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<茉莉子>
その72
しおりを挟むそれから榮太郎は、血の繋がった母親がいかに恐ろしい女であるかを私に熱く語って聞かせた。
ふむふむ、なるほど。
例え偽装だとしても、結婚するとなるとその妖魔のような義母と同居し、常に対峙することになるのか。
「もうキミが最後の望みなんだ。愛し合っているフリはしなくていいけれど、せめて納得済の結婚だということにして欲しい。
俺が生まれて初めて好きになったその女性は凄く不思議な人で、そう易々とは付き合えない。でも、ようやく少しだけ打ち解けたのに、このまま諦めるなんて無理なんだ。
どんな手を使ってでも、彼女を手に入れたい。
その為だったら俺は鬼にでもなれる。
小椋茉莉子さん、俺と1年限定で結婚してくれませんか?勝手なのは重々承知の上だ。あの巨悪な母と日々闘い、周囲を騙し抜き、俺と上手くやれるのはキミ以外に考えられない。どうか助けると思って、イエスと答えて欲しい」
多分、私はもう死ぬまで恋をしないだろう。ならば、せめて恋する誰かの手助けをするのもいいかなと思ったワケで。だからニッコリ笑ってこう答えたのである。
「いいですよ!どうせ毎日ヒマだったから、喜んで結婚ごっごをしてあげます」
「う…ほ、本当に?!」
コクコクと頷く私の両手を握り、榮太郎はめちゃくちゃ顔を寄せてくる。私はそのまま顔を逸らすことが出来なかった。
うわあ、キラキラだな。
なんて綺麗な目をしているんだろう。
吸い込まれそうなその目の奥に、恋する人間特有の輝きのようなものを見つけ、思わず見惚れてしまう。ああ、本当に恋する心というのは尊いな。もう何も信じられなくなった私にも、この輝きだけは分かるのだ。
純粋に誰かを好きだというその気持ちは、決して汚してはいけない不可侵の領域で。
世界で一番美しい感情なのだから。
「帯刀さんの恋が成就すると良いですね」
「あのっ、これからは俺のことを『榮太郎』と呼び捨てにしてくれないかな」
既に脳内ではそう呼んでたっつうに。などと言えるはずもなく曖昧に微笑んで頷く。
「お願いだ、今ここで俺の名を呼んで欲しい」
なぜそんなことを要求されるのかは不明だが、これから結婚することを考えると早いうちに慣れた方が良いのかと思い、素直に従う。
「えっと、榮太郎…」
「なんだい、茉莉子」
ミッション完了と思っていると、『もう一度』という感じで手招きされた。
「…榮太郎」
「くぅ、茉莉子ッ」
なんだこの茶番。しかも茶番だと分かっているのに、妙にキュンキュンしてしまう。
コンコン!
おかしな空気を掻き消すかのように、誰かがテーブルを叩いた。
高級ホテルのロビー。その窓際の席だったのでたまたま見つけたのか、それともウチの両親から私の予定を訊いたのか。
「こう…き?」
いや、ここで元カレが登場したりすると思わせぶりでカッコイイのかもしれないけど、残念ながら兄で──す。
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「須藤が茉莉子に話したいことが有るってさ。…でこの縁談のことを伝えたら、お願いだから阻止して欲しいと頼まれた。アイツ、今こっちに向かってるんだけど、それまでの繋ぎで取り敢えずココにいさせろ」
な、なんたる横柄な物言い。しかも、榮太郎に挨拶すらしないことからも、帯刀家との位置関係を理解していないらしい。仕方ない、本当にこの次兄はバカだから。それにしても、ややこしいことになってきたな。
ええ、ええ。
お察しの通り須藤というのは元カレなのです。
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