6 / 29
6.マミは聞き入る
しおりを挟む──母親が、浮気をして家から出て行った。
まあ、それは何と言うか、世間一般的には『よくある出来事』のカテゴリーに分類されるのだと思う。だが、しかし。目の前にいらっしゃる御方の解説が添えられることにより、非常に奥深い内容と化してしまうのだ。
そう、それはまるで落書きにしか見えない前衛美術品を、著名な評論家が褒め千切ったことにより周囲も絶賛してしまう様な。そんな安易さで私は人生観を大きく変えたのである。
きっと人はコレを『チョロイ』と呼ぶのだろう。ああ、そう呼びたければ呼べ。嘲笑されたくらいでこの考えは揺るがないし、それほど松原さんの話は胸を深く抉ったのだ。
誰よりも幸せだと思っていた、少年。
成績優秀で何をやらせてもソツなく熟し、見た目も群を抜いて素晴らしい。常に委員長や生徒会長を任されるという自他ともに認める理想の息子。その両親もまた、理想の父親と母親だった。美しく上品な母親とそんな彼女を愛して止まない穏やかな父親。家族三人、どこへ行くにも一緒で、いつも家の中は笑顔で満たされていた…はずだったのに。
>見て、松原さんのところの奥様よ。
>んまあ、まるで女優さんみたいに綺麗ね!
>旦那さんは司法書士をされているの。
>若いのにもうすぐ独立するんですって。
>一人息子の壮亮くんも将来が楽しみだわ。
>…本当に、幸せを絵に描いた様な家族ねえ。
聞こえてくるのは称賛の声ばかり。妬む人すら存在しなかったその家族は、驚くほど呆気なく崩壊する。母親が同窓会に出席し、その際に再会した同級生の男と手に手を取って駆け落ちしてしまったのだ。
当時のことを松原さんはこう語る。
「なんつうかさあ、品行方正だった母親が、ある日突然メスになったって感じ。そんとき俺、まだ中学1年生だったんだけど、帰宅したら両親の寝室からアハンウフンとか変な嬌声が聞こえてきて。でも、父親がこんな早い時間にいるワケないし、コッソリ聞き耳を立てたらさ、信じられるか?寝室で浮気相手の男と自分の母親が絡み合ってたんだ」
「えっと、何と言うか、その、…気色悪いですね」
どうやら私は、松原さんの心情をピタリと言い当ててしまったらしく、人差し指を向けられながら低い声で『それな!』と呟かれた。
「ほんとタチ悪いよ。俺が帰って来る時間帯だって分かってただろうに、それでも色ボケしてたせいで止まらなかったんだろうな」
「はあ…、何と言うか、お気の毒に…」
そう、このあと綴られた松原さんの言葉が最重要だ。
「いいかよく聞け、堅物オンナ。俺は身近な失敗例を目にして、学んだんだ。大抵の人間はな、『真面目で誠実に生きていれば必ず幸せになれる』なんてことを信じて生きているが、そんなモンは嘘っぱちだ。現に俺の父親はとても誠実で、家族の為に身を粉にして働いたが、結局は借金まみれの口だけは上手いゲス男に妻を奪われたからな」
駆け落ちした後、松原さんの母親は何度か息子に会いに来て泣きながら詫びたそうだ。しかし、その姿はどこか芝居じみていて、悲劇のヒロインを演じているだけの様に見えたのだと。
数年後、父親と離婚手続きを済ませて浮気相手と再婚した母親は、相手の男が定職にも就かずフラフラしていたせいで貧しい生活を強いられていた。着ている服は安っぽいし、顔色も悪かったりと苦労しているのは丸わかりなのに、それでも『今が一番幸せだ』と息子の前で言い切ったらしい。
「俺、死ぬほど悩んだんだよ。ウチの父親とその浮気相手の男との違いが何かって。だって、そうだろう?そうしなければ、このまま俺が真面目で誠実に生き続けてもいつか裏切られることになるじゃないか。考えて、考えて、そして漸く分かったんだ。
──結局のところ、人間は性欲に勝てないって」
0
あなたにおすすめの小説
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる