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第七章 不治の病
不治の病①
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結局あの日以来、成宮先生は俺に触れることもなく、上司と部下の関係は続いている。
やっぱりあれは夢だったんだ……そう自分に何度も言い聞かせてみるけど、それを納得できない自分もいる。俺の中での葛藤は続いていた。
それは小児科病棟に配置されて、一カ月が経とうとしていた頃だった。
「水瀬、この子を担当してみな。そろそろ患者を持ってもいい頃だからな」
その言葉に俺は目を見開いた。医者になって初めて担当の患者さんを持たせて貰えた俺は、めちゃくちゃ嬉しかった。それは、医者として成長した証にも感じられたし、何より……成宮先生に認められたような気がして嬉しかったのだ。それに、その子からしてみたら、俺は『主治医』となる。
「主治医かぁ」
医者としての大きな一歩を踏み出すことができる。俺の胸は高鳴った。
「ただ、ちょっと難しいケースかもしれない。この子は先天性の疾患を持っていて、今までも入退院を繰り返している。名前は蓮田沙羅ちゃん。三歳」
「三歳、ですか」
「ああ。今回は非常に危険な状態だ。もしかしたら、命に関わるかもしれない」
その成宮先生の言葉に、俺は目を見開いた。そんな重症な患者を、俺が受け持つことができるのだろうか。
「お前が受け持ってやれ」
「なんでこんな重症な子を、俺が?」
「この子はもう先が長くない。お前に沙羅ちゃんの最期を見届けてあげて欲しいんだ」
自分の手がカタカタと小刻みに震えるのを感じる。三歳の幼い命が自分に委ねられるなんて。俺はそれが強いプレッシャーとなった。
「大丈夫だ。俺がサポートしてやるし、全部お前に任せっきりなんかしないから。だから、やれるだけやってみな?」
そう言うと、成宮先生はどこかに行ってしまう。俺は、その背中を見つめた。なんて頼りがいのある背中なのだろうか。俺の心臓が、再び不整脈を奏で始める。
まただ。苦しい……。成宮先生に気付かれないように、グッと唇を噛み締めた。
「あ、いた! 柏木!」
「水瀬、久し振り……って、わっ!」
俺は大学の同級である柏木比呂の腕を掴み、物陰へと引きずり込んだ。突然の俺の不可解な行動に、柏木が眉を顰める。
「なんだよ、水瀬。一体どうしたんだ?」
「柏木、内科病棟にいるんだろう? 相談があるんだ」
「え? 何? 相談って……」
俺が泣きそうな顔をしたらしく、柏木が俺の顔を覗き込んでくる。柏木はやんちゃな感じに見えるけど、本当は凄く真面目でいい奴だ。俺の一番の親友、と言ってもいい。
「俺、何かの病気かもしれない。でも、こんな事柏木にしか話せなくて……」
「病気? 水瀬、落ち着いて。俺にちゃんと話してくれ」
俺は俯いたまま、コクンと頷く。それから、ポツリポツリと話し始めた。
「俺さ、時々不整脈みたいな感じになって、呼吸が苦しくなるんだ」
「マジか? どんな時にその症状が出るんだ?」
「それが、ある特定の人の傍にいるとそうなっちゃうんだよ」
「は?」
「その人、普段はめちゃくちゃ素っ気ないのに、ふとした時に優しくて……そんな時に、心臓がドキドキして、息ができなくなる」
「はぁ? お前、それって……」
「多分、俺、何かの病気だと思う。なぁ、どうしたらいいと思う? 検査とかしたほうがいいかな?」
「水瀬、本当に勘弁してくれって……」
「え?」
柏木が苦笑いをしながら大きな溜息をつくものだから、俺はますます不安になってしまう。
「その病気はな、いくら検査したって原因はわからないし、どんな薬を飲んだって治らないよ」
「そんな……不治の病ってこと?」
「そう。人間がこの世に生を受けてから、ずっと続いている不治の病だ」
俺は、柏木の言葉に肩を落としてしまう。
ようやく研修医になれたばかりなのに、不治の病だなんて……そんな……。
そんな俺を見て柏木がククッと喉の奥で笑いながら、バシバシと背中を叩いてくれる。
「まぁさ、その人にお前のその症状を話してみたら? 何とかしてくれるかもしれないぜ?」
「え? 成宮先生なら治せるの?」
「は? お前がそうなる相手って、あの小児科病棟のエース、成宮先生なの?」
「うん。そう」
「それはそれは……随分と高嶺の花に……」
柏木が、『ご愁傷様』と言わんばかりに顔を顰めた。
「とりあえずさ、成宮先生に素直に話してみなよ? あの人なら治してくれるかもよ?」
「でも……それだけは、無理だよ」
「え? なんで?」
「あの人にだけは話せない。俺がこんな風になっているなんて知ったら、何を言われるかわかったもんじゃないし。きっと、からかわれちゃうよ」
俺は唇を噛み締めて俯く。
こんなこと、あの人にだけは知られたくない。だから信頼している柏木にっこっそり相談したのだ。
「なんか俺の想像以上に拗れてそうだな……そもそもお前、普通に彼女いただろうに……」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもない。とにかく自分の心に素直になってみな? そしたら案外簡単に治るかもよ?」
「……素直に?」
「まぁ、とにかくお大事に。じゃあ、俺仕事に戻るから」
「あ、ちょっと、柏木!」
俺の肩を叩いて、手を振りながら微笑む柏木。「もっと話を聞いてほしい」と言いたかったけれど、忙しそうな柏木にこれ以上時間をとらせるわけにはいかない。
「不治の、病か……」
俺は大きく息を吐いてから、重たい足取りで小児科病棟へと向かったのだった。
やっぱりあれは夢だったんだ……そう自分に何度も言い聞かせてみるけど、それを納得できない自分もいる。俺の中での葛藤は続いていた。
それは小児科病棟に配置されて、一カ月が経とうとしていた頃だった。
「水瀬、この子を担当してみな。そろそろ患者を持ってもいい頃だからな」
その言葉に俺は目を見開いた。医者になって初めて担当の患者さんを持たせて貰えた俺は、めちゃくちゃ嬉しかった。それは、医者として成長した証にも感じられたし、何より……成宮先生に認められたような気がして嬉しかったのだ。それに、その子からしてみたら、俺は『主治医』となる。
「主治医かぁ」
医者としての大きな一歩を踏み出すことができる。俺の胸は高鳴った。
「ただ、ちょっと難しいケースかもしれない。この子は先天性の疾患を持っていて、今までも入退院を繰り返している。名前は蓮田沙羅ちゃん。三歳」
「三歳、ですか」
「ああ。今回は非常に危険な状態だ。もしかしたら、命に関わるかもしれない」
その成宮先生の言葉に、俺は目を見開いた。そんな重症な患者を、俺が受け持つことができるのだろうか。
「お前が受け持ってやれ」
「なんでこんな重症な子を、俺が?」
「この子はもう先が長くない。お前に沙羅ちゃんの最期を見届けてあげて欲しいんだ」
自分の手がカタカタと小刻みに震えるのを感じる。三歳の幼い命が自分に委ねられるなんて。俺はそれが強いプレッシャーとなった。
「大丈夫だ。俺がサポートしてやるし、全部お前に任せっきりなんかしないから。だから、やれるだけやってみな?」
そう言うと、成宮先生はどこかに行ってしまう。俺は、その背中を見つめた。なんて頼りがいのある背中なのだろうか。俺の心臓が、再び不整脈を奏で始める。
まただ。苦しい……。成宮先生に気付かれないように、グッと唇を噛み締めた。
「あ、いた! 柏木!」
「水瀬、久し振り……って、わっ!」
俺は大学の同級である柏木比呂の腕を掴み、物陰へと引きずり込んだ。突然の俺の不可解な行動に、柏木が眉を顰める。
「なんだよ、水瀬。一体どうしたんだ?」
「柏木、内科病棟にいるんだろう? 相談があるんだ」
「え? 何? 相談って……」
俺が泣きそうな顔をしたらしく、柏木が俺の顔を覗き込んでくる。柏木はやんちゃな感じに見えるけど、本当は凄く真面目でいい奴だ。俺の一番の親友、と言ってもいい。
「俺、何かの病気かもしれない。でも、こんな事柏木にしか話せなくて……」
「病気? 水瀬、落ち着いて。俺にちゃんと話してくれ」
俺は俯いたまま、コクンと頷く。それから、ポツリポツリと話し始めた。
「俺さ、時々不整脈みたいな感じになって、呼吸が苦しくなるんだ」
「マジか? どんな時にその症状が出るんだ?」
「それが、ある特定の人の傍にいるとそうなっちゃうんだよ」
「は?」
「その人、普段はめちゃくちゃ素っ気ないのに、ふとした時に優しくて……そんな時に、心臓がドキドキして、息ができなくなる」
「はぁ? お前、それって……」
「多分、俺、何かの病気だと思う。なぁ、どうしたらいいと思う? 検査とかしたほうがいいかな?」
「水瀬、本当に勘弁してくれって……」
「え?」
柏木が苦笑いをしながら大きな溜息をつくものだから、俺はますます不安になってしまう。
「その病気はな、いくら検査したって原因はわからないし、どんな薬を飲んだって治らないよ」
「そんな……不治の病ってこと?」
「そう。人間がこの世に生を受けてから、ずっと続いている不治の病だ」
俺は、柏木の言葉に肩を落としてしまう。
ようやく研修医になれたばかりなのに、不治の病だなんて……そんな……。
そんな俺を見て柏木がククッと喉の奥で笑いながら、バシバシと背中を叩いてくれる。
「まぁさ、その人にお前のその症状を話してみたら? 何とかしてくれるかもしれないぜ?」
「え? 成宮先生なら治せるの?」
「は? お前がそうなる相手って、あの小児科病棟のエース、成宮先生なの?」
「うん。そう」
「それはそれは……随分と高嶺の花に……」
柏木が、『ご愁傷様』と言わんばかりに顔を顰めた。
「とりあえずさ、成宮先生に素直に話してみなよ? あの人なら治してくれるかもよ?」
「でも……それだけは、無理だよ」
「え? なんで?」
「あの人にだけは話せない。俺がこんな風になっているなんて知ったら、何を言われるかわかったもんじゃないし。きっと、からかわれちゃうよ」
俺は唇を噛み締めて俯く。
こんなこと、あの人にだけは知られたくない。だから信頼している柏木にっこっそり相談したのだ。
「なんか俺の想像以上に拗れてそうだな……そもそもお前、普通に彼女いただろうに……」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもない。とにかく自分の心に素直になってみな? そしたら案外簡単に治るかもよ?」
「……素直に?」
「まぁ、とにかくお大事に。じゃあ、俺仕事に戻るから」
「あ、ちょっと、柏木!」
俺の肩を叩いて、手を振りながら微笑む柏木。「もっと話を聞いてほしい」と言いたかったけれど、忙しそうな柏木にこれ以上時間をとらせるわけにはいかない。
「不治の、病か……」
俺は大きく息を吐いてから、重たい足取りで小児科病棟へと向かったのだった。
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