2 / 12
涙のわけ
しおりを挟む「エイサ!」
ふいに背後から声をかけられた。
王宮の渡り廊下。大股で駆け寄ってくるのは、黒髪黒目のよく見知った顔だった。彼は騎士服の灰色の外套をはためかせ、額に汗を浮かべていた。
「アシュトス……」
「驚いた。今日は王宮に来る日だったんだな」
短く切られた少々癖のある黒髪を手で撫でつけながら、彼はわずかに掠れた声で言う。
アシュトス・ラードリー。遠征帰りで疲れた顔をしていても、彼の容貌は損なわれない。普段は羨ましくなるぐらいぴかぴかでキレイだった肌はやや荒れているけれども、それでも十分すぎるぐらい──今日も今日とて彼は美しかった。
「うん。アシュトスは遠征帰り?」
「ああ、報告がすべて済んだらお前の家に行こうと思っていた。ちょうどいい、待っていてくれるか?」
彼は今日も私を愛馬に乗せて、屋敷まで送り届けてくれるつもりなのだろう。当たり前にようにそう言ってくれる彼の優しさに、嬉しくて胸がはずむが、今日はちょっとだけ切ない。
この瞬間が何よりも大切だったと、そう思い返す日が近いうちに来る。そんな風に思うと胸がいっぱいになった。
「エイサ? どうした?」
下唇をかむ。どうしてだろう。何故だか急に視界が緩んだのだ。
「ごめんね。アシュトスが無事で良かったなぁって思ったら、うるうるしちゃった」
「そんなに心配したのか? 特に危険な任務でも無かったが」
「あはは、最近年をとったから、涙もろくなったのかも!」
私は誕生日に彼から貰った銀のチェーンのネックレスを取り出して見せて、笑って誤魔化したが、彼の眉尻は困ったように下がったままだ。
彼は淡々としているようで、私の涙には弱かったりする。私が急に目を潤ませた理由をいま必死で考えているに違いない。そして、涙を止める方法も。
「送ってくれなくても大丈夫だよ。リリアンヌ様がね、馬車を用意してくださったのよ」
「馬車を? 殿下が?」
「アシュトスは疲れてるでしょう? 今日のところは詰所で休んだほうがいいよ。うちへの報告なんて明日でもぜんぜん大丈夫だし」
アシュトスは生真面目なので、遠征から帰ったその日のうちに私の家まで報告にくる。婚約者に真っ先に無事を伝えるのは当然だと言い、どれだけ疲れていても夜遅くなっても訪ねてくる。そして私に戦果を話しているうちに限界がきてしまうのか──私の肩や膝の上で眠りこけてしまうのだ。
私はアシュトスのかわいい寝顔が見れて役得だなと思うけど、彼は辛いだろう。本当はすぐにでも休みたいに違いない。
しかし彼は神妙な顔をして首を横に振る。
「駄目だ」
「私には今、顔を見せてるじゃん」
「スアレム伯にもご報告しなくては」
──クソ真面目め。
報告と言っても、うちの父と彼が話すのはいつも一言二言だ。父はにやにやしながら「一刻も早くエイサと乳くりあいたいんだろ?」と言ってアシュトスをすぐに解放する。
ちなみに私たちは乳くりあったことは一度もない。部屋に二人きりになったことは何度もあるし、同じベッドで寝たこともあるが、子どもの頃から付き合いがあると、どうしてもそういう雰囲気にならないのだ。
結婚したら没・性交渉になるのではないか。私はアシュトスとそういうことをしなくても平気だけど、彼はどうだか分からない。
リリアンヌ王女の豊満な身体を思い浮かべる。出るとこはしっかり出ている女性らしい身体、真珠のようにつやつやと白い肌。金の髪はきらきらと煌めていて、まさしく男の夢が詰まっていると言わんばかりの美貌をしている。
それに比べて──いや、比べるのもおこがましいけど、私は飴色の髪に緑目というちょっと地味な色彩をしている。胸もお尻も控えめで、美人とは言いがたい顔だ。
──アシュトスも、リリアンヌ様のほうがいいよね……
たぶん、私だから手出しする気になれないのだろう。結婚まで初夜を待つというのも、率先して抱きたくなるような身体じゃないからだ。
「……エイサ?」
ちょっとぼおっとしすぎたかもしれない。彼は数回瞬きすると、顔をのぞきこんできた。
「大丈夫! 気をつけてきてね!」
「……ああ」
私は二、三歩下がると彼に手を振った。何だろう、半月も離れていたからかもしれないが、ここでアシュトスと別れるのは嫌だと思ってしまった。
寒気がするような寂しさを感じて、私は両腕を急いでさすった。
21
あなたにおすすめの小説
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました
唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」
不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。
どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。
私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。
「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。
身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。
薫る袖の追憶を捨て、月光の君に溺愛される
あとりえむ
恋愛
名門の姫君・茜は、夫の高彬に蔑まれ、寂れた離れで孤独な死を迎えた……
けれど意識が途切れた瞬間、視界を埋め尽くしたのは命を削って輝く緋色の夕映え。
目が覚めると、そこは高彬との婚約が決まったばかりの十五歳の春に戻っていた。
「二度目の人生では、誰のことも愛さず、ただあの方の幸せだけを願おう」
茜は、かつて自身の孤独を救ってくれた「最推し」の東宮・暁を、未来の知識で密かに支えることを決意する。
執着を捨て、元夫に無関心を貫く茜。
一方、高彬は自分に興味を失った茜の価値に気づき、今更遅い後悔に狂い始めるが……。
「見つけた。お前は俺の、運命の番だ」
正体を隠して東宮を支えていたはずが、冷徹な暁に見出され、逃げ場のないほどの執着と溺愛を注がれることに。
平安の雅な風情の中で描かれる、逆転と救済の物語。
最後は、二人が永遠の契りを交わす和歌で幕を閉じます。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
政略結婚のはずでしたが、黒の公爵に「君を愛するつもりしかない」と言われました。
ちよこ
恋愛
没落寸前のエーデル伯爵家の令嬢ルイーズは、この国最大の権勢を誇る黒の公爵エルハルトと政略婚を結ぶことになった。
釣り合わない縁談に社交界はざわめいたが、ルイーズは「家同士の利害が一致した取引に過ぎない」と割り切っていた。
ところが初夜、公爵は開口一番こう言った。
「私は君を愛するつもりしかない」
政略婚のつもりでいた令嬢と、最初から決めていた公爵の、少し不器用な初夜の話。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる