湿った夏の日の記憶~初体験の相手に再会した~

越智むう

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3章 再会

22.これから

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 剛は今日荷物を運び込んだそのアパートの一室の前でしばらくの間立ちすくんだ。彼女に顔を合わせたところで、何を話そうか。

(スマホを取りにきただけだから)

 うん、と頷くと、呼び出しブザーを鳴らす。ピンポーンと懐かしいようなよくある電子音が響いた。しばらくしてから、ガチャリとドアノブが回る。扉が開いて、彼女、田中まりんが現れた。肩までの緩い茶髪の髪の彼女は、雰囲気は変わっている者の、あの眉間に皺を寄せてこちらを見る目は当時のままで、剛は目の前の彼女を良く知っているような、良く知らないような不思議な感覚に陥った。

「……」

 目を合わせたまま、しばらく沈黙が流れた。

「あの」
「あの」

 声がダブった。またしばらくの沈黙の後、まりんはふっと口元を緩めた。

「……忘れ物、」

 彼女は剛のスマートフォンを差し出した。

「久しぶり、剛くん」

「……久ぶり」

それに手をかける。何か言わなくては、と剛は思った。

「俺のことわかってたんだ」

「……顔、変わってないから。背は伸びたね」

「大学まで伸びてたから。――気づいてないかと思ってた」

「わかるよ、いきなり『まりん』って呼ばれたからびっくりしちゃった。普通読めないもんね」

 まりんは、苦笑した。

「今は『うみ』ちゃん?」

「高校からずっとね」

 二人とも剛のスマートフォンに手をかけたまま、沈黙が流れる。
 彼女の後ろに見える、段ボールが積まれた古びた和室を見て、剛は目を逸らした。
 ――きちんと、話したい、今度は。

 彼女に向き直ると、口を開いた。

「昼、食べた?」

「――まだ」

「食べに行こう」

 まりんは、しばらく剛を見つめて、「うん」と少し笑い、ようやくスマートフォンから手を離した。

 ***


「車置いとけないから、乗ってくんでいい?」

 アパートの前の道路に駐車した車に乗り込む。まりんは、頷くと助手席に乗り込んだ。
助手席に彼女を乗せていることがとても不思議に感じられた。キーをひねると、聞かれる。

「どっか、知ってる? この辺わかんなくて、まだ」

「何でここに越してきたんだよ。職場の近くとか?」

「今無職。仕事辞めちゃって」

「そっか」と言うと、彼女はうつむいた。

「とりあえず、大通り出る?」

 住宅街を抜けるとこんもりとした緑色の土手が見えた。水気があるのか青々としている。それを見て、まりんが呟いた。

「家賃安かったのもあるけど。ここ、ちょっと行くとさ、土手があるんだよね。川沿いっていいなと思って」

「川沿い?」

「水の流れ見てると癒されるじゃん、何か、」

 ふと、教室でじっと窓の外の海を見ている彼女の姿が思い出された。

 その時前に現れた看板に地元まで110㎞の表示が出ていた。それを見て、まりんが「あ」と声を上げる。
 
「これ、真っすぐ行くと着くんだね。懐かしいなあ」

 剛はふと口に出した。

「行く?」

「え?」

「高速乗れば2時間半で着くし。高速入ってすくのサービスエリアで美味しい店あるから」

 あの時感じていたほど、地元は都会から遠くない。自分は大人になって、車に乗ってどこにでも行ける。今彼女と、またあの海沿いの景色を見たいと思った。

「……それも、いいね」

 彼女は笑った。土手の道を通りすぎ幹線道路に入る。そして、そのまま高速に乗った。

***

「これ美味しいね」

 サービスエリアで名物のカツ定食を頬張りながら、まりんが言った。

「だろ。俺も先輩に教えてもらったんだけど」

「仕事なんで辞めたの?」

「一緒に住んでたんだけどね。家族の紹介しなかったら機嫌悪くなっちゃって、何かすれ違ってそのまま社内で後輩と浮気されて、勢い余って辞めちゃった」

「それは……、大変だな。……おばさん、どうしてんの。栗田と引っ越したって聞いたけど」

「そこまで知ってるんだね、やっぱ」

「お母さんとお祖母ちゃんが話してた」

「弟生まれたの知ってる?」

「マジか」

「私の配慮は何にも伝わってなかったわけ」

 まりんは苦笑すると同時に、気負わずに家族の話をできることに気楽さを感じていた。剛は思いついたように聞く。

「――名前は? 弟」

「……陸だけど」

「――陸海空とか――強そうだな」

 まりんは驚いて瞳を大きくした。兄の名前が「空」だと、自分はどこかで話しただろうか、と思い返す。

(そっか、あの時、神社行ったときに話したかな)

 ふ、っと笑みをもらした。
 
「お兄ちゃんの名前、よく覚えてたね」

「――覚えてるよ」
 
 剛は言うと、残りのカツを一気に食べて、飲み込んだ。

 ***

 高速を降りてしばらく走ると、だんだんと見覚えのある風景になってきた。空は灰色になり雨が降り出した。ワイパーを動かすと水滴がかきわけられ、当時と同じ畑と住宅地の代わり映えのない風景が広がった。

「あんまり、変わってないね。私、高専で寮に入ってから戻ってないよ。お母さん2つ隣の市に引っ越しちゃったし。剛くんは」

「俺も就職してから帰ってないんだ、実は」

  昔歩いた海沿いの道を走って行く。他の車もなかったので、剛はスピードを落とした。ゆっくりと車で海辺を走って行く。


 昔行った海沿いの神社の前には、真新しいコンビニができていた。そこに車を停めると、まりんは店に入って傘を一本買ってきた。

「持つよ」と剛が言い、傘をさす。自分の方に斜めになった傘の柄を、まりんがまっすぐに戻した。

 雨のせいか時間のせいか観光客もまばらで、神社は閑散としていた。
 海辺に続く階段を下りていく。
 
「わぁ」

 あの時と同じように、まりんが歓声を上げた。
 ざざっと波が寄せて引いて、粒の大きい砂利の砂浜に海藻を打ち上げる。
 遠くに目を凝らして、まりんは言った。

「この町は、あんまり好きじゃなかったけど、海の景色は好きだったな」

 何となく、剛と一緒にいると嫌だった時や、嫌なことを含めて自分なんだと思えることに気付いた。ぼそりと呟く。

「――仕事辞めたし、名前まりんに戻そうかな」

「名前の読みってそんな簡単に変えられるの」

 剛は不思議そうな顔をしたが、でも、と付け加える。

「まりんの方がかわいくない?」

 それから彼女を見つめた。

「――なあ、あの時さ、俺、まりんのこと好きだったよ」

 まりんは微笑んだ。

「―――私も、剛くんだから、いいと思ったの」

 剛は自分の顔が耳まで赤くなっているのに気づいた。

 彼が「連絡先、教えてくれる」と聞くと、「今更だね」と彼女は笑った。
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