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第16話 資格
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淑音は精魂尽きたというように、レオとミリィに肩を支えられながら、コロシアムを後にした。
闘技場のゲートをくぐった時には、20人ほどの奴隷達が今ではわずか数人になっている。
たった1時間に満たないうちに沢山が死んだ。
生き残ったとしても満足感はない。
ただただ生命を拾ったと感じた。
今日生き残ったとしても、こんな日がまだまだ続いていく奴隷が大半なのだ。
とてもではないが、喜びに浸れるわけはなかった。
それでも、淑音は思った。
──わたしの隣りにいるこのふたりが生き残った事が、嬉しい……。
だから、涙が止まらなかった。
全てを救うことは出来ない。
それでも手の届くぎりぎりの範囲の中で、淑音はやれることをやった。
それが嬉しい。
とはいえ、まだ疑問が残っている。
わたしに殺意を向けてきた人間は、一体誰だったのだろう。
そして、淑音とレオが見たスイレンちゃんの幻影は一体。
微かな不安を残しつつも、淑音は意識が遠ざかるのを感じていた。
もう無理だ。
少しだけ休もう。
少し休んでまたそれからだ。
淑音は肩を揺すられる衝撃で目を覚ました。
衝撃といってもそれは優しいもので、見るとミリィが淑音を揺さぶっている。
「淑音。起きて」
淑音はまだぼんやりとした意識の中で、呟く。
「どうしたの……?」
「ぼろぼろでドロドロだろ? わたし達を、新たに買い受けるご主人様が身を綺麗にしておけと、言ったみたい」
淑音は跳ね起きる。
見ればここは浴場で、ミリィとふたりきりだった。
「脱がしてあげようか?」
ミリィに言われて、慌てて首を振る。
誰かに服を脱がせて貰うのには、抵抗があった。
それにしても。新たに淑音達を買い受ける主人とは、恐らくロウドのことだろう。
彼は約束を守ってくれたのだ。
その事に安堵する。それと同時に、新たな不安が湧き上がる。
──身を綺麗に……って。もしかして、そういうことかな……。そういう事だよね……。
ある意味、闘技場で戦うより恐ろしい想像が広がった。
もし、ロウドがそういう目的で自分を買ったなら、そういう事だ。
「……ミリィ……。わたし……どうしよう」
「どうしたんだい? 青ざめた顔して」
「わたし……経験がないの……」
「経験がないって、何が?」
ミリィとはまだ話が噛み合わない。
「その、わたし男の人としたことが……なくて……。でも、そういうことを、求められたらどうしよう」
しおらしく淑音が言うので、ミリィは吹き出した。
「そんなことを心配してるのかい?」
背後から別の声がした。
「淑音。だから言ったろ? わたしが手取り足取り教えてやるって」
声の主は、疑うまでもなくミツキだ。
いつの間にか浴場に姿を現していた。
ミツキはしとやかにしていれば、それはそれは魅力的だろうが、品がなく笑った。
「なんなら、初めての時に付き添ってやってもいい」
とんでもないことを言い出すので、流石の淑音も眉根を寄せた。
「ミツキ。最低」
「そうだよ。淑音の純潔をなんだと思ってるんだい!」
ミリィが淑音を援護したが、「純潔」という言い回しがやけに生々しくてかえって淑音は閉口してしまった。
「ま……。付き添ってやりたいのは山々なんだけどな……。淑音。ミリィ。ここを出ていくんだってな……」
ミツキは先ほどまで淑音をからかっていたときの口調はどこへやら、一転して神妙に言い出した。
そんな様子に淑音とミリィは、さらに口を閉ざす。
かたや自由の身(といっても奴隷であることにはかわりない)、かたや闘技場の奴隷だ。
その境遇には雲泥の差がある。
とはいえ、淑音には思いあたることがあった。
ロウドには檻に入れられていた時、「檻に入れられていたみんなを買い戻してほしい」と交渉した覚えがある。
ひとりは残念ながら死んでしまったが、ロウドはすでに4人分の値段を払ったのではないか、という可能性だ。
もしそうなら、買い取られる奴隷は淑音、レオ、ミリィともう一人ということになる。
ミツキを一緒に連れて行けるのではないかという淡い期待が浮かぶ。
ミツキなら、旅の護衛としても十分に役に立つ。
推薦する材料としては十分だ。
そこまで考えて、誰か一人を選び出す自分は何者なのだ、という気持ちにもとらわれてしまう。
誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということだ。
だが、誰も選ばないこともやはり、間違っているように思えた。
「ミツキ。ロウド様に言って、一緒にここから出よう」
淑音は迷いを断ち切るように言った。
ミツキの息を飲む音が聞こえる。
当然ながら、彼女はその言葉を予想していなかった。
「本当に……。本気でそう言っているのか?」
「当たり前だよ。こんなこと、冗談で言えるわけがない」
背後のミリィもそれには異論がないようで、黙って頷いている。
けれど、ミツキの表情は淑音の予想に反して、憂いを含むものになってしまった。
淑音は彼女の顔をそっとのぞき込む。
ミツキは目を伏せて、何か考え込むような顔をしていた。
「わたしには……ここを出ていく資格はないように思える……」
「資格!? そんなもの必要なのかい?」
淑音が思ったことをミリィが代弁する。少し怒ったような言い方だった。
「資格」。そんなものが果たして必要なのか。
生きたいと思うこと以外に何が必要だというのか。
今の淑音には理解できなかった。
でも淑音は何か言いたくなる気持ちを堪えて、黙ったままミツキの瞳を見つめた。
その表情に自分に近い何かを感じたからだ。
ミツキはゆっくり続きの言葉を紡ぎだす。
「父親の話を……前にしたろ?」
淑音は嫌な予感がした。心臓が早鐘のように鳴っている。
「わたしに額の傷をつけたあの酷い父親さ。あの父親をわたしは──」
淑音は呼吸をするのも忘れて、ミツキを見つめていた。
「殺したんだ」
闘技場のゲートをくぐった時には、20人ほどの奴隷達が今ではわずか数人になっている。
たった1時間に満たないうちに沢山が死んだ。
生き残ったとしても満足感はない。
ただただ生命を拾ったと感じた。
今日生き残ったとしても、こんな日がまだまだ続いていく奴隷が大半なのだ。
とてもではないが、喜びに浸れるわけはなかった。
それでも、淑音は思った。
──わたしの隣りにいるこのふたりが生き残った事が、嬉しい……。
だから、涙が止まらなかった。
全てを救うことは出来ない。
それでも手の届くぎりぎりの範囲の中で、淑音はやれることをやった。
それが嬉しい。
とはいえ、まだ疑問が残っている。
わたしに殺意を向けてきた人間は、一体誰だったのだろう。
そして、淑音とレオが見たスイレンちゃんの幻影は一体。
微かな不安を残しつつも、淑音は意識が遠ざかるのを感じていた。
もう無理だ。
少しだけ休もう。
少し休んでまたそれからだ。
淑音は肩を揺すられる衝撃で目を覚ました。
衝撃といってもそれは優しいもので、見るとミリィが淑音を揺さぶっている。
「淑音。起きて」
淑音はまだぼんやりとした意識の中で、呟く。
「どうしたの……?」
「ぼろぼろでドロドロだろ? わたし達を、新たに買い受けるご主人様が身を綺麗にしておけと、言ったみたい」
淑音は跳ね起きる。
見ればここは浴場で、ミリィとふたりきりだった。
「脱がしてあげようか?」
ミリィに言われて、慌てて首を振る。
誰かに服を脱がせて貰うのには、抵抗があった。
それにしても。新たに淑音達を買い受ける主人とは、恐らくロウドのことだろう。
彼は約束を守ってくれたのだ。
その事に安堵する。それと同時に、新たな不安が湧き上がる。
──身を綺麗に……って。もしかして、そういうことかな……。そういう事だよね……。
ある意味、闘技場で戦うより恐ろしい想像が広がった。
もし、ロウドがそういう目的で自分を買ったなら、そういう事だ。
「……ミリィ……。わたし……どうしよう」
「どうしたんだい? 青ざめた顔して」
「わたし……経験がないの……」
「経験がないって、何が?」
ミリィとはまだ話が噛み合わない。
「その、わたし男の人としたことが……なくて……。でも、そういうことを、求められたらどうしよう」
しおらしく淑音が言うので、ミリィは吹き出した。
「そんなことを心配してるのかい?」
背後から別の声がした。
「淑音。だから言ったろ? わたしが手取り足取り教えてやるって」
声の主は、疑うまでもなくミツキだ。
いつの間にか浴場に姿を現していた。
ミツキはしとやかにしていれば、それはそれは魅力的だろうが、品がなく笑った。
「なんなら、初めての時に付き添ってやってもいい」
とんでもないことを言い出すので、流石の淑音も眉根を寄せた。
「ミツキ。最低」
「そうだよ。淑音の純潔をなんだと思ってるんだい!」
ミリィが淑音を援護したが、「純潔」という言い回しがやけに生々しくてかえって淑音は閉口してしまった。
「ま……。付き添ってやりたいのは山々なんだけどな……。淑音。ミリィ。ここを出ていくんだってな……」
ミツキは先ほどまで淑音をからかっていたときの口調はどこへやら、一転して神妙に言い出した。
そんな様子に淑音とミリィは、さらに口を閉ざす。
かたや自由の身(といっても奴隷であることにはかわりない)、かたや闘技場の奴隷だ。
その境遇には雲泥の差がある。
とはいえ、淑音には思いあたることがあった。
ロウドには檻に入れられていた時、「檻に入れられていたみんなを買い戻してほしい」と交渉した覚えがある。
ひとりは残念ながら死んでしまったが、ロウドはすでに4人分の値段を払ったのではないか、という可能性だ。
もしそうなら、買い取られる奴隷は淑音、レオ、ミリィともう一人ということになる。
ミツキを一緒に連れて行けるのではないかという淡い期待が浮かぶ。
ミツキなら、旅の護衛としても十分に役に立つ。
推薦する材料としては十分だ。
そこまで考えて、誰か一人を選び出す自分は何者なのだ、という気持ちにもとらわれてしまう。
誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということだ。
だが、誰も選ばないこともやはり、間違っているように思えた。
「ミツキ。ロウド様に言って、一緒にここから出よう」
淑音は迷いを断ち切るように言った。
ミツキの息を飲む音が聞こえる。
当然ながら、彼女はその言葉を予想していなかった。
「本当に……。本気でそう言っているのか?」
「当たり前だよ。こんなこと、冗談で言えるわけがない」
背後のミリィもそれには異論がないようで、黙って頷いている。
けれど、ミツキの表情は淑音の予想に反して、憂いを含むものになってしまった。
淑音は彼女の顔をそっとのぞき込む。
ミツキは目を伏せて、何か考え込むような顔をしていた。
「わたしには……ここを出ていく資格はないように思える……」
「資格!? そんなもの必要なのかい?」
淑音が思ったことをミリィが代弁する。少し怒ったような言い方だった。
「資格」。そんなものが果たして必要なのか。
生きたいと思うこと以外に何が必要だというのか。
今の淑音には理解できなかった。
でも淑音は何か言いたくなる気持ちを堪えて、黙ったままミツキの瞳を見つめた。
その表情に自分に近い何かを感じたからだ。
ミツキはゆっくり続きの言葉を紡ぎだす。
「父親の話を……前にしたろ?」
淑音は嫌な予感がした。心臓が早鐘のように鳴っている。
「わたしに額の傷をつけたあの酷い父親さ。あの父親をわたしは──」
淑音は呼吸をするのも忘れて、ミツキを見つめていた。
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