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もう立派な大人ですよ!
しおりを挟む「……お前も、もう二十歳か。この間産まれたばかりだと思っていたのに、早いなぁ」
「もうっ! お師匠様ったら、いつまでも私を赤ちゃん扱いして」
「ははっ、すまないな。お前のことはお腹に芽生えた時から知ってるから、つい」
ある日の麗かな昼下がり。私は産みの母である師匠と一緒に蔵書の片付けをしていた。
私は高明な魔導師である母のことを師匠と呼び、四年前からこの王都で共に暮らしている。
当初、田舎の父からは、母の元へ行くことも魔導師になることにも反対されたが、現在ではしぶしぶ許されている状態だ。
「もう、お前が魔導師になって三年になるのか」
「そうです。もう立派な大人ですよ! 軍に所属して騎士様たちと一緒にお仕事してるんですから!」
「大人かあ。やるコトはやってるもんなぁ」
ふふんと私が胸をはると、師匠は目尻に皺を寄せて笑う。
この何気ない穏やかな時間が嬉しくて、ずっと続いてほしいといつも願っているのに、最近の師匠は何かと私の自立を促す言葉を口にする。
「……そろそろお前もお付きの騎士を持たないとな」
「またその話ですか? 私は独身を貫くと言っているではありませんか!」
「独身? 結婚相手と護衛は違うぞ?」
「違いませんよ。護衛契約を結んだ魔導師と騎士の成婚率の高さを知らないんですか?」
最近の師匠は、やたらと私にお付きの騎士を持つようにと勧めてくる。
そのたびに私は少しイラッとしていた。
理由は単純。
私は最近、とある騎士相手に一方的な失恋をしていたからだ。
失恋した彼に自分を守る騎士になって貰いたいと思っていたので、師匠の提案は心にぐさりと刺さった。
お付きの騎士とは、その名の通り自分専属の護衛のことで、自分をサポートしてくれる騎士を持つことが一人前の魔導師の証でもある。
歴とした仕事の契約なのだが、やたらカップル成立率が高い契約でもあった。
職業の特性柄、魔導師は女が多く、騎士は男が多い。両者ともなるにはかなりの費用がかかるので、身元はしっかりしているし、実家はもれなく裕福。端的に言えば、条件の良い若い男女が一緒にいれば、くっつく事は自然な成り行きだった。
──エクトル……。
見上げるほどに背が高い、涼やかな面立ちをした同僚の騎士の笑顔をふと思い出し、目を瞑って慌てて頭をぶんぶん振る。
エクトルのことを思い浮かべるたびに、胸の奥を縫い針で刺したかのようにちくちく痛む。
エクトルは正騎士五年目の二十五歳。私よりも少々年は上だが、明るくて話しやすい人で、私がまだ見習いの魔導師だった頃から何かとよくしてくれていた。
同僚というよりも、頼れるお兄さん。
そんな風にエクトルのことをずっと思っていたはずだったのに。
私は偶然見てしまったのだ。
一月前、クローデットに迫られている彼の姿を。
クローデットは私と同じ魔導師だが、侯爵家の御令嬢だった。彼女は由緒ある侯爵家の跡取り娘なのだが、婿を取るにしても政略結婚ではなく恋愛結婚がしたいとワガママを言い、両親の反対を押し切って軍に入ったのだ。
クローデットは腰まで伸ばした艶やかな黒髪をもつ美少女で、軍の男性陣からとても人気があったが、私は練った蜂蜜のように甘ったるく話す彼女のことがずっと苦手だった。
前々から、クローデットがエクトルににこやかに話しかける姿を見かけるたびに、胃から苦いものが込み上げてくるような──そんな不快感を覚えていた。
それが嫉妬なのだとはっきり自覚したのは、一月前。
兵舎の裏手にある、人通りの少ない中庭でぐうぜん見てしまったのだ。
その日、私は二人分のパンドミ・サンドの包みを胸に抱えて、エクトルの姿を探していた。
塩っ気のある山形パンを薄くスライスして、橙色のチーズとハムを挟んだ簡単なサンド。遅めの昼食を拵え、ひと仕事終えたエクトルと一緒に食べようと思っていたのだ。
書庫にいたはずのエクトルの姿が見えずしばらく探し回っていたら、垣根の間から人の声が聞こえ、身を屈めながら奥を覗くと、そこにいたのはエクトルとクローデットだった。
そこからはお察しの展開だ。
クローデットはエクトルの手を取り、熱っぽく彼を見上げ、『私と一緒に侯爵家を継いで欲しいの』とはっきり言っていた。
それを耳にした瞬間、全身の血が逆流したかのように、手足が震えたのを今でも覚えている。
頭を鈍器で殴られたようなショックで目眩がしたが、ふらつく脚を引きずりながらなんとかその場から逃げ出した。
その後の記憶はあまりない。
気分が悪くてとにかく辛くて。医務室に入ろうとも思ったが、軍医に体調不良の原因を根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だったし、何よりエクトルの耳に入ると、彼が私を家まで送ると言いかねないと思ったのだ。
お手洗いでこっそり泣いてから、一人でその日は帰宅した。自慢じゃ無いが、魔導師の世界はそれなりに厳しく、声を殺して泣くのは得意だった。
クローデットがエクトルに結婚を迫ったこの日から、私はずっとエクトルを避けている。
二十歳にもなって、好きだった相手を露骨に避け続けるなんて。いくらなんでも子どもっぽいと自分でも思うが、エクトルと会って冷静さを保てるのか心配で、彼の前で痴態を晒すぐらいならと思い、任務のシフトも被らないようにし、騎士団の兵舎には極力近寄らないようにしている。
幸か不幸か、今年に入ってから軍の編成が大きく変わり、私はエクトルと共に仕事をするどころか、兵舎ですれ違う機会すらかなり減っていた。
エクトルを避けていても周りは何も言わないし、きっと彼も避けられていることに気がついていないだろう。
私は別に、彼の特別でも何でもないのだから。
クローデットの求婚を見てしまったあの日は、たまたま朝から私もエクトルも書庫で調べものをしていて、仕事だというのに久しぶりに浮かれていた。
あの日は本当に楽しかった。
たまに何てことのない雑談を交わしながら、二人でああでもないこうでもないと言い合いながらお互いの資料を作り、やっと出来上がったタイミングで──厨房で簡単なお昼でも用意して、二人で中庭で食べようと思っていたのに。
結局用意したパンドミ・サンドも、他に調べものをしていた同僚に無理やり押し付けてしまった。
はじめて恋心をはっきり自覚した日が、失恋日になった。
エクトルがクローデットの求婚になんと返事をしたのかは知らない。が、断ることは無いと思う。
騎士は地方貴族の次男三男か、裕福な商家の息子が多い。皆、王都に住む貴族や大店の婿になることを望んでいて、出会いのために、非番の日にわざわざお金持ちのお嬢様の護衛を引き受ける者がいるぐらいだ。
クローデットは侯爵家の跡取り娘。しかも美人で愛想も良い。その求婚を断る騎士がいるとは到底思えない。エクトルだって騎士を続けるよりも大領地を管理する侯爵様になりたいはずだし、美人な奥さんが欲しいはずだ。
エクトルはたしか伯爵家の次男だったはず。実家は清貧だと言っていたし、クローデットからの求婚は渡りに船だろう。
それに、中庭にいた二人はとてもお似合いだった。艶やかな黒髪をもつ者同士、一幅の絵画のようだった。
じわりと目に熱いものが込み上げてきて、慌てて指先で拭う。
私の父親は伯爵家の当主である伯父の家令をしていて、一般家庭に比べればそこそこ裕福だと思うが、でも、正確に言えば貴族じゃない。爵位を持っていないからだ。その娘である私もとうぜん、貴族ではない。
私はエクトルに爵位もお金も何も与えることが出来ない存在だというのに、あさましくも彼に本気の恋をしてしまっていた。
──はやく忘れなくちゃ。
この気持ちは無駄以外に何ものでもないから。
急に黙ってしまった私を心配したのか、師匠は私の頭をやさしく撫でる。
「独身を貫く、か。……結婚にあこがれる年齢のお前の口からそんな言葉が出るなんて」
「元々結婚願望はありません。前からそう言ってるでしょう? ……それに私は貴族の娘ではありませんから、結婚は難しいです。私と結婚しても、相手に何も利点がないですから」
相手に与えられる物がないと言ったら、師匠は眉根を寄せて悲しげに顔をゆがませた。
「ソフィアはとっても可愛くて良い子だ。優しくて、料理が上手で……。たとえ継ぐ家が無くても、治める領地が無くとも、お前を選ぶ男はたくさんいると思うぞ?」
「……そうでしょうか」
師匠はそう言うが、王都に来て四年。
日々騎士達と任務をこなしているが、エクトル以外の男性とは、色っぽい展開はおろか、告白すらされたことはない。魔導師の同僚からもだ。
継ぐ家もなく、何なら家出同然の私に近寄る男性はいない。師匠は私を可愛いと言うが、私よりも可愛くて美人な女性は王都にそれこそ山のようにいた。
男の人から見て、私はわざわざ声をかけるべき対象ではないのだろう。
──エクトルだけだったもの。
私と親しくしてくれた男の人はエクトルだけだった。貴族家の跡取り娘でもなく、お金持ちでもなく、特別美人でもない私に声をかけてくれたのは彼だけだった。
自分から率先して男の人に声をかけるようにしているが、だいたい相手はいつもかったるそうにしていた。結婚相手として旨味のない私は、彼らにとって愛想を振りまくに値しないのだろう。
本当に。本当にエクトルだけだったのだ。
私に声をかけられて、嬉しそうに目を細めてくれたのは。
私は唯一無二の人に、自分の気持ちすら告げられぬまま、失恋してしまった。
その事実が酷く悲しい。
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