恋、しちゃおうかな

泣かないんだから

　
　
　それは定時ピッタリに始まった。

　大残業だと聞いていたのに、日中はその話をまったくして貰えず。どうしてか鈴木さんは終始、無言。取り敢えずまだ納期に余裕のあるものを片付けようと考え、ひたすらカタカタとキーを打つ私。
　
　すると、いつの間にか鈴木さんが真横にいて、これから一緒に外出するぞと言い出し。端末も資料も要らない、帰り支度だけしろと。
　
「あの、いったいどちらへ？」
「着けば分かるから」
　
　いきなりタクシーの後部座席に乗せられて彼自身も助手席へと座り、行先が書かれたメモを運転手さんに渡す。我が社は街なかに位置しているのだが、目的地はかなり近い場所に有ったようで３０分も経たずに到着。
　
「美玲、降りるぞ」
「え、あ、はい！」
　
　そこはギリシャ宮殿みたく白い建物で。看板も何も無いため入ることを躊躇していたら、奥から見覚えのあるその人が顔を出す。
　
「…す、杉崎さん？？」
「は～い。ようこそ、美玲ちゃん。さあ、時間が無いから早回しで行くわよッ」
　
　想像とは違って彫像のように美しいその人は、驚くほど…ガラッパチだった。バンといきなり私の背中を叩き、『猫背はダメでしょ！』と叱ったかと思うと、ガハハと豪快に笑いながら私を奥へと連れて行く。
　
　長い廊下の先は、どうやらレンタルドレスのコーナーらしく。全面鏡張りで、ズラリとドレスが並んでいる。
　
「単に食事するだけだと言うから、上品なワンピースあたりでイイかなって。もうピックアップしてあるから、さっさと試着室に入っちゃって」

　しょ、食事。誰と誰が？？…そんな疑問も口に出せないまま、杉崎さんは試着室の前で喋り続ける。

「私には持論が有ってさ、やっぱ気合いを入れるには下着からだと思うの。こっちで適当に見繕って下着も用意しておいたから、それも着替えてくれる？んもう新しいのに替えちゃいましょ、全部ッ」
　
　そのテンションについて行けそうに無いが、
　ヤケクソ気分で着てみる。

『どうぞ』と言わないうちにカーテンが開いたかと思うと、不満そうな表情の杉崎さんが感想を述べてくださった。

「うーん、意外と美玲ちゃんって華奢だなあ。これは却下しよう。だって胴長に見えるもん。きっとこっちの方が似合うと思う」
「え、あ。私もこっちの方が好きです」
　
　それはネイビーの膝丈フレアワンピースで。Ｖネックラインが甘さをほどよく抑え、シフォン素材の長袖がエレガントさを醸し出す。慌てて着替えたところ、それを見た杉崎さんは繰り返し頷き。そのまま強引に私の腕を掴んだかと思うと、そのまま２階へと向かう。
　
　そこからは別の女性にバトンタッチされ、今度はヘアメイクが始まったようだ。

「あの、す、杉崎さーん」
「はいはい、何よ。喋ったらリカさんが作業しづらいでしょ？お口にチャック出来ないの？」
　
　そう叱りながらも、私の斜め後ろから的確に指示なさる杉崎さん。
　
　…なんかもう、分かった気がする。
　
　だって、誕生日だし。
　この後、食事するらしいし。
　
　こんな正装して食事するなんて、
　ねえ、きっとそういうコトでしょ？
　
　杉崎さんと一緒に郊外のフレンチレストランに行ったのだって、そうなんでしょ？

　ほんとあの人、極端すぎるよ。
　
　なんかもう、
　本当にもう、
　
　ああ、もう絶対に泣かないんだから。