森へ消えた悪役令嬢

ともえなこ

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「お嬢様、どうか……ご無事で」

馬車から降りたグレイスは、晩秋の冷たい風を浴びながら、最後まで付き添ってくれた侍女の姿を見送った。

「もう、私は公爵令嬢でありながら、誰からも庇われる立場ではないのね」

呟いた声に、馬車の御者は返事もせず急いで行ってしまう。まるでグレイスに関われば厄介事に巻き込まれるとでも思っているかのようだ。

「ここは……王都の外れ。とにかく、あまり目立たない場所へ移動しなければ」

グレイスは心を決め、薄暗い街道沿いを歩き始める。次第に太陽が沈み、空がオレンジ色から紫色へと移ろうにつれ、人通りも少なくなっていく。

「しかし、どうして私が悪役令嬢のレッテルを貼られることになったのか……」

ふと脳裏をよぎるのは、心当たりのない罪の数々。まるで周囲が一斉に彼女を貶めるために仕組んでいるかのようだ。

「グレイス様!」

微かな声がして振り向くと、一人の若い執事が駆け寄ってきた。荒い息をしながらも、どこか必死そうな表情。

「ケヴィン……」

その執事はエルメラルド家に長く仕えてきた者ではないが、グレイスに対しては常に敬意を払ってくれた。

「馬車で送るようにと言われたのですが……広場に護衛が現れ、グレイス様の行方を探しているようです。ご注意を」

「護衛? 何故私を……。王宮の命令かしら」

ハロルドが婚約破棄を公にした時点で、何かしらの政治的意図が働いている。それは薄々感じていたが、まさかここまで露骨に追われるとは予想していなかった。

「グレイス様、まずは安全な場所へ。どうかこちらへ」

ケヴィンが差し出した手を一瞬見つめる。しかし彼まで巻き込んでいいのか、躊躇が生じる。

「あなたを危険に晒すわけにはいかない」

「ご心配なく、私はお嬢様に助けられたことがあるのです。あのときのご恩返しをさせてください」

意志の強い目に押されるように、グレイスは小さく頷く。ひとまず足を止めていられる状況でもない。

「わかったわ。案内してちょうだい」

ケヴィンは周囲を警戒しながら、小道へグレイスを誘う。人気のない路地裏に身を潜め、どうにか護衛の視線から逃れる。

「申し訳ございません。こんな薄暗い所に隠れていただくなど……」

「いいのよ。これしか方法がないなら」

壁にもたれかかりながら、グレイスは思考を巡らせる。ハロルドに見放されただけでなく、王宮の護衛から追われている可能性が高い。その理由を今は知ることができないが、このまま王都にとどまれば危険に晒されることは明らかだ。

「それにしても、お嬢様を陥れる噂はどうにも不自然です。どこかで作為を感じます」

ケヴィンの声に、グレイスは少しだけ肩の力を抜いて答える。

「私も同感よ。まるで誰かが私を……公爵家を貶めるために仕組んでいるみたい」

闇が深まるにつれ、街灯も次々と消えていく。王都は華やかな表通りを除き、辺境や裏通りは夜には危険が増すのが常だ。

「ケヴィン、あなたが無事なうちに引き返したほうがいい。これから先はもっと危険になる」

「それでも、私はお嬢様をお守りしたい。……どうかこの先、森を抜けるルートを考えてみては?」

「森、ですって?」

グレイスは眉をひそめる。夜の森は魔物が出没するとも噂され、決して近寄ってはならない場所だとされていた。

「危険はあるでしょう。しかし、今のままでは王宮や兵士の目がありありと光っています。森ならば、そう簡単に追跡できないはず」

「……わかった。私はもう、行くところもないもの。ならば、夜の森へ」

その決断が、運命を大きく動かすことになると知らぬまま、グレイスは薄暗い夜道を再び歩み出すのだった。
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