浅葱色の桜

初音

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宮川勝五郎②

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 数日後、さくらと勝五郎は多摩川のほとりに寝転んでいた。
 出稽古に来ると、当たり前だが毎日稽古ばかりでさくらはこの辺りのことをよく知らなかった。そのことを話すと、勝五郎が「じゃあ天気もいいし、息抜きに散歩しないか」と、この多摩川に連れてきてくれたのだった。
「さくらはさ、なんで剣術をやろうって思ったんだ?」勝五郎は聞くともなしに聞いた。
 聞かれたさくらの方は少しだけ嬉しそうに微笑むと、話し始めた。
 最初は自分の名前の由来。そして、近所の悪ガキにからかわれて、一度は稽古をしたものの、最終的に稽古そのものは投げ出してしまったことも話した。
「稽古をやめた時、私の名前の由来なんてすっかり忘れてた。そのまま毎日適当に遊んで、適当に寺子屋に通って…」
 さくらは言葉を止めた。どうして、母上のことを思い出す時はいつも、空はこんなに澄み切ってるんだろう。
「十二歳の時、母上が死んだ」
「え…」勝五郎は息をのんだ。
 さくらはまた一部始終を話した。勝五郎は、ただ黙って聞いていた。
「ごめん…つらいこと思い出させちゃって…」勝五郎は消え入るように言った。
「いいんだ、もう。だから、私は男よりも強い女になるのだ。それが母上の望みだから。そして、名実ともに、天然理心流四代目になる」
 勝五郎は目を丸くして、やがてくすりと笑った。
「おれもバカだけど、さくらもバカだなー」
「何だと?私は今深刻な話をしていたというのにバカとは何だ!」
 勝五郎はまだ笑っていた。
「まあまあ、そんなに怒るなよ」勝五郎は再び寝ころんで、空を見上げた。
「さくらは女のくせに、道場を継ぎたいと思ってる。おれは農民のくせに武士になりたいと思ってる」
 さくらは耳を疑った。
「武士…?」
「そう。おれは剣の腕を磨いていつか武士になる。それで、この国のために働く」
 さくらの怒りなど吹っ飛んでしまった。
 農民の勝五郎が武士になる。
 女のさくらが道場を継ぐ。
 世間的にみれば、どちらも不可能だ。
 しかし、その不可能に挑戦しているさくらだからこそ、勝五郎のセリフを頭ごなしに否定することなどできなかった。
「さくら」
 勝五郎は落ち着いた調子でさくらの名を呼んだ。
「おれたち、絶対、お互いの夢を、実現させるんだ」
 さくらは力強くうなずいた。
 
 しかし、その半年後、さくらの夢を脅かすきっかけとなる出来事がおこった。
 勝五郎はあれから目覚ましい成長ぶりを見せ、入門から一年足らずで天然理心流の目録をもらってしまった。 
 さくらは目録を取るのにその倍以上の期間を要していたので、友人である勝五郎の快挙にも関わらず、否、友人だからこそ、さくらは悔しかった。
 そして、悔しい出来事はそれだけではなかったのである。

 ある夜、さくらは宮川家に泊まっていた。
 試衛館にはキチがいる。だからなんとなく帰りたくない。
 だからいっそのこと、多摩に留まってしまえばいいではないか、という悪知恵が近頃ついていた。
 もちろん、本当ならそんな理由は通じないわけだが、「もう少しここに残って稽古したい」と体よく言い訳をした挙句、周助だけ試衛館に帰って、さくらは宮川家や日野の井上家を泊まり歩く、ということがこのところ増えていたのだ。
 勝五郎の部屋の真ん中には衝立ついたてが立てられていて、縁側に近い方に勝五郎が、その向こうにさくらが眠っていた。
 しばらくすると、隣の部屋から物音がするのでさくらは目を覚ました。
 するとまもなく襖が開き、長兄の久米次郎くめじろうが入ってきた。
 勝五郎も目を覚まし、二人は何事かと久米次郎を見た。
「父上の部屋から物音がするんだ。最近ここらで空き巣が出るらしいから、うちにも来たのかもしれない」
 父上、つまり宮川久次郎みやがわくじろうは、今日は不在だった。
 久次郎の部屋は久米次郎の部屋の隣にある。
 三人は久米次郎の部屋に入り、息を潜めた。
 すると、数人の男が小声で何か話をしているのが聞こえてきた。
「すげえ、金目のものがこんなに」
 それを聞いた久米次郎は自分の刀を手に取ると、つばに親指をかけた。
「いいか二人とも、一気に飛び込んで追い払うんだ」久米次郎が慎重に言った。
「はい」とさくらは答え、持ってきていた木刀をぎゅっと握った。臨戦態勢はできている。
――天然理心流は実戦剣法。初めて使う時が…
「待ってください」
 勝五郎が急にそう言ったので、さくらは危うく木刀を落とすところだった。
「兄上、今ここで飛び出して斬り込めば、相手も必死に立ち向かってきます。少し様子を見て、油断したところで飛び込めば、やつらも混乱して本来の力を発揮できないでしょう。そこを狙っては…」
 久米次郎は目を丸くして勝五郎を見た。
「うむ…確かにそうだな…少し待とう」
 程なくして、物音がひと段落した。
 じっと耳を澄ますと、「こんなところか」という声が聞こえてきた。
「今です、兄上」
 久米次郎はおう、とうなずくと、バッと襖をあけた。
「この盗人!覚悟しろ!」
 盗賊は二人だった。うまいこと金目のものを風呂敷に包み終えて、すっかり安心していたのだろう。二人はヒッと声を上げると、風呂敷包みを落としてしまった。
「この野郎!」久米次郎はさっと剣を抜くと、一気に振りかぶった。
 さくらと勝五郎も木刀で立ち向かった。
 盗賊の一人がうめき声をあげた。久米次郎の剣が当たったらしく、肩から血を流していた。
「くそ、覚えてろよ!」無傷の方が吐き捨てるように言うと、結局二人の盗賊は盗もうとしたものを全部落としたまま、庭へと抜けた。
「おい、逃がすか!」久米次郎も慌てて二人を追いかけようとした。
「待ってください!」
 またしても勝五郎が止めに入った。久米次郎はぴたりと足を止めた。
「勝五郎、このままでは賊を逃してしまうぞ!」
「しかし兄上、窮鼠猫をかむともいいます。向こうは怪我をしているし、結局何も盗られていないのですから、これ以上追う必要もないでしょう」
 その言葉を聞いて、久米次郎はぐっと押し黙った。苦々しそうに剣を収めると、「そうだな…」とつぶやいて、盗賊が盗み損ねた品々を片づけ始めた。
 さくらは慌てて久米次郎を手伝った。
 この数分間、勝五郎の機転と落ち着きに、ただ舌を巻くばかりであった。
 自分なら、このような判断はできなかっただろう、と、さくらは感心すると同時に少し落ち込んでいた。
 この話は瞬く間に界隈に広まった。
 そして、この出来事が、勝五郎やさくらの人生を左右するきっかけになったのだった。
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