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婚約破棄
しおりを挟むアシュトスが出征してから五日後、彼の父親ラードリー伯が我が家へとやってきた。その顔色は蒼白で血の気がない。もしやアシュトスに何かあったのだろうか。
「エイサ、気を確かに持つんだよ」
白髪混じりの黒髪を撫でつけ、額に浮いた汗を白いハンカチでぬぐいながら、ラードリー伯は言う。アシュトスによく似た相貌の、その気落ちした顔に私の不安はますます募る。
「……クレマン、アシュトスが求婚されたというのは本当か? しかもお相手はリリアンヌ王女だとか」
走り寄ってきたうちの父も、ラードリー伯ほどではないにせよ、ひどい顔色をしていた。すぐ背後にいた兄は「父上!」と、非難めいた声を出す。言葉を急ぎすぎた父を窘めるかのように。
「あ、なんだ。その話ですか」
逼迫した男性陣の顔色に、てっきり戦場に行ったアシュトスに何かあったのではないかと思ったが、どうやらそういう話ではないらしい。
リリアンヌがアシュトスとの結婚に向けてとうとう動き出したらしい。私とアシュトスとの結婚を心から望んでいた、二人の父親が血相を変えているだけだった。
「なんだその話って、エイサ、お前は知っていたのか?」
「ええ、殿下から直接伺いました」
「あぁ! ……なんということだ。ショックだっただろう? エイサ」
ラードリー伯は今にも膝から崩れ落ちそうな顔をしているが、私の心はもう落ち着いていた。アシュトスの前で泣いてしまったからかもしれない。
「ショックだなんて! とんでもありませんわ。おめでとうございます、ラードリー伯。これでアシュトスの出世は約束されたようなものではありませんか」
にっこり笑みを浮かべて。私は彼の父親の手を取った。そうだ、これはおめでたいことなのだ。
「何を言っているんだ、エイサ。アシュトスが真に好いておるのはそなただけだ」
「そうだぞ、アシュトスが王女からの求婚話を聞いたらどう思うか。アシュトスはお前のことが本当に好きだったからな……」
「絶望するのが目にみえますね……」
父親たちも、兄までも、いったい何を言っているのだろう。
「でも、リリアンヌ様は聡明で美しい方です。アシュトスだって、すぐに好きになりますわ」
遠征から帰ってきた夜、私はアシュトスから身体を暴かれそうになったが、彼は途中で行為をやめた。アシュトスは私が泣き出したからだと言っていたが、冷静な頭で真の理由を考えてみた。
──私の洗濯板胸が嫌だったのだ、と。
鎖骨の下には肋骨が少々浮いて見える。私は昔から太りにくい体質だった。よく羨ましがられるが、逆を言えば肉付きが悪い。胸もお尻も申し訳程度にしか膨らんでいないのだ。
あまりにも抱き心地の悪そうな身体に、アシュトスは萎えたのかもしれない。
それに比べ、王女リリアンヌは健康美溢れる女性だった。
服の上からでもはっきり大きいと分かるほどの双丘を持つのに、腰まわりは折れそうなほど細い。身体だけじゃない、顔立ちも色彩も華やかで、何より絶対的な地位と権力を持っている。自分にはけして彼に与えられぬものを、リリアンヌはたくさん持っているのだ。
私は確信していた。きっとアシュトスも、リリアンヌと接するようになれば彼女を愛するようになる。
リリアンヌは明るく、屈託のないひとだった。性格的にちょっと屈折したところのあるアシュトスにはお似合いなのではないか。考えれば考えるほど、すばらしい話のように思えてくる。私はアシュトスに幸せになってもらいたかった。
「そうは思わぬが……。なにせ倅は頑固な子だ。エイサとは結婚できなくなった、王女と結婚しろとなどと言って、はたして納得するだろうか」
ラードリー伯は息子に甘い父親だった。特に末っ子のアシュトスのことは溺愛していた。息子の出世よりも、息子が意中としている相手との結婚がだめになってしまったことを憂いている。家の繁栄よりも息子の幸せを優先する、彼は優しい父親だった。
私も残念だった。私もこんな優しい方の義理の娘になりたかった。
「大丈夫ですわ。きっと、アシュトスはリリアンヌ様を愛するようになります。リリアンヌ様はすばらしい方ですから」
「……すばらしい方ねえ。すばらしい方が、結婚間近の男を横から奪うのか? エイサ、お前は殿下と仲が良かったんだろ?」
兄は眉間に皺を寄せると、首をかしげる。横取りとは不敬もいいところだ。兄は伯爵家の嫡子だが、嫡子らしからぬ発言が昔から多かった。
「兄様、不敬です! 殿下は少しばかりアシュトスと出会うのが遅れてしまっただけです」
そうだ、真の恋に順番など関係ない。私だって、何も知らない、まったくの他人としてアシュトスと出会っていたら。婚約者がいたとしても彼に恋をしただろう。私はリリアンヌと違い何も持たない女だから、枕を濡らして彼を諦めただろうが、リリアンヌは違うのだ。
自分の気持ちに忠実で、恋にまっすぐなリリアンヌをまぶしく思った。それだけアシュトスに本気なのだろう。
「エイサは強いな。アシュトスには勿体無かった」
ラードリー伯の黒い虹彩はうち沈んでいる。
私たちは応接室へ移動し、ソファに座ったラードリー伯は、ローテーブルの上で羊皮紙を取り出した。
「王宮から早々に婚約破棄するように仰せつかった。……すまない、エイサ。息子のために多分に尽くしてくれたのに」
「ラードリー伯、そんな、顔を上げてください」
私は厚手の紙にさらさらとサインをする。なんでもないと言わんばかりに、平然と婚約破棄の内容が記された書類に自身の名前を記す。
破棄理由は『ラードリー家都合』、それだけだ。後日ラードリー家からスアレム家へ賠償金が支払われるらしいが、私の心情的にはいらなかった。アシュトスの婚約者でいられて私は幸せだったのだ。それに婚約破棄になったのも、アシュトスの心変わりが原因ではなく、王女が彼へ求婚したからだ。
アシュトスには何ら非はないのに、納得がいかなかった。しかしラードリー伯はせめて金だけでも受け取ってくれと頭を垂れる。
アシュトスが幸せになれるというのに、なぜ彼の父も、私の父と兄も、この世の終わりだと言わんばかりの顔をしているのだろう。ラードリー伯に至っては、口元を押さえて嗚咽を漏らしを始めてしまった。
──これで良かったんだ。
私は何てことのない平凡な幸せを望んでいた。アシュトスと二人、王宮で共働きして、彼の愛馬で毎日同じ家に帰る。たまにはおしゃれなお店で夕飯を食べたり、彼の非番の日には二人でまったりお出かけするのだ。
社交界やら夜会やら、華やかな貴族の世界には縁遠くなっても、むしろその方が都合が良かった。私は貴族の付き合いが苦手だったから。
継ぐ家はないので子どもは望まない。彼も小さい子は好きじゃなさそうだし、私も仕事を続けながらの子育ては自信がないから産まない。アシュトスがいればそれでよかった。
毎日彼と一緒に寝起きして、ごはんを食べて、貸本屋でお互いが借りた本を読み合って、感想を言い合う。
そんな平凡な幸せを望んでいた。望んで、いたのに。
あと一月半だった。あとわずか四十五日経過していれば、私たちの結婚は成立していた。優しくて穏やかな毎日が待っていたというのに。
私たちの縁はここまでだった。目の前が暗くなりそうになる。子どもの頃からの夢ががらがらと崩れていく。
本音を言えば悔しくて悲しい。けれど、私と一緒になるよりも、リリアンヌと結婚したほうがアシュトスは幸せになれる。これだけは間違いなかった。
「ラードリー伯、泣かないでください。アシュトスは幸せになれますから」
義理の父親になるはずだった方の背を撫でる。泣きたいのはこちらの方だと思ったが、私の涙はもう枯れてしまった。
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