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第五章 チームお飾りの王太子妃集結、因縁の地にて
34 パンドラの箱
しおりを挟む船が港を出港する頃には、辺りはオレンジ色に染まっていた。見送ってくれるみんなに手を振って、私は息を吐いた。
スカピリーナ国はこの旅の目的地だったので感慨深い。ぼんやりと沈みかけの夕日と、その夕日に照らされる町を眺めていた。
「クローディア、少し話せませんか? できることなら、二人で……」
隣で手を振っていたフィルガルド殿下に顔をのぞきこまれた。
夕日を背負った彼は壮絶に……美しいと思えた。少しだけその美しさが怖いと思った。なぜ怖いのかはわからない。だが、そろそろ逃げるのをやめる必要がある。
私は、フィルガルド殿下に向かって言った。
「はい。ですが、アドラーだけは同行してもらいます。彼は私の側近ですから」
フィルガルド殿下は少しだけ切なそうに言った。
「……わかりました。では、案内します」
フィルガルド殿下が私に手を差し出しながら言った。私は彼の手を取ると「ええ」と答えた。そして私はフィルガルド殿下に案内されて、周りから仕切られた小さめの甲板に向かった。
「ここは一等客室専用のプライベートな甲板です。ちなみに、私の部屋はあの正面の部屋ですのでいつでも遊びに来て下さい」
フィルガルド殿下は、正面の部屋に手を向けた。どうやら一等客室は3室のようだ。そして私はフィルガルド殿下とは部屋は違うようだ。ほっとしていると、冷たい風を感じて身震いをした。
「クローディア、こちらを」
フィルガルド殿下が私に上着を差し出してくれた。
「ありがとう……ございます。寒かったので……嬉しいです」
私は素直にフィルガルド殿下の上着を借りることにした。羽織ると上着からフィルガルド殿下の匂いがして先ほど抱きしめられた時のことを思い出してしまった。
「はは、そんなことでこれほど嬉しそうに微笑んでくれるのですか?」
フィルガルド殿下は、少し歩いて船縁に片手を置いて、私に手を差し出した。
「手を繋ぎませんか?」
フィルガルド殿下が切なそうに微笑むので、私は一度俯いた後に彼の手を取った。アドラーは扉の近くに待機してくれていた。
フィルガルド殿下は、私の手をぎゅっと握りながら言った。
「なんだか、クローディアと二人でこうして話をするのは久しぶりな気がします」
「そう……ですね」
私としてはずっとフィルガルド殿下を避けていたので、初めてかもしれない。彼は私を見ながら切なそうに言った。
「クローディア、あなたはなぜ変わったのですか?」
……――転生して入れ替わったからです。
そう言った方がいいのだろうか?
真剣な顔で問われて、私は言葉を探す。
そうしている間にフィルガルド殿下がつらそうに言った。
「最初にあなたが変わったと思ったのは、婚約した後です」
え? そんなに前? しかも最初に? そんな何回も変わったの??
私は思わずフィルガルド殿下を見つめた。
たぶん、それは私のせいじゃない……私は顔を上げてフィルガルド殿下の話に耳を傾けていた。
「まだ婚約する前、パーティーで会った時のあなたは、今のようにとても冷静で、話も聞いてくれました」
クローディアが……? なぜだろう、フィルガルド殿下の言葉が嘘だとは言わないが、違和感しかない。それに、その頃のクローディアの記憶はほとんどない。
「そして婚約した途端、全く私の言うことに耳を傾けてくれなくなり、我儘で他者を排除するような態度を取るようになった」
それは私も知っているクローディアの姿だ。私の記憶にも、クローディアが傍若無人に振舞う姿の記憶が朧げにある。
過去のクローディアの言動を思い出していると、フィルガルド殿下が苦しそうに顔を歪めながら私の両手を握りながら言った。
「私は……あなたには王妃は務まらないと思いました。他者を排除し、私に近づく者に暴言を吐く、そんなあなたに王妃をなどつらいだけだと思ったのです」
それは私も理解できる――殿下の選択は決して間違っていない、と思う。
フィルガルド殿下はさらに苦しそうに言い放った。
「だから、私は……――エリスを選んだ……」
胸が痛かった。でもわかっていた。フィルガルド殿下に初めて会った時、エリスを側妃に迎えたいと言われた時から知っていた。
とっくに受け入れたと思っていたのにやはりその言葉を聞くと痛みを感じる。
私はフィルガルド殿下を見ながら言った。
「フィルガルド殿下の判断は正しいと……思います」
これでいい。そう、これで……――え?
真っすぐにフィルガルド殿下を見ながら言った言葉。
私は責めていない。
もう終わったことだ、と理解して安心してもらうために言ったのだ。
それなのに……
フィルガルド殿下は怒りの篭った瞳で私を見ながら……――涙を流していた。
泣いてる……?
「なぜ、そんなことを……ずっとずっと君が一番大切で守って来た!! それなのに、君は私の言葉を拒絶して……私の側にいることさえも捨て去るように振舞い、私を拒んだのは君の方だろ!? 今さら……私が君をあきらめた途端、昔のように戻るのは……酷く残酷だ……」
激情をぶつけられることはこれほどの痛みを伴うのだと初めて知った。
フィルガルド殿下の言葉はまるでこれまで必死に守ってきつくフタをしていた箱を切り裂くように私の心の中を荒らす。
「フィルガルド殿下……」
思わず呟くと、フィルガルド殿下は必死な顔で言った。私は心の中でクローディアに問いかけた。
ねぇ、どうしてあなたはフィルガルド殿下を拒んだの?
あなたが変わらなければ、ずっと大切にしてもらえたかもしれないのに……
「私はずっと君が一番大切だったんだ!! あなたが『いつか誰かから特別なバラを贈られるような人になりたい』と言うから特別なバラを作ったんだ!! あなたがピアノが好きで一緒に演奏したいと言ったからヴァイオリンを習った。あなたが……誘拐された日から、守れるくらい強くなりたくてガルドを何日も説得して剣の教えを受けたんだ!!」
ドクッドクッドクッ胸の辺りで急に心臓の音が大きくなるのを感じた。
誘拐サレタ……
その言葉に身体の血が高速で動き出すような感覚、心臓が痛いほど大きく脈を打ち……眩暈がする。
身体に異変があったと思った次の瞬間、頭の中に砂嵐のような映像が見えたと同時に見知らぬ男の声が響いた。
『こいつが……確かに……色が違うな……』
すぐに途切れた映像と音声。
何? 今の……
まるで、古い映画のワンシーンを見せられているように脳裏に現れる。
さらに頭に砂嵐の映像と共に声が響いた。
『こいつが……波風……気の毒な存在だな』
また? 何か……見えた……
そして次の瞬間、再び頭の中にまるで砂嵐のように映像が流れ、音声が途切れ途切れに頭に響いた。
白黒映画のように頭の中で再生される映像……
映像の中は暗くて冷たい部屋で、私は床に転がされて両手、両足を縛られて転がされていた。
映像なのに冷たさや、腕を縛られた痛み、そして匂いまで感じる。
甘い匂いが部屋中に立ち込めて、私は意識が朦朧としている。
冷たい……痛い……怖い……
映像と音声と身体が同化していく感覚……
これ、もしかして?
この世界に初めて来た時に感じた、途切れた夢を見た時と感覚が似ている。夢の中の感覚と、自分の五感全てが身体に溶け込んで来る感覚。
ふと、随分と周りの景色に色が戻って来てたかと思うと、音が聞こえた。
耳をすませば、隣の部屋から聞こえてくるかすかな声……
静まり返ったこの場所に、男たちの声は想像以上に響いていた。
私はぼんやりと意識が薄れる頭で必死で男たちの会話を聞いていた。
『こいつが……ダラパイス国……王の目を持つ娘……この娘が王家に入れば……王太子を亡き者……必要がある』
――私ト結婚シタラ、王太子ヲ亡キ者二スル?
私と結婚したら……あの優しいフィルガルド殿下が……殺される?
――そんなのは、絶対に許せない!! あの方ほどいい王などいない!!
お腹の底から湧き上がる危機感と怒りと……焦り。守りたいと心から思う。
フィルガルド殿下を守りたい!
あの方を失いたくない!!
あの方の治世を見たい……!!
じゃあ……私がいなくなれば……そうだ、このまま私は消えればいい……簡単なこと……
クローディアはフィルガルド殿下を守るために、簡単に自分の命を捨てようとしていた。そして、クローディアが死を決意した瞬間、再び男たちの声が聞こえた。
『この娘……亡き者にすれば……ダラパイス国……ハイマに戦を……』
男たちの声が部屋に響く。
『ああ……この瞳に心酔している人間は多い……』
私がいなくなったら……戦?
私は死ねない?
私がいなくなったらダラパイス国がこの国に戦を仕掛ける?
でも……私が生きていたら、フィルガルド殿下が殺される?
どうしたらいい? どうしたら……
手足を縛られ、意識が朦朧とする状況で必死で考えた。
戦を回避して、フィルガルド殿下を守る方法……
王妃になりうる私という存在を消すしかない――私は、生きながらに……自分の存在を……消す……
その時だった。
大きな音と男たちの叫び声が聞こえた。その直後……扉が開いて、男の子の声が聞こえた。
『見つけた!! ガルド隊長!! こっちだ!!』
遠い意識の中でクローディアはその誰かの声を聞いていたが、返事はできなかった。
そして心の中で叫んでいた。
『おい、おい、しっかりしろ!!』
遠い意識の中でクローディアはその誰かの声を聞いていたが、返事はできなかった。
『絶対に助けてやるから』
一瞬、紫に輝く宝石が見えた気がした。
――きれいな色……
砂嵐のような映像の中に綺麗な紫色が飛び込んだ瞬間、身体がグラリと傾いた。
「クローディア!?」
「クローディア様!!」
フィルガルドとアドラーの声が聞こえる。私はそのまま意識を手放した。
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