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第一章 冒険者世界アリスト編
第31話 マスケドニア
しおりを挟むここは、史郎がいるアリスト王国の隣国、マスケドニアの王宮である。
上品な調度で飾られた王の居室では、名君と名高い国王が執務へ向かうため、侍女たちから身を整えられていた。
長身で引き締まった体躯をした王は、国王としての威厳に、壮年の男性としての魅力が加味され、「美王」と呼ばれている
そのとき、本来は来るべきではない役職の者が、部屋に入ってきて王に耳打ちする。
これは、緊急に対処すべき案件が生じたことを意味する。
マスケドニア王は、思わぬ知らせを受けていた。
「それは真か!」
「ははっ、間違いなき情報でございます」
「まさか、このような時期に開戦とはな」
アリスト国の初代聖騎士王とこの国とで結ばれた約定により、20年にわたり二国間の関係は概ね友好的だった。
近く、お互いの公爵レベルの会合、また、婚姻も予定されていた。
侵攻決定は、この国にとってまさに青天の霹靂であった。
すぐに執務室に移った王は、時を待たずして対処に取り掛かった。
「勇者について、何か分かったか」
「はっ、黒髪の勇者でございました」
「な、なに!? なるほど、それがこ度のきっかけか。
そうなると、侵攻はどこまでも止まらぬな」
王は、現アリスト国王のどこか冷たい、陰のある目つきを思い出していた。
「他国と同盟して対処することが、最善かと存じます」
軍師として仕える青年が具申する。
彼は、最下層の貴族の出であったが、その有能さを早くから見いだされ、軍事はもちろん、政策にまで助言する立場へと昇りつめた。
「ショーカ。 同盟の件、すぐに取り掛かってくれ」
「かしこまりました」
しかし、王には、それがどれほどの困難をともなうかも分かっていた。
天才の名をほしいままにしてきた、この若き軍師にとっても、それは容易なことではあるまい。
アリストに勇者がいる。
そのことが知られれば、他国はマスケドニアとの同盟を躊躇うだろう。
それが黒髪の勇者となれば、なおさらである。
むしろ、多くの国がアリスト側に付くだろう。
付かぬにしても、せいぜい傍観をきめこむのが関の山だろう。
「一つお願いがございます。
勇者と接触を図るご許可を頂きたいのです」
「ふむ。 理由を申してみよ」
「聞けば、かの国の勇者は、この世界に現れてまだ間もないとのこと。
果たして、そのような者が戦に乗り気になるでしょうか」
「なるほど。 勇者自身は、戦いを望んでいるとは限らないということだな」
「はい。 彼の人となりについての情報は、まだほとんど入って来ておりません。
ドラゴン討伐の情報ぐらいです」
「なるほどのう。 して、接触の目処は立っておるのか?」
「王城内に囲い込まれておりますゆえ、勇者本人との接触は、まず難しいでしょう」
「ふむ。 ではどうする」
「幸い、勇者と一緒に現れた聖騎士、聖女には接触の隙があるかと存じます」
「そこから、勇者へと繋げようというのじゃな」
「可能性がある手は、全て打っておきとうございます」
「うむ。 分かった。 任せよう」
「はっ」
軍師は、足早に執務室から出て行った。
王はその背中を見ながら、これまで何度も国難に立ち向かって来たが、今回のことが、その中でも最大のものになりそうだと考えていた。
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軍師ショーカの屋敷は、王宮からすぐ近く、お堀の脇にあった。
今、その屋敷では、彼が手飼いの密偵の頭を自室に呼び出していた。
「では、そちとミツ、ヨツで行ってくれるか」
「はっ」
「今回の任務は、その性質からして、まずそちらの命はあるまい。
申しわけなく思う」
「我らが命は、元より御屋形様のもの。
本望でございます」
男の名はヒトツという。
先代から軍師の家に仕えてきた彼は、軍師にとってまさに第二の父ともいうべき存在だった。
軍師がここまで出世できた理由の一つが、この密偵達の情報収集能力の高さにあった。
勇者達との接触に、王宮の情報部を使わないのは、万が一にも作戦が敵方に漏れないためである。
王宮に他国の情報関係者が存在するのは、暗黙の常識である。
軍師は、そっとヒトツの肩に手を置いた。
その肩からは、かつてのような、がっしりした力強さは、伝わってこなかった。
初老を迎えたヒトツにとって、成功しても失敗しても、今回が最後の任務になるだろう。
ヒトツが部屋から去ると、ショーカは、かつて剣の師でもあった彼のことを思い、目を閉じた。
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ヒトツは、自室に娘のミツ、息子のヨツを呼んで任務の話を伝えた。
二人は静かに聞いていたが、途中から緊張の色が隠せなかった。
任務の重大性はもちろんだが、その難易度があまりにも高く、自分の命を守っていては、達成できそうにないことに気付いたからだ。
ミツは、まだ18才。
ヨツにいたっては14才になったばかり。
まだ、成人前である。
ヒトツは妻に水を持ってこさせると、それを二人の前に置いた盃に注いだ。
これは、この国で死者に対して行う行為である。
妻は気丈にも、普段のふるまいを見せた。
しかし、先ほどまで別室でさめざめと泣いていたことを、ヒトツは知っていた。
出発は、明日の夜明け前となる。
常に覚悟はしてきたつもりだが、やはりその時になると心が動くものである。
ヒトツは、己の甘さを消し去るために、諜報に使う魔道具、武器の手入れに打ち込むのだった。
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