clean freak に恋をして

ももくり

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8.好きなところ

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 すごく反論したいのに、豊さんの指と眼鏡の間を繋ぐ銀色の…そう、納豆の糸が私の全意識を奪ってしまう。

 な、何してんだよアンタ。
 どう考えてもその指で…ああっ、う、腕を??
 卓袱台に置いたら、さっきアンタの落とした…

「うおっ、袖に納豆がっ」
「あっ、ダ、ダメッ!その指で触ったらまた被害拡大しますってばっ」
 
 残念ながら既に着替え済で。高そうなそのワイシャツの袖に、納豆の粒がプラ~ンと可愛くぶら下がっている。驚きのあまりに、口をポカンと開けたままの私。その私を放置して、豊さんは『着替えてくる』とだけ言い残し、物凄い勢いで自室へと消えて行った。
 
 もちろん、床には点々と納豆の粒が落ちている。幸いなことに3粒だけだったが、それを慌てて拾いながら私は頭の中を整理していた。
 
 …結婚。
 
 一度、婚約破棄をした身ではあるが実は私、プロポーズというものをされたことが無い。前回は仲介人の方々に『結婚前提で交際を』と前置きされてから付き合い出したので、改めて結婚を申し込んでもらう必要が無かったのだ。
 
 えっと、でも今の、プロポーズだよね?
 
 ん?違うか。近所の噂話のネタになるのが嫌で、その解決方法としての“提案”だったのか?いや、でも“結婚しよう”のフレーズが入ればそれはすなわちプロポーズなのでは?プロポーズの定義っていったい何??困ったときのネット検索だわ。ス、スマホちゃんカモーンッ!!
 
「ひいいいっ」
 
 結局、動揺し過ぎた私も納豆ネバネバの台拭きを握ったままスマホを持ったので、そのカバーにネバネバを付着させてしまうことに。
 
「あ、そっか。豊さんも動揺していたんだな」
 
 そんなことに気づくまで、かなり長い時間を要してしまったようだ。冷静に話していたように思えたけど、あの人、かなり動揺してたんだ…。じゃあ、どの部分に動揺したのだろうか?
 
「まさか私がこの家を出て行くと言ったから?だから、慌ててあの失態を見せたってワケ?」
 
 …しかし人間というのはズルイ生き物で、いつでも逃げ道を用意してしまうのである。だから私も豊さんが動揺した理由として、2つの答えを用意した。

 1つ目は、私のことが好きで、この家を出て行かれると悲しいから。
 
 2つ目は、奴隷に出て行かれると困るので、繋ぎ止めておくための手段として結婚という餌をチラつかせただけ。
 
 「んっ、ごほん」

 ワザとらしい咳払いをしながら、豊さんが戻って来た。日々鍛えられていた奴隷体質は無意識のうちに納豆の残骸を全て片付けるという能力を発揮し、再び朝食を始められる状態にまで復元していた。
 
「あの、お味噌汁、温め直してきましょうか?」
「いや、そんなことよりも返事を聞かせてくれ」
 
 返事ってもちろん、あの返事だろうな。
 
 それは分かっていたが即答出来るはずも無く、私と豊さんは暫し睨み合っていた。
 
「あの、私はもう次に婚約破棄したら、慰謝料を払うことが出来ないんです」
「だから?」
 
「だから、次は慎重にいきたいと言うか、押しに負けて流されるのはもうヤメようかと」
「それはつまり?」
 
「ごめんなさい、お断りします」
「……」
 
 バッシャー。
 
 その昔、誰かに教わった中風という症状に似た動きで右手を震わせたかと思うと、豊さんは味噌汁の入ったお椀をひっくり返し。胸元から太腿にかけてビッシャビシャ。プーンと味噌の香ばしい臭いが立ち込めるが、それでも彼は正座したまま動かない。
 
「奈緒さんは、好きでもない男と寝ることが出来る女だったのか?」
「そっ、そんなはず無いでしょッ」
 
「じゃあ、俺が好きで寝たんだろ?」
「そっ、それは…あの…実は何と言うかその…、自分でもよく分からないんです…よ…」
 
「分からないだと?!本気で言ってるのかソレ」
「だって常に2人きりで、しかも毎晩毎晩、上半身裸の豊さんに軟膏を塗るんですよッ?!」
 
「それがどうしたッ」
「そんな特殊な環境に置かれれば、誰だって理性がブッ飛びますって」
 
 眉間にシワをくっきり浮かべて、豊さんは即座に反論する。

「もういい、分かったから結婚してしまおう」
「はあ?!断りましたよね、私。ハッキリキッパリ断りましたッ。だいたい、豊さんからは私に対する好意が微塵も感じられないんですけど、愛の無い結婚なんてどうかと思いますよッ」
 
「バッ、バカを言うなっ。愛が無いだと?!」
「じゃあどこか私の好きなところを2つ3つ挙げてみてくださいよッ」
 
 朝のこの忙しい時間に。しかも一方は味噌汁ビッチャビチャの状態で、いったい我らは何をしているのか?
 
 そんなことを問うてみても、誰も答えてくれない。
 
「うああっ、もうこのままじゃ遅刻する!宿題!!宿題にしてくれ。とにかくシャワーを浴びて着替えてくるから、この後片付けを頼んでもいいか?」
「いいですよ。あ、そうだ、汚れたシャツも洗っておきますので出しておいてください」
 
一瞬だけ真顔になって、それから豊さんは言う。

「…そういうところが、いいと思う」
「は?」

「俺が奈緒さんを気に入っている理由だよ。俺は本当に面倒臭い男だからな。黙ってついて来れるのはキミだけだ」
「はああ?」
 
 …甘ったるい言葉なんて期待していなかった。でもでも、真っ先に浮かぶ『好きなところ』がアナタの細かい要求に応えられる部分だなんて。
 
 激しい失望に襲われ、私は肩を落とした。
 
 
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