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第三部【前編】

ex4 ハイランカー反比例の法則

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 弾切れ―――、つまり咲の異能力値、言い換えればMPならぬSPが底を付いたのだ。その原因はもちろん無駄撃ちのせいだろう。
 
 異能者が行使する異能には多かれ少なかれ必ず使用限界があり無限ではない。俗に云われているのは使用回数が異能ランクに反比例するというものだ。一撃の威力が小さい異能ほど使用回数が多く、一撃の威力が大きい異能ほど使用回数が少ないという関係が成り立っている。また、異能力は体力や精神力とは比例関係にあり、体力が低下していけば威力や効果も低下していく。

 だからこそ一撃の攻撃力が高いハイランカーは戦い方に細心の注意を払わなければならないのだが、こうなってしまえばランクSを誇る彼女もただの女子高校生に過ぎない。

「え……、ウソだろ? どうすんだよこれから」

「……あなたがなんとかしてください……、オバケ怖い……」

 咲は隠れるように照の背中に顔を埋めてしまった。
 頭隠して尻隠さずというが、頭すら隠せていない。

「はあ、なんとかって……、ん?」

 小さく息を付いた照は焦げ臭匂いに鼻をひくつかせた。視線を下げると自分のブルゾンの裾が燃えている。プスプスと白い煙を上げ、メラメラと燃える炎が顔に向かって上がって来ている。
 
「うわぁぁ! あつッ! あちぃぃいいいっ! け、消してくれ!」

 その直後、廊下の奥で無数の炎が一斉に灯り攻撃が始まった。

「うわぁっぁぁぁっ! いっぱい来たぞ! 逃げろ!」

 放たれる炎、降り注ぐ火炎群、ブルゾンを脱ぎ捨てた照は咲の手を引っ張り逃走を開始する。



 校舎を駆けまわり、追って来る異能力者をなんとか撒いた二人は教室の隅にある掃除用具ロッカーに隠れていた。掃除用具入れとはいえ、一つのロッカーの中に少年と少女が対面して立つとやはり狭い。当然ながら二人の身体は互いの呼吸が感じられるほど密着していた。教室の外ではいくつもの足跡と怒号が飛び交っている。

「ど、どうしてアナタは異能を使わないのですか!?」

 最大限の小声で咲は叫んだ。

「うーん、使ってもいいけどさぁ。もし僕が君と協力して勝負に勝ってみろ、あの直江志津が後で何言い出すか分かんないぞ。純粋に君だけの力で堂々と勝った方がいいと思うんだけどね……」

「それは……確かに……」
「もう十分以上経過している。ギブアップするなら直江が来るまでここで隠れていた方が懸命だと思うよ」
「こ、こんな密着した状態でいつ来るとも知れない彼女を待つなんて……」
「幸いにもそこまで起伏が大きくないから窮屈さは感じない」

 咲は照の視線が自分の胸に注がれていることに気付く。

「……~~~ッ! あなたは―――」
「静かに!」

 咲の口を押えた照は咲の身体をグッと引き寄せる。照の顔が接近してきたことで咲の心音は跳ね上がった。
 足音がゆっくりロッカーの方へ近づいてくる。
 そして遂にロッカーの前で止まった。

 ノブに手がかかる―――、が踵を返した足音は教室の外へと出ていった。

「ふぅ……」
「ぷはっ!」

「あ、ごめん……。さあ、行こうか」

 赤面したまま咲はこくりと頷いた。

「ひぃ!」

 ロッカーを出た直後、咲は全身を跳ね上げて悲鳴を上げた。
 校舎に響き渡る女の悲鳴、さぞかし敵も度肝を抜かれたであろう。
 咲の表情はひどく脅えていた。涙目で照を見上げている。

「どうした!?」
「い、いま首筋に何か触れました……」
「触れた? なにが?」
「わ、わかりません……」

 そのとき―――、

「―――ッ!」

 ピチャリ、照の首筋にも何かが触れる―――。

 冷たい……、これは……。

 照は天井を見上げた。

「み、水だ、天井から水滴が落ちて……」

 ピチョン、ピチョンと水が滴る音が教室に響き渡っていた。

 これは……、なにか、ヤバイ気がする!

 一歩後退した照の足元に、

 バシャ―――。

 いつの間にか大量の水が床を満たしていた。静かに水位が上がり始めた水は踝ほどまで昇ってきている。続いて地鳴りが聞こえてきた。今はまだ遠いが徐々に近づいてくるように大きくなっていく。

 やがて照の鼓膜は空気と建物全体が震える音をハッキリ捉えた。
 
「やばいぞ……、咲、走るぞ!」

「なんで? なんですか!? 怖いのはもう嫌です!」
「違う! 落ち着け! 水だ! 直江志津はこの建物を水で覆い尽くす気だ!」
「なんですって!?」
「屋上に逃げるぞ!」

 再び咲の手を掴んだ照は走り出した。教室を飛び出し、廊下を疾走し角を曲がって階段を駆け上がる。逃げる二人を追いかけるが如く流水が階段を駆け上がってきた。

「エグいことを考えやがる! 溺れされて意識を失わせた後に一気に拘束するって算段か!? やるじゃないかあの関西娘!」

 最後の階段を駆け上がった先は鉄の扉で固く閉ざされていた。屋上と屋内を隔てるドアは当然のように鍵が掛けられ、照の力では押し開けることは不可能だ。それでも照は何度も体をぶつけて扉にタックルを続ける。水位はさらに上昇し既に二人の腰まで水が満たしていた。

「くそ! 開かない!」
「どいてください!」

 咲は照を押しのけた。

「どうするつもりだ!?」
「あと一撃くらいなら!」

 ドアの前に立った咲が半身に構え、トンファーを横一文字に振った。

 バゴン! 
 不可視の力によって吹っ飛んでいく鉄のドア、二人の体は水流に押されて流される。
 屋上の中心で急激な渦が発生し、咲と照は渦に呑み込まれ水中に引きずり込まれていく。きり揉みになりながら照は咲の手を掴むと一緒に水面に顔を出した。

「ぶはっ!」

 渦は消え去り屋上一面が水で満たされていた。足は付かない。おそらく水深は四、五メートル近くあるだろう。大量の水が校舎全体を覆い尽くしている。

 照は空を見上げた。

 清々しいまでに晴れた青い空、空を漂う白く厚い雲、優しい日差しを放つ太陽、そして見渡す限りの田園風景、ずぶ濡れの二人はキョトンと顔を見合わせ同時に笑い出した。

「今日は気温が高かいからまだ良かったけど、この季節の水泳はちょっと冷たいな」
「そうですね、でもそんなに悪くありませんよ」

 濡れた金色の髪をかき上げて咲は微笑んだ。

「ああ、悪くない。ううん、黒い下着か……、なかなか背伸びしたね」

 照は親指を立ててサムズアップさせる。
 水を吸収したブラウスが彼女の白い肌に張り付き、薄っすらと下着の色と形状を浮かび上がらせていた。
 沸騰するように顔を真っ赤に染めた咲は口角をヒクヒクと引くつらせ、ふるふると震えていた拳が照の顔面を貫き、照は水中に沈んでいった。



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