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<靖子>
その59
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「だって剣持さんって武術の達人だもの」
「武術??」
「帯刀会長、つまり政親さんの祖父に仕える為SP的な技能をみっちり叩きこまれたらしくて、逮捕術、格闘術、射撃技能なんかを習得してるらしいわよ。これ、ウチの旦那さん情報ね!!」
「だからって手を握っただけで指の骨を折る?」
「敵を一撃するワザをいろいろ習得していると言ってたから、ついウッカリそれが出ちゃったんじゃないのか??」
「ウ、ウッカリ?!そんなテヘペロ的な理由で、骨を折らないで欲しいわ」
月曜の朝イチに包帯ぐるぐる巻きで出社すれば、質問攻撃を受けるのは当たり前なワケで。だからこうして包み隠さず真実を語ったのだが。
てっきり他の人々同様、『有り得ないよ~』という答えが返って来ると思っていたのに、何故か零だけは必死で勇作を擁護し始めた。
「で、でもっ、ほら。今でも日々鍛錬を怠らず、己の身体を極限まで鍛え抜いて、自宅にはトレーニング部屋が有るらしいじゃない?」
「うん、そう。1部屋まるまるトレーニング専用になってるよ」
「わあ、素敵。そういうストイックな男性って、最近なかなかいないわよねえ」
「…分かった」
「な、なな、何が分かったの??」
「陰で零を操っている人間がいるわね?!それはズバリ、社長でしょうッ」
そんな分かり易く動揺しなくても。本当にこのコは嘘が下手なんだから。
「ち、違うよ、政親さんじゃない!!靖子と剣持さん夫婦も、ウチみたいに偽装結婚から本物の仲にしちゃおうと言い出した張本人…それは、この私でーす!!」
「零が?」
そっか、結婚して脳内がピンク色になった挙句、『幸せのお裾分け』などという『余計なお世話』と紙一重のレアカードを使用してしまったのか。
「ねえ、剣持さんも故意にしたワケじゃないし、そろそろ許してあげなよお」
「えっ?怒って無いし、許してるけど」
「だって剣持さん、物凄く落ち込んでたよ?どんなに謝ってもその…夜の営みを拒絶される…ゴニャゴニャ…とか、なんとか…」
「いやいや、拒絶の理由はそこじゃないし。好きな相手としかしたく無いって伝えたのに」
こんな話、朝から給湯室でしても大丈夫なのか。思わずキョロキョロと周囲を見回す私の視界に、何かが存在をアピールしてきた。なので一旦、目を閉じて再度パッチリと開き直す。
「え?高久さん、どうかした?」
「ちょっとワイシャツにコーヒーを零したから洗おうと思って…って、そんなことより!偽装?!靖子ちゃんと剣持さんが?!なんでっ?!しかもその指どうしたんだよッ?まさかDVを受けているのか?!何てことだ!」
…おかしな部分ばかり繋げ、私を可哀想な女と認定した高久さんはこの後、更に暴走するのだ。
「とにかくワイシャツを洗った方が良いのでは」
「そんなことより俺…」
次の言葉を待っていたのに。なぜか熱血漢はそのまま無言で去って行く。うへぇ、嫌な予感しかしないんですけど。
零と2人、慌てて社長室へと急ぐ。部署内朝礼なんかよりも、今はこっちが優先だ。高久さんは絶対に何か問題を起こすに違い無い。
始業間際のエレベーターなんて、各階止まりのノロノロ運転だ。仕方なく、若さ溢れる私たちは階段を二段飛びで駆け上がる。
残念ながら、営業のある10階から社長室のある最上階まではべらぼうに離れており。着いた頃にはもう、ヘトヘト状態。しかも、セキュリティの為なのか非常階段から社長室へは入れない仕組みになっているらしく。
「零、下の階に戻ってエレベーターに乗ろう!」
「そんなことより、で、電話!政親さんに電話」
ポケットからスマホを取り出し零が電話すると、呆気なく内側からドアが開いた。
「零…。どうしたんだこんなところで」
「た、高久さんが来てない?!」
もう足はガクガクしていたが、生まれたての子鹿2人組は根性で中へと進む。
「そういや何か秘書室の方で騒いでたな。営業の若い男性社員が剣持さんに会わせろと騒いでいますとかなんとか…」
「それ高久さんなの!靖子の偽装結婚がバレて、しかもDVされてると誤解までしてて」
すぐに状況を察した社長は、私達を剣持さんの元へと誘導する。なぜか嬉しそうなその表情を見て、たかが一社員のクセに鋭く突っ込む私。
「あの~社長?どうしてそんなニコニコ笑顔なのでしょうか?」
「ごめんね~、靖子ちゃん。だってこの状況、すっごく愉快で」
零がその失言に憤り、肘鉄で小突いたが社長はまだまだ呑気に続ける。
「今までスマートな恋愛しかして来なかったあの剣持さんが、こんなに拗れ捲ってるんだよ。結婚してるのにまだ手を出して無いんだって?そんなの苦戦しまくりじゃないか。あははっ」
「あ、あははっ」
ここは一緒に笑っておくしか無いではないか。…ちくしょ、勇作の奴。なんでもペラペラと社長に喋り過ぎ。後でお仕置きしてやるッ。
>そんなのおかしいでしょう?!
>結婚とは愛し愛された者のみが辿り着く
>究極の砦のはずなのに!!
社長室の傍にある応接室から、熱弁している高久さんの声が聞こえてくる。
社長が鼻歌交じりにノックしてドアを開けると、実に面倒臭そうな表情をした勇作と怒りに震えている高久さんの後姿が見えた。
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