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後編
後編-3
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帝国軍は日没後完全に暗くなる前に、『門』周辺に設けた宿営地へと戻った。
付近の建物はことごとく兵士達の宿舎となっている。兵士達はそこに戻ると軍装を解き、武器を手入れし、食事をすることになる。
「くそーー、くたびれたぜ!」
ブローロは自分の塒と決めたデパートの壁際に陣取ると、手足を投げ出して横たわった。
それはいささかだらしなく見える姿であり、むくつけき男達による軍営生活でも、顔を顰められる振る舞いである。
兵士ならば、宿営地に戻ってきたら休息の前に武器の手入れをするものだ。こう言っている間にも来るかもしれない次の戦いに備えることが彼らの責務だからだ。
しかし前進を命じられれば先頭に立って進み、退却を命じられれば最後まで居残って負傷者を担いで帰ってくるブローロに苦言を呈することが出来る者はなかなかいない。何かと秩序に喧しい百人隊長ですら、奴ならば仕方ないと肩を竦めてしまうのだ。
そんな彼を捜す声があった。
「ブローロ。ブローロはいるか?」
「俺を呼ぶな。呼ばないでくれ~、俺は疲れてるんだ」
ブローロは瞼をぎゅっと閉じて現実から逃避しようとした。
「古参兵ブローロはどこだ?」
「おい、ブローロ。起きろ、呼ばれてるぞ」
隣に座り込んで水に濡れた鎧を手入れしていた戦友が囁く。
「頼む。頼むから今だけは見逃してくれ。俺は先ほどの戦いで戦死したんだ。俺はもう動けないんだ。眠りたいんだ」
「そうか、古参兵ブローロは戦死してしまったのか。それは残念だ。せっかく褒美を持ってきてやったというのにな」
ブローロは周囲の空気が変わっていることに気付いた。
雑然としていたフロア内がしーんと静まり返っているのだ。
どうしたのだろうと目を開いて周囲を見渡す。するとそこに、軍の最高指揮権者であるレルヌム将軍が立っていた。
ブローロは慌てて立ち上がると、姿勢を正して敬礼をした。
「しょ、将軍閣下。失礼いたしました!」
「ブローロ、貴様また手柄を立てたそうだな」
レルヌムの後ろに、従軍魔導師総監のゴダセンがいる。
「いえ、それほどのことではありません!」
「負傷した戦友を三人も担いで戻ってきたことが大したことではないだと?」
「当然のことをしたまでです!」
「しかし、その当然を出来る者が少ないのが現実なのだ。故に、私としてはそれを称揚しなければならない。特に作戦が失敗したような時はな!」
笑いながら周囲を見渡すレルヌム。すると居合わせた兵士達は、みんなで盛大に笑った。おかげで重苦しかった空気がたちまち霧散した。
レルヌムは満足そうに微笑んで振り返る。すると、付き従っていた伝令兵が箱を差し出した。
そこには樫の葉で作られた冠が置かれていた。
「古参兵ブローロの此度の功績に対し、市民冠を授けるものとする。貴様はこんなものより、金か酒のほうが好みかもしれぬから、金貨の入った袋も用意してやったぞ」
「こ、光栄であります!」
「これで二度目だな。今回は相応の昇進もある。楽しみにしておけ!」
そして将軍自らの手により、ブローロの頭に葉で出来た冠が載せられたのである。
D+1 銀座事件二日目 一八五二時
皇居外苑――
海岸に打ち寄せていた波が退くように、武装勢力の兵士達が後退していく。
後に残されるのは負傷して動けなくなった武装兵、戦死者達の遺骸、そして最後まで持ち場を守り抜いた機動隊員達である。
機動隊員達はマラソンを完走したばかりの選手のように、肩で息をしながら膝に手をつき、あるいはしゃがみ込んだ。疲労困憊のあまり、地に寝っ転がる者すらいた。
「よーし、次の作業に入るぞ」
「ひぃ……」
中隊長や小隊長に急かされた機動隊員達は、悲鳴を上げた。
しかし疲れた身体に鞭打ってでも、これだけは済ませなければならない。まずは負傷した同僚を皇居内の避難所に開設された救護所に運んで手当を受けさせるのだ。
それだけではない。無残な姿となった武装勢力の兵士を、警備車の隙間や下から引きずり出して、死者と生者に分ける作業も待っていた。
『社会死』と呼ばれる、医師の診断を受けるまでもなく死亡していると分かる遺骸については、一カ所に集める。そうでないものは、生者として収容、治療施設に後送しなくてはならないのだ。
「屍体はトラックに積んで後送するしかないか」
「この暑さにやられてたちまち腐敗が始まります。その辺りに転がしておく訳にはいきません。本来ならば検死して焼却という段取りを踏むべきなんでしょうけど……」
次から次へと湧き上がる様々な難問の解決を求められているのが、二重橋前の派出所脇に開設された指揮所内にいる第一機動隊長の原田である。
警視庁における機動隊の全てを束ねるのは、職制上警備部長の新見警視監の役目であろう。だが警視庁の陥落以降、彼らとの連絡は一切途絶えていた。
桜田門の庁舎はすぐ目の前にあるというのに、今ではそこにいた副総監や警備部長すら生きているのか分からない。おかげで全ての命令を現場指揮官たる原田が下さなくてはならなかった。
「立川に移動した内閣危機管理室が機能しているのが唯一の救いだな。こっちは守りを固めるだけで精一杯だ。立川には近藤参事官がおられるはず。面倒は向こうに引き取ってもらおう。屍体を全部送るから後始末を頼むと伝えろ」
「了解。しかし問題は生きている奴らです。言葉が全く通じません。一体どうしたら?」
「全然ダメか?」
「全然ダメです」
日本の首都東京には、様々な国の出身者がビジネスで、あるいは観光客・職業実習生として入国してくる。そのため警視庁も様々な言語に対応できるよう現場警察官に語学研修を行っていた。中には九カ国語を巧みに操る警察官すらいる。にもかかわらず全く言葉が通じないとなると――
「――そうなってくると、伊丹の報告もあながち戯言とも言い切れない訳か」
原田は深々と嘆息した。
「戯言? 一体なんのことです?」
原田は立ち上がると、指揮所の部下達を見渡した。
そこには一機動、三機動、四機動第二中隊長の島田やそれらの伝令、指揮所を運営する部下達がいる。彼らに交じって、警視庁特殊犯捜査係(通称SIT)隊長の佐伯三郎や、自衛隊の伊丹耀司の姿もあった。
「みんな、聞いてくれ。とても信じられない話だが、武装勢力の正体は『異世界人』らしいぞ」
「異世界……人ですか?」
「夢でも見てるんじゃないですか?」
「実は、そこにいる自衛隊さんからの報告だ」
原田は伊丹の顔を見ながら言った。
「そいつは実際に銀座の敵陣地に踏み入って、奴らのことをその目で偵察してきた。だから信じていい。政府もその報告を重く受け止めて、危機管理室では日本中から言語学者を掻き集めて奴らの話す言葉を解析する作業が始まっているそうだ。今回拘束した被疑者と直にやり取り出来れば解析も大きく進むはずだ。奴らを監視する人手がもったいないからさっさと立川に後送して処置を任せよう。車両の手配、頼んでいいな」
すると伝令が「はっ!」と応え、すぐに駆け出していった。
「隊長、そんな夢物語みたいな話、アリですか?」
「甲、乙、丙みたいな害獣がいるんだぞ。アリなんじゃないか?」
「ファンタジーだあ」
「ファンタジーって言うより、SFなんじゃないか?」
部下達がそれぞれ感想を言い終えるのを待って原田は続けた。
「さて、問題はこの後だが……」
すると壊滅した第四機動隊の生き残りとなった第二中隊を率いる島田が立ち上がった。
「我々は有利に戦えています。視野を東京全体に広げれば、全国の県警から集まった機動隊員達の配備も着々と進んでいます。住民の避難が完了すればこの包囲網をぐいっと絞る形で反撃を始められるはず。我々の任務は、それまでの間ここを保たせること。あとひと踏ん張りです!」
「異議なし! 我々がそれぞれの持ち場をきちんと守り続けている限り、武装勢力はこの皇居に一歩たりとも入って来られない、時間は我々の味方だ」
「そうだ!」
「そうだとも気合いだ! 気合いで乗り切れ!」
機動隊の隊長達は島田の意見に同意した。
「あのー」
だがその時、伊丹が手を挙げた。
「おいおい、どうした伊丹。あんたみたいな怠け者が自ら手を挙げて意見しようだなんて珍しいじゃないか」
「こんな俺でも、ちょっとばかり勤労意欲が出てくるくらい危なっかしく見える状況なんで」
原田は伊丹の挑発めいた物言いに眉を上げた。
「なんだと?」
「原田隊長、そもそもなんで自衛隊さんがここに? 隊長とお知り合いのようですが?」
「SATにいた時にちょっとな~」
「ああ、特殊仲間って奴ね」
原田の言葉に他の機動隊長達は察した。そういった言葉に出来ないことを察して飲み込むのも警察官に求められる才能の一つのようだ。
「で、伊丹。どんな意見具申があるんだ?」
「俺は、皆さんに認識を改めていただきたいと思ってます」
「俺達の認識が甘いだと?」
「はい。武装勢力はデモ隊なんかじゃありません。戦争を仕掛けてきている『敵』です。なのに皆さんは相変わらず『謎の武装勢力』と呼称して従前の警備をしている。これでは明日か明後日には守り切れなくなると思います」
「我々では奴らを抑えきれないと言うのか?」
「敵は弓矢、投石機、油の入った壺、あらゆる手立てをもってこちらを殺傷しようと向かって来てるんですよ。しかも数は向こうのほうが圧倒的に多い。その上で『いつ』『どこで』『どのように戦うか』を選ぶ自由まである。なのに皆さんは現在位置に陣取って敵を迎え撃っていればいいと思っている。これが危機的状態でなくてなんなんだろう――と思います」
「それの何が悪い? そもそも江戸城のお堀と城壁を使って安全な地域を作るのはお前の提案だったじゃないか。それが間違いだったと言うのか?」
「いいえ。昨日の時点では、我々は突然の奇襲を受けて大混乱に陥ってました。その状況では安全地帯を作り、守るべき民間人を収容して態勢を整える。この選択は間違っていなかったと信じています。しかし敵の規模や状況が見えてきたのなら、こちらが主導権を取るために積極果敢に動くべきでしょう」
「こちらから討って出ろと?」
「おいおい、我々にはそれが出来るような数はいないんだぞ!」
「別に討って出ることばかりが主導権の奪い方ではありません。敵が想定していない戦いに引きずり込むことも、主導権の奪い方の一つでしょう? 相手がイメージしていない振る舞いをするだけで、敵を引っ掻き回すことが出来ることはご理解いただけますよね?」
「あの時、お前がうちのバスの中でグースカ寝てたみたいにか?」
『あの時』が意味することの解説を求め、隊長達の視線が原田に集まった。
「……」
しかし原田はそれに答えず話を進めた。
「で、貴様はどうしろと言うんだ?」
伊丹は立ち上がると、皇居外苑の地図の前に立った。
「皇居外苑。面積四十六・五ヘクタール。黒松が植えられていますが、それらさえなければ見通しの利く開豁地です。ここを戦場とするならば、我々は我がほうの強みを生かした戦術を取ることが出来ます」
「広い場所は、数に勝る武装勢力のほうが圧倒的に有利なのと違うか?」
「そうだそうだ、だから我々は和田倉門や馬場先門を必死に守ってるんじゃないか!? 多数の武装勢力を正面から抑えるには隘路に陣取る。それが古来の原則だろ!?」
「まあ、みんなこいつの話を聞け。伊丹、説明を続けろ」
「避難民は、既に皇居西の丸への移動が完了しています。ですから、第一段階として黒松を伐採します。そして第二段階として、この外苑に敵を引き込んでしまいます」
「話にならん。せっかく守ってきた外苑をみすみす武装勢力に与えろだなんて」
「警察の皆さんの士気は旺盛で、装備も訓練も十分行き届いている。指揮官達も同様に優秀。しかし、この一日だけでどれだけの損害が出ました? 負傷者多数。無傷の者のほうが少ないくらいです。そして昨日、今日と休みなく戦い続けてみんな疲労困憊しきっている。これが明日、明後日と続いたとしたらいつまで保ちますか? 今の戦い方は消耗戦です。要害に頼って戦っていますから、こちらが一を失うまでに、敵方に十から二十の損耗を強いることが出来ていますが、数の力は決して侮れない。このまま戦い続けていたら、数の少ない我々のほうが先にゼロになるでしょう」
「そこを気合いと根性で乗り切るしかないんだろう!?」
「そもそも、皇居施設の黒松を勝手に伐採だなんて許されないぞ!」
「この苦しい状況の中で、現場隊員の気合いと根性に頼るのは仕方のないことです。けど、指揮官がそれを最初に口にするのはいただけません。指揮官の役目は、気合いと根性を出せと隊員を叱咤することではなく、気合いと根性に頼らなくても済むように知恵を絞ることなんです」
「そ、そんなことは分かってる。我々だって旧軍の悪癖を踏襲するつもりはない」
その時、佐伯が手を挙げた。
SITの隊長である佐伯は、機動隊に対して部外者ということもあってあまり口を開かない。しかし泣く子も黙る捜査一課のエリート。テレビドラマの刑事モノならば主人公、あるいは主人公に対する有力な敵役といった存在感がある。そのため皆が一目置いている。みんな黙って話を聞く体勢になった。
「伊丹よ。話を先に進めてくれ」
「第一段階は――」
「第一に黒松を切って、第二に武装勢力を外苑に引き込むんだな。で、その次はなんだ?」
「第三段階として、機動隊のバスを十台から二十台、縦横無尽に走らせます」
「警備車を走らす? それで?」
「それだけです」
「それだけって……」
「ですから、敵に向かってバスを並べて突進させるんです。具体的には全速力で、アクセルベタ踏みで、バス同士がぶつからないように、この広い敷地内を走り回ってもらうことになると思います」
伊丹のこの提案が何を意味しているのか、全員が理解するのにしばらくの時間が必要だった。
しかし数十秒も経過すると、具体的なイメージが目に浮かんだようで、みんな不愉快そうな表情になっていった。
「おい……おいおいおいおいおいっ!」
「それって、武装勢力の奴らを轢き殺せって言ってるのか!?」
「そうですけど、何か?」
「貴様、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
伊丹も、なんでそんな疑問が出てくるのか分からないと不思議そうに返した。
「これは戦争なんですよ」
機動隊の指揮官達は頭を振った。
「……」
「……」
「む、無理だ」
伊丹は返した。
「俺の解釈で申し訳ありませんが、警察の『警備』とはデモ隊が鉄パイプで挑んできたら、それと同じレベルで受け止めて跳ね返すことです。横綱相撲のように、挑戦者の突進を堂々と受け止めて、その上で力で圧倒することなのだと思います。しかしこれは『戦争』です。求められる最上の結果とは、こちらが傷付くことなく一方的に敵に損害を与え続けること。我々の土地や財産、国民の生命を奪うには、それに数倍する流血と犠牲が必要であるということを相手側に身をもって教えることなんです」
「……」
「……」
全員からの救いを求めるような視線が原田に集中する。皆の意思を代弁するように原田は告げた。
「ダメだ。出来る訳がない」
「俺が見てきたところ、敵には万を超える数の兵士がいました。その敵にこれ以上戦うのは割に合わない、もう嫌だと思わせるにはそれしか方法がありません」
「しかし向こう側だってやる気で来てるんだろ? たかだか十人か二十人の被害を与えたところで諦めるとは思えないが?」
「ならば百人、千人を斃しましょう」
「ひゃく、せん……だと?」
「お前さあ、そんなこと言っちゃっていいの?」
「そうだよ。仮にも公僕だろう?」
「例え話をしましょう。貴方が一万の大軍を率いる戦国武将だとします。一体どの程度の損害が出たら戦いの継続を諦めます?」
「どれくらいとか問われても、いろいろ条件もあるだろうからなあ」
「一万人のうち千人を失ったら?」
「うーん」
「三千人だったら?」
「……」
「五千人を失ったら?」
「そりゃ……まあ……全戦力の半分も失ったら諦めるかもしれん。二人に一人まで死んだら、幾ら俺一人が戦うと言い張っても兵士達が嫌がるだろう」
「そういうことです。敵側の想定を超えた数の惨たらしい死者、重傷者を発生させること。敵の侵略意図を刈り取る方法はそれしかないんです。明日の敵は、今日と同じ手は使わない。こちらの強みを削り取る新しい作戦、新しい戦術を駆使して攻めてきます。おそらくは、お堀を突破する方法を考えるでしょう。そうなったらもう、数に劣る我々は今日のように有利に戦えなくなります。もしかしたら今後一方的に損害を被るのは我々のほうかもしれない。なのに今日と同じことをするんですか?」
「……」
機動隊の指揮官達はみんな目を伏せてしまった。
その様子を見た原田が言った。
「貴様の言いたいことは分かった。だがしかし我々警察には警察の戦い方がある。お前は戦争をしているつもりだろうが、我々はあくまでも『警備』をしているんだ。政府が我々警察にこの事態の対応を任せるということは、それが政府の意志ということでもある」
「そうだ! 我々は警察だ!」
「そうだそうだ!」
「そもそもお堀を渡るというが、泳いでくるとでも言うのか? それだったら我々はそれに合わせて対応するだけだ。以上、これで会議を終える」
原田の言葉で会議は打ち切られる。
結局、伊丹の提言は受け容れられず、機動隊の隊長達は逃げるように立ち去っていった。
「間抜け面してるくせに、とんでもねえこと言いやがるぜ、全く」
あえて聞かせるためか、そんな陰口を口にする者もいた。
* *
「隊長達が、出てきたぞ!」
「原田隊長、機動隊はどのように動くおつもりですか?」
機動隊の指揮官会議が散会すると、報道陣が原田隊長達を取り囲んだ。
伊丹はそんなカメラの群れを押しのけるようにして皇居敷地内に設けられた保育所に向かった。
保育所と言っても、仮設救護所の脇に作られた、医療関係者用の休憩所に隣接して置かれた数台の警備車だ。エンジンを掛けたまま冷房を効かせたその車内には、親からはぐれた乳飲み子から小学校中学年くらいの年齢の子供達が集められていた。
事件発生から二十四時間以上が経過。本来ならばこの子供達はとっくに児童相談所に託され、保護に適した大人の親族に連絡されたり、緊急一時保護を受けられる施設に預ける手続きが進められているところだ。
しかし今日は日曜である上に、都庁や特別区の行政機関は住民避難の対応が優先されて児相の機能は完全に麻痺している。そのためこの子供達はこのまま皇居に留め置かれていた。
「あんた達、この子達をなんとかなさいよ!」
その状態を問題視したテレビ旭光の金土日葉はじめ各マスコミは、当然のように批判の声を上げた。
しかし機動隊員らは沈痛そうな面持ちで顔を背けるしかなかった。
「今、我々に出来るのはこの場の安全を確保することだけです。それだけは全力を尽くします。しかし、それ以上のことは、今は――申し訳ありません、出来ません!」
「何よ。無責任だわ。怠慢で、人権無視よ!」
そんな時、負傷した機動隊員が隣の救護所へ次々と運ばれてきた。中には、最前線の様子を収録するために突出した取材班を救うため、殉職してしまった隊員もいた。
「ちょっと、何よこれ!? あいつがどうして?」
それを間近で見れば、記者達とて文句ばかり言っていられなくなる。この場の安全を確保するのが精一杯という言葉の意味が、身に染みて理解できたのだ。
「どうするよ、キンドーちゃん?」
「そんなのあたしに言われてもどうしようもないでしょ!」
幸いだったのは、皇居の敷地内に手持ち無沙汰な大人が多かったことだ。
「じゃあ、子供達の世話は僕がやりますよ」
何とかしなければと思うならまず自分が動くべきだと思った大人達が、次々と手を挙げた。
「私も」
「あーしでよかったら」
現役の保育士、幼稚園教諭、あるいはそれらを目指す学生が名乗り出た。ギャルっぽい娘すら立ち上がる。そうした者達が、子供の面倒を見る者が必要だという呼び掛けに応えて集まった。災害に等しいこの状況下、他人にあれをしろこれをしろと要求することがいかに贅沢か――いや、それ以上に、真の意味でいかに無責任であるかと皆が思い至ったのである。
避難民が自ら動くとなれば、金土達マスコミとて協力するしかない。
「貴方のお名前はなんていうの? 何歳でしゅか?」
親からはぐれた子供達の姿を撮影してテレビで報じた。
「子供の肖像権とか人権とか個人情報とか……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」
そこから、児童福祉を将来の職業と志す者が、児童相談所に成り代わり、子供のあやふやな記憶の糸を手繰って家族や親戚らしき人物に片っ端から電話を掛け、受け入れ先を見つけ出していく。
もちろん自称保護者にいきなり引き渡すことの危険も承知しているので、警察はじめ各所に相手の身元を確かめてもらった後に引き渡されるよう働きかけた。
そのため保護者の見つかった子供達は、拘束された敵武装兵や敵武装兵の遺骸を搬送するトラック、あるいは警備車に同乗して立川へと向かった。
問題は家族の見つからない子供達だ。彼らは未だにここに残されていた。
周囲にいるのは知らない大人ばかり。
気が立った大人達が荒々しい態度で怒鳴り、泣き叫ぶ。
朝からずっと戦いの喚声と怒号が響きわたり、大人でも不安で押し潰されそうな状況なのだ。子供達に至っては始終不安で泣きっぱなしの状態だった。
しかし伊丹は不思議とそんな子供達に人気だった。
「ほらほら、あんた達見なさいよ。ヨウジが来たわよ!」
泣く子供をあやそうとしつつも上手くいかず悪戦苦闘していた金土が、救いが来たような表情になった。
「あ、イタミだ」
「イタミが来た!」
前後左右四方八方から纏わり付かれた伊丹は、自分に向けられたカメラに対して苦笑で応じた。
「俺なんか撮ってていいんですか? 他のテレビ局の人は機動隊長にインタビューしてますよ」
「いいのよ。どうせ大したことは決まってないんでしょ?」
「ええと……分かります?」
「何年報道テレビマンやってると思ってるの? そんなの鼻で分かるわよ。原田隊長には、ここぞって時に厳しい質問を浴びせてやるわ。そんなことより今はあんた。あんたから目を離すなって、あたしのジャーナリスト魂が囁いているの」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ。あんたを見てれば、きっと特ダネが掴めるはずよ」
「困ったな……」
伊丹は群がってくる子供の一人を抱き上げた。
「あんた、自衛官なんてやってるくせに子供の扱い上手いわね。子供いるの?」
金土はカメラを覗き込みながら伊丹の左薬指にある妻帯の証拠を指差した。
「いや、実はまだでして」
伊丹は結婚しているがまだ子供はない。子供の扱いに慣れている訳でもない。にもかかわらずこんな感じで懐かれるのはどうしたことかと思ってしまう。
子供達はきっと純真で曇りのない眼で俺の本質を見るからだ、なんて結論を出したくなるが、力任せにぽかぽか叩かれたり呼び捨てにされたりすると、単に舐められているだけだとも思えてくる。
「みんな、飯食ったか? トイレには行ってるか?」
伊丹は皆にきちんと食事が行き渡っているか、ちゃんと休めているかに心を砕いていた。
こうしたストレスのある状況下、人間が限界線を超えそうかどうかを一番簡単に判別するためのポイントは、食事をちゃんと取れているか、トイレで用を足せているか、そして眠れているかだ。
幸い食べ物は種類、量共に潤沢だった。都が災害時用に蓄えていた備蓄食糧を出してくれたからだ。おかげで餓えるという事態だけは防がれている。
しかし子供達の様子をカメラに収めていた金土は、伊丹の問いに頭を振って答えた。
「子供達はみんな食事を大分残してるわね。お昼寝も出来てないみたい」
夕食のメニューを見る。
「乾パンと、野菜ジュースに、へえ、チョコレートなんかもあるのか」
チューブに入ったチョコレートは、非常食の主要品目である。甘いチョコレートを嫌う子供は少ない。そこで保母保父さん達は、乾パンにチューブチョコを塗って子供達に食べさせようとしたのだ。しかし子供達は全く手を付けない、あるいは少ししか食べなかった。
「チョコなんて、子供達は大好物のはずよ。なのに食が進まないなんてよくない兆候だわ」
怖い思いをした直後だから致し方ないと見るべきか、あるいは両親と会えない心細さ、寂しさが空腹に勝っていると見るべきか。
目の前で母親を亡くした子もいる。その子達の胃は、恐怖に縮まっていてもおかしくない。
今は事件の真っ只中にいるから感じないだろうが、このダメージは後になってジワジワと子供達の心を蝕んでいくのだ。
「一刻も早く、この状況をなんとかしなければならないわね」
「イタミぃ」
子供達の群れの中から三つ編みの少女、心寧が出てきて伊丹にしがみ付く。眠そうにしているのだが眠れないという顔付きであった。
「おや、心寧ちゃんか。佐伯のオジさんはどうした?」
「俺ならここにいるぜ」
「佐伯さん……」
伊丹は佐伯に心寧を差し出して抱っこさせた。
「さっきは驚いたぞ。本気でお前さんのことを恐ろしい奴だって思っちまった。自衛隊の幹部ってのは、みんなあんなことを平気で口にするのか?」
「何よ、このオタク自衛官が何か言ったの?」
金土が詳しく話せと詰め寄る。しかし佐伯と伊丹は苦笑して無視した。
「本音を言えば、俺自身ですらびっくりしてます。まさか自分の口からあんな言葉が出るだなんて思ってませんでしたから」
「そのわりには随分と流暢に持論を語ってたじゃないか」
「これでも俺、部内じゃ怠け者、温厚な昼行灯で通ってるんですけどねえ……」
「ちょっと、あたしを無視しないでちょうだい!」
「つまりはアレか? そんなお前ですら思わずあんなことを口走っちまうほど、今は危ない状況ってことか?」
「せめてこの子達だけでも安全な所へ逃がすことを考えないと」
「ちょっとちょっとちょっと! 説明してよ。事態はそんなに悲観的なの!? お願いだからそうならないようにしなさいよ!」
金土は言い放つ。
しかし伊丹は後頭部を掻いた。
「この状況で俺に出来ることなんて何もないんですよ」
「何言ってるの、あんた自衛官でしょ!? この子達を守るために出来ることをしなさいよ!」
「そりゃまあ、そうしたいのは山々なんですけどね――」
すると佐伯が言った。
「確かに生半可なことじゃ、警備部の奴らの考えを変えさせることは無理かもしれんな。だが俺だってSITの隊長だ。俺の判断で使える装備と人員がある。それを使えば、お前さんの考える最悪って奴を防ぐことだって出来るんじゃないか?」
「そうですね。それだったら――やるしかないか」
伊丹はしばし周囲を見渡すと、佐伯に耳を貸せと求めて二人で出来る準備について語った。
「何こそこそと内緒話をしているの!? あたしを仲間外れにしないでよ!」
金土だけが叫んでいた。
D+1 銀座事件二日目 二〇四三時
陸上自衛隊・東部方面総監部――
東部方面総監部の防衛部長――言わば作戦参謀に相当する者が、銀座とその周辺を記した大地図の前に立って部隊の行動計画の説明をしていた。
それを方面総監である狭間陸将、そして副官達が傾聴していた。
床一面に広げた地図の上でしゃがみ込んだ柳田は、防衛部長の解説に従って青色に塗装された兵棋を手で運んで操っていく。
戦車や普通科部隊を示す青色の兵棋は、敵を示す赤い兵棋の群れの中へと突入し、打ち破りながら銀座の四丁目交差点へと達する。
見ている者は、まるで子供の遊びだな、などという感想を抱くかもしれない。しかし実際これがプレゼンテーションの方法としては一番分かりやすいし、その場で臨機応変の変更が利くのだ。
「……以上が、仮称『銀座作戦』の構想第二案です」
狭間は満足そうに頷いた。
「ふむ。『門』のある四丁目交差点は、敵の指揮中枢にして出現点でもある。敵の根幹を素早く叩き潰すことが勝利の早道であるという作戦だな。状況開始から終了までの時間が短いのがよい」
「はい。しかしこの作戦には重大な欠点があります」
「うむ。指揮中枢を砕かれた敵は、組織崩壊する。統制と逃げ場を失い、四方八方に逃亡を図る、というのだな?」
「はい。逃げ場がないと分かった敵は、自暴自棄になって強硬に抵抗を続け、仮に組織が崩壊すれば、その後は生存本能に任せて遠心性の行動を取るでしょう。銀座四丁目を中心に半径三キロは警察が包囲していますが、それにも限界があります。包囲網を突破しようとする敵が多数になるほど捕捉し損ね、周囲地域に滲出して近辺の住民に様々な害が及ぶことが予想されます。対するに第一案は、全戦力を包囲に集結し、敵を撃破することよりも一カ所に向けて追い立てることに専念します。ジワジワと外側から包囲の輪を縮めていく訳です。敵は蝟集し、唯一の逃げ道である銀座四丁目へと向かって後退していくでしょう。敵の組織を崩壊させなければ、敗残兵がうろうろする心配もありませんし、形勢悪しとみた敵が自主的に『門』の向こう側へと退却していくことも期待できます」
すると副官や幕僚達が口々に感想を述べ始めた。
「後は、落伍兵を掃討していけばよい訳か」
「しかしこれだと敵の戦意を挫くまでが大変だな。敵は、任意の時と場所で決戦を挑んでくることが可能となるからな」
「どんな状況となっても速やかに対応できるよう、十分な予備戦力が必要です」
「戦力確保のためあちこちと折衝しなきゃならんな。これが大変だ」
「それに、第一案が上手くいったとしても、怪異への対処は必要だよ。家やビルを一軒一室ごとに検索していく課題は残る」
「そちらは、警察にお任せということでどうでしょう?」
「そうしたとしても、随分と時間が掛かるのでは?」
「一体何日掛かるかな?」
「いや、何日どころか何週間という単位になるんじゃないのか?」
このような感想が出きった後、防衛部長は告げた。
「つまり我々は選択しなければならないのです。時間を掛けても、安全と確実を選ぶか、それとも多少の取り零しがあっても迅速に事態の収束を目指すのか――」
すると狭間は、天井を見るほどに仰け反った。
「兵書に曰く。兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり――か。だが馬謖になるのはゴメンだ」
「孫子の作戦編ですね」
この言葉は、戦いは多少不味くても素早く行うほうがよいという意味だ。
とはいえ、中国古典は現代の教範類とは異なり、一語一文から様々な含意を酌み取る努力が求められる。それが出来ないと浅薄な理解に陥って生兵法と呼ばれてしまう。その最悪な例が、三国志演義に登場する馬謖だ。馬謖は『高いところに陣取ると無敵』という兵書の一節を鵜呑みにして、水の補給も出来ない山の頂きに陣取って成功寸前だった孔明の作戦を瓦解させたと描写されている。
「第三案はどんなだ?」
「要するに、第一案と第二案の折衷案です」
「折衷案だとどっち付かずにならんか? 双方の利点をいいとこ取りしようとすると、大抵、双方の欠点が前面に出てくるもんだぞ」
「はい。ですので、自分も本命を第一案に持ってきました」
「拙速よりも巧遅を選びたいと言うのか?」
「何を優先し、何を選ぶかは、時と場と相手、そして我の目的による、ということですが、地域住民安寧を最優先したいのが本音です」
皆の視線が狭間に集中した。
「それを決めるのは政府だ。政府が何に重きを置くかで我々の方針は決まる。我々は日頃の訓練では、どの戦術が効率的で、どの作戦が使命の遂行に適切かを推し量って決心をする。しかしながら、戦史を振り返れば戦略、作戦は常に政治の制約を受ける。純軍事的に見れば、あり得ないような命令が下されることも少なくない。どんな注文が下りてきてもよいように第一案、第二案、そして第三案もさらに検討を深めておいてくれ。政府が我々に出動を命じる時には、状況が今とは違っている可能性とてある。そこを加味したものに出来るようにしないとな」
「了解」
「副官、それと古畑幕僚副長は残ってくれ。これから師団司令部と調整したいことがある」
第三章 群像
D+1 銀座事件二日目 二一一二時
新宿御苑――
夜の国道をマイクロバスが走っている。
東京都下の下り車線はトラックや乗用車で渋滞し、身動きがなかなか取れない。
対する上り車線は走る車が全くない、ガラガラ状態である。飾りのない無愛想なマイクロバスはそんな国道を走っていた。
マイクロバスがやがて歩道に寄せて停車した。
そこで待ち構えていたスーツ姿の男性を乗せる。
「野木原だな……」
クリップボードを手にした自衛官が、彼の名と顔を確認。後部に積んでいた袋を差し出した。
「席に着いたらこれに着替えろ」
「はい」
こうしてマイクロバスは、都度都度、待っていた二十代から三十代の青年達を拾いつつ高層ビルの林立する新宿に突如広がる緑豊かな大庭園、新宿御苑へと辿り着いたのである。
この地に陸上自衛隊第三一普通科連隊は活動の拠点を置いていた。天幕が整然と張られ、集まってきた車両がずらりと並ぶ。
そんな中へマイクロバスから青年達が降り立った。
見ると御苑の敷地内の各所には業務用テントが何張も展張されている。
「第三四普連の高機? 御殿場の連中も来てるのか……」
「あ、あれは一偵のRCVだ」
野木原達の呟きが耳に入ったのか、引率する幹部がニヤリと笑みを浮かべると言った。
「実は今日、首都圏直下型大地震が起こったことを想定したビッグレスキューの動員訓練が、何故かたまたま行われてるんだ。いいか? あいつらがここにいるのは、訓練の都合でたまたまかち合っただけだ。分かったな?」
「は、はあ……」
彼らは既に戦闘服に着替え終えている。そのためその足で名ヶ沢三等陸佐の前に整列した。
「中隊長に敬礼。かしら、中!」
代表者の号令で、全員が頭中の敬礼を行い、中隊長が答礼した。
「直れ! 申告します。即応予備陸士長、野木原松葉、他二十四名の者は災害派遣に招集され到着いたしました」
「うむ。交通機関が麻痺している中、遠路はるばるよくぞ駆け付けてくれた。今日ほど諸君のことを頼もしく思ったことはないぞ。まずは山原士長、確か君は帝都ホテルの板前だったな。すぐに炊事チームに入ってくれ。麻布とかその周辺に住んでる人々ってのは舌が妙に肥えていてな、飯の味にもいちいちうるさいんだ。中隊を炊事競技会一位に導いた腕前を発揮してもらいたい」
「はっ!」
「それと保育士がいたろ? えっと、誰だっけ?」
「自分です! 畑山です!」
「畑山だったな! すまんが運幹(運用訓練幹部)の指揮下に入ってすぐそこの高校に設けた避難所の乳幼児対策班に参加してくれ! 赤ん坊は泣くのが仕事だと思うんだが、それをうるさいと苦情を言う年寄りがいる。さすが児童福祉施設の建設に反対した地域の人々だぜ。こうなってしまうと、母親と赤ん坊、そして年寄り達を分けるしかない。そして分けたら分けたで、ちゃんと面倒を見てやらねばならん。お前の日頃の経験と知識を貸してくれ。頼むぞ!」
「了解!」
「あと、小此木! お前は四科の人間と都の備蓄倉庫に行ってくれ。倉庫の鍵が言うこと聞かずに困ってるそうだ。確かお前、鍵屋だったよな?」
「はい。シリンダー錠からディンプルキー、なんでも開けられます!」
「お前がいなかったら破壊せねばならんところだった。他の者にもそれぞれの特技に応じた仕事が山盛りだ。今夜は担当地域の巡回があるし、明日は明日で警察と共同して地域住民の避難誘導もある。頼んだぞ!」
「はいっ」
こうして参集した即応予備自衛官達は、それぞれが持つ技能・特技に応じた仕事を振り分けられてあちこちへと散っていった。
付近の建物はことごとく兵士達の宿舎となっている。兵士達はそこに戻ると軍装を解き、武器を手入れし、食事をすることになる。
「くそーー、くたびれたぜ!」
ブローロは自分の塒と決めたデパートの壁際に陣取ると、手足を投げ出して横たわった。
それはいささかだらしなく見える姿であり、むくつけき男達による軍営生活でも、顔を顰められる振る舞いである。
兵士ならば、宿営地に戻ってきたら休息の前に武器の手入れをするものだ。こう言っている間にも来るかもしれない次の戦いに備えることが彼らの責務だからだ。
しかし前進を命じられれば先頭に立って進み、退却を命じられれば最後まで居残って負傷者を担いで帰ってくるブローロに苦言を呈することが出来る者はなかなかいない。何かと秩序に喧しい百人隊長ですら、奴ならば仕方ないと肩を竦めてしまうのだ。
そんな彼を捜す声があった。
「ブローロ。ブローロはいるか?」
「俺を呼ぶな。呼ばないでくれ~、俺は疲れてるんだ」
ブローロは瞼をぎゅっと閉じて現実から逃避しようとした。
「古参兵ブローロはどこだ?」
「おい、ブローロ。起きろ、呼ばれてるぞ」
隣に座り込んで水に濡れた鎧を手入れしていた戦友が囁く。
「頼む。頼むから今だけは見逃してくれ。俺は先ほどの戦いで戦死したんだ。俺はもう動けないんだ。眠りたいんだ」
「そうか、古参兵ブローロは戦死してしまったのか。それは残念だ。せっかく褒美を持ってきてやったというのにな」
ブローロは周囲の空気が変わっていることに気付いた。
雑然としていたフロア内がしーんと静まり返っているのだ。
どうしたのだろうと目を開いて周囲を見渡す。するとそこに、軍の最高指揮権者であるレルヌム将軍が立っていた。
ブローロは慌てて立ち上がると、姿勢を正して敬礼をした。
「しょ、将軍閣下。失礼いたしました!」
「ブローロ、貴様また手柄を立てたそうだな」
レルヌムの後ろに、従軍魔導師総監のゴダセンがいる。
「いえ、それほどのことではありません!」
「負傷した戦友を三人も担いで戻ってきたことが大したことではないだと?」
「当然のことをしたまでです!」
「しかし、その当然を出来る者が少ないのが現実なのだ。故に、私としてはそれを称揚しなければならない。特に作戦が失敗したような時はな!」
笑いながら周囲を見渡すレルヌム。すると居合わせた兵士達は、みんなで盛大に笑った。おかげで重苦しかった空気がたちまち霧散した。
レルヌムは満足そうに微笑んで振り返る。すると、付き従っていた伝令兵が箱を差し出した。
そこには樫の葉で作られた冠が置かれていた。
「古参兵ブローロの此度の功績に対し、市民冠を授けるものとする。貴様はこんなものより、金か酒のほうが好みかもしれぬから、金貨の入った袋も用意してやったぞ」
「こ、光栄であります!」
「これで二度目だな。今回は相応の昇進もある。楽しみにしておけ!」
そして将軍自らの手により、ブローロの頭に葉で出来た冠が載せられたのである。
D+1 銀座事件二日目 一八五二時
皇居外苑――
海岸に打ち寄せていた波が退くように、武装勢力の兵士達が後退していく。
後に残されるのは負傷して動けなくなった武装兵、戦死者達の遺骸、そして最後まで持ち場を守り抜いた機動隊員達である。
機動隊員達はマラソンを完走したばかりの選手のように、肩で息をしながら膝に手をつき、あるいはしゃがみ込んだ。疲労困憊のあまり、地に寝っ転がる者すらいた。
「よーし、次の作業に入るぞ」
「ひぃ……」
中隊長や小隊長に急かされた機動隊員達は、悲鳴を上げた。
しかし疲れた身体に鞭打ってでも、これだけは済ませなければならない。まずは負傷した同僚を皇居内の避難所に開設された救護所に運んで手当を受けさせるのだ。
それだけではない。無残な姿となった武装勢力の兵士を、警備車の隙間や下から引きずり出して、死者と生者に分ける作業も待っていた。
『社会死』と呼ばれる、医師の診断を受けるまでもなく死亡していると分かる遺骸については、一カ所に集める。そうでないものは、生者として収容、治療施設に後送しなくてはならないのだ。
「屍体はトラックに積んで後送するしかないか」
「この暑さにやられてたちまち腐敗が始まります。その辺りに転がしておく訳にはいきません。本来ならば検死して焼却という段取りを踏むべきなんでしょうけど……」
次から次へと湧き上がる様々な難問の解決を求められているのが、二重橋前の派出所脇に開設された指揮所内にいる第一機動隊長の原田である。
警視庁における機動隊の全てを束ねるのは、職制上警備部長の新見警視監の役目であろう。だが警視庁の陥落以降、彼らとの連絡は一切途絶えていた。
桜田門の庁舎はすぐ目の前にあるというのに、今ではそこにいた副総監や警備部長すら生きているのか分からない。おかげで全ての命令を現場指揮官たる原田が下さなくてはならなかった。
「立川に移動した内閣危機管理室が機能しているのが唯一の救いだな。こっちは守りを固めるだけで精一杯だ。立川には近藤参事官がおられるはず。面倒は向こうに引き取ってもらおう。屍体を全部送るから後始末を頼むと伝えろ」
「了解。しかし問題は生きている奴らです。言葉が全く通じません。一体どうしたら?」
「全然ダメか?」
「全然ダメです」
日本の首都東京には、様々な国の出身者がビジネスで、あるいは観光客・職業実習生として入国してくる。そのため警視庁も様々な言語に対応できるよう現場警察官に語学研修を行っていた。中には九カ国語を巧みに操る警察官すらいる。にもかかわらず全く言葉が通じないとなると――
「――そうなってくると、伊丹の報告もあながち戯言とも言い切れない訳か」
原田は深々と嘆息した。
「戯言? 一体なんのことです?」
原田は立ち上がると、指揮所の部下達を見渡した。
そこには一機動、三機動、四機動第二中隊長の島田やそれらの伝令、指揮所を運営する部下達がいる。彼らに交じって、警視庁特殊犯捜査係(通称SIT)隊長の佐伯三郎や、自衛隊の伊丹耀司の姿もあった。
「みんな、聞いてくれ。とても信じられない話だが、武装勢力の正体は『異世界人』らしいぞ」
「異世界……人ですか?」
「夢でも見てるんじゃないですか?」
「実は、そこにいる自衛隊さんからの報告だ」
原田は伊丹の顔を見ながら言った。
「そいつは実際に銀座の敵陣地に踏み入って、奴らのことをその目で偵察してきた。だから信じていい。政府もその報告を重く受け止めて、危機管理室では日本中から言語学者を掻き集めて奴らの話す言葉を解析する作業が始まっているそうだ。今回拘束した被疑者と直にやり取り出来れば解析も大きく進むはずだ。奴らを監視する人手がもったいないからさっさと立川に後送して処置を任せよう。車両の手配、頼んでいいな」
すると伝令が「はっ!」と応え、すぐに駆け出していった。
「隊長、そんな夢物語みたいな話、アリですか?」
「甲、乙、丙みたいな害獣がいるんだぞ。アリなんじゃないか?」
「ファンタジーだあ」
「ファンタジーって言うより、SFなんじゃないか?」
部下達がそれぞれ感想を言い終えるのを待って原田は続けた。
「さて、問題はこの後だが……」
すると壊滅した第四機動隊の生き残りとなった第二中隊を率いる島田が立ち上がった。
「我々は有利に戦えています。視野を東京全体に広げれば、全国の県警から集まった機動隊員達の配備も着々と進んでいます。住民の避難が完了すればこの包囲網をぐいっと絞る形で反撃を始められるはず。我々の任務は、それまでの間ここを保たせること。あとひと踏ん張りです!」
「異議なし! 我々がそれぞれの持ち場をきちんと守り続けている限り、武装勢力はこの皇居に一歩たりとも入って来られない、時間は我々の味方だ」
「そうだ!」
「そうだとも気合いだ! 気合いで乗り切れ!」
機動隊の隊長達は島田の意見に同意した。
「あのー」
だがその時、伊丹が手を挙げた。
「おいおい、どうした伊丹。あんたみたいな怠け者が自ら手を挙げて意見しようだなんて珍しいじゃないか」
「こんな俺でも、ちょっとばかり勤労意欲が出てくるくらい危なっかしく見える状況なんで」
原田は伊丹の挑発めいた物言いに眉を上げた。
「なんだと?」
「原田隊長、そもそもなんで自衛隊さんがここに? 隊長とお知り合いのようですが?」
「SATにいた時にちょっとな~」
「ああ、特殊仲間って奴ね」
原田の言葉に他の機動隊長達は察した。そういった言葉に出来ないことを察して飲み込むのも警察官に求められる才能の一つのようだ。
「で、伊丹。どんな意見具申があるんだ?」
「俺は、皆さんに認識を改めていただきたいと思ってます」
「俺達の認識が甘いだと?」
「はい。武装勢力はデモ隊なんかじゃありません。戦争を仕掛けてきている『敵』です。なのに皆さんは相変わらず『謎の武装勢力』と呼称して従前の警備をしている。これでは明日か明後日には守り切れなくなると思います」
「我々では奴らを抑えきれないと言うのか?」
「敵は弓矢、投石機、油の入った壺、あらゆる手立てをもってこちらを殺傷しようと向かって来てるんですよ。しかも数は向こうのほうが圧倒的に多い。その上で『いつ』『どこで』『どのように戦うか』を選ぶ自由まである。なのに皆さんは現在位置に陣取って敵を迎え撃っていればいいと思っている。これが危機的状態でなくてなんなんだろう――と思います」
「それの何が悪い? そもそも江戸城のお堀と城壁を使って安全な地域を作るのはお前の提案だったじゃないか。それが間違いだったと言うのか?」
「いいえ。昨日の時点では、我々は突然の奇襲を受けて大混乱に陥ってました。その状況では安全地帯を作り、守るべき民間人を収容して態勢を整える。この選択は間違っていなかったと信じています。しかし敵の規模や状況が見えてきたのなら、こちらが主導権を取るために積極果敢に動くべきでしょう」
「こちらから討って出ろと?」
「おいおい、我々にはそれが出来るような数はいないんだぞ!」
「別に討って出ることばかりが主導権の奪い方ではありません。敵が想定していない戦いに引きずり込むことも、主導権の奪い方の一つでしょう? 相手がイメージしていない振る舞いをするだけで、敵を引っ掻き回すことが出来ることはご理解いただけますよね?」
「あの時、お前がうちのバスの中でグースカ寝てたみたいにか?」
『あの時』が意味することの解説を求め、隊長達の視線が原田に集まった。
「……」
しかし原田はそれに答えず話を進めた。
「で、貴様はどうしろと言うんだ?」
伊丹は立ち上がると、皇居外苑の地図の前に立った。
「皇居外苑。面積四十六・五ヘクタール。黒松が植えられていますが、それらさえなければ見通しの利く開豁地です。ここを戦場とするならば、我々は我がほうの強みを生かした戦術を取ることが出来ます」
「広い場所は、数に勝る武装勢力のほうが圧倒的に有利なのと違うか?」
「そうだそうだ、だから我々は和田倉門や馬場先門を必死に守ってるんじゃないか!? 多数の武装勢力を正面から抑えるには隘路に陣取る。それが古来の原則だろ!?」
「まあ、みんなこいつの話を聞け。伊丹、説明を続けろ」
「避難民は、既に皇居西の丸への移動が完了しています。ですから、第一段階として黒松を伐採します。そして第二段階として、この外苑に敵を引き込んでしまいます」
「話にならん。せっかく守ってきた外苑をみすみす武装勢力に与えろだなんて」
「警察の皆さんの士気は旺盛で、装備も訓練も十分行き届いている。指揮官達も同様に優秀。しかし、この一日だけでどれだけの損害が出ました? 負傷者多数。無傷の者のほうが少ないくらいです。そして昨日、今日と休みなく戦い続けてみんな疲労困憊しきっている。これが明日、明後日と続いたとしたらいつまで保ちますか? 今の戦い方は消耗戦です。要害に頼って戦っていますから、こちらが一を失うまでに、敵方に十から二十の損耗を強いることが出来ていますが、数の力は決して侮れない。このまま戦い続けていたら、数の少ない我々のほうが先にゼロになるでしょう」
「そこを気合いと根性で乗り切るしかないんだろう!?」
「そもそも、皇居施設の黒松を勝手に伐採だなんて許されないぞ!」
「この苦しい状況の中で、現場隊員の気合いと根性に頼るのは仕方のないことです。けど、指揮官がそれを最初に口にするのはいただけません。指揮官の役目は、気合いと根性を出せと隊員を叱咤することではなく、気合いと根性に頼らなくても済むように知恵を絞ることなんです」
「そ、そんなことは分かってる。我々だって旧軍の悪癖を踏襲するつもりはない」
その時、佐伯が手を挙げた。
SITの隊長である佐伯は、機動隊に対して部外者ということもあってあまり口を開かない。しかし泣く子も黙る捜査一課のエリート。テレビドラマの刑事モノならば主人公、あるいは主人公に対する有力な敵役といった存在感がある。そのため皆が一目置いている。みんな黙って話を聞く体勢になった。
「伊丹よ。話を先に進めてくれ」
「第一段階は――」
「第一に黒松を切って、第二に武装勢力を外苑に引き込むんだな。で、その次はなんだ?」
「第三段階として、機動隊のバスを十台から二十台、縦横無尽に走らせます」
「警備車を走らす? それで?」
「それだけです」
「それだけって……」
「ですから、敵に向かってバスを並べて突進させるんです。具体的には全速力で、アクセルベタ踏みで、バス同士がぶつからないように、この広い敷地内を走り回ってもらうことになると思います」
伊丹のこの提案が何を意味しているのか、全員が理解するのにしばらくの時間が必要だった。
しかし数十秒も経過すると、具体的なイメージが目に浮かんだようで、みんな不愉快そうな表情になっていった。
「おい……おいおいおいおいおいっ!」
「それって、武装勢力の奴らを轢き殺せって言ってるのか!?」
「そうですけど、何か?」
「貴様、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
伊丹も、なんでそんな疑問が出てくるのか分からないと不思議そうに返した。
「これは戦争なんですよ」
機動隊の指揮官達は頭を振った。
「……」
「……」
「む、無理だ」
伊丹は返した。
「俺の解釈で申し訳ありませんが、警察の『警備』とはデモ隊が鉄パイプで挑んできたら、それと同じレベルで受け止めて跳ね返すことです。横綱相撲のように、挑戦者の突進を堂々と受け止めて、その上で力で圧倒することなのだと思います。しかしこれは『戦争』です。求められる最上の結果とは、こちらが傷付くことなく一方的に敵に損害を与え続けること。我々の土地や財産、国民の生命を奪うには、それに数倍する流血と犠牲が必要であるということを相手側に身をもって教えることなんです」
「……」
「……」
全員からの救いを求めるような視線が原田に集中する。皆の意思を代弁するように原田は告げた。
「ダメだ。出来る訳がない」
「俺が見てきたところ、敵には万を超える数の兵士がいました。その敵にこれ以上戦うのは割に合わない、もう嫌だと思わせるにはそれしか方法がありません」
「しかし向こう側だってやる気で来てるんだろ? たかだか十人か二十人の被害を与えたところで諦めるとは思えないが?」
「ならば百人、千人を斃しましょう」
「ひゃく、せん……だと?」
「お前さあ、そんなこと言っちゃっていいの?」
「そうだよ。仮にも公僕だろう?」
「例え話をしましょう。貴方が一万の大軍を率いる戦国武将だとします。一体どの程度の損害が出たら戦いの継続を諦めます?」
「どれくらいとか問われても、いろいろ条件もあるだろうからなあ」
「一万人のうち千人を失ったら?」
「うーん」
「三千人だったら?」
「……」
「五千人を失ったら?」
「そりゃ……まあ……全戦力の半分も失ったら諦めるかもしれん。二人に一人まで死んだら、幾ら俺一人が戦うと言い張っても兵士達が嫌がるだろう」
「そういうことです。敵側の想定を超えた数の惨たらしい死者、重傷者を発生させること。敵の侵略意図を刈り取る方法はそれしかないんです。明日の敵は、今日と同じ手は使わない。こちらの強みを削り取る新しい作戦、新しい戦術を駆使して攻めてきます。おそらくは、お堀を突破する方法を考えるでしょう。そうなったらもう、数に劣る我々は今日のように有利に戦えなくなります。もしかしたら今後一方的に損害を被るのは我々のほうかもしれない。なのに今日と同じことをするんですか?」
「……」
機動隊の指揮官達はみんな目を伏せてしまった。
その様子を見た原田が言った。
「貴様の言いたいことは分かった。だがしかし我々警察には警察の戦い方がある。お前は戦争をしているつもりだろうが、我々はあくまでも『警備』をしているんだ。政府が我々警察にこの事態の対応を任せるということは、それが政府の意志ということでもある」
「そうだ! 我々は警察だ!」
「そうだそうだ!」
「そもそもお堀を渡るというが、泳いでくるとでも言うのか? それだったら我々はそれに合わせて対応するだけだ。以上、これで会議を終える」
原田の言葉で会議は打ち切られる。
結局、伊丹の提言は受け容れられず、機動隊の隊長達は逃げるように立ち去っていった。
「間抜け面してるくせに、とんでもねえこと言いやがるぜ、全く」
あえて聞かせるためか、そんな陰口を口にする者もいた。
* *
「隊長達が、出てきたぞ!」
「原田隊長、機動隊はどのように動くおつもりですか?」
機動隊の指揮官会議が散会すると、報道陣が原田隊長達を取り囲んだ。
伊丹はそんなカメラの群れを押しのけるようにして皇居敷地内に設けられた保育所に向かった。
保育所と言っても、仮設救護所の脇に作られた、医療関係者用の休憩所に隣接して置かれた数台の警備車だ。エンジンを掛けたまま冷房を効かせたその車内には、親からはぐれた乳飲み子から小学校中学年くらいの年齢の子供達が集められていた。
事件発生から二十四時間以上が経過。本来ならばこの子供達はとっくに児童相談所に託され、保護に適した大人の親族に連絡されたり、緊急一時保護を受けられる施設に預ける手続きが進められているところだ。
しかし今日は日曜である上に、都庁や特別区の行政機関は住民避難の対応が優先されて児相の機能は完全に麻痺している。そのためこの子供達はこのまま皇居に留め置かれていた。
「あんた達、この子達をなんとかなさいよ!」
その状態を問題視したテレビ旭光の金土日葉はじめ各マスコミは、当然のように批判の声を上げた。
しかし機動隊員らは沈痛そうな面持ちで顔を背けるしかなかった。
「今、我々に出来るのはこの場の安全を確保することだけです。それだけは全力を尽くします。しかし、それ以上のことは、今は――申し訳ありません、出来ません!」
「何よ。無責任だわ。怠慢で、人権無視よ!」
そんな時、負傷した機動隊員が隣の救護所へ次々と運ばれてきた。中には、最前線の様子を収録するために突出した取材班を救うため、殉職してしまった隊員もいた。
「ちょっと、何よこれ!? あいつがどうして?」
それを間近で見れば、記者達とて文句ばかり言っていられなくなる。この場の安全を確保するのが精一杯という言葉の意味が、身に染みて理解できたのだ。
「どうするよ、キンドーちゃん?」
「そんなのあたしに言われてもどうしようもないでしょ!」
幸いだったのは、皇居の敷地内に手持ち無沙汰な大人が多かったことだ。
「じゃあ、子供達の世話は僕がやりますよ」
何とかしなければと思うならまず自分が動くべきだと思った大人達が、次々と手を挙げた。
「私も」
「あーしでよかったら」
現役の保育士、幼稚園教諭、あるいはそれらを目指す学生が名乗り出た。ギャルっぽい娘すら立ち上がる。そうした者達が、子供の面倒を見る者が必要だという呼び掛けに応えて集まった。災害に等しいこの状況下、他人にあれをしろこれをしろと要求することがいかに贅沢か――いや、それ以上に、真の意味でいかに無責任であるかと皆が思い至ったのである。
避難民が自ら動くとなれば、金土達マスコミとて協力するしかない。
「貴方のお名前はなんていうの? 何歳でしゅか?」
親からはぐれた子供達の姿を撮影してテレビで報じた。
「子供の肖像権とか人権とか個人情報とか……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」
そこから、児童福祉を将来の職業と志す者が、児童相談所に成り代わり、子供のあやふやな記憶の糸を手繰って家族や親戚らしき人物に片っ端から電話を掛け、受け入れ先を見つけ出していく。
もちろん自称保護者にいきなり引き渡すことの危険も承知しているので、警察はじめ各所に相手の身元を確かめてもらった後に引き渡されるよう働きかけた。
そのため保護者の見つかった子供達は、拘束された敵武装兵や敵武装兵の遺骸を搬送するトラック、あるいは警備車に同乗して立川へと向かった。
問題は家族の見つからない子供達だ。彼らは未だにここに残されていた。
周囲にいるのは知らない大人ばかり。
気が立った大人達が荒々しい態度で怒鳴り、泣き叫ぶ。
朝からずっと戦いの喚声と怒号が響きわたり、大人でも不安で押し潰されそうな状況なのだ。子供達に至っては始終不安で泣きっぱなしの状態だった。
しかし伊丹は不思議とそんな子供達に人気だった。
「ほらほら、あんた達見なさいよ。ヨウジが来たわよ!」
泣く子供をあやそうとしつつも上手くいかず悪戦苦闘していた金土が、救いが来たような表情になった。
「あ、イタミだ」
「イタミが来た!」
前後左右四方八方から纏わり付かれた伊丹は、自分に向けられたカメラに対して苦笑で応じた。
「俺なんか撮ってていいんですか? 他のテレビ局の人は機動隊長にインタビューしてますよ」
「いいのよ。どうせ大したことは決まってないんでしょ?」
「ええと……分かります?」
「何年報道テレビマンやってると思ってるの? そんなの鼻で分かるわよ。原田隊長には、ここぞって時に厳しい質問を浴びせてやるわ。そんなことより今はあんた。あんたから目を離すなって、あたしのジャーナリスト魂が囁いているの」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ。あんたを見てれば、きっと特ダネが掴めるはずよ」
「困ったな……」
伊丹は群がってくる子供の一人を抱き上げた。
「あんた、自衛官なんてやってるくせに子供の扱い上手いわね。子供いるの?」
金土はカメラを覗き込みながら伊丹の左薬指にある妻帯の証拠を指差した。
「いや、実はまだでして」
伊丹は結婚しているがまだ子供はない。子供の扱いに慣れている訳でもない。にもかかわらずこんな感じで懐かれるのはどうしたことかと思ってしまう。
子供達はきっと純真で曇りのない眼で俺の本質を見るからだ、なんて結論を出したくなるが、力任せにぽかぽか叩かれたり呼び捨てにされたりすると、単に舐められているだけだとも思えてくる。
「みんな、飯食ったか? トイレには行ってるか?」
伊丹は皆にきちんと食事が行き渡っているか、ちゃんと休めているかに心を砕いていた。
こうしたストレスのある状況下、人間が限界線を超えそうかどうかを一番簡単に判別するためのポイントは、食事をちゃんと取れているか、トイレで用を足せているか、そして眠れているかだ。
幸い食べ物は種類、量共に潤沢だった。都が災害時用に蓄えていた備蓄食糧を出してくれたからだ。おかげで餓えるという事態だけは防がれている。
しかし子供達の様子をカメラに収めていた金土は、伊丹の問いに頭を振って答えた。
「子供達はみんな食事を大分残してるわね。お昼寝も出来てないみたい」
夕食のメニューを見る。
「乾パンと、野菜ジュースに、へえ、チョコレートなんかもあるのか」
チューブに入ったチョコレートは、非常食の主要品目である。甘いチョコレートを嫌う子供は少ない。そこで保母保父さん達は、乾パンにチューブチョコを塗って子供達に食べさせようとしたのだ。しかし子供達は全く手を付けない、あるいは少ししか食べなかった。
「チョコなんて、子供達は大好物のはずよ。なのに食が進まないなんてよくない兆候だわ」
怖い思いをした直後だから致し方ないと見るべきか、あるいは両親と会えない心細さ、寂しさが空腹に勝っていると見るべきか。
目の前で母親を亡くした子もいる。その子達の胃は、恐怖に縮まっていてもおかしくない。
今は事件の真っ只中にいるから感じないだろうが、このダメージは後になってジワジワと子供達の心を蝕んでいくのだ。
「一刻も早く、この状況をなんとかしなければならないわね」
「イタミぃ」
子供達の群れの中から三つ編みの少女、心寧が出てきて伊丹にしがみ付く。眠そうにしているのだが眠れないという顔付きであった。
「おや、心寧ちゃんか。佐伯のオジさんはどうした?」
「俺ならここにいるぜ」
「佐伯さん……」
伊丹は佐伯に心寧を差し出して抱っこさせた。
「さっきは驚いたぞ。本気でお前さんのことを恐ろしい奴だって思っちまった。自衛隊の幹部ってのは、みんなあんなことを平気で口にするのか?」
「何よ、このオタク自衛官が何か言ったの?」
金土が詳しく話せと詰め寄る。しかし佐伯と伊丹は苦笑して無視した。
「本音を言えば、俺自身ですらびっくりしてます。まさか自分の口からあんな言葉が出るだなんて思ってませんでしたから」
「そのわりには随分と流暢に持論を語ってたじゃないか」
「これでも俺、部内じゃ怠け者、温厚な昼行灯で通ってるんですけどねえ……」
「ちょっと、あたしを無視しないでちょうだい!」
「つまりはアレか? そんなお前ですら思わずあんなことを口走っちまうほど、今は危ない状況ってことか?」
「せめてこの子達だけでも安全な所へ逃がすことを考えないと」
「ちょっとちょっとちょっと! 説明してよ。事態はそんなに悲観的なの!? お願いだからそうならないようにしなさいよ!」
金土は言い放つ。
しかし伊丹は後頭部を掻いた。
「この状況で俺に出来ることなんて何もないんですよ」
「何言ってるの、あんた自衛官でしょ!? この子達を守るために出来ることをしなさいよ!」
「そりゃまあ、そうしたいのは山々なんですけどね――」
すると佐伯が言った。
「確かに生半可なことじゃ、警備部の奴らの考えを変えさせることは無理かもしれんな。だが俺だってSITの隊長だ。俺の判断で使える装備と人員がある。それを使えば、お前さんの考える最悪って奴を防ぐことだって出来るんじゃないか?」
「そうですね。それだったら――やるしかないか」
伊丹はしばし周囲を見渡すと、佐伯に耳を貸せと求めて二人で出来る準備について語った。
「何こそこそと内緒話をしているの!? あたしを仲間外れにしないでよ!」
金土だけが叫んでいた。
D+1 銀座事件二日目 二〇四三時
陸上自衛隊・東部方面総監部――
東部方面総監部の防衛部長――言わば作戦参謀に相当する者が、銀座とその周辺を記した大地図の前に立って部隊の行動計画の説明をしていた。
それを方面総監である狭間陸将、そして副官達が傾聴していた。
床一面に広げた地図の上でしゃがみ込んだ柳田は、防衛部長の解説に従って青色に塗装された兵棋を手で運んで操っていく。
戦車や普通科部隊を示す青色の兵棋は、敵を示す赤い兵棋の群れの中へと突入し、打ち破りながら銀座の四丁目交差点へと達する。
見ている者は、まるで子供の遊びだな、などという感想を抱くかもしれない。しかし実際これがプレゼンテーションの方法としては一番分かりやすいし、その場で臨機応変の変更が利くのだ。
「……以上が、仮称『銀座作戦』の構想第二案です」
狭間は満足そうに頷いた。
「ふむ。『門』のある四丁目交差点は、敵の指揮中枢にして出現点でもある。敵の根幹を素早く叩き潰すことが勝利の早道であるという作戦だな。状況開始から終了までの時間が短いのがよい」
「はい。しかしこの作戦には重大な欠点があります」
「うむ。指揮中枢を砕かれた敵は、組織崩壊する。統制と逃げ場を失い、四方八方に逃亡を図る、というのだな?」
「はい。逃げ場がないと分かった敵は、自暴自棄になって強硬に抵抗を続け、仮に組織が崩壊すれば、その後は生存本能に任せて遠心性の行動を取るでしょう。銀座四丁目を中心に半径三キロは警察が包囲していますが、それにも限界があります。包囲網を突破しようとする敵が多数になるほど捕捉し損ね、周囲地域に滲出して近辺の住民に様々な害が及ぶことが予想されます。対するに第一案は、全戦力を包囲に集結し、敵を撃破することよりも一カ所に向けて追い立てることに専念します。ジワジワと外側から包囲の輪を縮めていく訳です。敵は蝟集し、唯一の逃げ道である銀座四丁目へと向かって後退していくでしょう。敵の組織を崩壊させなければ、敗残兵がうろうろする心配もありませんし、形勢悪しとみた敵が自主的に『門』の向こう側へと退却していくことも期待できます」
すると副官や幕僚達が口々に感想を述べ始めた。
「後は、落伍兵を掃討していけばよい訳か」
「しかしこれだと敵の戦意を挫くまでが大変だな。敵は、任意の時と場所で決戦を挑んでくることが可能となるからな」
「どんな状況となっても速やかに対応できるよう、十分な予備戦力が必要です」
「戦力確保のためあちこちと折衝しなきゃならんな。これが大変だ」
「それに、第一案が上手くいったとしても、怪異への対処は必要だよ。家やビルを一軒一室ごとに検索していく課題は残る」
「そちらは、警察にお任せということでどうでしょう?」
「そうしたとしても、随分と時間が掛かるのでは?」
「一体何日掛かるかな?」
「いや、何日どころか何週間という単位になるんじゃないのか?」
このような感想が出きった後、防衛部長は告げた。
「つまり我々は選択しなければならないのです。時間を掛けても、安全と確実を選ぶか、それとも多少の取り零しがあっても迅速に事態の収束を目指すのか――」
すると狭間は、天井を見るほどに仰け反った。
「兵書に曰く。兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり――か。だが馬謖になるのはゴメンだ」
「孫子の作戦編ですね」
この言葉は、戦いは多少不味くても素早く行うほうがよいという意味だ。
とはいえ、中国古典は現代の教範類とは異なり、一語一文から様々な含意を酌み取る努力が求められる。それが出来ないと浅薄な理解に陥って生兵法と呼ばれてしまう。その最悪な例が、三国志演義に登場する馬謖だ。馬謖は『高いところに陣取ると無敵』という兵書の一節を鵜呑みにして、水の補給も出来ない山の頂きに陣取って成功寸前だった孔明の作戦を瓦解させたと描写されている。
「第三案はどんなだ?」
「要するに、第一案と第二案の折衷案です」
「折衷案だとどっち付かずにならんか? 双方の利点をいいとこ取りしようとすると、大抵、双方の欠点が前面に出てくるもんだぞ」
「はい。ですので、自分も本命を第一案に持ってきました」
「拙速よりも巧遅を選びたいと言うのか?」
「何を優先し、何を選ぶかは、時と場と相手、そして我の目的による、ということですが、地域住民安寧を最優先したいのが本音です」
皆の視線が狭間に集中した。
「それを決めるのは政府だ。政府が何に重きを置くかで我々の方針は決まる。我々は日頃の訓練では、どの戦術が効率的で、どの作戦が使命の遂行に適切かを推し量って決心をする。しかしながら、戦史を振り返れば戦略、作戦は常に政治の制約を受ける。純軍事的に見れば、あり得ないような命令が下されることも少なくない。どんな注文が下りてきてもよいように第一案、第二案、そして第三案もさらに検討を深めておいてくれ。政府が我々に出動を命じる時には、状況が今とは違っている可能性とてある。そこを加味したものに出来るようにしないとな」
「了解」
「副官、それと古畑幕僚副長は残ってくれ。これから師団司令部と調整したいことがある」
第三章 群像
D+1 銀座事件二日目 二一一二時
新宿御苑――
夜の国道をマイクロバスが走っている。
東京都下の下り車線はトラックや乗用車で渋滞し、身動きがなかなか取れない。
対する上り車線は走る車が全くない、ガラガラ状態である。飾りのない無愛想なマイクロバスはそんな国道を走っていた。
マイクロバスがやがて歩道に寄せて停車した。
そこで待ち構えていたスーツ姿の男性を乗せる。
「野木原だな……」
クリップボードを手にした自衛官が、彼の名と顔を確認。後部に積んでいた袋を差し出した。
「席に着いたらこれに着替えろ」
「はい」
こうしてマイクロバスは、都度都度、待っていた二十代から三十代の青年達を拾いつつ高層ビルの林立する新宿に突如広がる緑豊かな大庭園、新宿御苑へと辿り着いたのである。
この地に陸上自衛隊第三一普通科連隊は活動の拠点を置いていた。天幕が整然と張られ、集まってきた車両がずらりと並ぶ。
そんな中へマイクロバスから青年達が降り立った。
見ると御苑の敷地内の各所には業務用テントが何張も展張されている。
「第三四普連の高機? 御殿場の連中も来てるのか……」
「あ、あれは一偵のRCVだ」
野木原達の呟きが耳に入ったのか、引率する幹部がニヤリと笑みを浮かべると言った。
「実は今日、首都圏直下型大地震が起こったことを想定したビッグレスキューの動員訓練が、何故かたまたま行われてるんだ。いいか? あいつらがここにいるのは、訓練の都合でたまたまかち合っただけだ。分かったな?」
「は、はあ……」
彼らは既に戦闘服に着替え終えている。そのためその足で名ヶ沢三等陸佐の前に整列した。
「中隊長に敬礼。かしら、中!」
代表者の号令で、全員が頭中の敬礼を行い、中隊長が答礼した。
「直れ! 申告します。即応予備陸士長、野木原松葉、他二十四名の者は災害派遣に招集され到着いたしました」
「うむ。交通機関が麻痺している中、遠路はるばるよくぞ駆け付けてくれた。今日ほど諸君のことを頼もしく思ったことはないぞ。まずは山原士長、確か君は帝都ホテルの板前だったな。すぐに炊事チームに入ってくれ。麻布とかその周辺に住んでる人々ってのは舌が妙に肥えていてな、飯の味にもいちいちうるさいんだ。中隊を炊事競技会一位に導いた腕前を発揮してもらいたい」
「はっ!」
「それと保育士がいたろ? えっと、誰だっけ?」
「自分です! 畑山です!」
「畑山だったな! すまんが運幹(運用訓練幹部)の指揮下に入ってすぐそこの高校に設けた避難所の乳幼児対策班に参加してくれ! 赤ん坊は泣くのが仕事だと思うんだが、それをうるさいと苦情を言う年寄りがいる。さすが児童福祉施設の建設に反対した地域の人々だぜ。こうなってしまうと、母親と赤ん坊、そして年寄り達を分けるしかない。そして分けたら分けたで、ちゃんと面倒を見てやらねばならん。お前の日頃の経験と知識を貸してくれ。頼むぞ!」
「了解!」
「あと、小此木! お前は四科の人間と都の備蓄倉庫に行ってくれ。倉庫の鍵が言うこと聞かずに困ってるそうだ。確かお前、鍵屋だったよな?」
「はい。シリンダー錠からディンプルキー、なんでも開けられます!」
「お前がいなかったら破壊せねばならんところだった。他の者にもそれぞれの特技に応じた仕事が山盛りだ。今夜は担当地域の巡回があるし、明日は明日で警察と共同して地域住民の避難誘導もある。頼んだぞ!」
「はいっ」
こうして参集した即応予備自衛官達は、それぞれが持つ技能・特技に応じた仕事を振り分けられてあちこちへと散っていった。
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