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後輩の彼女は、僕のミスをかばってくれた
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後輩の彼女は、僕のミスをかばってくれた
社会人七年目。
毎日はルーティンで埋まっていた。
メールをさばき、会議に出て、残業をして帰る。
仕事に“感情”なんて持ち込まない――それが自分のルールだった。
けれど、彼女が入ってきてから、そのルールは少しずつ崩れていった。
後輩の真奈(まな)。
入社二年目、少し天然で、でもどこか芯がある。
最初はただの部下だった。
ところが、彼女が報告書を持って僕の席に来るたび、胸の奥がかすかにざわつくようになった。
「先輩、今日のデータ、これで合ってますか?」
「うん。完璧。ありがとう。」
そう言うと、彼女はほんの少し笑って、「よかった」と息を吐く。
その何気ない仕草に、心が波立つ。
***
トラブルが起きたのは、月末の金曜日だった。
僕が提出した見積書に、致命的な誤りが見つかった。
クライアントとの契約金額を、一桁間違えていたのだ。
冷や汗が背中を伝う。
会議室に呼ばれ、部長に叱責される覚悟をしていた。
けれど、最初に口を開いたのは真奈だった。
「すみません、それ……私が確認漏れしてました。」
一瞬、時間が止まった。
僕は彼女を見た。
その瞳はまっすぐで、少し震えていた。
部長は眉をひそめ、「今後は気をつけろ」と言って会議を終えた。
僕は彼女を追って廊下に出た。
「どうして、あんなこと言ったんだ?」
「だって……先輩、責められるの見てられなかったから。」
その言葉が胸に刺さった。
優しさじゃなく、何かもっと深いもの。
僕は無意識に、彼女の手首を掴んでいた。
「真奈、俺のミスだ。君がかばう必要なんて——」
「あります。」
彼女は僕の手を見つめ、静かに言った。
「先輩、いつも私の失敗、フォローしてくれるじゃないですか。だから……今度は、私の番です。」
会議室のドア越しに、誰もいないオフィスの気配が漂っていた。
遠くでエアコンの風が鳴る。
その静けさが、二人の距離を近づけていった。
***
その夜、残業を終えて帰ろうとしたとき、彼女がまだデスクにいた。
白いシャツの袖をまくり、真剣な顔でパソコンに向かっている。
僕は気づけば、声をかけていた。
「もう九時だぞ。送るよ。」
「大丈夫です。電車ありますから。」
「でも、今日は……ありがとう。」
その言葉に、彼女の肩が少しだけ震えた。
そして、モニターを消し、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、少しだけ……駅までお願いします。」
***
オフィスの灯りを落とし、二人でエレベーターに乗った。
金属の壁に、僕たちの影が並ぶ。
降りるボタンを押した指先が、かすかに触れた。
その瞬間、体温が伝わる。
誰もいない夜のエントランス。
自動ドアの向こうに、春の夜風が流れ込んでくる。
「先輩、怒ってました?」
「いや……守ってくれて、嬉しかった。」
「……怒ってもらった方が、楽だったのに。」
彼女が小さく笑う。
僕は何かを言いかけて、やめた。
代わりに、肩にかかった髪に指先が触れてしまう。
真奈が動かない。
少し俯いたまま、かすかに息をのむ音だけが聞こえる。
「……こんなの、ダメですよね。」
彼女の声が震えていた。
僕も同じ気持ちだった。
だけど、もう止められなかった。
唇が触れた瞬間、長い時間をかけてこじ開けられたような感覚がした。
短く、静かなキス。
けれど、胸の奥では何かが確かに動いた。
***
翌週、部署での空気は何も変わらなかった。
僕も彼女も、いつも通りに仕事をこなした。
だけど、ひとつだけ違った。
「真奈、この資料、頼む。」
その名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど柔らかくなっていた。
彼女は、目だけで笑ってうなずいた。
それだけで十分だった。
たぶん、僕たちはこの関係を言葉にはしない。
誰にも見せないまま、少しずつ距離を縮めていくのだと思う。
恋愛経験なんて、ほとんどない。
でも、今のこの静かな熱だけは、本物だと感じていた。
社会人七年目。
毎日はルーティンで埋まっていた。
メールをさばき、会議に出て、残業をして帰る。
仕事に“感情”なんて持ち込まない――それが自分のルールだった。
けれど、彼女が入ってきてから、そのルールは少しずつ崩れていった。
後輩の真奈(まな)。
入社二年目、少し天然で、でもどこか芯がある。
最初はただの部下だった。
ところが、彼女が報告書を持って僕の席に来るたび、胸の奥がかすかにざわつくようになった。
「先輩、今日のデータ、これで合ってますか?」
「うん。完璧。ありがとう。」
そう言うと、彼女はほんの少し笑って、「よかった」と息を吐く。
その何気ない仕草に、心が波立つ。
***
トラブルが起きたのは、月末の金曜日だった。
僕が提出した見積書に、致命的な誤りが見つかった。
クライアントとの契約金額を、一桁間違えていたのだ。
冷や汗が背中を伝う。
会議室に呼ばれ、部長に叱責される覚悟をしていた。
けれど、最初に口を開いたのは真奈だった。
「すみません、それ……私が確認漏れしてました。」
一瞬、時間が止まった。
僕は彼女を見た。
その瞳はまっすぐで、少し震えていた。
部長は眉をひそめ、「今後は気をつけろ」と言って会議を終えた。
僕は彼女を追って廊下に出た。
「どうして、あんなこと言ったんだ?」
「だって……先輩、責められるの見てられなかったから。」
その言葉が胸に刺さった。
優しさじゃなく、何かもっと深いもの。
僕は無意識に、彼女の手首を掴んでいた。
「真奈、俺のミスだ。君がかばう必要なんて——」
「あります。」
彼女は僕の手を見つめ、静かに言った。
「先輩、いつも私の失敗、フォローしてくれるじゃないですか。だから……今度は、私の番です。」
会議室のドア越しに、誰もいないオフィスの気配が漂っていた。
遠くでエアコンの風が鳴る。
その静けさが、二人の距離を近づけていった。
***
その夜、残業を終えて帰ろうとしたとき、彼女がまだデスクにいた。
白いシャツの袖をまくり、真剣な顔でパソコンに向かっている。
僕は気づけば、声をかけていた。
「もう九時だぞ。送るよ。」
「大丈夫です。電車ありますから。」
「でも、今日は……ありがとう。」
その言葉に、彼女の肩が少しだけ震えた。
そして、モニターを消し、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、少しだけ……駅までお願いします。」
***
オフィスの灯りを落とし、二人でエレベーターに乗った。
金属の壁に、僕たちの影が並ぶ。
降りるボタンを押した指先が、かすかに触れた。
その瞬間、体温が伝わる。
誰もいない夜のエントランス。
自動ドアの向こうに、春の夜風が流れ込んでくる。
「先輩、怒ってました?」
「いや……守ってくれて、嬉しかった。」
「……怒ってもらった方が、楽だったのに。」
彼女が小さく笑う。
僕は何かを言いかけて、やめた。
代わりに、肩にかかった髪に指先が触れてしまう。
真奈が動かない。
少し俯いたまま、かすかに息をのむ音だけが聞こえる。
「……こんなの、ダメですよね。」
彼女の声が震えていた。
僕も同じ気持ちだった。
だけど、もう止められなかった。
唇が触れた瞬間、長い時間をかけてこじ開けられたような感覚がした。
短く、静かなキス。
けれど、胸の奥では何かが確かに動いた。
***
翌週、部署での空気は何も変わらなかった。
僕も彼女も、いつも通りに仕事をこなした。
だけど、ひとつだけ違った。
「真奈、この資料、頼む。」
その名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど柔らかくなっていた。
彼女は、目だけで笑ってうなずいた。
それだけで十分だった。
たぶん、僕たちはこの関係を言葉にはしない。
誰にも見せないまま、少しずつ距離を縮めていくのだと思う。
恋愛経験なんて、ほとんどない。
でも、今のこの静かな熱だけは、本物だと感じていた。
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