ハンリュウ! 〜隋帝国の野望〜

魔法組

文字の大きさ
30 / 97

30 遼河の戦い・その6

しおりを挟む


「……拙者せっしゃはこのままなんとかして、対岸に渡ってみようと思うでござる。運良くあの金色の鎧を着た司令官の元にたどり着き、ることがかなえば、この先の戦いはおそらく、ずい軍圧倒的優位の元に進めることが出来るはずでござるからな」

 辛世雄しん せいゆうはこの状態で取ることが出来るであろう最後の策を二人に伝えた。

 このままではいずれ体力がきて敵兵の矢にたおされることは必至ひっしである。ならば一か八か敵陣に突入して敵将の首級しゅきゅうることに最後の望みをけようと思ったのだ。失敗すればもちろん、成功したとしても敵兵によって射殺されてしまうだろうが、ここで無為むいに体力が尽きていくのを待つよりはそのほうが何倍もマシだ。

「もちろん、ボクたちもお供しますよっ!」

「一人より三人のほうが成功の確率が高いですしぃ、敵のねらいだって分散されますからねぇ」

 少女たちはそう言うと、止めても無駄だよと言うがごとく、コクリと一つうなずいた。もとより、辛世雄も止めるつもりはない。覚悟を決めた人間に対してあれこれ説得したり翻意ほんいうながしたりするのは時間の無駄だし、礼を失することだとも思うからだ。

「よし。それでは……」

 行くでござるよ! と声をかけようとした瞬間。辛世雄はやぐらの中段にいる一人の高句麗コグリョ軍兵士と目が合った。彼はニヤリと笑うと、敵の将軍をち取って手柄を立てるチャンスだとばかりに、辛世雄に向けて弓のつるを大きく引きしぼる。

「辛将軍、危ないっ!!」✕2

 趙孝才ちょう こうさい崔弘昇さい こうしょう二人の少女将軍もそれに気がついたのか、悲鳴交じりに警告の声をあげる。辛世雄も慌てて逃れようとしたが、なにせ不安定な小舟ボートの上。しかも周囲は高句麗軍兵士の放つ矢が雨のように降り注いでいて身をかわす余裕などはない。

(やられる……)

 このまま敵将に一矢いっしむくいることなく、ここで生命尽きるのか……。そんな無念の思いを抱きながら奥歯を強くめる辛世雄。だがその刹那せつな、はるか後方から一輪いちりんの赤バラが飛来してきて、辛世雄を狙っていた兵士の胸の真ん中に突き刺さった。次の瞬間、そのバラはポン! という……不謹慎ふきんしんながらもどこかコミカルな音と共に爆発し、不運な高句麗兵は胸から大量の血しぶきをき出し、倒れたのだった。


「な……なんだ。一体なにが起こったのでござる?」

 ぽかんとして顔を見合わせる三人。さらに後方からは無数のバラが次から次へと飛来してきては、高句麗軍兵士の身体に当たり、小さな炸裂さくれつ音と共に爆発していく。

 おそらくあのバラには過酸化アセトンTATPのようなものが仕込まれていて、なにかにぶつかると同時に爆発するようになっているのだろう。仲間たちが次から次へと生命を落としていくのを目の当りにしてさすがに動揺したのか、高句麗軍兵士たちの間に不安げなざわめきが広がり始めた。

「はっはっはっはっはーっ!」

 場にそぐわないような大笑いと、えっちらおっちら小舟をかいの音とが聞こえてきたのは、そのすぐ後のことであった。もしかしたら十二将軍の誰かが援軍に来てくれたのだろうか? そんな期待を抱きながら後方を振り返った辛世雄たち。だがその瞬間。三人は同時に、のどちんこが見えそうなほど口をあんぐりと大きく開けることとなった。

 夜の薄闇うすやみの中。音もなくれる黒い水面みなもの上をすべるように、武麗邏ブレイラへと近づいて来たのは二人の男を乗せた、一艘いっそうの小舟だった。男の一人は編笠あみがさを深くかぶり、一本の櫂だけを操ってたくみに舟を操る船頭。もう一人は並の男三人分くらいの横幅よこはばと体重は優にありそうな、でっぷりとえた男である。

 その全身は白豚しろぶたのように生白く、体内に収まりきれずにいる皮下脂肪ひかしぼうが身体のあちこちででれんと垂れ下がっており、ほほあごなどはブルドッグもかくやとばかりにたるんでいる。腹もぷっくりとふくらんでいて着ている服やズボンでは完全にはおおいきれずに、こぼれるようにはみ出していた。脂肪しぼうの隙間からはおへそがチラリとのぞいていたが、趙孝才将軍の場合と違ってちっとも可愛くないし、見えても全然嬉しくないのは言うまでもない。

 彼は頭からは色の濃いストッキングのようなものをかぶっていた。もっとも顔がでかいため最後までは収まりきらず、せいぜい鼻の上辺りまでしか隠れていないが。

「はっはっはっはっはーっ! どうやら絶体絶命の大ピンチだったようだね。辛将軍、趙将軍、崔将軍。が、無事だったようでなによりだ」

 男は茫然ぼうぜんとしている辛世雄たちや高句麗軍兵士を見て高らかに笑い声をあげると、両手を腰に当てて舳先へさきの上に片足だけを乗せるというポーズをとり、前歯をキラリときらめかせた。どうやら自分では格好いいと思っているらしい。

「だがわしが来たからには、もう大丈夫だ。どうか大船に乗った気持ちで安心してくれたまえ……っていま乗っているのは小舟だったか。これは一本とられたね。はっはっはっはっはーっ!」

「な、何者だ貴様はっ!?」

 訳の分からないことを言っては一人でウケたようにげらげら高笑いをしている男に向かい、高句麗兵が気持ち悪いものでも見たような声をあげる。

「はっはっはっはっはーっ! わしかね? 問われて名乗るほどの者でもないが」

 しかし男は、それを自分に対する恐れだと思ったのか(確かに、ある意味恐ろしいが)さらに高笑いをしながら、どこからか取り出したバラの花を、その高句麗兵に向かって投げつけた。例によってそのバラは兵士の身体に当たると炸裂し、彼は胸から大量の血を噴き出しながらその場にくずれ落ちる。

「地獄の閻魔エンマ大王に自らの生命を奪った者の名を告げたいと言うのであれば、そう。仮にストッキング仮面とでも名乗っておこうか」

「ス……ストッキング仮面……!?」

 男の言葉を聞いて、高句麗兵士たちはまともに動揺したような声をあげた。まあ、そうだろうなと辛世雄は思った。死んだ後閻魔大王に『お前を殺したのは何者なのだ?』と問われて、『はい。ストッキング仮面です』とはなかなか応えにくいだろうし。

「……なにしに来たんだよっ? 屈突くっとつ将軍っ!」

 そんなストッキング仮面(自称)に対し、趙孝才はただただにごったため息をこぼしながら、そう声をかけたのだった。









しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...