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第10話 暗殺者の刃
しおりを挟むホールは、水を打ったように静まり返っていた。
誰もが、私の突然の宣言に言葉を失い、固唾を飲んで私とカフカ殿下を見つめている。
「……リルティア、嬢」
カフカ殿下は、呆然とした表情で私の名前を呼んだ。
その顔には、困惑と、そして微かな哀しみの色が浮かんでいるように見えた。
彼は、私に向かって一歩、歩み寄る。
「すまない……君を、そこまで追い詰めていたことに、気づけなかった」
そう言って、彼は深く、頭を下げようとした。
その瞬間だった。
カフカ殿下の動きが、ぴたりと止まる。
彼の視線は、私ではなく、私のすぐ後ろに立つアナクシス嬢に、釘付けになっていた。
「……!」
私も、つられるようにアナクシス嬢を見る。
彼女は、ただ静かに、そこに立っているだけだ。
だが、カフカ殿下の瞳には、ただならぬ緊張の色が浮かんでいた。
一体、何が……?
「危ないっ!!」
カフカ殿下は、獣のような叫び声を上げると、凄まじい勢いで私を突き飛ばした。
「きゃっ!」
私は、なすすべもなく床に尻もちをつく。
一体何が起こったのか、理解できなかった。
そして、私は見た。
アナクシス嬢のドレスの袖から、ぬるり、と黒い刃が滑り出るのを。
その刃は、月明かりを不気味に反射する、毒が塗られた暗殺者のナイフ。
「殿下っ!!」
私の悲鳴と、肉を抉る鈍い音が重なった。
アナクシス嬢が振り抜いたナイフは、私を庇ったカフカ殿下の脇腹に、深く突き刺さっていた。
「ぐっ……ぁ……!」
カフカ殿下の口から、苦悶の声が漏れる。
真紅の血が、彼の純白の礼服を、見る見るうちに染め上げていく。
ホールは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
貴婦人たちの悲鳴が、あちこちで木霊する。
アナクシス嬢は、無表情のまま、倒れ込むカフカ殿下にとどめを刺そうと、再びナイフを振り上げた。
「させませんわっ!」
その時、一陣の風が巻き起こった。
桜色のドレスを翻し、群衆の中から飛び出してきたのは、フブカ王女だった。
彼女は、信じられないほどの速度でアナクシス嬢との距離を詰めると、舞うように高く足を蹴り上げた。
キィン!
フブカ王女の靴の爪先が、アナクシス嬢の手首を正確に捉え、毒ナイフが甲高い音を立てて宙を舞う。
ナイフは回転しながら床に突き刺さり、ぶるぶると震えた。
「……!」
アナクシス嬢は、初めて驚愕の色を顔に浮かべ、後方へ飛びのく。
しかし、フブカ王女は追撃の手を緩めない。
フブカ王女の動きは、まるで舞踊のようだった。しなやかで、優雅で、それでいて一撃一撃が恐ろしく的確だ。
対するアナクシス嬢の動きは、一切の無駄がない、暗殺者のための体術。
素手と足技だけの、恐ろしくハイレベルな攻防が、ホールの中心で繰り広げられる。
貴族たちは、目の前で起こっていることが信じられず、ただ立ち尽くすばかりだ。
そして、一瞬の隙。
フブカ王女は、アナクシス嬢の懐に深く踏み込むと、流れるような動きでその腕を取り、関節を極めた。
「ぐっ……!」
さすがのアナクシス嬢も、完全に動きを封じられ、苦悶の声を漏らす。
「身柄を確保しました! 衛兵、この者を捕らえなさい!」
フブカ王女の凛とした声に、衛兵たちが我に返って駆け寄ってくる。
私は、そんな光景も目に入らず、血の海に倒れるカフカ殿下の元へ這い寄った。
「殿下! 殿下、しっかりなさって!」
彼の体は、どんどん冷たくなっていく。
呼びかけても、その瞳は虚ろに宙を見つめるだけだった。
私のせいで。
私が、婚約破棄なんて叫んだから。
「いや……いやぁぁぁぁっ!」
私の絶叫が、混沌とするホールに、虚しく響き渡った。
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