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30 遼河の戦い・その6
しおりを挟む「……拙者はこのままなんとかして、対岸に渡ってみようと思うでござる。運良くあの金色の鎧を着た司令官の元にたどり着き、斬ることがかなえば、この先の戦いはおそらく、隋軍圧倒的優位の元に進めることが出来るはずでござるからな」
辛世雄はこの状態で取ることが出来るであろう最後の策を二人に伝えた。
このままではいずれ体力が尽きて敵兵の矢に斃されることは必至である。ならば一か八か敵陣に突入して敵将の首級を獲ることに最後の望みを懸けようと思ったのだ。失敗すればもちろん、成功したとしても敵兵によって射殺されてしまうだろうが、ここで無為に体力が尽きていくのを待つよりはそのほうが何倍もマシだ。
「もちろん、ボクたちもお供しますよっ!」
「一人より三人のほうが成功の確率が高いですしぃ、敵の狙いだって分散されますからねぇ」
少女たちはそう言うと、止めても無駄だよと言うがごとく、コクリと一つ頷いた。もとより、辛世雄も止めるつもりはない。覚悟を決めた人間に対してあれこれ説得したり翻意を促したりするのは時間の無駄だし、礼を失することだとも思うからだ。
「よし。それでは……」
行くでござるよ! と声をかけようとした瞬間。辛世雄はやぐらの中段にいる一人の高句麗軍兵士と目が合った。彼はニヤリと笑うと、敵の将軍を討ち取って手柄を立てるチャンスだとばかりに、辛世雄に向けて弓の弦を大きく引き絞る。
「辛将軍、危ないっ!!」✕2
趙孝才と崔弘昇二人の少女将軍もそれに気がついたのか、悲鳴交じりに警告の声をあげる。辛世雄も慌てて逃れようとしたが、なにせ不安定な小舟の上。しかも周囲は高句麗軍兵士の放つ矢が雨のように降り注いでいて身を躱す余裕などはない。
(やられる……)
このまま敵将に一矢も報いることなく、ここで生命尽きるのか……。そんな無念の思いを抱きながら奥歯を強く噛み締める辛世雄。だがその刹那、はるか後方から一輪の赤バラが飛来してきて、辛世雄を狙っていた兵士の胸の真ん中に突き刺さった。次の瞬間、そのバラはポン! という……不謹慎ながらもどこかコミカルな音と共に爆発し、不運な高句麗兵は胸から大量の血しぶきを噴き出し、倒れたのだった。
「な……なんだ。一体なにが起こったのでござる?」
ぽかんとして顔を見合わせる三人。さらに後方からは無数のバラが次から次へと飛来してきては、高句麗軍兵士の身体に当たり、小さな炸裂音と共に爆発していく。
おそらくあのバラには過酸化アセトンのようなものが仕込まれていて、なにかにぶつかると同時に爆発するようになっているのだろう。仲間たちが次から次へと生命を落としていくのを目の当りにしてさすがに動揺したのか、高句麗軍兵士たちの間に不安げなざわめきが広がり始めた。
「はっはっはっはっはーっ!」
場にそぐわないような大笑いと、えっちらおっちら小舟を漕ぐ櫂の音とが聞こえてきたのは、そのすぐ後のことであった。もしかしたら十二将軍の誰かが援軍に来てくれたのだろうか? そんな期待を抱きながら後方を振り返った辛世雄たち。だがその瞬間。三人は同時に、のどちんこが見えそうなほど口をあんぐりと大きく開けることとなった。
夜の薄闇の中。音もなく揺れる黒い水面の上を滑るように、武麗邏へと近づいて来たのは二人の男を乗せた、一艘の小舟だった。男の一人は編笠を深くかぶり、一本の櫂だけを操って巧みに舟を操る船頭。もう一人は並の男三人分くらいの横幅と体重は優にありそうな、でっぷりと肥えた男である。
その全身は白豚のように生白く、体内に収まりきれずにいる皮下脂肪が身体のあちこちででれんと垂れ下がっており、頬や顎などはブルドッグもかくやとばかりにたるんでいる。腹もぷっくりと膨らんでいて着ている服やズボンでは完全には覆いきれずに、こぼれるようにはみ出していた。脂肪の隙間からはおへそがチラリと覗いていたが、趙孝才将軍の場合と違ってちっとも可愛くないし、見えても全然嬉しくないのは言うまでもない。
彼は頭からは色の濃いストッキングのようなものをかぶっていた。もっとも顔がでかいため最後までは収まりきらず、せいぜい鼻の上辺りまでしか隠れていないが。
「はっはっはっはっはーっ! どうやら絶体絶命の大ピンチだったようだね。辛将軍、趙将軍、崔将軍。が、無事だったようでなによりだ」
男は茫然としている辛世雄たちや高句麗軍兵士を見て高らかに笑い声をあげると、両手を腰に当てて舳先の上に片足だけを乗せるというポーズをとり、前歯をキラリときらめかせた。どうやら自分では格好いいと思っているらしい。
「だがわしが来たからには、もう大丈夫だ。どうか大船に乗った気持ちで安心してくれたまえ……っていま乗っているのは小舟だったか。これは一本とられたね。はっはっはっはっはーっ!」
「な、何者だ貴様はっ!?」
訳の分からないことを言っては一人でウケたようにげらげら高笑いをしている男に向かい、高句麗兵が気持ち悪いものでも見たような声をあげる。
「はっはっはっはっはーっ! わしかね? 問われて名乗るほどの者でもないが」
しかし男は、それを自分に対する恐れだと思ったのか(確かに、ある意味恐ろしいが)さらに高笑いをしながら、どこからか取り出したバラの花を、その高句麗兵に向かって投げつけた。例によってそのバラは兵士の身体に当たると炸裂し、彼は胸から大量の血を噴き出しながらその場に崩れ落ちる。
「地獄の閻魔大王に自らの生命を奪った者の名を告げたいと言うのであれば、そう。仮にストッキング仮面とでも名乗っておこうか」
「ス……ストッキング仮面……!?」
男の言葉を聞いて、高句麗兵士たちはまともに動揺したような声をあげた。まあ、そうだろうなと辛世雄は思った。死んだ後閻魔大王に『お前を殺したのは何者なのだ?』と問われて、『はい。ストッキング仮面です』とはなかなか応えにくいだろうし。
「……なにしに来たんだよっ? 屈突将軍っ!」
そんなストッキング仮面(自称)に対し、趙孝才はただただ濁ったため息をこぼしながら、そう声をかけたのだった。
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