好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番

文字の大きさ
53 / 95
第六章 選ばれた新たな未来

52 受け入れた現実

しおりを挟む


「泣かせてすまない。これを使ってくれないか?」

 ゲオルグが、自分のハンカチを濡らして、私に差し出してくれた。

「迷惑かけて、ごめんなさい。……有難く使わせて貰うわ」

 私はゲオルグからハンカチを受け取ると、目の上に乗せた。肌ざわりのいい感触に、ひんやりとした冷たさ。とても気持ちがいい。

 数日前に、一日中、泣いていた時と比べると、今日は、少し泣いただけなので、目の赤みが引けば、問題ないだろう。
 そう思って目を閉じると、カサカサと風に揺れる葉の音が聞こえてきた。そして、その葉の揺れる音と共に、ゲオルグのつらそうな声が聞こえてきた。

「迷惑など……私が、悪い。焦り過ぎた……」

――焦りすぎた。ゲオルグの言葉を聞いて、自分もそうだったのかもしれないと思った。

 早くハンスのことを忘れなくてはいけない。
 早く新しい日常に慣れなければならない。
 早く心を落ち着けなければならない。

 早く――。早く――。早く――。

 私は『早く、早く』と自分自身を追い詰めていたことに気づいた。
 
 ハンスとは、10年も毎日のように一緒に過ごしていたのだ。
 ハンスと一緒に、勉強したり、遊んだり、ハンスの大会の応援にいったり……。
 私の記憶には、ハンスと過ごした想い出しかない。

 ホフマン伯爵家に嫁ぐなら、私は将来、領地の経営をするか、宝石の仕事をすることになると、ホフマン伯爵の秘書の方に言われた。
 いずれにしてもどちらも勉強しなければできない。だから私は、ハンスが乗馬や剣を習っている時間は全て、領地経営の勉強をしていた。

 領地経営の勉強も宝石の勉強も当時の私には、とても難しかったので、必死で勉強した。
 余裕のなかった私は、家族と、エカテリーナと数ヶ月に1度会って話をするくらいしか、人との交流がなかったのだ。冷静に考えてみると、これまでの私は、ハンスが中心の世界にいたのだ。ハンスのことをすぐに忘れられなくても仕方ないと思えた。

――私にはずっとハンスしかいなかったのだから――

 ハンスと過ごしてきた日々をそう簡単に忘れることなどできないことに気づいた。
 忘れられないのなら、自然と思い出さなくなるまで、このままでもいいように思えた。

 私は、ハンカチを目の上から取ると、上を向けていた顔を、真っすぐに戻し、風に揺れる草花を眺めながら言った。

「私も焦り過ぎていたのね……」

 ゲオルグの視線を感じて、ゲオルグの方を見ると、驚いた顔をした後に、目を細めて口元に笑みを浮かべて呟くように言った。

「お互い、焦らず、ゆっくりと自分のできることをするか……」

「ふふふ、そうね……ありがとう、ゲオルグ」

 少しずつ変えて行こう。
 すぐにこれまでのことを忘れられるほど、私は器用な方ではない。
 それなら、ゆっくりと、今のことを考えてみよう。

「そろそろ、戻ろうか」

「ええ」

 こうして、私たちは、教室に戻ったのだった。

☆==☆==


 教室に戻ると、教室内がざわざわとしていた。

「どうかしたのだろうか?」

 ゲオルグも教室内の様子を見て、眉を寄せた。

「そうね、何かあったみたいだわ」

 私も状況がわからずに、首を傾けると、ゲオルグが、近くにいたクラスメイトである伯爵令嬢のマリー様に尋ねた。

「何かあったのか?」

 ゲオルグに話かけられたマリー様は、興奮したように答えた。

「ゲオルグ様! 実は、ステーア公爵家のハワード様が、特別講師としてSクラスの外交の講義を担当して下さるそうなのです! 先程、エリスが、講師室で紹介されたと言っていましたの。今日はこれからあいさつに来られるそうですわ」

「ステーア公爵の次男のハワード殿が直々に外交の講義をされるのか……(あのお忙しい方々が、学院で講義?! なぜだ? 何かあるのか?)」

 ゲオルグは、顎に手をあてて眉を寄せて考え込んでしまったようだった。

 ステーア公爵家といえば、この国の外交を管理されている家だ。
 そんな方が講義をして下さるのは、私たちにとって、とても幸運なことだった。

「それは素晴らしいわ」

 私が、声を上げると、マリー様も嬉しそうに言った。

「そうでしょう? わたくしたちも嬉しくて! どのようなお話をお伺いできるのか楽しみだし、ハワード様との繋がりを持てば、家族にも感謝されるわ」

 ハワード様との繋がりを持てば、つまりはステーア公爵家と繋がりと持つことになる。亡きホフマン伯爵が『Sクラスでの繋がりが将来必ず大きな助けになる』とよく言っていた。
 確かに、Sクラスにいると、高位貴族の方々と繋がりと持つチャンスは多いと実感した。

チリン。チリン。
 
 その時、このクラス専用の始まりのベルが鳴った。Sクラス以外のクラスは学院の大きな鐘の音が、講義の始まりと終わりの合図になるが、Sクラスにはそれぞれのベルがあり、始まりの時にだけ、ベルが鳴らされるのだ。

「あ、始まりますわ。それでは、ゲオルグ様、シャルロッテ様、失礼致します」

「失礼致します」

「教えてくれて、感謝する」

「いえ、では」

 私とゲオルグもマリー様と別れ、席に着いた。

 しばらくして、実習担当のイルーナ先生と一緒に、背の高い20歳くらいの若い男性が教室に入ってきた。見た目も気品に溢れている。私たちのクラスにはサフィール王子殿下や、ゲオルグがいるので、皆、高貴な方は見慣れているはずだが、それでも、目を奪われるほどの存在感だった。

 じっと、男性を見ていると、男性と目が合い、笑顔を向けられた。
 
(今のは……偶然よね)

 すると、イルーナ先生が口を開いた。

「皆さん、実習のまとめを始める前に、紹介したい方がいらっしゃいます。これから、定期的に皆さんに外交の講義をして下さる、ハワード先生です」

「はじめまして、ハワードです。私は、皆さんに学ぶ機会を提供するために来ています。爵位などは気にせず、積極的に質問し、外交を学んで下さい」

 外交は、私も宝石の仕分けをする必要があるので、とても興味のある講義だ。その講義を、現在外交を行っている家の方が直々に教えて下さるのだ。
 こんな有難い機会は、滅多にあるものではない。
 私が、嬉しくて、真剣に先生を見ていると、また、先生と目が合って微笑んでくれた。
 
(これからの外交の時間が楽しみだわ)

 私は、外交の講義がとても楽しみになったのだった。



☆==☆==



――数日前のステーア公爵家にて。


 ステーア公爵は、執務室に息子であるハワードを呼んで、これまでの経緯を説明した。

「なるほど……今後は、ランゲ侯爵家の技術力が補強されるわけですね。王子殿下は食えないと思っていましたが……中々、使える王になりそうですね」

 ハワードが小さく笑いながら言うと、ステーア公爵も口の端を上げながら言った。

「いずれにしても、これでランゲ侯爵家に資金が流れれば、現在研究が止まっている分野も目覚ましい効果が期待できる。そうなれば、外交が楽になる。願ったり叶ったりだ。ハルバルト侯爵家も、ランゲ侯爵家に資金が流れれば、国内の流通がスムーズになる。この変化は、我々と同じく歓迎すべきことだろうな」

 ハワードは、公爵の話に頷いた後に、眉を寄せて言った。

「そうですね……ただ……ノイーズ公爵家は、このまま、黙っていない可能性がありますね」

 公爵も眉を寄せて言った。

「そうだな。シャルロッテ嬢に随分と興味を持っておったようだしな。一応、牽制はしたが……」

「直接、彼女を保護できれば、良かったのでしょうが……」

「はは、それこそ周りが黙ってはいない。皆が今回の譲渡に反対しないのは、相手が、ランゲ侯爵家だからだ。皆、あの領の技術力に助けられているからな……さて、私の言いたいことはわかったか?」

 公爵がニヤリと笑うと、ハワードは溜息をついた。

「ええ。そうですね……彼女は学生……ですか。……学院に潜り込んで、彼女と繋がりを作って、他の貴族の動きを牽制していきます」

「そうだな、それはいい。頼んだぞ」

「はい」

 ハワードは、返事をすると、ステーア公爵の執務室を出て、溜息をついた。

「宝石の流通権限を持つ女か……使えない女じゃなければいいがな」


しおりを挟む
感想 253

あなたにおすすめの小説

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

婚約破棄に乗り換え、上等です。私は名前を変えて隣国へ行きますね

ルーシャオ
恋愛
アンカーソン伯爵家令嬢メリッサはテイト公爵家後継のヒューバートから婚約破棄を言い渡される。幼い頃妹ライラをかばってできたあざを指して「失せろ、その顔が治ってから出直してこい」と言い放たれ、挙句にはヒューバートはライラと婚約することに。 失意のメリッサは王立寄宿学校の教師マギニスの言葉に支えられ、一人で生きていくことを決断。エミーと名前を変え、隣国アスタニア帝国に渡って書籍商になる。するとあるとき、ジーベルン子爵アレクシスと出会う。ひょんなことでアレクシスに顔のあざを見られ——。

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい

木崎優
恋愛
「君には大変申し訳なく思っている」 私の婚約者はそう言って、心苦しそうに顔を歪めた。「私が悪いの」と言いながら瞳を潤ませている、私の妹アニエスの肩を抱きながら。 アニエスはいつだって私の前に立ちはだかった。 これまで何ひとつとして、私の思い通りになったことはない。すべてアニエスが決めて、両親はアニエスが言うことならと頷いた。 だからきっと、この婚約者の入れ替えも両親は快諾するのだろう。アニエスが決めたのなら間違いないからと。 もういい加減、妹から離れたい。 そう思った私は、魔術師の弟子ノエルに結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。互いに利のある契約として。 だけど弟子だと思ってたその人は実は魔術師で、しかも私を好きだったらしい。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

処理中です...