38 / 95
第四章 崩れ行く天秤
37 変質した未来(3)
しおりを挟むどのくらいの沈黙が親子の間に流れただろうか?
空に浮かぶ月はもうかなり高くなっていた。
「ハンス……お前は、婚約誓約証を読んでいないのか?」
長い沈黙の中、ホフマン伯爵が低い声で言った。
「え?」
ハンスが戸惑う中、ハンスの父は、執務室内になる書庫から書類を取り出した。ハンスは、ある一文を見つけて固まった。
『この婚約を解消、または白紙にした場合。ホフマン伯爵家がウェーバー子爵家及び、シャルロッテ・ウェーバー個人への援助した相当を返金すること』
「婚約解消や、婚約白紙で返金? なぜです?」
ハンスの言葉に、ハンスの父が大きな溜息をつきながら言った。
「なぜだと? 当然だろ? 婚約者には我がホフマン伯爵家の重要機密とも言える宝石の知識を授けるのだ。相手の女性に不貞や、浮気をされたら、処罰さえも有り得る損失なのだ。だからこそ、金銭的な制約を付けたのだ」
「ですが、シャルには一切の責はない」
ハンスが声を上げると、今度は伯爵夫人が頭を抱えて声を上げた。
「まさか、家の方から、婚約を解消したいなんて言い出すことは、全く想定していなかったのよ。でも、あなたはすでに、ナーゲル伯爵家のお嬢様に『勝手に』求婚したのでしょう?! 我がホフマン伯爵家は鉱山や流通に関して、かなり騎士団にお世話になっているのよ? 現騎士団長であるナーゲル伯爵には、鉱石の輸送の件で、我が領にいつも優秀な方を優先的に手配して頂いているし、有事の際にもすぐに駆けつけて下さって……本当にお世話になってる方なのよ?! そんな方の御令嬢にこちらから求婚しておいて、今更、お断りなんて……」
夫人は今にも倒れそうな程青い顔をしていた。
「婚約破棄するしかないだろうな……」
「……え? 婚約破棄……」
ハンスは驚いて声を上げた。ハンスはシャルロッテの婚約を円満に解消するか、もしくは白紙に戻すつもりでいた。その方が自分にとっても、シャルにとってもいいと思ったのだ。
だが、『婚約破棄』となると、婚約破棄をされた方は一切の責を問われる必要がない場合が多い。
だが、女性の方は、相手の男性に捨てられたと不名誉なことを言われてしまう。
ハンスの顔から血の気が引いた時、大きな声が聞こえた。
「お前は、シャルロッテ嬢を捨て、新しくナーゲル伯爵家の令嬢と浮気したという汚名を抱えて生涯生きることになると言うことだ!!」
ハンスの父が苛立った瞳でハンスを見ながら言い捨てた。
そうだ。
シャルロッテが、『捨てられた令嬢』なら、自分は彼女を『捨てた男』になる。
「ああ!! なんてことなの!! あんないい子と婚約破棄だなんて……大きな恥だわ!!」
夫人はとうとう泣き出してしまった。
「シャルロッテ嬢に関しては、一切の否はないからな……約束の卒業までは学費の全額援助と、お前の浮気の慰謝料。さらに7歳から、我が家の一員として学んで貰ったことの迷惑料を支払う必要があるだろうな」
ハンスの父がどこか虚ろな瞳で言った。
「あの子は、小さい頃から、ハンス。あなたのためにとても頑張っていたわ!! 慰謝料と迷惑料だけじゃ足りないくらいよ!!」
取り乱す両親を見ながら、ハンスは慌てて声を出した。
「待って下さい!! 私は浮気など…」
「ハンス……婚約者のいる身で、他の令嬢に求婚など……立派な浮気だ。籍を入れていないので、法的には傷はつかないが……それでも……浮気であることは変わりない」
ハンスは、シャルロッテと自分の幸せのためになると信じてこの決断をしたのだ。
今更後には引けないし、侯爵になるためには、どうしてもナーゲル伯爵家の後ろ盾が必要だった。
「それでも、私の意思は変わりません。私は騎士になります」
ハンスの強い瞳を見て、伯爵が大きく溜息をついた。
「こんなことになったのは、私たちにも責任がある。ハンス……明日、シャルロッテ嬢に自分から言いなさい。私も誠心誠意、彼女に詫びよう」
「……はい」
ハンスは自分の拳を握り締めた。もう決めたのだ。これが、自分にとっても、シャルロッテにとっても最良の選択なのだ。
「ハンス、だが……覚悟は出来ているね? もう、我々の想像した未来は……決して来ない」
「……覚悟は出来ております」
ハンスは、真剣な瞳で自分の両親を見た。
「そうか……では、ハンスお前を、もう一度信じよう」
「はい、ありがとうございます。必ず侯爵の位をこの手にして見せます」
「ああ、この件に関して、私は明日、シャルロッテ嬢に謝罪した後に、陛下にご相談に行かなくてはならないな……もう、賽は投げられてしまったのだから……」
ハンスの父は、眉間にシワを寄せた後に、ハンスを見た。ハンスも決意ある瞳で、父を見たのだった。
212
あなたにおすすめの小説
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい
木崎優
恋愛
「君には大変申し訳なく思っている」
私の婚約者はそう言って、心苦しそうに顔を歪めた。「私が悪いの」と言いながら瞳を潤ませている、私の妹アニエスの肩を抱きながら。
アニエスはいつだって私の前に立ちはだかった。
これまで何ひとつとして、私の思い通りになったことはない。すべてアニエスが決めて、両親はアニエスが言うことならと頷いた。
だからきっと、この婚約者の入れ替えも両親は快諾するのだろう。アニエスが決めたのなら間違いないからと。
もういい加減、妹から離れたい。
そう思った私は、魔術師の弟子ノエルに結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。互いに利のある契約として。
だけど弟子だと思ってたその人は実は魔術師で、しかも私を好きだったらしい。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
言いたいことはそれだけですか。では始めましょう
井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。
その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。
頭がお花畑の方々の発言が続きます。
すると、なぜが、私の名前が……
もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。
ついでに、独立宣言もしちゃいました。
主人公、めちゃくちゃ口悪いです。
成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。
婚約破棄に乗り換え、上等です。私は名前を変えて隣国へ行きますね
ルーシャオ
恋愛
アンカーソン伯爵家令嬢メリッサはテイト公爵家後継のヒューバートから婚約破棄を言い渡される。幼い頃妹ライラをかばってできたあざを指して「失せろ、その顔が治ってから出直してこい」と言い放たれ、挙句にはヒューバートはライラと婚約することに。
失意のメリッサは王立寄宿学校の教師マギニスの言葉に支えられ、一人で生きていくことを決断。エミーと名前を変え、隣国アスタニア帝国に渡って書籍商になる。するとあるとき、ジーベルン子爵アレクシスと出会う。ひょんなことでアレクシスに顔のあざを見られ——。
王命により、婚約破棄されました。
緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる