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<零>
その18
しおりを挟む「適当に濁せ。それが出来なければ黙っていろ」
「そんな高度なテク、持ち合わせていませんよ」
はぷ。
いきなり食べられてしまいそうなキスをされて、パニックに陥る私。
何の脈絡も無さすぎて理解不能だ。明らかに硬直している私の耳元で課長が囁く。
「(ヒソヒソ)頑張って喘げ。母さんと公子がこっちを盗み見てるから」
「…あーん、ううーん」
「(ヒソヒソ)なんだよ、その棒読みはッ」
「えっ?!あ、あん、ん、ん、やだっ、そんなとこ触っちゃ、いやああああん」
なぜに初訪問のお宅で乳を揉まれているのか。
そしてそれをワザと覗かせているのか。
「ヤバイ、これ以上続けたら止まれなくなる。ったく、お前の抱き心地は最高だな」
「…う…あっ」
耳朶を、何度もハムハムと噛まれ。それで満足したのかようやく解放されたが、少しだけ残念に感じた自分を憂う。
…たぶん私は、この男にジワジワと侵食され始めているのだ。
大丈夫、分かっている。
課長が私を選んだのは、決して課長を好きにならない女だからで。好きになった時点で、この契約は終わってしまうのだから。
「んッ、ごほっ、その…零はこれから大変だな」
「…どうしてですか?」
「だって俺みたいな男と1年も暮らしたら、もう他の男なんか屁としか思えなくなるだろ」
「はあ?」
この男はいったい何を言い出す気なのか。
お義母様たちは既に姿を消しているらしく、課長は真顔でこう提案して来た。
「でもまあ、どうしてもと懇願するなら、もう少しだけ契約延長してやってもいいぞ。…その、俺と一緒にいたいとかな、そんな風に思うのなら多少の恩情はかけてやる」
「いえいえ、大丈夫ですから。残念ながら課長を好きになることはありません」
本心と真逆の返事をしたのは、試されているような気がしたからだ。
『俺を本気で好きになったら、契約破棄するぞ』
──そう遠回しに伝えられているのだと思い、私は無表情のまま事務的に答えたのである。
「…そうか?」
「そうですよ」
「分かった、それはこちらにとっても好都合だ。契約満了の際に泣き喚かれても困るからな」
「そんなことにはならないのでご安心ください」
なぜか課長が私の表情をチラチラ見てくるので、ポーカーフェイスを貫き通そう…と思ったのに。
ち、近い。
おいこら、寄り目になるほど顔を近づけるな!
「お前は本当に変わっているなあ。全然まったく好きじゃない男と1年間も一緒に夫婦生活を送ることが出来るのか」
「う…ぐっ、そ、それは課長も同じでしょう?」
鼻先をぐいっと掴まれ、軽く左右に揺らされる。
「俺とお前を一緒にするなよ」
「…え?」
そ、それはすなわち?
す、すなわちそれは?
その言葉を読み解くと、多少なりとも私に好意を抱いているということになるのでしょうか?
期待してもいいってこと?
いや、これも巧妙な引っ掛けなのですか?
「もうそろそろ戻ろうか。きっと食事の準備が出来ているだろうから」
「はい、そうですね」
リビング奥にあるダイニングルームへ向かうと、そこでは既に私たち以外の全員が着席しており。
待たせたことを詫びながら、私と課長も並んで座った。
「アミューズの洋ネギのフランでございます」
「あ、どうも有難うございます」
フレンチレストラン並みのフルコース料理で、しかも家政婦さんが給仕してくれるようだ。料理が出される度に御礼を言っていると、なぜか公子さんが笑い出す。
「えっ、どうしたんだい?公子ちゃん」
「だって伯父様、そちらの彼女の反応がいちいちおかしいんですもの」
「それはどういう意味かな」
「帯刀家の人間は常に使う側の立場にいるはず。なのに彼女、使われる側の人間に媚びを売って、見ていてなんだか痛々しいわ」
おっ、なんだなんだ、早速イジメか??
分っかりやすいなあ。
「ぶふふっ」
緊張の場面にも関わらず吹き出した私に、誰もが驚愕の表情を浮かべている。
「その程度の嫌味で、この私が動じるとでも?」
真っ直ぐに公子さんの目を見てそう告げると、反撃されるとは思っていなかったのか公子さんは動揺しながら言い返してくる。
「い、嫌味なんか言っていないわよ、私!」
「“媚びを売る”という表現が褒め言葉だと思っていらっしゃるのだとすれば逆に心配です」
「心配なんかして頂かなくても結構よ!」
「私だけが我慢すれば良いのでしょうが、こんな場で発言をされるとそれも出来ません。帯刀家…あ、この場合は公子さんを除きますよ。とにかく帯刀家の皆さんの楽しい晩餐に、影を落とすようなことは止めてください。
むしろ、2人きりの時なら仰っても大丈夫です。喜んでサンドバッグになって差し上げましょう」
おまけのつもりでバチンとウインクをすると、お義母様が高らかに笑い出す。
「おーっほっほっ!!さすが政親の選んだ嫁ね。強い、強いわ。茉莉子さんよりも手強そうよ!」
それに茉莉子さんが口を尖らせて反論し、それからは明るい食事タイムとなってしまった。
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