くなりますから、身体の表面から触ってもある程度は分かります。陛下の右わき腹……。肝臓のある部位はやわらかかったですから、壊死が始まっているわけでは無いはずです」
「そうか。内臓が弱っているわけではないのだな……」
ロマンスグレーの国王陛下は安堵した様子で息を吐いたが、右わき腹の浮腫はシロウト目にも異常があるとわかるほどに腫れている状態なのだ。肝硬変でないとすると他の原因を探らねばならない。
「陛下、痛みはないと先ほど言っていましたが、日常生活で不便はありませんか? 食欲は?」
「いや、特にない。食欲はあるし、見ての通り脇腹が腫れて違和感がある位だ」
「そうですか」
「そなたは、ここまで腫れているのに『痛みがない』ということの理由が分かるか?」
「……肝臓はもともと『沈黙の臓器』と言われているほど、何か異変があっても自覚症状や痛みが出にくい臓器なんです」
「沈黙の臓器?」
「はい。陛下に痛みや自覚症状が出なかったのも恐らく、部位が肝臓だからだと思われます」
「そうなのか……」
肝臓が沈黙の臓器と呼ばれていて、自覚症状が出にくい部位ということは一般にもよく知られているが、それは動物にも同じことが言える。つまり獣人である国王の肝臓に異常があったとしても、痛みや自覚症状が出ていなかったのは無理ない話なのだ。
「陛下。もう一度、患部を見せて頂けますか?」
「ああ。構わぬが」
再び腫れている右わき腹をよく見ると、薄い黄疸があるのを発見した。
「これは……。まさか」
「何かあったか?」
呆然としながら黄疸に視線がクギ付けになっている私に、国王は軽く首を傾げた。しかし、私の脳内では腹部の腫れ、腹水、黄疸、痛みや自覚症状がなく『かゆみ』を感じるという事実から『ある可能性』に思い至って、それどころではなかった。
「陛下……。もしかして、野外で生水を飲んだり、森に棲んでいる野生の動物に触れたりされていましたか?」
「ああ、昔から遠駆けや狩猟が趣味だからな。外で沢の水を飲んだり、小動物を狩ったりしているぞ」
「沢の水や小動物!」
「それがどうかしたのか?」
「陛下。もしかしたら、右わき腹の浮腫は……。沢の水や小動物が原因かも知れません」
「どういうことだ?」
怪訝そうに眉根を寄せる国王に問われるが、確定事項ではないことをどう説明すべきか一瞬、言葉に詰まった。すると白髪の医女が横から私の顔を覗き込む。
「マリナ先生。ジャヴェロット国王陛下の症状に心当たりがあるのですか?」
「断定はできませんが……。この症状は『包虫症』だとすれば辻褄があいます」
「包虫症?」
黒髪の女官長ミレイユさんは当惑した表情を浮かべ、室内にいる国王陛下やロゼッタ、召使い、宮廷医師も意味が分からないようで困惑している。
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