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1抜錨編

1抜錨編-1

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   序


 特別地域/アヴィオン海/北緯二九度・東経一五度
 ロンデル標準時〇七二三まるななふたさん時――


 まぶたを下ろし、五感全ての神経を聴覚ひとつに集中する。
 くらい、暗い深海の闇の中、レシーバーを通じて聞こえてくるのは波の音、小さな泡のつぶれる音、色彩鮮やかな魚達のさえずり。
 海を満たす様々なざわめきに覆われた向こう側の気配を探るために、計器を操る指はそっと静かに、あたかも壊れやすいガラス細工ざいくでも扱うような慎重さで動く。

「…………?」

 邪魔な息をらし、心拍すらも抑え、四方八方から届く雑音のベールを一枚、また一枚といでいく。そんな作業の繰り返しの果てに、ようやく目標の姿を朧気おぼろげながらに見出すことが出来る。それは砂浜に落とした一本の針を、手の感触だけで探そうとするようなものかもしれない。

「……どうだ、いるだろ?」

 海上自衛隊所属、おやしお型潜水艦『きたしお』。
 その薄暗い水測室で、レシーバーから伝わってくる音になるかならないかの、鼓膜こまくに触れる程度の感覚に集中していた松橋まつばし二等海曹は、水測員長の問いかけに、「しっ!」と返す。そして指先で慎重に操作卓のボリュームを手繰たぐりつつ喉を鳴らすように応えた。

「確かに、員長の仰る通りです。『にししお』の持ち帰った音に似てる感じがあります。でも、同じかどうかまでは、まだ何とも……」
「いや、いい。お前が似ているって思うだけで十分だ」

 水測員長片桐かたぎり一等海曹はそれを聞いてニヤリと微笑んだ。


 発令所――潜水艦の一切を取り仕切るそこは、大型バスの椅子を全て取っ払ったよりも、一回り広い程度の空間である。
 その中央には中之島なかのしまと呼ばれる一段高くなっている場所があり、神殿の柱のごとき潜望鏡が前と後ろに合わせて二本、天井から床に穿うがたれたあなを貫いて階下まで伸びている。
 左右の壁面には艦をコントロールし、あるいは情報を集め戦闘をするためのコンソールが並び、乗組員達が中央に背を向けるようにしてそれらを操作している。
 付け加えると左舷ひだりげん前方の奥まった座席には、操舵そうだ員が進行方向に向かって座っている。ここが潜水艦のコクピット――操舵席である。
 しかしそこに座る者の姿は、バスや航空機の操縦席を見たことのある者にとって奇妙に感じられるだろう。何しろ窓のない計器ばかりの壁に向かって舵を握っているのだから。つまり前方が全く見えない。しかしそれで不都合がないのが潜水艦なのだ。
 彼らの背後には、左舷側と右舷みぎげん側それぞれの乗組員達を分掌ぶんしょう監督かんとくする潜航せんこう指揮官と哨戒しょうかいが一人ずつ、更に中之島には全体を統括とうかつする哨戒長が立って彼らの仕事ぶりに目を配っていた。
 哨戒長の小松島こまつじま三等海佐は少し苛立いらだつように爪を噛んでいる。スピーカーから漏れ聞こえる水測室からの声が、先ほどから落ち着かない様子だったからだ。

『発令所、ソーナー。艦首方向やや右に何かがいます。S八五シエラはちじゅうごとします』
「S八五の正体が何か、分かるか? この特地の海ではどんな化け物が出てもおかしくないからな。備えるなら早め早めにしておきたい」
『データがあまりにも不足しているため確信をもって言うことは出来ないんですが、松橋は『にししお』が持ち帰ってきたサンプル音に良く似ていると言っています』
「松橋が、か?」
「はい、松橋が、です」

 松橋という水測員は一種の天才で、人並み外れた聴覚と、機械よりも優れた分解能を持つ。これまで日本近海に侵入したロシア、中国、韓国、北朝鮮、果ては米国の潜水艦までも驚嘆すべき距離から探知してきた。その男が疑わしいというなら、それだけで充分な説得力を持つのだ。
 小松島三佐は、待っていた答えがようやく出たとばかりに勢いよく振り返った。

「艦長。特別無音潜航とくべつむおんせんこうを令します」
「うむ」

 黒川雅也くろかわまさや一等海佐は頷く。
 両舷を一望できる発令所の最後部、海図台を背にする位置に、赤いカバーのついた折り畳み椅子があり、そこに腰を据え、全てを睥睨へいげいしているのが艦長であった。
 艦長は潜水艦の言わば大脳だ。
 潜水艦は艦長の肉体であり、乗組員達は一人残らずその臓腑器官にたとえることが出来る。肉体は脳に従って動くもの。全ては艦長の裁可さいかの下に行われ、その節度と意思に従う。中級指揮官はいわば脊髄せきずい。反射運動に限っては命令することが出来るが、それでも脳のコントロールを受ける。

「特別無音潜航はじめ」

 小松島三等海佐は令した。

「全艦、発令所。特別無音潜航、はじめ!」

 艦内通信を担当するICアイシー員から伝えられた命令によって、『きたしお』艦内に流れていた空気は、ぴたりと止まったのだった。


    *    *


 調理室で包丁片手にじゃが芋の皮をいていた徳島とくしま二等海曹は、素早くその芋の欠片かけらを口へと運んだ。一欠片、そしてもう一欠片。

「うん、これはいい味だ。美味おいしくなれる芋だ」

 若干の青臭さは残るものの瑞々しさのある歯応えに彼が頷いた瞬間、全艦内に向けた放送が流れた。

『全艦、発令所。特別無音潜航、はじめ!』
特無潜とくむせん!?」

 どんなに忙しくしていようとも、彼が命令を聞き逃すことは滅多にない。それは彼の名前が『はじめ』だからかも知れない、通常は耳を通じて脳で処理された後に入ってくる音声が、肌を通じてダイレクトに魂に響くのだ。
 おかげでいつ何時なんどき降ってくるか分からない命令に、戸惑うことなく反射的に従えるようになるのは同期の仲間よりも早かった。
 自衛隊に入ったばかりの頃、普通の人間は「命令とは何か」を理解することに戸惑い、受け入れがたく思うものだ。しかし徳島はこう解釈した。命令とは要するにこちらの都合お構いなしに下されるもの。トイレに入って大きい物をひり出している真っ最中だろうと、シャワーを浴びてる最中だろうと、その命令が発された瞬間、全てを中断してしかるべき役割を果たすべく配置に向かうこと。それが乗組員に課せられた責務であり、価値ある物を生産しているわけでも、売っているわけでもない自分達が世の中から給料という分け前をいただくために差し出せるせめてもの対価なのだ。
 とはいえ、このタイミングでの特別無音潜航は徳島にとっては最悪だった。現在『きたしお』の艦内で起居ききょする人員は、員数外の徳島らを合わせて七十四名。調理室はその男達の空腹を満たすための食事を作っている真っ最中なのだ。

「ちっ、せっかくのじゃが芋が……」

 徳島はじゃが芋の白い素肌の変色が少しでも遅くなるようにと、ジッパー付きビニルに入れて冷蔵庫に運び込んだ。
 まだ皮の付いている芋は大丈夫なので科員食堂の椅子の下にある保管箱に戻す。そして他の給養員や第四分隊の乗組員とともに調理場の器具全てを止めて回った。

「徳島、こっちの箱だ。急げ!」
「了解っ!」

 そして保存食の入ったダンボールを給養員長と一緒に倉庫から取り出す。
 特別無音潜航とは、冷蔵庫だろうとエアコンだろうと、推進器以外のありとあらゆる機械を止めて音を立てないようにすることを意味している。配置に就いていない非番の乗組員達などは酸素の消費量を抑えるべく全員がベッドに入って息を潜めていなくてはならない。つまりはトイレに行くことすらままならない(ドアの開け閉め、水を流す音の発生を防ぐため)、最高レベルの静寂が要求されるのだ。
 もちろん調理場の機能も停止してしまうので代わりとなる食事が必要だ。七十四名の乗組員達はこの特無潜の態勢が解かれるまで、味気ない缶詰で耐え続けるしかないのである。


「えっと、松橋二曹のベッドは……ここか!」

 徳島は発射管室の下にある居室、三段ベッドの一番上によじ登ると、転がるようにして横になった。『きたしお』の正規の乗組員ではない……つまりはお客に過ぎない彼の寝床は、本来発射管室にずらりと並ぶ魚雷の隣だ。だが特無潜が令されるような情勢時は、発射管室が非常に忙しくなる可能性がある。そのためこうした際は空いているベッドを借りることになっていた。

「この特無潜、いつまで続くんだ?」

 潜水艦乗組員用のベッドは、寝返りするのも難しいほどの隙間しかない。しかし松橋二曹のベッドに限っては天井までが少し広くなっていて圧迫感が少なかった。
 とはいえそれだけの空間が一番上の段に与えられるのはそれなりの理由があるわけで、実際には太いパイプが横切っていたり、換気のダクトが口を開いていたりと居住性の悪さでは他に引けを取らない欠点を持っていた。

「さあな。この特地の海じゃ、潜水艦に乗って長い俺ですら何もかもが初めて尽くしだ。自信を持って知っていると言えるのはこの『きたしお』のことだけ。予想なんてつかねえよ」

 隣のベットにいる給養員長の夏沢なつざわ二等海曹が、くぐもった声で不満そうに答える。
 更に下のベットの高田たかだ三等海曹からも話しかけられた。

「心配しなくて大丈夫ですよ徳島さん。俺達が、ちゃんと目的地まで送り届けてあげますから安心してください。異世界の海でだって、『きたしお』は最強です」
「いや、そうじゃなくってじゃが芋のことが心配で」
「心配ってそっちのことっすか?」

 一番下の段の幸田こうだ三等海曹が笑った。

「本当に料理オタクっすよね、徳島さんは……けど、その思いは俺らも同じっす。こうしている間にも野菜がどんどんしなびていきます。せっかく苦労して鮮度を維持するよう頑張ってきたっていうのに」

 いたみやすい生糧品を守るため、給養員の夏沢、高田、幸田らは野菜の傷んできたところはむしり、褥瘡じょくそうが出来ないようこまめに寝返りを打たせ、空洞には綿わたを詰めるという細心さで丁寧に管理してきた。なのに肝心の調理を中断させられてしまった。これが長く続くと今までの手間が全て無駄になってしまうのだ。
 もっとも、潜水艦は旅客船ではない。戦うための船だ。優先されるのがどちらであるかは自ずと知れる。こういう時に苦汁くじゅうを舐めることもまた給料の内に含まれているのである。

「質の良いじゃが芋なんだけどな……」

 徳島は手を軽く上げただけで触れることの出来る天井を眺めつつ嘆いた。そして時と共に風味の落ちていくじゃが芋のシャキシャキした味を反芻はんすうした。あれでどんな料理が作れたかと考えてしまうのだ。コロッケ、芋グラタン、ハッシュドポテト……それらの料理へと昇華できる可能性が、刻一刻と失われていくことが彼には悲しく思われてならなかったのである。


 凍り付いたような空気の中で、時計の秒針が一周また一周と音もなく回っていく。
 その間にも発令所には特別無音潜航の態勢が整ったという報告が各所から送られてきた。機械室、調理室、各居室等……。そして、ついに『きたしお』艦内の全てが静寂に包まれた。
 そのまま十分、二十分と過ぎ、やがて三十分を過ぎた頃、艦長の黒川は声を抑え、しかしながら発令所内の誰もが聞き取れる音量で令した。

「取り舵五度。ゆっくりとだぞ」

 舵を大きく速く動かすと、どうしても機械が音を発して敵に気付かれてしまう。これを避けるためにあらゆる操作をゆっくりと、最小限に抑えなければならない。

「とーりかーじ」

 操舵員の木内きうち海士長が復誦ふくしょうしつつ舵をゆっくりと左に切る。
 艦は少し遅れて艦首を左に向け始めた。艦の針路を示す数値はゆっくりと変わっていき、その数値が一四二ひとひゃくよんじゅうふた度に達する僅か前に、無電池電話を装着して艦内のあらゆる箇所との連絡を引き受けるIC員が告げた。

「発令所、ソーナー。S八五の方位二一一ふたひゃくじゅうひと度。かんひと鰭進音えいしんおんらしい!」

 潜水艦のソーナーは曳航えいこうソーナーを除けば艦体の横っ腹に装備している物がもっとも感度が良い。艦首の方向を左に逸らし、S八五に右舷を向けたことで側面アレイが音を拾ったのだ。
 鰭進音えいしんおんという呼称は、この特地に来るまでは乗員達にとってもあまり耳慣れないものだった。これまで生き物の立てる音は全て魚鳴音ぎょめいおんとして一緒くたにされていたからだ。それは生き物が潜水艦にとって脅威となることがなかったからなのだが、特地の海では二つの音を分類して警戒する必要が生じていた。

「一四二度ヨーソロー」

 黒川は操舵員にソーナーが効果的に働く針路を維持するよう命じた。

「一四二度ヨーソロー……ヨーソロー一四二度」

 取り舵の勢いを打ち消す当て舵を終えて針路が安定したことが知らされると、黒川は「ヨーソロー」と返し、爾後じごはS八五の監視に意識を向けた。

「S八五の識別は?」

 問いかけるとIC員が送話器に囁く。そして戻ってきた返事に聞き耳を立てて黒川に告げた。

「未だ確証得られず……」

 厄介なのは鰭進音えいしんおんを立てているこの目標が何なのか、判別が難しいことだ。
 これが果たして無害な海棲生物の発する音なのか、それとも『敵』なのか、データがなさ過ぎるのだ。

曳航ソーナーTASSを出しますか?」

 船務長でもある小松島三等海佐が囁く。

「いや、いい。必要なら片桐が言ってくる」

 だが黒川はそれを制し、全てを肯定するように頷いた。
 余計なことは言わずとも、水測員長の片桐が全力を尽くしているのは分かっている。急かそうとも励まそうとも、それが理由で目標の識別が早く進むということはない。従って黒川が今なすべきは、報告が上がってくるのを待つこと。焦る気持ちを表に出さず、どっしりと腰を据えた姿勢で瞑目めいもくしたのだった。



 艦内時間一二二一ひとふたふたひと時――


「S八五を失探ロスト?」

 水測室を訪ねた艦長の黒川に、片桐水測員長は申し訳なさげに告げた。

「シャドーゾーンに入ったものと思われます……」

 片桐の悔しさの籠もった口調を聞くと、黒川は唇を噛みつつもすぐに気を取り直して告げた。

「探し続けろ」

 本当に存在していた物なら消えてなくなることはない。きっとまだそこにいるはずなのだから。

「了解」

 水測室を出て発令所に戻りながら「さて、どうしたものか?」と自問する。
「潜水艦の戦いは、狙撃兵同士のそれに似ている」とは誰の台詞だったろうか。
 物語や映画では、ギリースーツに身を固め狙撃銃を手にした兵士が、森や草むらに身を伏せた敵を見つけ出し、銃を構えて引き金を引く瞬間のみが描かれる。だが、狙撃兵の戦いの神髄はそこに至るまでの過程にある。
 敵の思考を読み、出し抜き、有利な位置を占めるための、壮絶な忍耐を伴う命がけの駆け引き。何時間、あるいは何日間も地に伏せ、泥にまみれ、虫にたかられ、糞尿を垂れ流しつつ手にした寸毫すうごうのチャンスに、ようやく射撃の腕を見せられるのだ。的当てが上手なだけなら、すぐに死んでしまう。
 潜水艦の戦いとてそうだ。しかもこれに関して言えば、『有事』も『平時』もない。

「海の中に姿を隠し、敵を探す」

 言葉にすれば簡単なはずのこの一言だが、そこに含まれている意味は、とてつもない忍耐と労苦と思考と計算の積み重ねだ。物語として語るには地味に過ぎて退屈する。

「現在の海況は?」

 黒川の問いに対し、一二〇〇ひとふたまるまる時を境に哨戒長に上番した厚木あつぎ一等海尉が答えた。

「我が艦の深さ二一五ふたひゃくじゅうごメートルにおける水温一二・三じゅうふたてんさんです」

 潜航長の手によって、深さは黒川が令した数字プラマイ五〇メートルの範囲で維持されている。深さの許容幅を大きく設定したのは音を立てないため、操作を最低限に抑えているからなので仕方がない。しかし、それに伴ってここ数分の間に大きく変わった数字があった。

「海水温度が先ほどから変わったか?」
「はい」

 勝手の分からない海に苛立った黒川は、舌打ちしつつ立ち上がって背後の海図台を振り返った。
 海水はしょっぱいが、その濃度は場所や深さで異なる。
 海水は総じて冷たいが、その温度は場所や深さで異なる。
 そしてこの二つの要素は、深さに伴い高くなる水圧と同様、音の伝達速度に大きく影響する。温度、塩分、水圧、いずれも高くなればなるほど、音は速く伝わるようになる。
 音は、その伝播でんぱ速度がに向けて屈曲くっきょくする性質があるため、四方八方、同心円状に放たれた音も、塩分や温度の違う塊や層を通り抜けていく内に音の届かない場所が出てくる。
 これをシャドーゾーンと呼び、潜水艦はまさにそのゾーンを利用して敵から己の姿を隠蔽いんぺいするのである。あたかもギリースーツを纏って草むらに身を潜める狙撃手のように。
 これまで『きたしお』がいた海域は遠浅とおあさで、海面付近とそう大差のない水温が一五〇メートル前後にまで広がっていた。しかしこの辺りから海底は崖のごとく急激に落ち込んでいて、表層とは温度も塩分濃度も異なる水塊が底に溜まっていたらしい。その水塊の上縁に、『きたしお』は知らないうちに潜り込んでいたのだ。
 おかげで今現在、S八五の発した音波は『きたしお』を避けるように下方へと向かう。そのために音の聴知ちょうちが出来なくなっていた。
 対策として手っ取り早いのは艦の潜度を変えることだが、S八五を失探ロストした状態ではそれは避けたい。潜度を変えるというのは舵を動かすことであり、音を立てることに繋がるのだ。
 これを狙撃兵に喩えて言うなら、敵を探すために移動を試みてがさがさと草むらを揺すってしまうのと同じだ。もしS八五が敵で、こちらを注意深く見ていたら一発で居所が知れる。次の瞬間には敵の放った必殺の弾丸が飛んでくるのである。
 結局、黒川はこのまま潜度、速度共に維持することにした。
 海底の深度を慎重に測りつつ、静かに静かにゆっくりと進む。急がず、焦らず、忍の一文字。それが深海という戦場で生き残るための要諦ようていなのだ。



 艦内時間一四一五ひとよんひとご時――


 特別無音潜航が令されて約七時間。『きたしお』は舵の利く最低の速度でゆっくりと進んでいた。
 発令所の指揮を哨戒長に任せた黒川は、再び発令所を出て水測室を覗き込む。

「ん、なんでお前達が?」

 すると水測員長の片桐と松橋の二人がいた。
 潜水艦は三直さんちょくに分かれて通常六時間で交代する。十二時を境に次のちょくに入っているのだから、二人とも休息に入っていなければならない。なのに二人はコンソールにしがみついて離れようとしなかった。きっとS八五の正体を暴かないまま申し継ぎは出来ないという心境なのだろう。

「多分……いや、間違いなくこれがS八五ですね」

 レシーバーに手を当てた松橋が瞼を軽く閉じたまま呟いた。

「本当に、見つけたのか?」
「はい」

 黒川はLOFARローファーグラムやBTRのモニターに目を向けた。
 それらには海中を伝播してくる音に含まれる様々な成分が、色や形状として表現される。しかしはっきりと分かるような画像は表示されていない。
 それでも松橋は自信ありげに言った。

「間違いありません」

 黒川は「そうか」と首肯した。
 どれほど技術が進んでも、もっともあてになるのは人の耳であり、経験を積み上げた人間の勘だということを黒川は知っている。最新技術で作られた機器は人間を助けるために存在する。つまりは人間が主であり機械は補助でしかない。

「方位は?」
「方位二五〇ふたひゃくごじゅう。やや右に落ちて行っています」
「それで松橋、S八五は『にししお』が持ち帰ったサンプルと同じか?」
「目標までの距離があるせいで波長の短い音は減衰し、聞こえるのは波長の長い音だけになります。おかげで『にししお』が持ち帰ったサンプルと同じとまでは言い切れません。もっと短い波長の音が入ってきませんと……」
「そうか……。S八五がこちらに気付いている様子は?」
「いえ……動きは、ゆっくりと真っ直ぐです」
「分かった。引き続き目標の監視を続けてくれ。それと片桐、そろそろ交代しろ。肝心な時にお前達が役に立たないってのが一番困るんだからな」
「了解しました、艦長」

 片桐水測員長の満足げな返事を聞きながら黒川は水測室を出た。
 数歩進んで発令所に戻ると、士官室係の海士長が黒川を待ち構えていた。

「艦長、食事をお取りください」
「しばらく自分が発令所に詰めています。艦長は士官食堂でどうぞ」

 副長兼航海長の八戸はちのへ二等海佐が士官室係に口添えするかのように言った。
 昼食寸前に失探ロストしてしまったため発令所に詰めていた黒川は、そのまま昼食を取り忘れていたのだ。だが、S八五の位置が改めて判明したのだから、指揮を哨戒長に任せて食事を取りに行っても確かに問題なかった。

「そうか。……そうだな。ありがとう。では哨戒長は現針路を維持してS八五の監視を続行。副長、S八五に特に変化がなく無事にやり過ごせるようなら……そうだな、五時間後に元の航路に戻る航行こうこう計画を立ててくれ」
「了解。一九一五ひときゅうひとごに旧針路に復するための航行計画を立案します」
「頼む」

 黒川は発令所の指揮を哨戒長に任せると、士官食堂へ向かった。
 おやしお型潜水艦の通路の狭さは、例えるならJR特急電車の乗降口あたりに似ている。トイレがあったり、客室乗務員室があったり、洗面所があったりするあのスペースである。
 その通路沿いにあるこれまた狭い開口部をくぐると、士官食堂があった。
 士官食堂の艦長用の席には、乾パンと缶詰の載ったトレイが置かれている。
 特別無音潜航を令している間は煮炊にたきが出来ないからこの食事は当然の有り様だった。潜水艦の美食に舌が慣れきっていた黒川もこれには流石に泣けた。黒川ですらこれほどがっかりした気分になるのだから、一般の乗組員達は大いに不満を抱いていることだろう。
 唯一の救いは芳醇な香りを漂わせているコーヒーだけだった。

「艦長……S八五は『にししお』が遭遇したというアレでしょうかねぇ?」

 とりあえず出された食事を終えて、黒川がコーヒーを楽しんでいると、食卓で暇をかこっていた一等海佐の階級章をつけた作業服の男が声を掛けてきた。
 この男は江田島えだじま五郎ごろう
 情報業務群・特地担当統括官というあまり耳にしない肩書きを持ち、特地に関わるあらゆる事柄を引き受けている。普段は海上自衛隊が活動する上で必要となる情報収集を行っており、船が現在位置を知るために必要な天文年鑑を作成するための資料をロンデルの天文学者と交渉して獲得したのもこの男であった。
 そんな男が『きたしお』に乗りこんできたのも当然、任務のためだ。『きたしお』の役目はこの男を目的地へと送り届けることなのだ。

「おそらくは、そうだろうな」

 黒川は『にししお』の艦長の佐久間さくま一等海佐を思い返しつつ頷いた。
『にししお』とは特地の海域に初めて進出した海上自衛隊の潜水艦だ。
 特地の海については今でもろくな海図がない状況だが、三ヵ月前はもっと酷かった。『にししお』は初めてプレイするダンジョンゲームのマッピングをするような慎重さで、少し進んでは浮上天測し、潜航しては測深、海水の水温、密度、流速といった海況情報の収集をしつつゆっくりと進んでいた。
 そしてある日突然、目標と遭遇した。
 だが『にししお』の佐久間艦長は自らの役割を心得ていた。敵の情報を持ち帰ることこそ第一の使命と考え、あわや撃沈される寸前になりながらも、艦と乗員、そして貴重なデータを母港に持ち帰ることに成功したのである。
 その時の経験やデータはもちろん『きたしお』にも引き継がれている。
 ふとその時、副長が士官食堂に駆け込んできて告げた。

「艦長、七枚の鰭進音えいしんおん聴知! 松橋が断言しています。S八五は『にししお』を襲った鎧鯨よろいくじらに間違いなし!」

 黒川と江田島はコーヒーを飲む手を止めて発令所へと戻った。そして現在の自艦の深さと海底までの距離を確認すると、報告を求めた。
 するとこれまでに判明したデータが次々と報告される。

「目標運動解析、出ました。的針てきしん〇二九ふたじゅうきゅう度。的速てきそく一二じゅうふたノット。最近接距離CAP四三〇〇よんせんさんびゃくです!」
「意外と行足ゆきあしが速くなってるな。このまま、やり過ごせそうか?」
「待ってください、S八五に動きあり!」

 するとその時、目標の様子が急変した。生き物にありがちな気まぐれか、それとも何か別の事情があるのか急に挙動を変えたのだ。
 何か別の事情!?
 自らの思考の隙間にまったその一言に驚愕した黒川が息を呑んだ。
 事情とは何か? それはきっと攻撃する時だ。そう考えが至った瞬間、黒川の背筋に悪寒が走り、全身の皮膚が総毛立そうけだった。
 黒川は特別無音潜航の沈黙を破る勢いで怒鳴った。

「攻撃来るぞ! 前進一杯! 面舵おもかじ一杯! 潜横舵下げ舵一杯! 衝撃に備えっ!」

 その直後、カスタネットを連打するような『カカカカカカッ!』という機械的な音が船体を叩く。
 水測員がモニターに映った画像を睨みながら叫んだ。

「探信音、来たっ!」

 この探信音は敵がいるかどうかを確認するといった生易しいものではない。狙いをよく定めるためのものだ。もちろんターゲットは『きたしお』だ。

「おもーかーじいっぱーい! 潜横舵下げ舵いっぱーい、ヨーソロー!」

 操舵員が復誦しつつ大きく舵を突き出し、そしてひねる。しかし実際に船体が反応するまでには僅かながらのタイムラグがあってそれがうとましい。

「ヨーソロー、潜横舵下げ舵いっぱい!」

 永遠とも思われる数瞬を経て、『きたしお』の艦内通路は右前方に向けた滑り台ほどの急斜面となっていく。
 卓上の食器や保存食の空き缶などがゴムシートを敷き詰めた床を転げた。
 艦内では咄嗟とっさの命令に対処しきれず、乗組員の何人かが壁にぶつかり、床を転げる。
 保存食の入っていたダンボール箱を片付けていた夏沢二曹は、それに巻き込まれて盛大に頭を打ちつけてしまった。


『きたしお』は右回転の螺旋を描くように急激に潜航していった。
 突如としてジェットコースターが急落するような感覚に襲われた乗組員達は投げ出されないようにベットへとしがみつく。

「くっ……間に合ってくれ」

 重い緊張の中で徳島は喘ぐように呟いた。

『シクヴァル、本艦の左舷上方を通過!』

 あちこちのベッドから安堵の溜め息が漏れ聞こえる。『にししお』に何が起きたのか、皆が知っているのだ。
 通称『鎧鯨コルヌ・ケートゥス』。特地乙種三類害獣に分類される獰猛な海棲生物で、体長は成獣になると五〇~六〇メートルになる。小型の木造船なら、船ごと乗員が喰われることも少なくない。もりや剣の類はもちろん通じないから特地の現地人はこれを悪神のごとく恐れている。
 その特異な部分は、硬く分厚い外骨格で身を覆い、鋭い牙を持つことだ。そしてその長大な牙を水中でありながらも音を超える速度で投射し、獲物に突き刺して捕食する。
 牙の全長はおよそ六メートル、キチン質の主材が強固なエナメル質によって覆われており太さは約五〇センチもあった。
 興味深いのは、射出される牙の内部に原始的ながらロケット推進に似た機構を備えていることだ。
 銀座側世界のアマゾンには高圧電流を発して獲物を捕食する水棲生物がいるし、この特地では口から火を吐く生き物もいるのだから有り得ないとも言い切れないが、どういう環境で進化したらそのような形態を獲得できるのかと生物学者達が調査を熱望しているという。
 海上自衛隊の潜水艦『にししお』はこれと不意に遭遇した。
 特地の海にその手の生き物が存在しているという情報はあっても、それがこのアヴィオン海にいるとは知らなかったのだ。そして鎧鯨は強固な縄張り意識を持っており、それを侵害する者を決して許さない。
 堅牢けんろうな牙を秒速一五〇〇メートル超の水中音速で喰らったら、いかにNS80の張力鋼で構成された艦体であろうとただでは済まない。にもかかわらず『にししお』がただの一人も乗組員を失わずに生きて戻れたのは、日頃の絶え間ない訓練と艦長の冷静な判断力、そして幸運の三つが揃ったからだろう。
『にししお』の乗組員達は鎧鯨の武器の恐ろしさを身をもって知った時、類似した性能を持つロシア製兵器を連想して『シクヴァル』と呼んだ。そしてそれ以来変更されることなく海上自衛隊での呼称が定着してしまったのである。
 幸いなことに鎧鯨のシクヴァルは一度投射されたら目標に向けて一直線にしか進まないし、そもそも爆発しないので存在すると分かっている限り躱すことが出来る。充分に距離をとった位置で早期に敵を発見し、我の正確な位置を掴むために放たれた探信音が聞こえた直後に転舵すれば充分に間に合う。それが『にししお』艦長佐久間一等海佐が導き出した戦術だった。
 しかし海棲生物故の正確無比な超長距離狙撃は驚異的でもあり、決して油断をしてよいわけではない。それが黒川をはじめとする『きたしお』乗組員達の慎重さの理由であった。
 艦長の黒川は矢継ぎ早に命令を発した。

「横舵、上げ!」

 操舵員が艦の姿勢を水平に戻している間に、黒川は右舷側に向けて怒鳴った。

「今度はこっちの番だ! 咄嗟魚雷戦用意!」

 魚雷員達が艦首に並ぶ水中発射管に駆け寄り、魚雷を使用する準備作業にかかる。
 すると再びカスタネットの連打音が聞こえてきた。

『次っ、来ますっ!』

 言われなくとも分かっているが、水測室からの悲鳴にも似た声を浴びると、黒川は反射的に怒鳴った。

「取り舵一杯!」

 操舵員が今度は左に舵を思いっきり切った。

「とーりかーじ!」

 その時、硬質の何かが艦体を叩く音が鳴り響いた。

『シクヴァル、本艦の右舷下部、かすった!』

 あわや直撃という現実に乗組員達の肝が冷える。

「舵中央」
「舵中央ヨーソロー!」

 だが発令所のコンソール前に座る乗組員達はそれぞれ分担された職務をこなすのに忙しい。びっくりするのも怯えるのも、全て後回しである。

「一番管、発射はじめ良し!」
「二番管、発射はじめ良し!」

 魚雷員長からの報告が入ると黒川は令した。

「一番発射!」
「一番セット、シュート、ファイヤー」

 右側コンソールに座った管制員がキーを回す。
 右舷三本の発射管の内一番上から魚雷が強烈な水圧で押し出され、猛烈な噴出音が艦首方向から聞こえた。

「発射方位二七一ふたひゃくななじゅうひと度。魚雷出た!」
「誘導開始します」

 魚雷はただちに有線誘導を受けて鎧鯨に向かって大きく進路変更。時速一〇〇キロに達する速度で走行して距離を詰め、やがて自らピンガーを放って独自に目標を捕捉する。

「誘導をカット!」

 IC員が水測室からの連絡を告げた。

「鎧鯨転針! 方位右に逃げていく! 感度上がる。感三」

 自分を狙う悪意の存在に気付いたのか、鎧鯨は身をよじらせた。
 魚雷も相手の尻を目がけて進む。犬追いが始まった。
 右に左に上へ下へとジグザクに泳ぎ、まとわりつく魚雷を引き離そうとする鎧鯨。
 その素速い挙動は鈍重な通常型潜水艦にはとても真似できそうもない。いや、無尽蔵なエネルギーを有する原潜でも難しいだろう。更に驚いたことにその海棲生物の速度は魚雷とほぼ同じ……いや、それどころか僅かながら魚雷を置いてきぼりにしつつあった。

「鎧鯨の位置は?」
「方位、二九〇ふたひゃくきゅうじゅう、二九五、三〇〇!」

 鎧鯨は僅かに潜ったり浮いたりを繰り返しながら『きたしお』の右方向に逃れようとしていた。
 だが黒川艦長は鎧鯨のすることを黙って見守ったりはしない。自艦の運動、敵の回避運動の軌跡を脳内スクリーンに描きつつ直ちに次の手を打つ。

「潜舵戻せ。面舵いっぱい!」
「おもーかーじ、ヨーソロー!」

 操舵手が舵を右に切る。黒川艦長は進路の方位を示す数値を睨みながら何かを待った。

「よし、もどーせー」

 操舵手が舵を当て舵気味にしてから中立に戻すと針路が安定。

「二番発射!」
「セット、シュート、ファイヤー」

 左舷発射管から魚雷が発射された。
 それは有線誘導によって、最初に発射された一番魚雷から逃げる鎧鯨の予想進路目がけて突き進んでいった。
 鎧鯨はすぐ後ろから迫ってくる魚雷のけたたましい探信音に気を取られているようで、静かに進路を先回りするその一本には気付けていない。
 二番魚雷は『きたしお』の指示に従って、今は何も存在しない、しかしいずれ鎧鯨が通るはずの場所に忍び寄っていった。

「二番、鎧鯨を捕捉!」
「命中します」

 水中での丸い爆発の気泡が沸き立つ。その中に鎧鯨は勢い余って飛び込む形となった。
 爆発の強烈な圧力によって生じた楕円球のバブルパルス。それは水圧と爆圧の均衡が作ったデリケートなシャボン玉だ。
 そのエネルギーの塊に構造物が接すると、構造物からの反射波によって気泡は一瞬にして弾ける。構造物のない側の水の壁が一気に内側に向けて流れ込み、あたかも槍のように構造物に突き刺さるのだ。これが水中爆発の強烈な破壊力の源である。
 全長六〇メートルの巨大海棲生物の外骨格を、強烈な水圧が突き破り、えぐり、叩き割る。
 更にそこへ、追従を続けていた魚雷が追いつき炸裂。二度の衝撃が鎧鯨の巨体を引き裂き、付近の海水は鮮血で染め上げられたのだった。


 海中の爆発音が二度。
 そして非金属の何かが擦れ、よじれ、きしむ甲高い音がスピーカーを通じて聞こえてきた。
 鎧鯨の断末魔の悲鳴なのだろうか? それとも鎧を構成する骨格が水圧に負けてひしゃげ、圧壊していく音か。あるいは、その両方かも知れない。
『きたしお』艦内は静寂のまま保たれている。
 しかし黒川の耳には音にならない乗組員達の歓呼が聞こえていた。彼らの表情からは疲労の色は消え失せ、意欲と勇気に溢れていた。これを文字で表すなら『意気軒昂』であろうか。指揮官の地位を与えられた者ならば誰もが望む最高の状態だった。
 艦内スピーカーから聞こえる敵の圧壊音は、どんどん小さくなって遠ざかっていく。
 海底残響、海面残響。あちこちから木霊こだまのごとく続く反響音が、遠く薄らと消え去ろうとしていた。

「乗組員諸君。私はこの艦と君達のような最高の乗組員を得て幸せを感じている」

 黒川はマイクをとって自ら艦内に告げる。

「しかしながら敵は一頭とは限らない。引き続き警戒をげんとなせ」

 鎧鯨は生物だ。ならば必ずこの近くに棲息している他の個体がいるはず。でなくてどうして子孫を残し、数を増やすことが出来ようか。
 鎧鯨は群れを作って生活するという情報もある。その意味ではこの特別地域の海は日本近海とは別の意味で大変に危険だ。油断は絶対に禁物なのである。
 黒川はそのことを改めて乗組員達に伝え、気持ちを引き締めるよう戒めたのだった。


    *    *


 西暦二〇××年 夏。
 東京都中央区銀座に突如『異世界への門ゲート』が現れた。
 中からあふれだしたのは、中世ヨーロッパの鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するようなオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。
 彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。
 老いも若きも男も女も、人種国籍すら問われなかった。それは、あたかも殺戮そのものが目的であるかのようだった。平和な国の平和な時代であることに慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく、阿鼻叫喚あびきょうかんの惨劇の中で次々と倒れていった。
 買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄に踏みにじられ、槍を突き刺され、そして剣によってその命を絶たれた。累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く塗装された。その光景にあえて題字をつけるならば『地獄』。異界の軍勢は、積み上げた屍の上にさらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げたのである。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。それは聞く者の居ない一方的な宣戦布告だった。
『銀座事件』。
 歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。


 銀座事件を辛くも収めた日本政府は、再発防止と責任者の処罰、賠償を求めて自衛隊の異世界(以降、『特別地域』と呼称)への派遣を決定した。
 自衛隊は陸空戦力のおよそ五分の一を抽出する統合任務部隊の編成を決定。異世界の軍勢が再度銀座へ侵入することを防ぐため『門』の両出口を確保占拠した。そして『門』の奪回を試みる敵武装集団の度重なる襲撃を撃退し、敵の実態を把握すべく特地深奥部に向けた探索活動に着手する。
 特地派遣方面隊・第三深部情報偵察隊所属の伊丹耀司いたみようじは、現地での調査活動中に皇女を名乗る人物との接触に成功。そして、特地世界が帝国という名の覇権国家によって支配されていることを知った。
 日本政府は、この幸運を逃すことなく帝国との講和工作を開始。米国や中国、ロシアなどの横やりと、帝国の政変によって幾度となく頓挫とんざの危機を迎えるものの、自衛官伊丹耀司と自衛隊の奮闘によって講和の芽は守られ、日本と帝国との間には平和的な交流を約束する講和条約が締結されたのである。
 だが、終わりとは始まりであり、次なる難局の到来を意味していた。
 日本と帝国との間での講和こそ成立したが、『の世界』には帝国以外にも様々な国家や民族が存在している。人類がその活動圏を、この異世界へと広げていこうとする中で、特地に通じる『門』を独占する日本政府は、そうした異なる人々と穏便に接触し、穏当な関係を確立する責務を国際社会から押しつけられるようになった。
 しかしながら特地は法や良識よりも『力』がものを言う世界である。
 そうした世界で平和的な交流を確立するには、侮りを防ぎ、無法を抑圧するため『力』の裏打ちがどうしても必要となる。そのため、自衛隊は否応なく特地での活躍を求められるようになった。
 もちろん海上自衛隊も例外ではいられない。彼らもまた、見知らぬ異世界の海へと船出することとなったのである。


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