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しおりを挟む「美味いな」
私の目の前で屈強な肢体をもつ、甘やかな美男子が青い瞳をきらきらさせて、顔を綻ばせている。目にも鮮やかなトマト料理とお酒、雰囲気の良い店内、空調がほどよく効いた個室、そして目の前には良い男。
「最高ですね……!」
すでにボトル一本開けた私は上機嫌だった。くすぐったいような小さな高揚感がおさまらない。きっと蕩けたような顔をしていることだろう。
「マリヴェル、ペースが早すぎないか? ヤケ酒を煽りたいのはこっちのほうだ」
ゴキゲンな私とは裏腹に、ロレシオは顔をしかめる。彼は私が持っていたグラスをひょいと奪いとると、ぐぐっと一気に飲み干しやがった。
「ああーっ! 何するんですか!」
「このままではまた酔い潰れるぞ?」
「潰れたらいつもどおり家まで送ってください、先にカギを渡しますから」
いそいそと私は鞄のなかから部屋のカギを取り出すと、彼の大きな掌に握らせた。私は伯爵家の娘だけど一人暮らしをしている。運営しているドレス商の工房の一室で毎日寝泊りしているのだ。
「……君は私のプロポーズを断ったよな? 少しは警戒したらどうだ」
ロレシオは怪訝な顔をして銀色のそれを摘んで持ち上げている。そうですね、今日も今日とてあなたは私にプロポーズしましたね。
理解できないとばかりに彼は眉間にしわを刻んでいる。
確かに私の行動は軽率そのものだ。分かっている。しかし今日の私はプロポーズを断った相手に部屋のカギを自ら進んで渡すぐらい、自暴自棄になっていた。
「大丈夫! いざそういうことになっても、私は月経不順で悩んでいて、毎日ホルモン剤を飲んでますから妊娠しませんよ!」
「妊娠するしないの問題じゃないぞ? 君に明らかに好意のある男を家にあげるんじゃない!……いや、好意が無くてもダメだ!」
ロレシオは誇り高き騎士である。実は彼の前で酔い潰れたことは一回や二回ではないが、手出しされたことは一度もない。彼のことは信頼しているし、もしも信頼を破られたところでノーダメージである。
なぜなら私は彼のことが大好きだからだ。
「うるさいな~。辛いことがあったんですよおお~~お酒ぐらい好きに呑ませてくださいよぉ~~」
「辛いこと? 私からプロポーズされたことか?」
「それはいつものことじゃないですか……」
彼からのプロポーズはもはやルーティンである。それに嫌なことではない。困ったことだ。断るのが面倒なだけである。あと心が痛いだけだ。
なんかロレシオが愚痴を聞いてくれそうな雰囲気を醸し出していたので、ついつい私はお酒の勢いもあって、家の事情をつい、……口をすべらせてしまった。
「ぐすっ、兄のステファンが、うちの家督を放棄したいって言い出したんです」
「ステファンが?」
私たち兄妹は何故か商才に恵まれていて、私はドレス商、兄は貿易会社を起こしていた。しかしうちはそこそこ裕福な伯爵家。いつかは誰かが跡目を継がなきゃいけない。
「兄の貿易会社が軌道にのりすぎて……兄は貴族の身分を捨てて商人になると言い出して」
「ステファンらしいなぁ」
ロレシオは呆れたような、関心したような、そのどちらとも取れるようなため息を漏らす。うちの兄とロレシオは同い年だ。仲が良かった。
ここ数年うちの兄は仕事で外国へ行ったままだった。いつかは帰ってきて家を継ぐものだと思っていたのに、やっと帰ってきたと思ったら家督を放棄するだなんてあんまりだ。
「タチの悪いことにうちの両親も兄の夢を応援してるんです」
「……モルガン家の家督はどうするんだ?」
「それなんですよ」
私は空になったワインのボトルをぐぐぐと握りしめる。思い出したらまた涙が出てきた。
「急に両親が私に婿を取れと言ってきたんです」
「なんと……」
「ひどいと思いません⁉︎」
バンッと私は空いたほうの手のひらをテーブルに振り下ろす。両親の横暴すぎる要求に嗚咽が止まらなくなってきた。両親はさっそく婿にきてくれそうな男を何人か見繕うという。私は目の前が真っ暗になったが、それでも希望がないわけでは無かった。
「でも、婿取りなら、最悪ドレス商はやめなくても済みますから」
そう、それだけが救いだった。愛のない結婚をするかもしれないが、やりがいのある仕事は残る。
それに長年悩んできたロレシオからも求婚されなくなる。彼は名門侯爵家の嫡子だ。これで私と結婚できなくなる。嫡子が他家へ婿に行くことなどありえないからだ。
その事実に胸の奥が焦げるようにじりりと痛むが、やっと彼への気持ちに整理がつきそうだ。さようなら、私の初恋……
「そうか、では私も実家の家督を捨てよう」
「んっ?」
私が長年燻っていた淡い恋心と決裂しようと、涙が出そうな目を固く瞑り、奥歯を噛み締めていると、ふいに頭上からとんでもない言葉が振り下ろされた。
──いま、家督を捨てるって言った?ロレシオ?
「……なんて?」
「ああ、家督を放棄しよう」
「誰が?」
「私がだ。うちは幸い弟が三人もいるし、父も元気だ。なんとかなるだろう」
「どうして……? なんで?」
「マリヴェルの家の婿になろう。私がモルガン家を継げば、何の問題もない」
──えっ、え、……は?
ロレシオは極上の柔らかい笑みを浮かべて、テーブルの上に沈んでいる酔っ払いの私を見下ろしている。
問題がない? は?
「だ、だめですよ!」
がばりと起き上がる。ダメだ!それだけはダメだ!
「何故だ?」
「モンシプール家の相続権を捨てるだなんて、そんなのダメに決まってるじゃないですか!」
皆が皆、喉から手が出るほど欲しがる大貴族の爵位だ。私は貴族の役目が心底めんどくさいと考える変わり者なので、絶対にいらないし、大貴族の嫁になんか死んでもなりたくないが、ロレシオにとっては無くなった困るものだろう、侯爵の地位は。
「マリヴェルとの結婚の足枷になる、侯爵位なぞいらない」
「なっ──」
「君が私の求婚を断っていたのは、侯爵夫人になるのが嫌だったからだろう? 私が君の家の婿になれば、何の障壁もなくなる」
何を言っているのだろう。うちも確かに貴族だが、彼の実家の格に比べれば足元にもおよばない。彼がうちの婿になるメリットはゼロだった。
「そんなの、あなたのご両親が許すわけないじゃないですか!」
「許す許さないの問題じゃない。私はマリヴェルと結婚したいんだ。君とともに生涯を歩みたい」
「ロレシオ……」
「マリヴェル、君を愛している。私を君の家、モルガン家の当主にしてくれ」
恭しく両手を取られ、熱っぽい視線を注がれる。彼の青い瞳は真剣そのもので、私の心臓はどくんと跳ねた。
お酒が入りすぎて回らない頭、目の前には大好きな男の人、他家の嫁にはなれなくなった自分。
なにより、私は自分が想像していたよりも「ロレシオと結婚できなくなった」自分に絶望していた。それなのに、彼は自分の家督を捨ててまで、私と一緒になると言っている。
「はい……」
気がついたら、私はロレシオのプロポーズに頷いてしまっていた。
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