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後編

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 バイトから帰ってきたらアパートのドアの前に座っていた。まさかタクトがいるなんて思いもしなかったし混乱して一瞬立ち竦んでしまった。後退って逃げようとしたのに、もう腕を掴まれていた。タクトがこんなに素早く動くなんて知らなかった。

「なぁ、もう一度やり直せないか?」

 え?
 なんて?

「俺、お前じゃないとダメかも」

 何を言ってるんだろう?
 タクトとまた付き合って、また捨てられたらと思うと怖い。傷つきたくない。

「タクトの付き合うには、付き合えない。たぶん、俺もう色々無理だから」
「お前、まだ俺のこと好きだろ」

 心の中を見透かしたように、鋭い視線が俺を貫く。
 瞬間的にすぐに下を向いた。

 ずくん、ずくんと心臓が痛い。
 じぃっとあの瞳で見つめられると何を言っても誤魔化せない気がした。

「……好きだよ! でももう無理なんだ!」
「なんでだよ!」

 腕を取られ壁に押し付けられる。ぐっと顎を掴まれ上を向かせられる。

「何言ってんだよ。俺のこと好きならいいじゃねーか、何が無理なんだよ」
「……俺が自信ない、……タクトと付き合うの」

 目を見るのが怖かった。
 あの瞳にまた囚われるのが。

 でも、タクトの目を見て言えた。
 俺は変わるんだ。

 そう思っているのに、勝手に涙が溢れ出る。
 そんな俺を見て、タクトは掴んでいた腕の力を緩めた。

「俺すぐこうやって泣いちゃうし……ウザいだろ? だから」
「イラつく」

 うん、知ってる。

 目を伏せると、慌てた声が降ってきた。

「違う、お前にじゃない……もう本当にダメなのか?」

 何でそんな事俺に聞くんだよ、この決心を揺さぶらないで。

 俺もタクトも無言のままだった。
 どのくらい時間が経ったのか分からない。
 1時間にも5分にも10秒にも思えた。

 決心したはずなのに、ちゃんと言えたはずなのに、それでも、服越しに掴まれたままの腕からタクトの温もりが感じられそうで、このままで居たいと思ってしまう自分が嫌だ。

「なら」

 タクトが口を開く。

「なら、友達なら」

 え?

「友達ならいいか? 最初からやり直させて欲しい」
「友達?」
「お前の嫌がることはしない。友達ならいいだろ」

 タクトの眉が下がり、目が潤んでいる。
 こんな顔見たことない。

「う、うん」

 つい承諾してしまった。
 いや、友達だから、いいんだよな。

「でも俺、恋人は探すつもりだよ」

 ふっと口から出た言葉に、自分でも驚いた。けど、もう俺はタクトに振り回されないんだって、ちゃんと俺を見てくれる人を探すんだって思いを込めてタクトの瞳を見つめ返した。

 一瞬下がった眉が上がり、瞳に影が差す。それでも、タクトは頷いた。

「いいよ」

 肯定されたことに対して、またずきんと心臓が痛くなる。自分の感情と理性と体の反応がバラバラで訳がわからない。

「アイツ」
「え」
「最近一緒にいるヤツは、恋人じゃないのか」
「え? ヒロのこと? ヒロは……そんなんじゃない。俺が頼りないから付き合ってくれてるだけ」
「そうか……良かった。いいよ。また俺のこと付き合いたいくらい好きにさせてみせるから。それくらい許せよ」
「俺、タクトとは付き合わないよ」
「分かった。今は……な」

 そう言って、口の端を片方だけ持ち上げる。

「と、とにかくもう離してよ」
「お前がブロック解除したらな」

 え……。

「友達はブロックしねーだろ」
「う、うん」

 その日からまた俺の携帯にタクトから連絡がくるようになった。


**


 タクトは本当に変わった。
 あんなにいたセフレも全部切ったらしい。それでもまだ人には囲まれているけど。
だけど、俺を見つけるとその人の輪から出てきてくれる。

 時々一緒に帰って、ゲームをしたり、映画を見に行ったり、友達として過ごす。

 タクトと笑い合えるなんて思ってもいなかった。
 付き合っていた頃はお互いに笑い合うなんて記憶はない。いつも気怠そうなタクトに不安そうな俺だったように思う。もう今は気怠そうな雰囲気はない。何か目標を見つけたらしく、目に力がある。それがまたカッコよくて人を惹きつける。つまり前よりもずっとモテるようになった。

 でも、俺は前みたいじゃない。
 タクトがモテるのは当たり前と思って見ていられる。だってこれも自分で選んだ道だから。

 だって、ただただ楽しかった。
 友達の、今が。
 タクトと笑っている、タクトが笑っている、今が。







「ミコちゃん、また付き合わないの?」

 髪を切りながら、ヨシヤくんが聞いてくる。ヨシヤくんのハサミはリズミカルに俺の毛先を床に落としていく。

「まだ好きなんでしょ」
「……うん……」

 こうやって時々ツキンとくる心臓の痛みにも随分慣れた。

「でも付き合わない。今、すごく楽しいんだ。アイツびっくりするくらいよく笑うようになって、アイツの笑顔は付き合っている時にはほとんど見たことなかったなって。だから、きっと俺たちは友達のままの方がいいから」
「……そうかしらねぇ」
「たぶん、アイツにはもっといい人がいると思うから。俺には勿体なかったんだ、最初から」

 はぁ、とヨシヤはミコトに気が付かれない程度にため息をつく。

 この子って本当に無自覚なのよね、昔から。

 ミコトは可愛い。本人は自覚がないらしけど顔はわりと整っているし、なんというか華があって目立つのだ。

 運動会で開会宣言をする一人に選ばれたり、
 音楽発表会でピアノの伴奏を先生から頼まれたり、
 高校の制服モデルになったり、
 道でスカウトされたり。

 本人は内弁慶なところがあって、自分にあまり自信がないせいか、選ばれるっていう状況には結局慣れずじまいで、いつも首をひねっていたし、地味キャラだって思い込んでるけど、目を惹く存在で男女問わず実はモテていたことも知らずにこんな風になっちゃって……。

「そうは思えないけど……。それでミコちゃんはいいの? あなたはどうするの?」
「きっと大学を卒業したら、もうこんな風に会えないと思うし……」

 だって向こうは大企業の御曹司で、俺は平凡なサラリーマンになるだろうし、最初から釣り合ってなかったんだ。

「ま、なるようになるかな」

 薄く笑うミコトの耳には、学校の誰にも会わない時だけ付けるピアスが光っているのを、ヨシヤは再度ため息をつきながら見る。

 捨てられないどころか、こうやって付けちゃうくせに。

 まぁ、こればっかりはタイミングとご縁だけど……。ミコトは案外意地っ張りだし、タクト君は自分の気持ちに混乱してミコちゃんを散々振り回して傷つけたんだから、相当努力してもらわないと。

 ミコトのすこしウェーブのかかった髪をセットしながら、タクトが最初に店を訪れた時のことを思いだす。

――あいつの好みの髪にして欲しい

 自分を指名してそう言ってきたちょっと生意気そうな超絶イケメンがミコの元彼だと知ったときは、バリカンで刈り上げてやろうかと思ったけど、ミコトに聞いてここに来たこと、今まで自分が傷つけてしまったこと、でもどうしてもミコトじゃないとダメだと思い知ったこと、一から--友達からやり直すことを話してきた。

「どうして来たの?」
「ヨシヤさんのことミコトが大事なお兄さんだって言ってたから、ちゃんと話ししておきたくて……。俺、今まで本当にクズだったけど、これからちゃんとミコのこと大事にするつもりだから、ミコトのこともっと良く知りたくて」
「そう」

 もちろん可愛いミコが憔悴している時を知っているだけに、その言葉だけで信用する訳にはいかなかったし、実際かなり塩対応だったと思う。

 それでも彼は毎月のように俺を指名してきては、ミコとのことを話していった。最初の気怠げな雰囲気が薄くなり、確かによく笑うようになった。

「絶対に俺が幸せにします」
「もう二度目はないわよ」
「大丈夫です」

 すっかり敬語になったわねぇ。目標が出来たせいか精悍になっちゃって。

ミコちゃんにはきちんと幸せになってもらいたい。そして、タクト君の想いが届くように、と思うほどには絆されていることを自覚する。

「はい、完了!」

 どちらにしても、ミコトが泣くなら受け止めるだけだ。



**



「ミコ、今日は買い物に付き合って」
「ん、いいよ」

 タクトはニッと笑うと車を発進させた。

 ついたのは高級店が立ち並ぶ都内の一等地だった。

 この前ハロウィンが終わったばかりなのに、もう街はクリスマス一色となっていた。昼間でもキラキラだ。
 パーキングに停めてから、タクトはどんどん歩いていく。

「どこ行くの?」

 高級ブランドばかりの通りはタクトによく似合う。俺は慣れずについキョロキョロしてしまう。

「こっち」

 ふいにタクトが俺の手を取る。

 どきん

 久々のタクトの温もりに心臓が跳ねる。

「え? タクト?」

 そのままタクトは高級ブランド店のひとつに入る。
 ドアマンが恭しくドアを開け、頭を下げてくれる。

「タクト?」
「お前に買いたいものがあるんだ」

 俺の手を握ったままタクトが話す。

「これで最後にするから」

 え?

「ど、どういう事?」
「お前と選びたい。でも無理なら構わない。俺からの最後のプレゼントだと思ってくれればいいから」

何? 
なんのこと?

「指輪を贈りたい」

 え……

「ちょ、ちょっと待って。何? どういう事?」

 こんな高級ブランドの指輪を俺と選んで俺に贈るの?
 なんで??

「俺は……やっぱりお前しかいない。ずっとアピールしてきたつもりだけど、いつもお前ははぐらかす。もちろん俺がお前にしたことを考えるとそれでも仕方がないと思ってた。
 でも、
 もう俺が限界なんだ。
 お前に触れたい。
 お前の心も体も欲しい。
 お前とずっと一緒にいたい。
 だけど、叶わないなら、もう諦めるから。だから、今だけ付き合って。お前が無理なら、これで最後のプレゼントにするから。だから……」

 握っていた手はいつの間にかタクトの両手に挟まれている。

「俺、来春卒業したら海外に行く」

 え?

「だからもし、これから買う指輪をエンゲージリングとして受け取ってくれるなら、一緒に来て欲しい」

 タクトは一度言葉を切って、小さく息を吸う。

「だけどやっぱりミコトが無理だと思うなら、単なるお前に焦がれた男の最後のプレゼントだと思って受け取ってよ」

 なんでも無いと言うように、まるでいつもの他愛ない会話をしてるかのようにタクトは言った。

 でも、少しだけ俺と繋ぐ手が震えていることに気づいてしまった。
 俺は急に言われたことに頭が追いつかない。

 え? 婚約?
 え? 海外?

 頭が追いつかないまま、宝飾のフロアに着いてしまった。

「いらっしゃいませ」
「天王寺です」
「お待ちしておりました。こちらへ」

 タクトが名前を告げると個室へ案内される。

 そこからは数々の俺も知っている宝石から、聞いたこともない宝石が次々に運ばれ、カットやらカラットやらクオリティやらの話しがあったけど、俺はさっきのタクトの話ばかりが頭を占めていた。

「これは?」

「このデザインはどうかな?」

 キラキラと光り輝く宝石達より、真剣に俺のための指輪を選ぶタクトに魅入っていた。

 こんなに見つめたのはいつ以来だろう。
 本当はいつも見つめていたかった。

「ちょっと付けてみて」

 そう言われ、手を取られ、スッと迷うことなく薬指にはめられる。

「よくお似合いですわ」
「うん、いいな。ミコはどう?」

 ぐるっとダイヤモンドがリングを一周している(エタニティというらしい)。中央には他のダイヤより少し大きめの青い宝石が1つだけ付いていた。

「こちらはサファイアの中でも希少で最も価値が高いコーンフラワーブルーでして、今回天王寺様のご希望でお探しようやく見つかりました貴重なお品となります」

 え? いつから探していたの?
 そんな貴重なものなの?

 嬉しさと畏れ多さが入り混じりながら、キラキラを反射する光を見ていると、またスッと指から外され、ケースに戻される。

 俺の指から外された指輪を見る。たった数分だったのに、今まで指輪なんてしたことがなかったのに薬指が妙に寂しい。

「では、こちらを一旦お預かり致しまして、サイズなどお直しさせていただきますね。刻印についてはいつでも入れられますので、ご連絡下さい。」

 それから担当者の髪のキレイな女の人は、俺を見て言った。

「この度は本当におめでとうございます」

 頭を丁寧に下げられ、反射的に

「あ、ありがとうございます」

 そう応えていた。
 瞬間、タクトが抱きついてくる。

「え、タ、タクト?」

 担当者は微笑みながら静かに席を外す。

「タクト! 急になに?」
「だって、ミコ、婚約承諾してくれたんだろ」

 えぇ??
 
 タクトは満面の笑みだ。個室もキラキラだが、タクトの笑顔の方が眩しい。

「な、なんで?」
「さっき担当の人にありがとうございますって言ってたじゃん。それって婚約承諾したってことだろ」
「え? あ、あれは……」
「嬉しいよ、ありがとうミコ。今度こそ絶対に絶対に幸せにする。愛してるよ、ミコ」

 今までに言われたことがない言葉が頭から足先まで稲妻のように駆け抜ける。

「愛してる」

 タクトはもう一度俺を抱きしめながら囁く。

 ああ、夢にまで思い描いた言葉をタクトが俺に言っている。
 またこれは夢なんじゃないだろうか。
 そして、また悪夢となってしまうんじゃないか。

 咄嗟になんにも言えなくて、それでもタクトの背中に腕を回した。もし夢だとしても、この瞬間だけはなかったことにしたくなくて。ぎゅっと目を瞑って抱きしめる。

 そのまましばらく抱き合って、目を開ける。

 タクトが微笑んでいた。

 あぁ、夢じゃないのかもしれない……。



**



「ミコ、本当にいいんだな、こんなヤツで」

 大学のカフェテリア、隅の席でヒロがものすごく不機嫌な顔で座っている。ヒロの前には俺、そして俺の隣にはタクトがいる。

 俺はヒロにタクトに付いて卒業したら海外に行くことを告げた。腕を組み変えながら、それでも黙って聞いてくれた。

「うん」
「そっか……」

 組んでいた腕をほどき、アイスコーヒーを一気に飲む。カランと氷が鳴った。

「結局お前には勝てなかったってことかよ」

 え?

 ギロリとタクトを見据えながら言うヒロの言葉の意味が良くわからない。

「ミコさ、俺と付き合ってるって自覚あった?」
「自覚っていうか……付き合わせちゃってたよね、ごめんね」
「やっぱり」

 ヒロはコップに残った氷を口に放り込むと、ガリガリと食べ始める。

「俺、割りと本気だったんだけど」
「え?」

 思いもよらぬヒロの発言だ。

「え、だって、ヒロは俺が落ち込んでるから付き合ってくれてたんじゃないの?」
「だからさ、その付き合うの意味が俺とミコトの間で違ってたんだってこと」
「えぇ?!」
「……まぁ、伝わってないとは思ってたよ。でも、それでもお前が泣かないように、一番近くで守っていればいいって思ってたんだけど」

 一旦伏せた目が開かれ、再度鋭い視線が俺の隣を睨む。
 
「まさかのうのうと『お友達』になったと思ったら、婚約までするとは……」
「ミコから『付き合っている人はいない』と聞いていたからな」
「はぁぁ」

 ヒロの盛大なため息と、静かにコーヒーを飲むタクトの間で俺は二人を交互に見ることしか出来なかった。

「ヒロ、もう俺のこと嫌いになった?」

 おずおずと聞いてみる。

「ミコ、そういうとこだよ。」

 ヒロがため息を付きながら言う。

「え?」
「……ならないよ、大丈夫。俺はお前の一番の親友だ」
「ヒロ!」
「もしまたコイツに泣かされることがあったら、いつでもおいでよ」
「もう二度と泣かせるわけないし」
「お前には聞いてねー」

 二人がこうやって話しをしていることも、俺にとっては嬉しいことだった。

「なんでミコはニコニコしてるんだよ」
「だって、大好きな二人が一緒に話してるからさ」
「俺は別に好きじゃないけどな」
「そっくりそのまま返すぜ」


 知らない気持ちが一気に押し寄せてきて、流されるまま夢のような、でも苦しい時間だったタクトとの付き合い。
 世界の終わりがきたと思った時にも、俺を支えてくれたヒロのあったかさ。
 友達となったタクトとの、笑い合える関係をどうしようもなく手放したくないと感じた日々。
 今は、キラキラと存在を主張してくる左手の確かな証拠が眩しい。

 結局、俺はずっとタクトのことが好きだったんだと思う。
 どんな回り道をしても、
 どんなに傷ついても、
 どうしてもタクトを求める自分がいた。

 一度は諦めようとした、俺がどう思ってもタクトのことが分からなかった。振り回されるのに疲れてしまった。
それでも、ずっと心の中にはタクトがいて、忘れようとしても出来なかった。





「ヒロ、色々ありがとう。俺、絶対幸せになるよ」
「おう、絶対、絶対幸せになれよ」
「うん」
「体には気をつけてね」
「うん、ありがとヨシヤくん」

 卒業式のすぐあと、ヒロとヨシヤくんは空港まで見送りに来てくれた。

「じゃあ、行ってきます」
「結婚式は来いよな」
「ああ、行くつもり」
「ヘアメイクは任せて」

 目一杯手を振ってヒロとヨシヤくんと家族とお別れした。俺が結婚して海外に行きたいと言ったときも、相手がタクトだって紹介したときも、驚きながらも受け入れてくれた俺の家族。お互い泣いてしまって言葉にはならず、ただ静かにハグをした。

「またすぐ会えるよ、だから泣かないで」
「ん、分かってる、大丈夫」

 だって、俺の一番の家族はもう隣に居てくれるから。

 悲しいだけじゃない涙を拭きながら、俺はそっとタクトのほほにキスをした。
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