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前編

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――もうほんと、ウザい、お前のそういうとこ。
――終わりにしようぜ。

 ケーキを前にそう言われ、20回目の俺の記念日に失恋した。



 タクトは本当に勝手なやつだった。
 金にも女にも男にもだらしなかった。
 でも、 
 それが許されてしまうほどの端正な美と圧倒的なオーラがあった。

 誰もが側にいるためなら喜んでタクトに貢いだ。
 物も、
 時間も、
 金も、
 身体も。
 まるで競争のように。

 いつでも人に囲まれていて、
 欲するものは何でも手にしている。
 実家も有名企業の創業家系で資産家の根っからの勝ち組。

 妬みや僻みからの陰口をいう奴らも、実際にタクトを目の前には何もできない。
 少しでもその視線を向けられると途端に夢中になってしまう。
 そんな魔性も持ち合わせているのだから質が悪い。

 そして、
 俺もそんなタクトに一目惚れした一人だった。

 ただただ見惚れた。

 今までも彼女はいたし、女の子は可愛いと思う。男が自分の恋愛対象となるとは考えたことがなかったけど、タクトはそういうものを飛び越えさせる魅力があった。

 でも、一目惚れしたからってタクトとどうこうなんて考えなかった。住む世界が違う人。時々大学で見かければ、それだけで満足していた。

 どんなにその腕に簡単に巻きつける女の子、いや、時には男の子が羨ましくても。


**


「あんた、可愛い顔してんな」

 たまたま同じ講義の補講でタクトが一緒になった。
 クリスマスも近い寒空の中、さらに17時からと割と遅めな時間からだったこともあって、あまり人気がなかったらしく、来ていたのは俺とタクトと女子が5人だけだった。

 いつものタクトの友達は誰もいなかった。大体タクトが補講に来るなんて俺も思っていなかったからビックリした。
 女子はチラチラと熱視線を送るが、自分から話しかける気はないようだった。

 それは俺も同じだったけど、男子が俺しかいなかったからか、タクトは俺の隣の席に座った。

 女子達みたいに、俺もタクトを見たかったけど、隣で首を横にしてまでタクトを見る勇気はなかった。ただ気恥ずかしさと嬉しさと緊張で、ひたすらテキストを追った。

 補講が終わり、先生が出ていくと皆帰り支度を始め出した。
 落ち着かない時間が終わったと思うと、ほっとしてついため息がもれる。

「なぁ」

 タクトにこんなに近くになることはもう二度とないだろう。それにしても、疲れた……。

「なぁ……おいってば」

 え?

 タクトが俺に話しかけてきたことに驚いてしまい、タクトを見つめる。
 視線が初めて合う。

 あぁ、カッコいい。

 彫りが深く、かといって暑苦しい感じもない端正な顔立ち。こんな間近に見たのは初めてだけど、眉、目、鼻、口、どれを取っても完成されている上、配置も完璧だ。
 髪は今はペールバイオレットに綺麗に染められている。日本人に似合うとも思えないのに、それすら似合う。なんでも美容師の友達なのか彼女かがいるらしく、定期的に違う色になるが、いつもタクトは初めからその色だったかのように思わせてしまう。
 いつも気怠げにしているが、それすらタクトを彩る魅力のひとつにしかならない。

「ちょっといい?」
「へ?」

 思わず声がでる。
 するとタクトはフッと笑い、手を伸ばして俺の前髪を上げる。

「あんた、可愛い顔してんな」

 な、な、なに?
 なんて??

「あ、え? えっと……あ、あの、俺ちょっと用事あるから……」

 動揺しまくって、そのまま後退りで部屋を出て、小走りに廊下を走った。そのまま大学を出るまでスピードは緩めなかった。

 用事があったのは本当だった。忙しさにかまけて伸び放題となってしまった髪を切りに美容院を予約していたのだ。

「久しぶり、まー、もっさりしちゃって。可愛い顔が見えてないじゃない」

 ヨシヤくんにそう言われて、動悸が再発する。

 ヨシヤくんは俺の担当の美容師であり幼馴染でもある。聞き出し上手でヨシヤくんと話していると自分でも気が付かなかった思いがスルっと出てくる。いつも穏やかにアドバイスをくれる俺の大好きなお兄ちゃんだ。

「これでよしっと。ほら、やっと顔が見えたわね。うん、スッキリしたわ。」

 最近バタバタとしていて4ヶ月も来ていなかったせいか、短くなった襟足がスースーする。

「ありがとう」
「いいよ、でももっと来て欲しいわ-、ミコがこないと寂しいから」
「ん」


 次の日も同じ時間に補講があった。
 もう来ないかと思っていたのに、タクトはいた。
 随分情報が回ったようで、出席人数はかなり多かったのに、タクトはやっぱり俺の隣に座った。もう顔を隠す長めの髪はない。切ってしまったことを少々後悔しながら補講を受けた。横からのタクトの視線を感じながら。

 補講が終わった後、早々に片付けを始めた俺の腕を掴んでタクトが言った。

「やっぱ可愛いな、お前。付き合えよ」



**

 
 タクトと付き合っている日々は幸せだった。
だけど、同じくらい苦しかった。
 俺と付き合っているはずなのに、相変わらずタクトは人に囲まれていて、俺からは遠い存在だった。

 それでも、俺の家に入り浸るタクトを独り占め出来る時間は嬉しかった。
 だけど、ご飯を作って待っていても帰ってこない日があったり、知らない香水の匂いをつけて帰ってくる日も多かった。

「ねぇタクト、俺たち付き合ってるんだよね?」
「は? 当たり前だろ。付き合ってなかったらこんなことしねーだろ」

 そう言って俺の唇を塞ぐ。そのまま明け方まで啼かされて、もうそれ以上は言わせて貰えなかった。

 それでも大学ではいつも違う子がタクトの腕に絡みついていたし、俺の知らないたくさんの人と一緒にいる。

 ねぇ、誰その子
 ねぇ、どうして昨日は帰ってこなかったの
 ねぇ、俺はほんとにタクトと付き合ってるの
 ねぇ、俺以外にも付き合っている人いるの

 言えない、聞けない言葉が胸に溜まって滴り落ちそうでどんどん苦しくなる。






「お前さ、陰気なんだよ、最近」

 キスを途中でやめて、タクトがため息をつく。
 不意に涙が溢れる。

「はぁ? 何泣いてんの? めんどくせーな」
「ご、ごめん」

 それでもなかなか涙は止まらなかった。

「なんか萎えた。今日は帰るわ」

 タクトはそう言って出て行ってしまった。
 そのまま涙は俺が眠るまで止まることはなかった。


 
 それでも何日かすると、また何事もなかったかのように俺の家に入り浸る。タクトにはもちろん自分の家がある。大学近くのタワマンの広い一室に一人暮らしらしい。俺は行ったことがないから詳しくは知らない。自分の都合でやって来て、好き勝手にセックスして、それでも泊まる日はいつも俺が起きるまで抱きしめてくれる。

 どんな風に扱われても、俺はタクトから離れられなかった。友達に怒られても、ヨシヤくんに心配されても。
 だって、タクトは本当なら手の届かない人なんだ。それが俺に付き合ってくれるなんて、未だに信じられないと綺麗な寝顔を見ながら思うのが、俺の密かな楽しみと唯一他の誰にも邪魔されない俺の大事な時間だから。

 ベッドサイドに置いたピアスを眺める。この前ようやくピアスホールが完成したところだ。

――これ、お前に似合うと思って

 そう言って渡されたピアス。
 俺にピアスが開いているかどうかなんて気にしていないところが、タクトらしかった。タクトに開けてもらってピアスを付けた。痛かったけど、タクトのためなら我慢できた。いや、俺にプレゼントをくれたということだけで飛び上がるくらい嬉しかった。

――いいな、似合う。それずっと付けておいて

 珍しくちょっと照れながら優しいキスをくれた。
 その日からこのピアスは俺の宝物となった。





 付き合っていても、タクトは一度も『好き』の一言はくれない。タクトの気持ちがよく分からないまま、それでも俺のところに来てくれることが嬉しくて、だけど近くにいない時は不安で、寂しくて、そんな嵐のような日々の中、俺の誕生日が近づいていた。

 付き合って初めての俺の誕生日。その日だけはずっと一緒にいると約束してくれた。

 浮かれてケーキを買ってきて、ロウソクを飾った。タクトの好物をたくさん作った。

 でも、
 タクトはなかなか帰ってこなかった。
 ようやく帰ってきたのはもう誕生日が終わりかけた、夜がだいぶふけた頃だった。

「タクト……どうして? 今日は一緒にいてくれるって約束したよね」

 今日は、
 今日だけは一緒にいて欲しかった。すっかり冷めた料理も、デコレーションが崩れかけたケーキもどうでも良かった。
 ただ一言――おめでとう――って言ってくれたらもう何も言うつもりはなかったのに……。

「もう、ほんとウザい、お前のそういうとこ。……終わりにしようぜ」

 今脱いだばかりの靴をはいて、タクトは出ていった。
 呆然としたまま、それでも俺はそのまま冷めた料理とケーキを捨てた。

 不思議と涙は出なかった。

 もう寝ようとシャワーを浴びていると、髪にピアスが引っかかった。

 痛い、

 痛い、

 痛い

 いきなり涙が溢れ、そのまま座り込んで泣きじゃくった。

 耳も
 体も
 心も
 どこもかしこも痛い。

 辛い、
 悲しい、
 寂しい。

 シャワーの水なのか自分の涙なのか鼻水なのか分からないまま、水滴が滴り落ちる。

 酷いやつだって思う。
 虜にさせて、振り回して……。
 でも、どうしてもダメだった。離れられなかった。
 魂が囚われてしまったんだ。

 タクトの隣にいられるだけで良かったのに、いつからか俺だけを見て欲しいなんて欲がでたんだろう。
 付き合うことすら、手を伸ばせば触れる距離にいられるだけで奇跡だったのに。

 好きだった。
 大好きだった。

 もう、タクトを感じられる距離にはいることが許されないと思うだけで、苦しい。

 苦しい。
 苦しいんだ、タクト。

 好きだ。
 好きだよ……大好きだった。


 3日間家に籠もり、泣き尽くした。

 友達から何度も連絡が入っていたけど、誰の電話も取る気になれず、メッセージは放置した。

 さらにそれから3日が経った頃、玄関が蹴破られそうな勢いで叩かれ、俺はようやくベドから這い出したのだった。



**



「まぁ……良かったんじゃね、それは別れて」

 玄関を開けたとたん、ヒロは俺を見るなり無言で再びベッドへ連れて行ってくれた。温めたスポドリをコップ1杯飲まされて、豆腐とかきたまのおかゆを口に運ばれた。風呂を用意してくれ、放り込まれた。でも風呂のドアは開けっ放しだった。

――溺れたらコワイから。

 そう言って、ずっと付き添ってくれた。

 俺はぽつぽつとタクトとのことを話した。
 もう枯れ果てたと思っていたのに、ヒロに話すたびに涙がこぼれた。

 ヒロは黙って聞いた後、風呂から上がった俺を、丁寧にバスタオルで包み再びベッドまで移動する。

「大丈夫だよ、歩けるよ」
「作ったおかゆ全部食べ切れたらな、フラフラしてあぶねーから」
「ごめん、ありがとう」
「ん、いいよ」

 全部話し終わったあと、ヒロは俺の背中をさすりながら、

「これからはもっと俺と、俺たちと遊ぼうぜ。アイツと付き合ってからお前と全然遊びに行けなかったしさ。楽しいこといっぱいすればいいよ。合コンでもなんでもセッティングしてやるよ、大体お前モテるんだからさ!」

 励ましが素直に嬉しい。

「ん、ありがとう」

 もうタクトのことは忘れないと。
 大学にもちゃんと行こう。
 きっと、ちょっと長い夢だったんだ。

 まだ体がふらふらだったため、大学に行けるようになったのはそれからまた2日が必要だった。



 ヒロは毎日家に寄ってくれた。また俺が倒れていないか監視するためって言ってたけど、その心遣いが嬉しい。大学でも出来る限り一緒にいてくれて、タクトと会わないようにしてくれているみたいだった。……タクトと同じ講義にはまだ出られていない。でも友達が代返してくれてノートも貸してくれている。

 うん、俺の世界はまだ終わってない。こうやって気にかけてくれる友達もいる。
 もう忘れよう。
 時間は掛かるだろうけど、大丈夫。
 きっと、きっと大丈夫。



 それから1ヶ月が過ぎて、ようやく生活リズムも整ってきた。相変わらずヒロは俺の側で世話を焼いてくれる。

「じゃあまた後でな」

 ヒロが帰ったすぐ後に、携帯が鳴る。
 忘れ物かな? と着信もよく見ずに反射的に取ってしまった。

「なんで連絡しないんだよ」
「え?」

 なんで?
 番号はブロックしたはず。

「だから、なんで連絡してこないんだよ」
「は?」

 久々に耳元で聞く低く少しかすれた声に酔いしれそうになりながらも、俺の口からは間抜けな一文字しか出てこない。

「何とか言えよ、今どこ?」
「どこって……」
「家だな? 今から行くわ」

 は?
 もう頭がハテナでいっぱいだ。

「あの、意味が分からないんだけど……」
「あ? 分かんだろ。今からそっち行くっていってんだよ」
「違うよ、それは分かるけど、なんで来るの?」
「は? 会いに行くからに決まってんだろ」

 なんで?
 なんでそんな事言うの?

 俺がどれだけ傷ついたと思っているの、
 俺の涙はなに、
 あの腫れ上がった顔は、
 空っぽになった体と心は……。

「いいな、今から行くからいろよ」

 うん。

 うんって言いたい。
 待ってるって。
 あの日々に戻りたがっている心に引っ張られそうになる。

 でも、ダメだ。
 決めたんだ。

 俺は俺を守ることに。

「……来ないで」
「はぁあ?」

 タクトの声が大きくなる。すごく不機嫌そうに。

「だって……別れたじゃん、俺たち」

 ほら、黙った。
 何も言えないよね。だって、自分で言ったんだもんね。

「……あっそ」

 あっさりと電話は切れた。

 うん、ほらね。
 そうだよ、これで正解。
 俺は俺で俺の世界で生きればいいんだ。
 タクトのいない世界で……。

 むき出しの傷口がどくどくと脈打ち、傷が全く癒えていないことを強調してくるけど、気が付かないふりをする。

 顔を洗って、着替え鏡の前に立つ。
 今日はこれからヒロがセッティングしてくれた飲み会だ。
 鏡の中の自分は口の端を持ち上げている。
 大丈夫。笑える。
 笑えてる。
 まぶたの奥が熱く零れ落ちそうになるものを必死で抑えた。







「いったぁ……」

 頭が痛い。
 完全に二日酔いだ。
 それもそのはず、どうしてヒロの家で上半身裸で寝ているのか記憶がない。

「お、起きた?」

 ヒロがドアから顔を見せる。手にはスポドリ。つくづく気の利く男だ。
 スポドリをもらい、一気に飲み干す。乾いた体だけじゃなくて、心も少し潤った気がした。

「ごめん、迷惑かけた? 俺……」
「いや、無理やり誘ったの俺だしさ。飲んで少しは忘れられたらいいと思ったんだけど、ごめん、二日酔いだよな、大丈夫か?」

 本当にヒロは優しい。

「ん、大丈夫。ほんとごめんね」
「だからいいって。……でもさ、何かあった?」

 いや、ヒロって超能力者かもしれない。

「あー、うん、ちょっと……」
「アイツか」

 やっぱりそうだ。

「何かされたのか? いつ? 何ですぐに言わない」
「いや、何もされてないよ」
「何もされてない飲み方じゃなかっただろ」
「あー……ごめん」
「謝らないでよ、ミコトのこと責めてるんじゃないから。で?」

 ヒロは俺の隣に座って頭を撫でながら続きを促す。

「電話きた」
「はぁ? 何で?」
「えっと……何で連絡してこないのかって」
「はぁああ?? 何だよそれ!!」

 ヒロの目つきが鋭くなって、さっきまで俺の頭を優しく撫でていた手は膝の上で固く握りしめられている。

 あぁ、こうやってヒロが俺の代わりに怒ってくれるから、俺はまだ救われる。そう思うとちょっと心が軽くなる。

「ほんと何なんだろうね。だからちゃんと言ったよ、別れたじゃんって」
「そしたら?」
「『あっそ』って電話切れた」
「はぁ……」

  ため息をつきながら、再度俺の頭を撫でてくる。

「よく、頑張ったな」

 もう泣かないって思ってたのに、目頭が熱くなる。

「泣けよ、いいから。ほら」

 ヒロがタオルをぐいぐいと押し付ける。
 全然そんなつもりがないのに、ポロポロと涙が溢れてくる。
 あぁ、まだ泣けちゃうんだな、俺。

「ミコト、昨日の飲み会でお前のこと気に入ったヤツ何人かいたんだぜ。どうする? 連絡先預かってるけど。ほら、あの正面に座ってた髪の長い子と、俺の隣だった目がおっきい子」
「ありがと、でも連絡はいいかな……」

 別にその子達がどうって訳じゃないけど、正直あんまり顔もよく覚えてない。

「まだちょっと良く知らない子と付き合うとかはしんどいかな、はは」

 まだ涙は出ていたけど、無理やり笑ってみる。

「ならもうさ、俺にしとけよ」
「え?」

 何でも無いようにふいにヒロが囁く。

「アイツを忘れるためだけでもなんでもいい、お前が一人で泣くのはダメだ。俺がいるから、俺を頼れよ」
「ヒロ……」

 ヒロはそう言って俺の返事は聞かずに、ただ黙って抱きしめてくれた。タクトとは違う匂いだったけど、あたたかい体温が心地よくて、ヒロの優しさが嬉しくてまたひとしきり泣いた後、俺は夢も見ないで眠った。



 その日からヒロは俺に付き合ってくれている。一人で泣くことがないようにって。ヒロだってすごくモテるのに、独占してしまって悪い気がして、そう言っても、

「俺がしたいからしてるんだ」

 そう言ってまた頭を撫でてくれる。もっと元気になって、もっと笑えるようになって早くヒロを解放してあげなくちゃ。



 そう思っていたのに……。





  俺は今、タクトに捕まっている。

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