20 / 26
頼もしい助っ人
しおりを挟む
医局に寄り、診療記録を手にしたメリアローズは、病室の扉を軽く叩く。すぐに複数の返事があった。
停戦しても、砦内には長期的な病や怪我で苦しむ者が多くいた。
治癒魔法は、受ける者の体力が必要だ。一度に回復しては逆に命にかかわることもある。特に体内の魔力が少ない者は、魔法に対する耐性があまりない。だから、毎日少しずつ癒す。
「おはようございます、気分はいかがですか?」
真っ白な寝台に横たわった患者に、にこやかに声をかける。
患者は四十代の男性で、先月右腕の腱を切ってしまった。長らく兵士として戦ってきた彼は全身の消耗が激しく、怪我が治ってももう戦場に立てないだろう。
「……はい。おかげさまで。あの、メリアローズ様……」
男性は乾いた唇を震わせる。
「はい、何か?」
「戦争が終わった、というのは本当でしょうか……?」
外の情報が入りにくい病棟にも、停戦の報が流れたらしい。
メリアローズは、不安と期待が入り混じったような彼の問いに、静かに頷いた。
「はい……停戦しました。もう戦わなくてもいいのです」
この病棟にいる人達は、もう戦場に戻らなくてもいいのだ。何度も傷つき、簡易的な治癒魔法でその場かぎりの治療をして、戦ってきた兵士達。
また戦場に戻る日のことを考え、眠れなくなってしまった者も多くいた。睡眠障害を抱えていたのは、エリヴェルトだけではなかった。
「……ありがとうございます、メリアローズ様。あなた様のおかげです」
「いいえ、ずっとこの砦を守り続けてくれた、あなたやティンシアの皆さんのおかげです。私は何もしておりません」
アウナスを脅したことは、結果的には停戦に繋がったのかもしれない。
だが、この十年、どこかで砦の守りが崩れていたら……デカリア王国自体が危ないことになっていただろう。
「これからは安心して、怪我を癒してください。あなたや、あなたのご家族のために」
「うっうぅ……ありがとうございます、ありがとうございます……!」
中年の元兵士は動く左手で顔を覆うと、嗚咽を洩らした。彼の声を耳にしたのか、カーテンの仕切りの奥でも啜り泣く音がする。皆、長い間耐えてきたのだ。
「メリアローズ様」
病室に、別の医法士がやってきた。
「王都から医法士の一団が到着しました」
◆
「まぁ、院長様……!? と、マリ! アルダン!」
王都からやってきたという医法士の一団がいる部屋に行くと、そこには王城の医法院で働いていた頃に世話になった院長と、かつての同僚が二人いた。
「副院長にすべてを任せて、マリとアルダンと共にここに来てしまいました……。ですが、停戦したそうですね」
院長は困ったような笑顔を浮かべて、頭をかく。
「さっすが、メリアローズ様! 仕事が早い!」
「十年も続けていた戦争を、どうやって停戦に持ち込んだのですか?」
耳の下で栗色髪を二つ結びにした小柄なマリがはしゃいだ声をあげ、癖のない黒髪を肩のあたりで真っ直ぐに切り揃えた、ひょろりと背の高いアルダンが首を傾げている。二人とも、メリアローズより二つ三つ若い。
「……アウナスが攻めてきたから、直接説得しただけよ」
「説得しただけって……」
「わぁ、すごい! やっぱりメリアローズ様、はんぱないですね!」
アルダンは困惑したような顔をし、マリは笑いながら手を叩いている。つい最近まで二人と一緒に働いていたはずなのに、ひどく懐かしく思う。
「二人とも、来てくれてありがとう。院長様もありがとうございます。停戦しましたが、この砦には多くの患者がいます」
停戦したといっても、医局が逼迫している状況はすぐには変わらないだろう。戦がないぶん新たな負傷者は減るだろうが、それでも既存の患者が多くいるのだ。
「……力を貸してください」
メリアローズは深く頭を下げる。
「はい、そのために参りました」
「もちろんです!」
「腕が鳴りますね」
院長は目の端に皺を寄せて笑い、マリは両手に拳を作る。アルダンは得意げに薄く笑った。
マリは裕福な伯爵家の令嬢だったが、王女ながら民のために身を粉にして働くメリアローズに感化されたと言って、実家を出て医法士になった。
アルダンは高明な魔法学者を何人も輩出している名家の出で、マリの婚約者だった。マリが医法士になるならと彼も同じ道に進んだ。
「……アルダン、良かったの?」
きっとマリがティンシアへ行きたいと言い出し、アルダンがそれについて来たのだろう。
「ええ、環境が変わればマリも私と結婚したいと思うようになるかもしれませんし」
「メリアローズ様、聞いてくださいよー。アルダンったら、まだ私のことを諦めないんですよ?」
「諦めるという言葉は、私の辞書にはないですから」
「そう……」
二人は相変わらずだった。アルダンはマリを溺愛していて、マリはそれをちょっと迷惑しそうにしつつも、満更でもなさそうにしている。
医法院で働いていた時も、大変なことはあった。だが、この二人のやりとりを目にしてほんの一瞬なごめた時間がどれだけ貴重だったか、ティンシアに来て思い知った。
砦の医局は常に重たい空気が流れていた。
部屋の扉がふいに叩かれる。返事をすると、扉が開かれた。
「メリアローズ様! 院長様!」
扉の向こう側にいたのは、医局長のモールだった。
停戦しても、砦内には長期的な病や怪我で苦しむ者が多くいた。
治癒魔法は、受ける者の体力が必要だ。一度に回復しては逆に命にかかわることもある。特に体内の魔力が少ない者は、魔法に対する耐性があまりない。だから、毎日少しずつ癒す。
「おはようございます、気分はいかがですか?」
真っ白な寝台に横たわった患者に、にこやかに声をかける。
患者は四十代の男性で、先月右腕の腱を切ってしまった。長らく兵士として戦ってきた彼は全身の消耗が激しく、怪我が治ってももう戦場に立てないだろう。
「……はい。おかげさまで。あの、メリアローズ様……」
男性は乾いた唇を震わせる。
「はい、何か?」
「戦争が終わった、というのは本当でしょうか……?」
外の情報が入りにくい病棟にも、停戦の報が流れたらしい。
メリアローズは、不安と期待が入り混じったような彼の問いに、静かに頷いた。
「はい……停戦しました。もう戦わなくてもいいのです」
この病棟にいる人達は、もう戦場に戻らなくてもいいのだ。何度も傷つき、簡易的な治癒魔法でその場かぎりの治療をして、戦ってきた兵士達。
また戦場に戻る日のことを考え、眠れなくなってしまった者も多くいた。睡眠障害を抱えていたのは、エリヴェルトだけではなかった。
「……ありがとうございます、メリアローズ様。あなた様のおかげです」
「いいえ、ずっとこの砦を守り続けてくれた、あなたやティンシアの皆さんのおかげです。私は何もしておりません」
アウナスを脅したことは、結果的には停戦に繋がったのかもしれない。
だが、この十年、どこかで砦の守りが崩れていたら……デカリア王国自体が危ないことになっていただろう。
「これからは安心して、怪我を癒してください。あなたや、あなたのご家族のために」
「うっうぅ……ありがとうございます、ありがとうございます……!」
中年の元兵士は動く左手で顔を覆うと、嗚咽を洩らした。彼の声を耳にしたのか、カーテンの仕切りの奥でも啜り泣く音がする。皆、長い間耐えてきたのだ。
「メリアローズ様」
病室に、別の医法士がやってきた。
「王都から医法士の一団が到着しました」
◆
「まぁ、院長様……!? と、マリ! アルダン!」
王都からやってきたという医法士の一団がいる部屋に行くと、そこには王城の医法院で働いていた頃に世話になった院長と、かつての同僚が二人いた。
「副院長にすべてを任せて、マリとアルダンと共にここに来てしまいました……。ですが、停戦したそうですね」
院長は困ったような笑顔を浮かべて、頭をかく。
「さっすが、メリアローズ様! 仕事が早い!」
「十年も続けていた戦争を、どうやって停戦に持ち込んだのですか?」
耳の下で栗色髪を二つ結びにした小柄なマリがはしゃいだ声をあげ、癖のない黒髪を肩のあたりで真っ直ぐに切り揃えた、ひょろりと背の高いアルダンが首を傾げている。二人とも、メリアローズより二つ三つ若い。
「……アウナスが攻めてきたから、直接説得しただけよ」
「説得しただけって……」
「わぁ、すごい! やっぱりメリアローズ様、はんぱないですね!」
アルダンは困惑したような顔をし、マリは笑いながら手を叩いている。つい最近まで二人と一緒に働いていたはずなのに、ひどく懐かしく思う。
「二人とも、来てくれてありがとう。院長様もありがとうございます。停戦しましたが、この砦には多くの患者がいます」
停戦したといっても、医局が逼迫している状況はすぐには変わらないだろう。戦がないぶん新たな負傷者は減るだろうが、それでも既存の患者が多くいるのだ。
「……力を貸してください」
メリアローズは深く頭を下げる。
「はい、そのために参りました」
「もちろんです!」
「腕が鳴りますね」
院長は目の端に皺を寄せて笑い、マリは両手に拳を作る。アルダンは得意げに薄く笑った。
マリは裕福な伯爵家の令嬢だったが、王女ながら民のために身を粉にして働くメリアローズに感化されたと言って、実家を出て医法士になった。
アルダンは高明な魔法学者を何人も輩出している名家の出で、マリの婚約者だった。マリが医法士になるならと彼も同じ道に進んだ。
「……アルダン、良かったの?」
きっとマリがティンシアへ行きたいと言い出し、アルダンがそれについて来たのだろう。
「ええ、環境が変わればマリも私と結婚したいと思うようになるかもしれませんし」
「メリアローズ様、聞いてくださいよー。アルダンったら、まだ私のことを諦めないんですよ?」
「諦めるという言葉は、私の辞書にはないですから」
「そう……」
二人は相変わらずだった。アルダンはマリを溺愛していて、マリはそれをちょっと迷惑しそうにしつつも、満更でもなさそうにしている。
医法院で働いていた時も、大変なことはあった。だが、この二人のやりとりを目にしてほんの一瞬なごめた時間がどれだけ貴重だったか、ティンシアに来て思い知った。
砦の医局は常に重たい空気が流れていた。
部屋の扉がふいに叩かれる。返事をすると、扉が開かれた。
「メリアローズ様! 院長様!」
扉の向こう側にいたのは、医局長のモールだった。
155
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~
美袋和仁
恋愛
ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。
しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。
怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。
なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる