湿った夏の日の記憶~初体験の相手に再会した~

越智むう

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3章 再会

21.彼女の場合(4)

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 ごうに会ったのは、それから数日後だった。手を払って以来、帰りが重ならないようにしていた貴文と電車で顔を合わせてしまい、話の流れで「資格試験の参考書を買う」という彼の買い物に付き合って本屋に行くことになった。

 そこで、剛と貴文が知り合いだったことを知った。一番最初に頭に浮かんだのは、中学時代と今の生活に、繋がりができてしまうことへの恐怖感だった。

(せっかくやり直してるのに)

 誰も自分を知らない新しいところで、それが自分の中で重要だった。少しでも繋がりができたら、自分はまた「あの嫌そうな顔」に戻ってしまう気がした。一方で、剛とまた、前のように話したい気持ちもあった。

 いったんその場を離れて、改札に入ってから貴文に「ちょっと用事が」と言って背を向けて、また改札を戻った。

 本屋にまだ佇んでいる剛を見つけて、息を吐く。何て声をかけようか。

 考えた結果、出てきた言葉は「言わないでね」だった。
 
 ――言わないでね、でも、

(剛くんとは、話したいよ)

 自分でも、自分の中の気持ちをどう説明していいかが難しかった。学校で家族や地元の話になると曖昧な笑いでごまかした。それはそれで、気づかないうちにストレスが溜まっていた。全部知ってる人と、嫌な顔で話したい、そんな気持ちがあった。それができるのは、まりんの中では剛だけだった。

 「家で時間潰させてよ」と剛がこちらを見た時に、まりんはぞわぞわとした感覚を感じた。

(家で、二人ってことは、)

 その状況を想定して、顔が熱くなった。

(いや、普通に、話したりとか、だけじゃない)

 そして、すぐに、男女の関係を思い浮かべてしまった自分が恥ずかしくなった。
「それ」に興味を持つことは、母親と一緒の馬鹿になるようで、嫌悪感があった。一方で、興味もあった。

(だって、お母さんは、栗田先生とそれをしたくて、家を出てったんでしょ)
 
 「それ」はそんな魅力があるの?
 まりんは、剛を見た。

(……剛くんなら、)

 いいかな、と思った。だって、彼は自分のことをぜんぶ知っている。
 それに、私は、彼のことが好きだ。

 ***
 
 最初は羞恥心と痛みと。何が何だかわからなくなっている間に、事が終わった。身体の中に、何か別のものが入ってくる感覚と鈍い痛み。だけど、その先に何かがある気がする、と思ったときには、あっという間に、体内でそれが震えて小さくなるのを感じた。

(――これで、終わり?)

 畳に染みた小さな血の後を見て思う。

(まだ、もっと、したい)

 例えば、そのために母親が家庭を去ったような、魅力的な何かが、その先にあるような気がした。同時にそんなことを考える自分に嫌悪感が湧く。

「まりん」

 剛に名前を呼ばれて、まりんははっとした。
 こんなことを考える自分を、他の人には絶対に知られたくなかった。馬鹿みたいで恥ずかしくなる。思わず口から言葉が出た。

「……言わないでね」

 剛は口調を荒げた。

「何を? 俺とヤッたこと? お前の家の噂話なんて、もともとしねーよ。何なの? 次は貴ちゃんとか、部屋に呼ぶんだろ、どーせ。知ってる? お前の母さん、高校の時、色んな男と遊んでたって。俺のお父さんとも付き合ってたらしいよ。母親のこと馬鹿馬鹿言ってさ、結局お前も同じじゃん」

(同じ?)
 
 違う、と思った。誰でもいいわけじゃない。もっとしたいと思うのは、

「私は! 剛くんだから」

 そこまで言って、言葉を飲み込んだ。それを言って何になるんだろう。

「俺だからなんだよ」

「ねえ、私のことまりんって呼ぶの、今はもうお母さんと剛くんだけなんだよ。――嫌なの。剛くんは全部知ってるじゃん――私、今、楽しいから、新しくやり直して」

 「まりん」を新しい「うみ」の生活に持ち込みたくなかった。 でも、したい。続きを。
 気持ちの板挟みで、言葉がうまくまとまらなくなる。しばらくの沈黙の後、剛が言った。

「これ、舐めろよ」

 白濁したもので、光ったそれがぶら下がっている。考えることを止めた。

「……いいよ」

 続きを、したい。身体を絡める度に、先に快感があった。だんだんと、自分が自分から腰を動かしていることに気がついた。細々した思考は気持ち良さの裏に消えていく。

「何やってんのよ!」

 帰宅した母親に頬を叩かれて我に返った。

(何で、あんたに叩かれなきゃいけないの)

 まりんは手を振り上げて、逆に真由美の頬をはたいた。母親と同じ土俵に乗った気がした。
 
「あんたに言われたくない」

「母親に向かって」

「うるさいなあ! 自分だって先生連れ込んでしてたくせに! 馬鹿じゃん。子どもいるのにさあ、そういうことしたくて、私たち置いて出てったんでしょ。どっちが何やってんのよ」

 今まで言いたくて黙っていたことをまくしたてた。母親はショックを受けた様な顔で、その場に膝をついた。そのまま顔を覆うと泣きながら言った。

「ごめんね」

 まりんは服を着ながら眉間に皺を寄せて怒鳴った。

「……何泣いてんの? 泣きたいの私なんだけど。お母さんのせいで、お父さんにも顔見たくないって言われて、こんな田舎に来なきゃいけなくなって、お祖父ちゃんの面倒まで見なきゃいけなくなってさあ。しかも中学で変な噂流されたりしてたの、知ってる?」

「ごめんね」

「謝られてもこまるんだけど。てゆうか、本当に泣きたいの私なんだけど」

 真由美は立ち上がると、まりんを抱きしめた。

「ごめんね」

 それを、突き飛ばして離すと、顔を背けた。

「――もう夏休みだし、しばらく、お父さんのおばあちゃんちに行く」

「うん」

「お母さんの顔見たくないし」

「――そうね」

 背を向けて、部屋を出て、荷物をつめた。

 ***

 夏休み明けからは学校の寮に入り、長期休暇中は祖母の家に行くようにしたので、もうあの母親のいる古アパートに戻ることはなかった。通学で一緒になることがなくなったので、貴文とは話す機会がなくなった。クリスマスの頃に、彼が彼女と一緒にいるのを目撃した。

(……剛くん、元気かな)

 ふとそう思ったが、彼もきっと、今頃別の女子といるかもと想像して嫌な気分になった。

(結局、私のことはどう思ってたんだろ)

 したいだけだったのかとも思うし、そうじゃなかったのかなとも思ったが、確認するにも連絡先も聞いていなかったし、もうあの町に行くつもりもなかった。

 17のときに母親と栗田は一緒に住むようになり、18の時に年の離れた弟が産まれた。

(ほんと馬鹿)

 そう思いながら、弟が生まれた後は何度か家を訪ねた。
 ――今思えば、あの時、思っていることをぶちまけて、距離を置いたことで、たまに顔を見るくらいなら、我慢できるようになったのかもと思う。母親のことを嫌だと思う気持ちは消えていないが、当時のようにいなくなってほしいとまでは思っていない。

 ただ、それを人に説明するのは難しい。

 まともな家庭を持つ、を目標に、就職先の先輩社員と付き合いだすまでは、誰とも付き合わなかった。その相手とは2年付き合って同棲して、結婚の話をなんとなくするようになった所で不穏な空気になった。

「うちの家族はちょっと、紹介とか、いいよ」

 まりんは顔を歪めながら言った。彼は、その顔を見て嫌そうな顔をした。

「何でそんな顔すんの。大事な親だろ。こういうのは、きちんとしないと」

 (何か、違うな)という感覚はやがて、すれ違いになった。いつの間にか、相手は会社の別の女子社員と浮気していて、別れた。彼は先に家を出て行った。会社で二人を見るのも嫌だったので、仕事を辞めた。もともと、残業が多くて転職を考えていたのもあった。節約のため、家賃の安い家に引っ越すことにした。

(順調に行ってるはずだったのになあ)

 段ボールの山を前にため息をつくと、ピンポーンとベルが鳴る。引っ越し屋だった。玄関を開けると、作業着姿の男が2人立っている。書類の記入をしていると、髪の後ろから、若い方の男の小さな声がした。

「たなか、まりん」

 高校から海の読みは「うみ」で通してきた。その読み方で読める人は、そういないはず。びくりとして顔を上げると、どこかで見た顔がそこにあった。

(剛くん)

 すぐにわかった。体格が多少変わっていたが、顔立ちはそんなに変わっていなかった。
 何事もない振りをして、年上の方と引っ越しの段取りをしつつ、内心は乱れていた。

(引っ越し業者かあ……、意外なような、そうでもないような)

 何となく、彼は地元を離れるだろうとは思っていたけれど。東京で客と業者で会うことは考えていなかった。

(今までどうしてたかな。私には気づいてるよね)

 新居で、段ボールを運び込む彼を見ながら考えていると、目が合った。

 ふと、ベッドの運び込みの時に、剛がポケットに入れたスマホを近くの段ボールの上に置くのに気がついた。
 
(あ)

 そして剛はそれを置きっぱなしのまま、別の作業に移ってしまった。

(……、あえて?)

 ふと、そんなことを考える。そのまま声をかけなかったら、剛はそれを置きっぱなしで帰っていってしまった。

「……」

 段ボールの上に乗ったままのスマホを手に取り、畳に座る。じっとりと暑かったが、何だかクーラーを入れる気にならなかった。じっとり空気が肌に吸い付く感じはあの時に似ている。顔に垂れてくる額の汗をぬぐった時、玄関ブザーが鳴った。
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