心のすきまに【社会人恋愛短編集】

山田森湖

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出張先の空港で、彼女と同じ便だった

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出張先の空港で、彼女と同じ便だった

 地方の小さな空港は、夕方になると急に静まり返る。
 蛍光灯の白い光と、床に反射する影だけが時間を教えてくれるようだった。

 俺はベンチに腰を下ろし、ノートパソコンを閉じた。
 出張先でのプレゼンを終え、これでようやく東京に帰れる――そう思った瞬間、聞き慣れた声が背中越しに届いた。

「……あれ? 佐藤さん?」

 振り返ると、彼女が立っていた。
 同じ会社の別部署、後輩の綾。社内では何度か会議で顔を合わせた程度で、ちゃんと話したことはほとんどない。
 だけど、俺は前から彼女のことを知っていた。
 明るい茶色の髪をひとつに結び、笑うと目尻が少し下がる。
 その笑顔を見るたびに、ふと息を止めてしまう自分がいた。

「綾? こんなとこで何してるんだ」
「私も出張だったんです。あ、もしかして同じ便ですか?」

 彼女がチケットを見せる。
 便名も出発時刻も、俺とまったく同じだった。

「うわ、偶然ですね。なんか変な感じ」
「ほんとだな。……まさか会社の人と空港で会うとは」

 二人で笑った。
 けれどその笑いは、少しだけ照れていた。

 ――機内では、なぜか隣の席だった。
 座席番号を見て、お互いに顔を見合わせる。
 「本当に偶然ですね」と、綾が小さく笑った。
 それだけで、心臓が少し速く打った。

 機体が滑走路を走り出し、ふわりと浮き上がる。
 外はもう暗く、窓の外に街の灯りが点々と流れていく。
 俺は無意識に、彼女の横顔を見ていた。
 頬に光る小さなピアス。まつげの影。
 そのすべてが、近くにありすぎた。

「佐藤さんって、いつも冷静ですよね」
 綾が、シートベルトを外しながら言った。

「そんなことないよ。内心ではけっこう焦ってる」
「え、意外。じゃあ、今日のプレゼンも?」
「もちろん。失敗したらどうしようって思ってた」
「嘘。あんなに堂々としてたのに」

 彼女は笑って、少しだけ俺の腕に触れた。
 指先が、服越しに体温を伝える。
 その一瞬に、喉の奥が熱くなる。
 言葉よりも先に、身体が反応していた。

 ――飛行機が揺れた。
 思わず彼女の肩に手を置く。
 そのまま、彼女の顔が近づく。
 距離が縮まった。息がかかるほどに。

「……大丈夫です」
 小さく呟いた声が、鼓膜の奥に響く。
 その声が、やけに甘く感じた。

 着陸してからも、俺たちは無言のままだった。
 けれど、沈黙の中に妙な温度があった。
 夜の羽田に着き、空港を出ると、雨が降り出していた。

「タクシー、呼びますね」
 彼女がスマホを取り出す。
 俺は自然と、その肩に傘を差しかけた。
 細い肩が、少し震えていた。

「……良かったら、一緒にどう?」
 自分でも驚くくらい、低い声だった。
 綾は少しだけ考えてから、小さく頷いた。

***

 ホテルの部屋に入ると、外の雨音がすぐに遠くなった。
 濡れた髪をタオルで拭きながら、彼女は笑う。
 「まさか東京でまでホテル泊するとは思いませんでしたね」
 その笑顔が、少し酔って見えた。

 俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、差し出した。
 受け取る指が触れた瞬間、心臓が跳ねた。
 もう、止められなかった。

「……綾」
 名前を呼ぶと、彼女は目を見開き、すぐに俯いた。
 「さっき、飛行機で……ドキッとしました」
 その一言で、理性が崩れた。

 唇を重ねる。
 ためらいも、言い訳もなかった。
 ただ、彼女の熱を確かめたかった。

 彼女の背に腕を回すと、素直に身体を預けてきた。
 長い髪が頬にかかり、息が混ざる。
 静かな部屋の中で、雨音だけが続いていた。

 ――偶然なんて、本当にあるんだろうか。
 それともこれは、必然だったのか。
 そんなことを考える余裕もなく、彼女の名を呼び続けた。

***

 朝、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
 ベッドの上で、彼女が眠っている。
 その横顔を見つめながら、俺は少しだけ苦笑した。
 「また隣、いいですか?」――昨夜、彼女が笑いながら言った言葉。
 それは冗談だったのか、本音だったのか。

 彼女の指が、シーツの上で俺の手を探す。
 そっと握り返すと、眠ったまま小さく微笑んだ。
 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が温かくなった。

 ――もう偶然なんかじゃない。
 俺はそう思った。
 そして、彼女の髪にそっと口づけを落とした。
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