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彼が我が家にやって来た!
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「おはよう山田きゅん」
「山田きゅん、おはよう」
「うふ、山田きゅん、おはよ」
…おいおい、隣席の私には挨拶ナシかい。
イケメンが降臨してからの経理部は、確実に変化した。我が社の次期社長(通称ジュニア)が異動して来てもさほど勤務態度を変えなかった女子たちが、朝早く出社するようになり、机の上を掃除し、嘘臭いまでの笑顔を振りまいてお茶を煎れる。そしてイケメン様に貢物を献上するのだ。
「山田きゅん、良かったらお茶請けにどうぞ。この饅頭、美味しいの」
「あ、俺、甘いの苦手なんですよ。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
「山田きゅん、これ食べたこと無いでしょ?超おいしいんだよ新商品のチョコなの!!」
「誠に申し訳ないんですが、俺、甘いの苦手で。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
「山田きゅん、プリン食べる?たくさん持ってきたんだけど余っちゃって…」
「ごめんなさい、俺、甘いもの好きじゃなくて。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
…なんかもう聞き飽きた。返事している方も面倒臭いだろうな。いっそ朝礼で周知してしまえばいいのに。『甘いもの嫌いだから、二瓶さんにあげて』と。しかし、女子たちの動向を見ていると、山田君に断られたからと言って、二瓶さんにあげる気は無いらしい。
「ったく、朝からウザイな。乃里、お前なんとかしろよ。テンション下がる」
「職場で呼び捨てはお止め下さい」
「チッ。愛宕サン、なんとかしろよ」
「舌打ちされましても、なんとか出来ません」
コンッとなぜか椅子を蹴られた私。しかし、そんなことでは動じないのだ。無表情なまま周知メールを読み続けていると、強引に椅子の向きを変えられた。
「お前さ、人と話すときは相手の顔を見ろよ」
「いやいや。他の人にはそうしてるから」
そう答えて再び周知メールを読み始めると、山田君は私をジッと凝視したままでこう言った。
「俺のこと意識し過ぎなんだって。もっと自然に接しろって」
「自惚れもそこまで突き抜けると、ちょっと…。誰もが自分に気が有ると思わないで欲しいです」
ドヤ顔で憎まれ口を叩く私に、山田君は突然話題を変える。
「なあ、愛宕サンとこの風呂、借してよ」
「ふ、風呂?」
「俺、この会社が用意してくれたマンションに住んでるんだけど、隣りに新婚夫婦が住んでて」
「はあ、それがどうしたんですか?」
「どうやら浴室が隣接してんだよな。…ほら、俺って長風呂じゃん?」
「そうでしたね」
「あいつら毎日一緒に入浴しやがんの。会話もエロ声も丸聞こえで寛げないんだよ」
「あは。それは大変ですね」
「だろ?」
「…だが断るッ」
なんでだよと騒ぐその神経が分からない。だって私には彼氏がいるのに。そう言うと、山田君は薄ら笑いを浮かべた。
「どうせまた俺の気を惹こうとして、妄想の彼氏でも作ってんだろ?お前、昔もよくソレやったよな。でも、もうそのテには乗らないっつうの」
ひ、酷い。確かに昔は気を惹きたくて様々な小細工をしたけど。
「おはよう、愛宕さん」
「あ、川瀬君、おはよう!」
…正に以心伝心と言うか。抜群のタイミングで、彼氏登場である。相変わらず柔らかな雰囲気を纏い、口元の笑みを絶やさず裕基は言う。
「はい、これ伝えてあった領収書。悪いけど前月分で処理しておいて。…って、アレ?新入社員かな?」
「違う違う、監査人だよ。しばらくウチに常駐するんだって」
「へえ、そうなんだ。あ、乃里。ゴメン今晩行けなくなった。急に接待が入っちゃってさ。2回連続で悪い」
「そっか。うん、まあ別にいいよ。仕事だもん」
バイバイと小さく手を振り合うのは、恒例で。既に公認の仲なので隠す必要も無い。
接待…ねえ。
たぶん新しい女が出来たのだろう。彼の良いところは、隠し事が出来ないところだ。新しい相手が出来ると、途端に浮かれだす。責めない私もどうかと思うが、最終的には必ず戻って来るのでもう諦めている。
「今のヤツだって名前を呼び捨てにしたのに、注意しないんだな」
そ、そこ?今、そこを指摘しちゃう??
「えっと、だって川瀬さんは…」
「彼氏なんだろ?バーカ、揶揄っただけだよ」
「実在の人物だと分かったでしょ?だから山田君をウチには入れられない」
「ふん、生意気を言いやがって」
何がどう『生意気』だと言うのか。サッパリ理解に苦しむが、とにかくこれで突撃されることは無いだろう。…そう思いたかった。しかし、彼はその晩やって来る。右手にはお風呂グッズと着替え、左手にホームサイズのアイスクリームを持って。
「予告した通りだ。風呂を貸せ」
「ええっ?!な、どうしてウチの住所を?!」
半開きだった玄関ドアを強引に開け、靴を脱ぎながら彼はこう答えた。
「ほら俺、監査人だから。殆どの社内情報にアクセス許可されてるんだよ。『社内緊急連絡網』のファイルを偶然覗いたら、たまたまココの住所が記載されててさ。すげえ近所なんだもん、驚いちゃった」
いや、普通は『驚いた』で済ませておくよ?わざわざ押し掛けたりしないんだってばッ。
「給湯スタート。はは、ウチと同じ給湯器だ」
「『そりゃあ良かった』とか言うワケないし。浴槽の栓を嵌めないとお湯が溜まらないわよ」
って、ソコ??ソコなの私??
「ああ、そっか。浴室、あっちだな」
「ちょ、ちが、待って、そうじゃないの、何を勝手にヒトんちの風呂場にッ」
「早く冷凍庫に入れないと、アイス溶けるぞ~」
「か、彼氏が来たらどうすんのよッ」
「今日は接待で来れないって言ってたじゃん。お前もう忘れたのか?乃里、大丈夫ゥ~?」
「そ、そうじゃないでしょッ?!どうしてそんなに勝手なのよ~」
なんだかもう泣きそうだった。だってやっと古傷が癒えて、普通に暮らせるようになったのに。
「そういう顔をするなっつうの。…また虐めたくなるだろ」
「もうイジメてるクセに。お願いだから早くココから出てってよ」
山田君は頭をゆっくりと左右に振る。
「やだ。決めたんだ、絶対に居座るって」
気のせいか、意地悪な言葉とは裏腹に、その表情は驚くほど優しかった。
「山田きゅん、おはよう」
「うふ、山田きゅん、おはよ」
…おいおい、隣席の私には挨拶ナシかい。
イケメンが降臨してからの経理部は、確実に変化した。我が社の次期社長(通称ジュニア)が異動して来てもさほど勤務態度を変えなかった女子たちが、朝早く出社するようになり、机の上を掃除し、嘘臭いまでの笑顔を振りまいてお茶を煎れる。そしてイケメン様に貢物を献上するのだ。
「山田きゅん、良かったらお茶請けにどうぞ。この饅頭、美味しいの」
「あ、俺、甘いの苦手なんですよ。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
「山田きゅん、これ食べたこと無いでしょ?超おいしいんだよ新商品のチョコなの!!」
「誠に申し訳ないんですが、俺、甘いの苦手で。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
「山田きゅん、プリン食べる?たくさん持ってきたんだけど余っちゃって…」
「ごめんなさい、俺、甘いもの好きじゃなくて。二瓶さんにあげて下さい。好物って言ってたし」
…なんかもう聞き飽きた。返事している方も面倒臭いだろうな。いっそ朝礼で周知してしまえばいいのに。『甘いもの嫌いだから、二瓶さんにあげて』と。しかし、女子たちの動向を見ていると、山田君に断られたからと言って、二瓶さんにあげる気は無いらしい。
「ったく、朝からウザイな。乃里、お前なんとかしろよ。テンション下がる」
「職場で呼び捨てはお止め下さい」
「チッ。愛宕サン、なんとかしろよ」
「舌打ちされましても、なんとか出来ません」
コンッとなぜか椅子を蹴られた私。しかし、そんなことでは動じないのだ。無表情なまま周知メールを読み続けていると、強引に椅子の向きを変えられた。
「お前さ、人と話すときは相手の顔を見ろよ」
「いやいや。他の人にはそうしてるから」
そう答えて再び周知メールを読み始めると、山田君は私をジッと凝視したままでこう言った。
「俺のこと意識し過ぎなんだって。もっと自然に接しろって」
「自惚れもそこまで突き抜けると、ちょっと…。誰もが自分に気が有ると思わないで欲しいです」
ドヤ顔で憎まれ口を叩く私に、山田君は突然話題を変える。
「なあ、愛宕サンとこの風呂、借してよ」
「ふ、風呂?」
「俺、この会社が用意してくれたマンションに住んでるんだけど、隣りに新婚夫婦が住んでて」
「はあ、それがどうしたんですか?」
「どうやら浴室が隣接してんだよな。…ほら、俺って長風呂じゃん?」
「そうでしたね」
「あいつら毎日一緒に入浴しやがんの。会話もエロ声も丸聞こえで寛げないんだよ」
「あは。それは大変ですね」
「だろ?」
「…だが断るッ」
なんでだよと騒ぐその神経が分からない。だって私には彼氏がいるのに。そう言うと、山田君は薄ら笑いを浮かべた。
「どうせまた俺の気を惹こうとして、妄想の彼氏でも作ってんだろ?お前、昔もよくソレやったよな。でも、もうそのテには乗らないっつうの」
ひ、酷い。確かに昔は気を惹きたくて様々な小細工をしたけど。
「おはよう、愛宕さん」
「あ、川瀬君、おはよう!」
…正に以心伝心と言うか。抜群のタイミングで、彼氏登場である。相変わらず柔らかな雰囲気を纏い、口元の笑みを絶やさず裕基は言う。
「はい、これ伝えてあった領収書。悪いけど前月分で処理しておいて。…って、アレ?新入社員かな?」
「違う違う、監査人だよ。しばらくウチに常駐するんだって」
「へえ、そうなんだ。あ、乃里。ゴメン今晩行けなくなった。急に接待が入っちゃってさ。2回連続で悪い」
「そっか。うん、まあ別にいいよ。仕事だもん」
バイバイと小さく手を振り合うのは、恒例で。既に公認の仲なので隠す必要も無い。
接待…ねえ。
たぶん新しい女が出来たのだろう。彼の良いところは、隠し事が出来ないところだ。新しい相手が出来ると、途端に浮かれだす。責めない私もどうかと思うが、最終的には必ず戻って来るのでもう諦めている。
「今のヤツだって名前を呼び捨てにしたのに、注意しないんだな」
そ、そこ?今、そこを指摘しちゃう??
「えっと、だって川瀬さんは…」
「彼氏なんだろ?バーカ、揶揄っただけだよ」
「実在の人物だと分かったでしょ?だから山田君をウチには入れられない」
「ふん、生意気を言いやがって」
何がどう『生意気』だと言うのか。サッパリ理解に苦しむが、とにかくこれで突撃されることは無いだろう。…そう思いたかった。しかし、彼はその晩やって来る。右手にはお風呂グッズと着替え、左手にホームサイズのアイスクリームを持って。
「予告した通りだ。風呂を貸せ」
「ええっ?!な、どうしてウチの住所を?!」
半開きだった玄関ドアを強引に開け、靴を脱ぎながら彼はこう答えた。
「ほら俺、監査人だから。殆どの社内情報にアクセス許可されてるんだよ。『社内緊急連絡網』のファイルを偶然覗いたら、たまたまココの住所が記載されててさ。すげえ近所なんだもん、驚いちゃった」
いや、普通は『驚いた』で済ませておくよ?わざわざ押し掛けたりしないんだってばッ。
「給湯スタート。はは、ウチと同じ給湯器だ」
「『そりゃあ良かった』とか言うワケないし。浴槽の栓を嵌めないとお湯が溜まらないわよ」
って、ソコ??ソコなの私??
「ああ、そっか。浴室、あっちだな」
「ちょ、ちが、待って、そうじゃないの、何を勝手にヒトんちの風呂場にッ」
「早く冷凍庫に入れないと、アイス溶けるぞ~」
「か、彼氏が来たらどうすんのよッ」
「今日は接待で来れないって言ってたじゃん。お前もう忘れたのか?乃里、大丈夫ゥ~?」
「そ、そうじゃないでしょッ?!どうしてそんなに勝手なのよ~」
なんだかもう泣きそうだった。だってやっと古傷が癒えて、普通に暮らせるようになったのに。
「そういう顔をするなっつうの。…また虐めたくなるだろ」
「もうイジメてるクセに。お願いだから早くココから出てってよ」
山田君は頭をゆっくりと左右に振る。
「やだ。決めたんだ、絶対に居座るって」
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