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第51話 セリーナ②

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「じゃ、次行くわよ次」
 ルシエルがまた指を鳴らす。映し出されている光景がセリーナの部屋に戻った。

 そのときと違うのは、セリーナの他にマーリンとヨランダがいたことである。

「貴様! 姉上に何をするつもりだ!」
 ファルゴンは今にもマーリンに飛びかからん勢いで叫んだ。

「落ち着いて落ち着いて。これは過去のことなんだから」
 ルシエルはファルゴンをなだめた。

「でもなんでここに来たのかは気にならない?」
 ヘッジが指を立てて言った。

「私がヨランダと共にセリーナの部屋に来たのは、他でもないセリーナ自身の頼みだったのだ」
 マーリンが答える。

「頼み事というのは……」
 エメラーダは唾をのみ込んだ。

「あれを見よ」
 マーリンは、卓に置いてある水差しを指差した。注ぎ口に小鳥の彫刻が施してあるのが目につく。真鍮製で黄金色に輝いていた。

「水差しですね……これがどうかしたのですか? 美しいですが、なんの変哲もない水差しに見えますけれど」

「なんの変哲もない水差し。確かにそうだ。だがセリーナ曰く、水を注いだ時、妙なものが浮かび上がってきたというのだ」

「妙なもの?」

「なんでも、水面に模様が浮かんできたそうだ」

「……模様、ですか」

 エメラーダは映像に目を向けた。セリーナが器に水を注いでいるところである。例の水差しからなのだが、水面には何も浮かんでこなかった。

「思い出してきたぞ。この時のセリーナは申し訳なさそうにしていたな。でも、私は嘘をついたとは思っとらんぞ」

「失礼と存じて伺います。そう思う根拠がおありだったのですね?」
 エメラーダはあえて踏み込んでみた。

「うむ。セリーナは我らの理解者だったのだ。魔術を訝しむ者は少なくなかったからな。王の手前そう公言するのは、はばかられるにしても」

 マーリンはファルゴンに横目を向けた。ファルゴンはマーリンに鋭い目を向ける。

「とにかく、セリーナは気味悪がっていた。だから我らは水差しを預かることにしたのだ」

「水差しの正体はわかったのですか?」

「恥ずかしながら、この時は分からなんだ。だが、今なら断言出来る。これは無名経典だったのだ」

 エメラーダは息を飲み、目を大きく見開いた。マックスらも同様の反応をする。

「無名経典には字が書いてあるんだ。本じゃないのかよ。水差しが本じゃないってことぐらい俺だってわかるぞ。だいたい無名経典ってのは巻き物じゃないのか」
 マックスが堪らず声を出した。

「そなたの言っとることは間違っとらん。だが、そこが無名経典の妙なところでな。物であるなら、なんにでも顕現できるのだ」

「つまり、無名経典はことある事に姿を変えるということですね? それも、あるものを使って」
 エメラーダは自分なりに要約しようとする。

「そういうことだ。奇怪としか言いようがないが、そればかりはどうしようもない」

「でもよ。水差しは読めるものじゃないだろ。そんなものになったってどうしようもねぇじゃねぇか」
 マックスが口を挟む。

「だからセリーナは水を注いだのだろう。水面の模様とは文字のことだ」

「ですがこの時は文字が出てこなかったんですよね? どういうことでしょうか」
 エメラーダは顎に手を当てて、首を傾げた。

「それねー。まずはひとつ、無名経典は不安定なの。長期間留まるってことができないってわけ。だから出たり引っ込んだりするのよ」

 ルシエルが脇から入ってきた。

「ふたつめ。無名経典の方でも時と場合と相手を選んでるようね。マーリンとヨランダの前で水を注いだときに何も出てこなかったのは、そういうことじゃない?」

「そなたは以前にも無名経典の話をしておったな。なるほどな。それならば合点が行く」
 マーリンはこめかみに右人差し指を当てた。

「マーリンさんは水差しを預かったのですよね。そのあと、どうなったのですか?」
 エメラーダが進展を尋ねる。

「残念ながら、水差しはただの水差しのままだ。けれど無名経典の方は調べがついた。顕現するのは気まぐれとしか言いようがないことが」

「無名経典が気まぐれだったり不安定なのは、カオスの主様が制限をかけてるからなんだけどね。そっちの方が面白そうだとも」

「面白そうってなんだよ」
 ルシエルの発言にマックスが突っ込みを入れた。


「水差しはマーリンの手に渡りました。さて 、どうなるのかしら?」

 ルシエルは指を鳴らす。光景はセリーナの部屋のままである。そこに映されたものを見て、ファルゴンの顔が青ざめていった。

「悪魔め! なんてものを見せるんだ!」
 こらえきれず、絶叫する。一同の目がファルゴンの方に注がれる。

「セリーナの部屋に、部屋の主と付き人たるそなたの二人きり。別に珍しい光景でもなかろうに」
 マーリンはファルゴンの狼狽ぶりを、冷ややかな目で見ていた。

「彼らは、なんの話しをしてるのかしらねー?」
 ルシエルは一同の目を映像の方に向けさせた。

「――最近の王は、ヨランダにかまけてばかり。このままでは、私の寵愛が失われてしまう……」
 映像から声が聞こえる。音を出していたのはセリーナだった。

「ヨランダを追放させるのです。王をたぶらかす魔女だと信じて疑わぬものは多い。ほんの少しでもいい、我らが働きかければ……」

 続いて、映像の中のファルゴンが音を出した。それを見ていたファルゴンは、口を大きく開けていた。一同は顔を一斉にファルゴンの方に向ける。

「みなさーん。言いたいことは山々だろうけど、まだ続きがあるよー」
 ルシエルが一同の注意を映像の方に向けさせた。

「ヨランダは大切な友です。追放だなんてそんな……」
 セリーナはファルゴンの提案をやんわりと断る。

「姉上。ここは宮殿です。時として覚悟を決めなければなりますまい。だいたい、何故怪しげな術を行使する女をかばいたてるような真似をするのですか」
 ファルゴンは、セリーナに厳しく詰め寄った。

「ファルゴン! ヨランダのことをそんな風に言わないで……」

『ヨランダは大切な友です』この発言に偽りはなかった。しかし、ファルゴンに詰め寄られたとき、胸中に苦い根が生えてきたのを感じたのだった。

「よくお考えください。このままでは、姉上の立場が危ういのです」
 ファルゴンはセリーナに背を向けると、そのまま部屋を後にした。

 それを見届けると、一同は一斉にファルゴンの方に向いた。

「みなさんみなさん。まだ終わってないのよ」
 ルシエルは一同の注意を自分の方に向けさせると、指を鳴らした。

 今度の場面はマーリンとヨランダの研究室である。

「マーリン様、ヨランダ様。お茶を持ってまいりました」
 侍女が研究室の中に入ってきた。盆に茶を乗せている。

「こんなむさくるしいところで茶を飲めとな」

「マーリンよ。嫌味を言うんじゃない。でも、誰が茶を出せと言ったのだろうか」
 ヨランダはマーリンをたしなめつつも疑問を呈した。

「お茶はセリーナ様からのものです。では失礼いたします」
 侍女は疑問に答えると、研究室を出ていった。

「セリーナからか。気を利かせてくれたのだな。では、いただこう」

 マーリンはヨランダと共に、出されたお茶を飲んだ――。



 そこで映像がフェードアウトしたかと思うと、次の場面に切り替わった。

 場所は研究室のままだが、マーリンとヨランダは卓に突っ伏して、寝息を立てている。傍らには、先程出されたカップが置かれている。

 二人が寝入っているとき、研究室の戸が開く音がした。開いた戸の隙間から、顔が出てくる。二人にお茶を出した侍女であった。

 侍女は足音を立てぬように、慎重に中に入る。

 研究室の中を見回すと、本棚の前に置いてある水差しに目を止める。注ぎ口に小鳥の彫刻が施してある真鍮製のものだ。

 水差しの置いてある卓まで忍び足で向かうと、それを手に取る。
 脇に抱えるようにして持つと、入ってきたときと同様に、慎重な足取りで出ていった――。

「そんなこともあったな。目を覚ましたときに、水差しがなくなっていた……」
 マーリンはつぶやいた。眉間に皺を寄せながら。
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