心のすきまに【社会人恋愛短編集】

山田森湖

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社内ポストに、差出人不明のメモが届いた

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社内ポストに、差出人不明のメモが届いた


 会社にある個人ポストは、ほとんど誰も使わない。大事な書類はメールで送られるし、回覧物は社内システムで済んでしまう。
 けれどある日、私のポストに一枚のメモが入っていた。

 「今日もお疲れさまでした」

 ただそれだけ。差出人の名前もなく、印刷された紙でもなく、手書きの走り書き。少し癖のある文字だった。

 最初は間違いだと思った。けれど翌週、また同じ曜日の朝に、新しいメモが入っていた。
 「昨日のプレゼン、良かったです」

 ……私のことを見ている?

 ざわつく胸を抑えながら、誰にも見せずに引き出しにしまった。

 それから毎週、同じ曜日になるとメモは届いた。内容はささやかなものばかりだ。
 「髪を切ったんですね」
 「笑った顔が好きです」
 「風邪をひかないように」

 気味が悪い、と思うよりも、なぜか心が温かくなった。匿名の誰かが、私を見守ってくれている。そう思うと、心が軽くなるのだった。

 ――そして、ある日。
 机に戻ると、同僚の健太さんが私の引き出しを開けていて、慌てて閉めた。
 「……ごめん。資料探してて」
 その仕草にどこかぎこちなさを感じた。引き出しには、差し出人不明のメモがしまってある。まさか、と思った。

 その週、届いたメモにはこう書かれていた。
 「いつも隣で見てるのに、言えないんです」

 胸が熱くなった。――やっぱり、健太さんなの?

 確かめたくて、翌週の同じ曜日、私はわざと残業を切り上げてポストの前に立った。少しして、廊下の向こうから健太さんが歩いてきた。手に小さな紙を持って。
 彼は私に気づき、動きを止めた。

 「……やっぱり、健太さんだったんですね」
 私が声をかけると、彼は観念したように笑った。
 「ごめん。気味悪かったよね。でも……直接は言えなくて」

 その夜、二人で飲みに行った。いつもと違う顔の彼は、少し赤くなった頬で言った。
 「本当は、最初から好きだった。けど、いきなり告白なんてできなくて……」
 「だから、メモを?」
 「うん。気づいてほしかった」

 私はグラスを置き、彼の手にそっと触れた。
 「……気づいてました。嬉しかった」

 見つめ合ううちに、自然と身体が近づいた。気づけばホテルの部屋にいた。
 狭いベッドに腰を下ろすと、健太さんは震える声で言った。
 「こんなふうに触れていいの、ずっと想像してた」

 コートを脱がされ、唇を重ねられる。熱が全身に広がっていく。
 「……健太さん」
 名前を呼ぶと、彼は切なそうに抱きしめた。

 何度もメモに書かれていた「好きです」の言葉を、今は耳元で囁いてくれる。その声に応えるように、私は彼を受け入れた。
 深く繋がり、熱に溺れ、気づけば涙がにじんでいた。

 すべてが終わったあと、彼は私の髪を撫でながら言った。
 「これからは、ちゃんと顔を見て言うよ」
 「うん……でも、あのメモも大事にする」

 翌朝、出社するとポストに最後のメモが入っていた。
 「これで終わりです。あなたが笑ってくれてよかった」

 その代わりに、隣の席から彼が笑いかけてきた。
 ――これからは匿名じゃなく、名前を呼んで。そう思いながら私も笑い返した。
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