蒼の箱庭

葎月壱人

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序章

偽り

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どうしてこうなっちゃうんだろう?
後悔しか残ってない重苦しい心を身体から取り出せたらどんなに良いか。
真白は一人あてもなく歩き続けながら後を託してしまった姫椿の事を思った。

「あんなの丸投げだよね……後で謝らなきゃ」

いつの間にか燃えるように周囲を染めていた夕日も影を潜め、青みがかった夜の帳が星を輝かせながら空に展開されつつある。
ひんやりとした風を肌で感じながら無意識に来ていた場所は、学園の離れにある湖畔。
ここは真白のお気に入りの場所だ。
悲しい時や一人になりたい時、最近は読書の時にも利用している。
夜の匂いに混ざって香る青々とした芝生の絨毯に腰掛けながら、ふと昔の思い出がノイズ混じりに頭を掠めた。

そうだ。
昔、この場所を共有していた子がいた。
雪乃と喧嘩してしまった時は助け舟を出してくれて、優しくて、頼もしさに憧れて尊敬していた人。
どうして忘れてたんだろう?
確か、転校してしまったんだっけ?
はっきりと思い出せないもどかしさと寂しさが入り混じって胸を締め付ける。その人に関する情報が抜け落ちている気味の悪さが気持ち悪い。

「そうだ!雪乃にっ……、って。無理でしょ」

都合の良い時にだけ雪乃に頼ろうとするなんて……

“無神経”

いつまでも頭にこびりついて離れない雪乃の言葉に、真白はその場に仰向けに倒れた。
両手を広げ目の前に広がる夜空を見つめ、静かに目を閉じる。
そうすれば嫌な事も消える気がした。
きつく目を閉じれば何もかも上手く行く気がし始めた頃。

カサカサカサカサ

先程から何か音がするとは思っていたけれど、野生の動物だろうと決めつけて確認すらしなかった。
しかし今、頬に何やら湿っぽくてザラザラしたものが当たる。
恐る恐る片目を開けると、目の前に黒光りした大きな鼻が一際大きく“ぶぉっ”と音を立てて鼻息を吹きかけてきた。

「うわっ……!!」

静止の声も虚しく後退りしながら何とか起き上がると、真白の目の前には引き締まった四肢をした金の鬣を持つ馬が一頭、真白の反応を面白がる様に尻尾を揺らして立っていた。

「う、うまぁ?」

犬かと思っていたが予想の斜め上をいく生き物の登場に情けない声が出た。
ブルル、と鼻を鳴らし零れ落ちてしまいそうな金色の瞳は妙に懐かしくて目が逸らせない。

「綺羅?」

唐突に思い出した名前は、さっきまで思い出せずにいた人のものだと確信が持てた。それくらい自然に自分の心にストンと落ちてきたのだ。
馬は微動だにしないで、その瞳に真白の姿を写している。

「ご、ごめん。友達に似てて。いや!決して馬面だったとかじゃないよ?何ていうか……あ、雰囲気!雰囲気が似てて安心するの」

馬相手に何言ってんだと急に恥ずかしくなってきた。

「ごめん……本当。おいで?お家に帰ろ?私が連れてってあげる」

鼻筋を撫でながら優しく話しかけ、学園で管理している小屋まで連れて行こうと試みた時、一際大きな嘶きを上げた馬は颯爽と森の奥へと消えていった。
一瞬の出来事に圧倒されていると、遠くから聞き慣れた声が真白を呼んでいる。

「まーーーしーーーろーーーーー」
「姫?」
「あったりー!!」

姫椿は勢い良く真白に飛びつくと、走って上がる息を整えながら赤らんだ顔を綻ばせた。

「ねぇ!ご飯、行こう?今日は海老フライ定食だよ!?ねっ!?真白、行こう!!」

食い気が凄い姫椿に手を掴まれ、言われるがまま走り出した。
いつも王李の後ろに隠れて菓子パンを食べてたり、皆から一歩下がっている控えめな姫椿の手が今は暖かくて力強くて頼もしい。
走る度に左右に揺れる姫椿の長いおさげを見ながら、真白は視界が涙でぼやけていくのを止められなかった。
感極まって声も震えてたかもしれないけど、これだけは言いたい。

「ありがとう」
「ふふっ、海老フライ三個でいいよ!」
「……それきっと全部だよ」

振り返って、悪戯っぽく微笑む姫椿につられて真白も笑う。
笑った時に涙が一粒、溢れて落ちた。





白馬は、扉を開けてすぐに鼻をついた芳香剤に近い花の香りに顔をしかめた。
学長室は骨董品と古書の香りと歴代の年老いた学長の肖像画がある格式高い印象があったのに対して、上に立つ者が変わるだけでこうも安っぽいホテルの一室に変わるのかと幻滅した。
赤を基調とした壁紙と絨毯に映えるからと無理矢理設置した漆黒の机。
趣味の悪い金色の大きな花瓶に咲き乱れているピンク色の薔薇。
来賓用の黒革のソファーにはハート型のクッションが敷き詰められ、座る気すら失せる。
赴任して一年たらずで悪趣味な部屋をよく作り上げたものだと呆れていると別室に繋がる内扉が開き、中から一糸纏わぬ姿で現れた人物に愕然とし白馬は背を向けた。
体のラインをなぞる桃色の髪は濡れ、赤い絨毯に水滴を落とす事も気にせずバスローブを身に纏うと、律儀な白馬に声を掛けた。

「はぁーくん♪おまたせ」
「気持ち悪い呼び方は止めろ、白椿」
「えぇー??何、何?ご機嫌斜めー?冷たくしないでよぅ」

頬を膨らませて拗ねた様に眉を寄せながら白椿は自分の席に腰を深く沈め大胆に脚を組むと、あからさまなため息をついた。

「はぁーくんこそ、口の聞き方に気をつけて?今の私は、この学園の最高責任者なんだから」

無表情だった白馬の眉が微かに反応したのを満足そうに見ながら、引き出しから資料を取り出し机の上に放り投げた。

「明日から“朱の大会”の来賓がうちの学園に来るわ。今回は上玉が多いから去年よりも参加者が多いの。いつも通り宿泊施設の手配をよろしくね。あと私と一緒に挨拶周りがあるから忘れないで?それとぉ……」

「取引、覚えてるよな?」

会話を遮ってまで質問してきた白馬の声に顔を上げると、鋭い光を放った青い瞳と目が合った。

「覚えてるも何もぉ」

真っ赤な唇を窄ませ、とぼけてみせる。

「売人が自らの商品を買うなんて、ね?ふふっ。何が貴方を変えてしまったのかしらぁ。愛、それとも……恋?」

冷やかされているのだとわかってはいたが、白馬は押し黙ったまま答えなかった。

生徒達は知らない。
この学園は、人間を買う事が唯一許されている合法の場であり林檎の国は子飼いの国とも呼ばれている事を。
金に困った者が子供を林檎の国に売り、学園で一から教育を受けさせた後に人材を欲している国々へ売り、買われていくシステム。
“朱の大会”は、その中でも飛び抜けて優秀な子の即売会として人気を誇る催しだった。

「“暗夜”も遂にここまで来たのねぇ」

白椿は感慨深そうに呟きながら、ネックレスのチャームとして揺れる小さくて赤い南京錠を無意識に触った。
白馬が自分の病を治す為に薬学に精通していると噂だった白椿を頼ったのは随分昔の話だ。
当時の白椿は、愛する人と引き離される悲劇に見舞われていたものの、“永遠の愛”についての研究を続けていて、その資金繰りの為に林檎の国の運営権を狙っていた。
そんな経緯から生まれた組織“暗夜”は今、人身売買業界トップの地位に君臨している。

「長かったわぁ。今、お互い目的のものは手中にある。あとは円滑に“朱の大会”を開催すればいいだけ。願いが成就するまで……あと一歩。長年かけて作った薬品達も生徒達の身体に浸透している。余計な事は忘れて自由に生活している可愛い金のたまご達!ここは学園。楽しいわよね?青春だもの。でも。はーくん、貴方は自分の責務を忘れちゃ駄目よ?ちゃんと頑張れば、ご褒美に取引に応じてあげる」

無言のまま踵を返す白馬の背中に向けて白椿は追い討ちを掛けた。  

「“暗夜”特別価格で販売してあげるからね?」

学長室の扉が閉まった後、壁を殴る乾いた音がした。
きっと白馬だろうと思うと笑みが溢れる。
残念、その顔が大好きなのにと。

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