マミさんは、ときめきたい。

ももくり

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3.マミは油断する

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『黙れ』と言われて素直に黙れば良かったのだが、そんなことよりも私は確認したかった。

 これ、本当に松原さん?
 もしかして別人と入れ替わったんじゃ?

 だってこの人に対する評価は、誰に訊いてもほぼ同じだ。穏やかで平坦な感情の持ち主で、決して声を荒げることなど無いと。部下の失態を笑顔でサポートし、上司のムチャぶりも喜んで引き受け、要注意と恐れられている顧客ですらもこの人は難なく対応してしまう。

 私は、そんな松原さんを怒らせたのだ。

 脳内で『動揺』の二文字がゴシック体で浮かんだかと思うと、それが大写しになっていく。動揺が動揺して、動揺が止まらない。

「貴方は松原さん…ですよね?」
「はあ?当たり前のことを聞くなよ」

「いえ、あの、もしかして怒った…のですか?」
「あのさあ、暗い話、聞きたくないんだよね、俺」

 そう言いながらも松原さんは、相変わらず美しい所作でポテトサラダを食べ続けている。先程から観察しているのだが、この人の食べ終えた皿は素晴らしく綺麗だ。例えば、白いお皿に盛りつけられていた蛸のカルパッチョ。彩りとして幾つか散らされたカラーペッパーが、配置そのままに残されている。かかっていたソースだって盛り付けられた範囲からはみ出さず、忽然と蛸だけが消えたという感じだ。

 だし巻きや蓮蒸しも同様で、刺身の盛り合わせに於いてはツマと花紫蘇と大葉とが、まるで新進気鋭の華道家が手掛けた作品の様に見える。意図してそうしているのだとすれば、この人ちょっとヤバイぞ。──なんてことを考えていたら、沈黙を守っていた松原さんがその重い口を漸く開いてくださった。
 
「あのさ、『生きる』って崖っぷちでダンス踊ってる様なもんだと俺は思うワケ」
「崖っぷちでダンス、ですか?」

 斬新なその持論に、私は瞼を忙しく動かすことしか出来ない。

「…うん。辛いし、苦しいし、悲しいことばかりだけど、それに気付かないフリをして、楽しそうにして見せてんの」
「そう…なんでしょうか…」

 言わんとすることは分かる。だが、それを肯定するとなんだか生きる希望を失いそうで怖かった。

「必死で自分を騙してんだよ、皆んなさ。どいつもこいつも本当は不幸なんだ。だけど、それを悟られまいとしてるだけ。だから『自分だけが不幸だ』なんて思うヤツは傲慢な大バカ野郎だ」
「はあ…、大バカですか…」
 
 それは暗に私のことを指しているのだろうか?

「お前に出来ることは、他人を巻き込まないことだ。自分を騙して踊り続けている健気な人々に、切欠をくれてやるな。ただでさえ危ういこのご時世なんだぞ?もし色々と気付いて、崖から飛び降りたらどう責任を取ってくれるんだ?」
「え…と、それは…」

 ああ、やっぱりこの人、面倒臭いな。

「それと、お前の亡くなった婆さんだけど、それほど不幸でも無かったかもしれないぞ」
「はあ?そんなはず無いですよ」

「なあ、よく考えてみろよ。もし自分が寝たきりになったとして、それほど仲の良くない息子の嫁にお前だったらシモの世話を頼みたいか?」
「えっ?ああ、確かに」

「俺だったら、イヤだな。毎日のことだし回数も多い。自分を嫌ってる相手に気を遣いながら用を足して、それでいちいち感謝の言葉を口にしなきゃいけないなんて、いったいどんな拷問だよ」
「だって、それは仕方ないじゃないですか」

 そう言われてみれば、そんな気もしてきた。この人、面倒臭いけど考え方は柔軟なんだな。

「むしろ、仕事と割り切って接してくれる看護師さんの方が気兼ねなく頼めるし、病院も慣れればある意味パラダイスだぞ。いつ容態が悪化しても安心だしな!」
「うわ…。意味なくポジティブですね…」

「バカだな、もっと自分を騙せよ!敢えて崖から落ちようとするな!ひたすら、気付く暇も無いほど踊り続けるんだ。そうすれば、きっと幸せを感じることも出来る。まあ、それも偶にだがな!」
「偶にですか」

「当たり前だ。そんなに幸せばかり感じていたら、有難味が無くなるじゃないか」
「まあ、それもそうですね」

 とかなんとか言いながら微笑むその姿はいつもの松原さんだったので、思わず油断してしまったのかもしれない。






「なっ、こ、ここは何処ですかッ?!」
「またまたあ、分かってるクセにィ~」

 分かっているけど、分かりたくない。

 何故なら、どう見てもここは
 …ホテルの一室だったからである。

 
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